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メールQ&A 天野敏のテクスト

立禅や這の腰の高さ

Q:
先日は丁寧にご指導いただきありがとうございました。
あたりまえのことですがまったくの独学と指導していただいた「違い」を明確に感じ取れたと思います。
先生のDVDを購入いたしました。私のように実際の指導が多く受けられない者にとっては絶対必要で、わかりやすい内容に驚きました。(それにしても先生の動きはとても人間技とは思えません)
代々木公園で先生に指導いただいたゆっくりとした体重移動(這?)の動きは理屈ではわかりましたが、
どうにもピンとこなかったのですがDVDを参考にその動きをやっていたところ体が理解してきました。体をリラックスさせて中心線を崩さないように移動すると、体が勝手にあのように(タコのような)なるということが実感できました。
私が武道を習う根拠は普通の爺さんになりたくないという信念からで、死ぬ間際まで空を飛んでいたいという夢を実現するための基礎です。
一瞬の自然の変化に対応するための感や、足腰の強化、体の柔軟性は空を安全に飛ぶためには絶対不可欠です。DVDや本(残念ながら先生の本は見つけられず、拳聖澤井健一先生という本を購入致しました)で知る限り太気拳はそのすべてをカバーし、それ以上のものを引き出すものだと感じました。
ゆっくりですが、ずっと続けて行きたいと思っておりますのでご指導のほどよろしくお願いいたします。

*本を読んだ限りでは立禅や這は腰の低さが強調されて低いほどよいようなイメージを持ちますが、実際低ければ動きが制限されるように思います。練習ではつらくてもなるべく低くして、慣れることによって動けるようになるのが良いのか、またはある程度楽な程度(動きやすい)で練習するのが良いのか、と思いながら楽な(動ける)位置を探したり、ぐっと低くしてみたりしておりますが、実際はどのような感じが良いのでしょうか?

会友員 I

A:
I 君へ
>普通の爺さんになりたくないという信念からで、死ぬ間際まで空を飛んでいたいという夢を実現するため

はは、僕も全く同じです。
僕の同年代でも、もう既に半分死んでるようなのもいます。
死ぬまで生きていると言う実感を持っていたい。
最後のときに、よく生きたな~って言いたいと思っています。
よく生きてよく死にたいものです。

さて、腰の高さと言う質問。
これは低ければ良いと言うものでもありません。
だからと言って高くてもよいというものでも無い。
大切なのは脚ではなく腰で立つと言う感覚を見つけること。
腰を落としても膝を緩められなければいけません。
立禅は文字通り立って組む禅ですが、感覚的には座っている感じです。
腰を落とすと膝が緊張しますが、それを出来るだけ緩められるようにします。
そうするためにはいろいろバランスや身体の調整が必要です。
それをじっくり探すのが立禅です。
スキーのジャンプの選手の感じ。
そうそう、九十九里の生まれで子供の頃は当たり前にサーフィンをやっていたって言うことですから例にとります。
大波のとき、テイクオフしてボトムターンと言う時の、思いっきり腰と全身でボードを蹴りこむ感じに似ています。
腰の弾力と言うか、全身の弾力と言うか、そんな感じをつかむことが大事だと思います。
脚ではなく、全身で立ち上がり、縮みこむと言う感じです。
それを感じながら姿勢を保ちます。
両膝はお互いに反発し引き合うような感じです。
下半身はきちっとしていますが、上半身、特に腹や背は緩むような感じを見つけていくのが大事だと思います。
下半身は常にバネのような弾力を持ちながら、上半身はリラックスして変化への対応を担う準備を整える、という事でしょうか。
上半身が動けば、すぐに下半身が弾力で応じられるようにしていきます。
バネのような感覚、これを見つけるように立禅を組むと良いと思います。

文章ではなかなか上手く説明できず、もどかしい限りですが、次の機会もあります。
一杯疑問を溜め込んできてください。
稽古すればするほど疑問がたまります。
それを解決するのが稽古ですが、一緒に稽古することで簡単に解決できることもありますから。
次回の稽古を楽しみにしています。

太気会 天野

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イメージとリラックス

Q:
ごぶさたしております。8月に基礎講座でお世話になったTです。
最近更新されたQ&Aに「意念」についてありましたので私にも質問させてください。

8月の基礎講座では、天野先生に力が入りすぎていることを指摘していただき、自分ではまったく気づいていなかったので、勉強になりました。
その後、力を抜くことを心がけ立禅を組んでいますが、以前にあった「風船を抱えるような抵抗感」がイメ-ジできず、イメ-ジしようとすると以前のように力が入っている状態になってしまいます。
イメ-ジは意識せずに当面はリラックスを念頭においた立禅の方がよいのでしょうか?(リラックスした方が 気持ちよく禅が組めますが・・・)
リラックスした立禅をしていると自然に抵抗感が意識しなくても生まれてくるのでしょうか?

以上、よろしくお願いいたします。

A:
「風船を抱く」と言う意念というものがあって、その為に風船を抱くと言うイメージを持つ。イメージが出てこないと、あるいは感じられないと禅の組み方が悪いのでは、と思ってしまうようです。
以前も書いたことがあると思いますが、意念やイメージは力を抜いて立つことで自然に感じられてくるものです。
意念は思い込むことではなく、身体の中のつながりが作り出してくれるもののような気がしています。
のんびりと力を抜いていれば、そのうちに感じられてくるはずです。いや、感じられなければ別にそれで構わないです。
身体を自然な状態に置くことを見つけ、その状態をキープしていく。組み手や推手でもそれを守っていく事が必要です。
立禅などで風船や樹を抱く意念というものが先験的にあって、それを感じられなければいけない、と言うものではなく、人それぞれで違った感覚が出てくればそれで十分です。何かが感じられれば良いのです。
なんか妙な感じ、で十分。
なんと言ってもヒトの感覚はそのヒトの生まれた文化や環境によって違うわけですから。

太気会 天野

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日常生活の中での稽古

Q:
今回2度目のメールをさせていただきます。以前上下の力について質問させていただいきました。海外生活のため太氣拳の練習は一人でやっているので、ご返答はまさに千金に値する物でした。あれから少しずつですが先生の言われた事が身体で解ってきたのか、動く時にグンッと大きな力を感じるようになってきました。

さて、今回も一つ質問をさせていただきたいのですが、最近私は、乗り物を待つ時や何らかの事情で立ち続けなければならない時に、極力立禅の要領で立って少しでも時間を有効に使うようにしていますが、人中で立つ時には、膝をゆるめたり、特に腕を身体から離したりという事はなかなか出来ないのですが、”外見上の正しい立禅”が出来ない練習というのは逆に悪影響がありうるのでしょうか。

太氣拳の練習はほぼ毎日1時間位ずつやっているのですが、武術の姿勢は私生活にも活かすべき、あるいはどっちの姿勢も同じという事はよく耳にします。立禅で大事なのは外見でなく内面だとは思うのですが、ただ、そういった膝が伸びきったり、腕が体側に自然に垂れていたりした外見上練習の姿勢でない私生活の姿勢のせいで逆に影響を及ぼさないか、あるいは無意味でないか少し心配です。ひょっとしたら練習以外のときは、練習の結果として出てくる姿勢でいればいいのではないかと。

以前、他の方の質問で椅子に座った練習法が紹介されていましたが、もし街中で普通に直立して立っている時、あるいは歩く時など意識出来ることがあればアドバイスいただけますでしょうか。宜しくお願いします。

A:
本やビデオを参考にしての稽古はいろいろ大変だと思いますが、がんばってください。

さて、日常生活での生かし方、と言う事。
難しいですね、いや日常生活に生かす事が難しいのではなく、メールでの返事が難しい、と言う事です。
ただ、自分の経験からすると、もちろん通常の稽古でいろいろ発見する事も多いですが、実は電車の中だとか、あるいは唯立っている時だとか、そんなときに発見があったりした経験はそれこそ山ほどあります。
弟子たちと話していてもやはりそのようです。
電車のつり革につかまっている時に、腕の力の方向を見つけたり、それこそ上下の力の確認が出来たりと、様々のようです。

電車の中などでは、もちろん腕を前に出して、等は出来ません。
しかし、立禅と同じような感じでたつことは出来ます。
脚の指で軽く地面をつかむようにし、膝をそうとは見えない程度(ズボンのたるみvの範囲内)に曲げてみる。
これだけで、つり革に頼らなくても転ぶ気遣いは無くなります。
その上で、揺れた瞬間に頭で天井を押さえるようにしてみます。
そうするとますます安定してくるものです。
そんな時は腕を自然に下げ、わきの下にわずかに隙間を空ける程度でいいでしょう。

また歩くときですが、急いでいるときは出来ませんが、のんびり散歩、と言ったようなときは、それこそ雲の上で雲を踏みぬかないように歩いてみるのもいいでしょう。
膝を軟らかくし、骨盤を意識できるようになると思います。
骨盤を意識できるようになると、次にいわゆる腹の動きが見えてきます。
日常生活でも出来る事はたくさんあるものです。
いろいろ工夫してみてください。

それから、「外見上の正しい立禅」と言う言葉がありましたが、注意点はもちろん形に関してになります。
しかし、目的は形を作るためにあるのではなく、身体の内部のまとまりを作るためのものですから立禅の形が作れないときは、それはそれで気にしないでやっていいと思います。
また、内面と言う言葉がありましたが、まず大事な事は自分の身体と向かい合うこと。

そしてその上で、自分の周りの環境にも注意を向けていられるような状態を作る事です。

自分の中にこもりきらず、また逆にまわりに引きずられる事もない、と言った事でしょうか。
実は立禅のこんな感覚は、組み手などの時の感覚とまったく同じです。
相手に惑わされず、自分を見失わない。
ここら辺が太気拳の非常に具体的なところです。
立禅がなにやら抽象的な精神養成ではなく、そのまま組み手などの時の心の持ち方を教えてくれるわけです。

海外での生活、様々なストレスもあると思います。
太気拳が何かの役に立っていると思うと嬉しい気がします。

太気会 天野

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意念は澤井先生の教えの中にあったのか

Q:
久しぶりにメールさせて頂きます。 先日は丁寧な回答本当にありがとうございました!

私は空手の練習と共に天野先生の本を読みながら独学で太気拳の立禅などをやっているのですが天野先生の言う通り立禅のさいにイメージを持つ事で非常にバランスが安定し参考になっています。
そこで気になったのですがこの立禅のイメージ(意念)と言うのは澤井先生の教えの中に元からあった教えなのでしょうか?
それとも天野先生の本の中の、あらすじにある様に意拳と交流を持つ様になって天野先生自身の独学によって考えついたのでしょうか??

何度も質問ばかりして申し訳ありません

A:
意念ということに関して言えば、立禅のときに「樹を抱くように」と言われたのは、よく本に書かれているのと同様です。 ただ、個別の基本的な稽古に関してこのような意念を持つように、などというのは覚えはありません。

ただよく言われたのは、君たちの稽古にはまだ気持ちが入っていない、と言われたのはよく覚えています。 要は形だけの稽古しかしていない、と言う風な言われかただったと今は思っています。
しかし、実際の組み手の指導や技の指導のときはそれこそイメージを伝えようと言う事に重点が置かれていたように思います。

拳法は神経と身体の運動です。それを伝えようとすればそこにイメージが介在するのは当たり前。イメージの介在しない形は単なる死んだ形で伝える必要も無いものです。何か確固としたものを身体に取り込むとき、そこに必ず固有の「重み付け」あるいは「価値付け」とも言うものが形成されるのだと思います。そこで生まれるのがイメージであり、意念です。つまり何かに意味を見出せばそこにイメージあるいは意念が発生する、と言うわけです。そういう意味ではイメージを引き出せないものは意味のないもの、とも言い換えられます。

中国の意拳が紹介された影響でしょうか、何か意念という言葉が独り歩き。何か特別な高級食材のような扱われ方しているのを見ると、不思議な感じです。なんといっても当たり前にあるものだからです。

太気会 天野

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波乗りにおける天野師の重心移動の力強さ、腕力

Q:
はじめまして、
私は武道経験は弓道で2段(高校の3年間)のみで、
現在は波乗り(スキムボード、ファンボード)をやっています。

<<質問>>
先生の重心移動の力強さ、腕力はどこから来るのでしょうか。
波乗りをする上で、パドリングの一掻きや
ターン時の蹴り込みの弱さに悩んでいます。
個人的にはスクワットや腕立てを限界まで毎晩行っていますが、
これを継続して先生のような瞬発力が身につくような気が
しません。

先生の体がプロサーファーの進藤晃さんと同じようにマッチョではないように
見えるので門外漢である私には不思議に見えます。

<<動機>>
私は小学生の頃から継続してトレーニングをしてきて、まだ27歳なのに、トレーニングが役に立たない体に変化している感覚があります。
以前は、腕立てとスクワットが200回できでば試合に勝てるし、体がバスケットボールのように弾む感覚があったのですが、現在は体が重くなるだけで、結果に結びつかなくなってきています。

それに対して、ローカルのサーファーは年齢に関係なく人によってはおなかが出ていても、ショートボードを乗りこなしていますし、先生もビデオの中で鉄の塊が動いているような移動をされていたので老化と筋肉の質に関係は無いのかなと疑問に思いメールにて質問をいたしました。

A:
メール拝見しました。

サーフィンは楽しいですね。
波に乗るのも楽しいし、ボーっと波を待っているのもいいモンです。
私はコンペ志向ではないのでのんびりやってます。
私の近くの海は波が小さい事が多いので、ロングが中心。
たまにファンボードもやりますが、波と相談しながらです。

さて、老化と筋肉の質、という事。
もちろん関係は大有りだと思います。
年とともに筋肉も衰えると思います。
私自身、実感しています。
ただ、拳法という事で考えると、ここ数年で自分が飛躍的に進歩した、と思います。
大事な事は身体のなかに中心を作り上げる事です。
筋トレでできる事は、部分的な筋肉を鍛える事でしかありません。
身体全体を中心に向かってまとめる、と言う一番大事なことができません。
身体に中心があるということを見つけるのがまず必要な事です。
太気拳の大事な事は、中心の感覚を見つけ出し、その感覚を失わずに動いていく事です。

手や足はそういう意味ではおまけのような感じです。
サーフィンやスキーはそんな感じを身につけやすいスポーツだと思います。
私の場合、立禅で自分の中心の感覚を見つけました。
サーフィンをやってみて、その感覚が立禅と似ている事に驚きました。
ちょうど大波でトップターンをした直後、加速するのを待つ瞬間のような感じが立禅です。
そんな瞬間を持続させて、身体の中心を見つけます。
5分でも10分でも良いですから、そんな感じでボードに乗っている感じで腰を落とし、真っ直ぐに立って見てください。
きっとサーフィンにも役立つと思います。

太気会 天野

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立禅と這いの後に正座をして足が動かなくなった

Q:
初めまして。

先生の著書と大気拳挑戦講座のDVDを見ながら現在独学で大気拳を学ばせていただいております。初めてから約1年がすぎ、最近では立禅も10分から15分くらい立てるようになりました。このたびご質問させていただきたいのは先日、立禅と這が終わったあと友人から電話があり、正座をして2分くらい話をして電話終了とともに立ち上がろうとしたら、下半身の力が抜けて立ち上がろうとしても立ち上がれず、(両足が真っ直ぐ伸びて固まったような感覚)このような状態が20秒から30秒くらい続き、どうしようかなと心配になってしまいました。先生の長い修行生活の中でこのようなことはご経験がおありでしょうか?大気拳の練習の影響でなければ一度医者に行こうとも考えています。

先生のご経験の中でお答えをいただければ幸いです。

よろしくお願いいたします。

A:
立禅と這いの後に正座をして、足が動かなくなった、との事。
当然ですが、稽古では筋肉が緊張を強いられます。
その結果として鍛えられていくわけです。
私は医者ではないので、詳しいことは判りませんが、そういった直後に正座をして血行を悪くするのはどちらにしてもいいことだとは思えません。
一般的なスポーツと同じで、稽古の前には柔軟体操が必要だと思いますし、稽古が終わったらやはりクールダウンが必要です。
今回の事の原因が何かはわかりませんが、そのあたりにも気をつけて稽古してください。
太気拳を稽古して強くなる、という事はすなわち健康になる、という事だと思います。
人生にとって本当に大事な事は、毎日を健康で豊かに送ることだと思います。
太気拳はそう言った事ためにもあるものですから。

太気会 天野

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立禅以外の練習もすべきか

Q:
天野先生、初めてメールさせて頂きます。
私は、福岡の博多でカラテをやっております、33歳の男です。
天野先生や太気拳の先生方のビデオや著書を拝見させて頂き、立禅を2年半程続けております。
最近では、出来るだけ踵を上げて30分程、出来る様になりました。
以前では恥ずかしながら、キレ易い性格というか、気に入らない事があると物に当たる癖があったのですが、最近では仕事でもカラテでも落ち着いて対処出来る様になり、立禅に出会えた事、太気拳に出会えた事に感謝しております。
さて、質問なんですが技という物は、太気拳において、『立禅』『這い』『練り』等…全ての要素が一つになった物だと読んだ事があり、そう解釈しました…
と言いつつ、立禅しかやれて無いのが現状である私が聞ける立場では無いのですが、組手においてカウンターを稽古するには、やはり全ての事をやった方が良いのでしょうか?
ぶしつけな質問で申し訳ありませんがヒントを頂きたいと思いメールを書きました。
どうか宜しくお願いします。

A:
立禅と言うのは不思議なものだな、と思います。
何かをやって何かがわかる、というのは判る気がします。
ところが、何もやらずにいることでわかることがある、というのが立禅。
のんびり立っていることで、身体の方が教えてくれるような気がします。
焦りは無用。
焦って判ろうとしても、何をわかればいいのかが判らないものです。
だから、身体がいつか教えてくれるまでのんびり立つしかないんです。
そんな立禅がひょっとすると切れやすい?せいかくをかえつつあるのかもしれませんね。

さて、稽古に関してですが、これはもちろん立禅だけでなくほかの稽古も必要です。
立禅は静的なところで様々なことに気付かせてくれます。
それはじっと立っているから身体も安定し、気持ちも安定しているからです。
言ってみれば静的だからこそ感じられることです。
そして武術として大事な事は、動いてもそのいい状態を失わない、と言うことです。
最初は静的なところでしか保てなかったものを動きながらも失わずにいられるようになること。
そして次には対人というストレスの中でも保ち続けること。
そうなって初めて立禅が武術に活きはじめるのだと思います。
特にカウンターがどうと言う訳ではなく、どのように動いても身体が安定していれば、想うとおりに動けるものだと思います。
言ってみれば、立禅はそれぞれのレベルでの理想的な状態。
その理想を、動いてもあるいは対人練習でも失わない事。
だから立禅のみでなく、他の稽古もやってみてください。
2年半続けているとの事、きっとこれから新しいことがいっぱい見えてくると想います。

がんばってください。

何時の日か、一緒に稽古できると良いですね。

太気会 天野

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大腰筋を鍛える練習とは

Q:
天野先生の著作「太気拳の扉」の中で能楽師の安田登氏と対談をされていましたが、その中で天野先生の動きは大腰筋が使われている。とありましたが太気拳の練習方法の中で大腰筋を鍛える練習はどれになるのでしょうか?? 個人的には立禅、這いの練習で大腰筋が使われる様になるのではないかと思っているのですが。
A:
メール拝見しました。 最近大腰筋とか深層筋とかそう言った形で武術を理解しようと言う人が多いようです。しかし、そのような方法で理解しようとするとますます武術から遠ざかってしまうと思います。 何故と言って武術は理解ではないからです。もし理解と言う言葉が出てくるとすれば、それはなにものかを自分の中に作り上げた時に初めて出てくるものだと思います。ただし、その時も決して部分ではなく自分という存在の把握と言う感じだと思います。部分の筋肉をどう使う、等ではなく身体全体をどのようにして一つにしていくか、という事が先ず一番の基本にあるからです。 質問にある大腰筋に関してもそうです。大腰筋はどの稽古でも必要です。いや、稽古の時に使わない筋肉などはないでしょう。この稽古でここを鍛えてなどと言うものではありません。全てを満遍なく使うという事が身体全体を使うという事ですから。日常生活で人は十分に身体を調和させて使う事が出来ないのが普通です。だから質問のように部分をどう使うか、と言う疑問が出てくるのだと思います。しかし、太気拳の稽古はそう言った普通から脱却するためのものです。何故と言って、普通の感性からは普通の強さしか出てこないからです。多分ある程度太気をやった人間は部分をどうするかと言った発想はなくなっていると思います。部分にこだわるのではなく、身体全体を大きな一つのものとして把握することを要求されているのが太気拳だからです。

太気会 天野

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練と防御

Q:
前に太気拳と意拳の這いの違いについて質問したものです。この前は分かりやすい回答有り難うございました。
今回も質問があるのですが、お願い致します。それは「練り」についてなんですが、練りによって攻撃や防御が自由に出来ると言う事ですが、それは練りと言った普遍的な動作の中に武術的な動作が含まれている事から、それによって防御しようと体が動いた時には、例えば今まで習ったことの無い防御方法でも自然に武術的な動作が出来ており対処できている、と言う事で間違い無いのでしょうか?単純な質問で申し訳ありません。

A:
練りについての質問ですが、まあ練りに限らずいろいろな意味があると思いますので、一つの見方という事で答えてみたいと思います。

まず、練の一番大事な部分に身体をまとめると言うことがあります。
身体をまとめるという意味がある、と言うことはその前提にみんな身体がまとまっていないと言う認識があります。
実はこれはとても大事なことです。
みんな自分の体がまとまっていないと言う認識がないからです。
太気会に新しい人が入ってくる時、まず自分の身体がまとまっていないということに気がついてもらうことが一番大事だと思っています。
そこから全てが始まります。
歩くと言うことも含めて身体がばらばらなのが普通です。
そこで練りを通じてまとまりのあるからだの動きを作っていくわけです。
つまり動いていく時の「動力定型」とも言うべきものです。
言ってみれば、身体の動きの手順整備とも言うべきものです。
上半身と下半身の協調は言うに及ばず、右手と左手あるいは右足と左足といったものさえ十分でなのが普通です。
それを練りを通じて整備していくわけです。
体がまとまるということは動きがスムースにいくということも含め、動きの中に力があると言うことです。
これができれば、速さは別にして動けば技になるものです。
いろいろな武術の型を見たりすることもありますが、還元すれば太気拳の練りに大体収まってしまう気がします。
動きの質を変えていくと言う作業が練りの一番大事な部分です。

練りの動きが身についてきたら、次に必要なことはその動きに意味を与えてやることです。
それは推手や組み手で発見することもあるし、私が教えることもあります。
そのように意味を与えられた動きが、「技」と一般に言われているものになるわけです。
与えられる意味はそれが必要とされる状況によって違ってきます。
だから時には拳法に、また時には剣に、あるいは武術の枠組みを離れて、様々なスポーツにも生きていくものだと思います。
私も運動好きで、いろいろなスポーツをやってきましたが「もし昔から太気拳を知っていたら、もっとスポーツが上手くなったのに」と思うことがあります。

質問の中に「防御方法」と言う言葉がありますが、どんな方法もその前提になる身体のまとまりがなければ、やはりそれは「絵に描いた餅」になってしまうのでは、と思います。
あせらず、じっくりと自分の動きを作り出すことができるようにがんばってください。

太気会 天野

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立禅で気持よくなる

Q:
先日は、大変わかりやすい、そして明確なご回答を頂きまして、ありがとうございます。
「両手が繋がって感じられたら、それを引き伸ばしたり捻ったりして身体のほかの部分との関係を探るのです。是非いろいろ工夫してみてください。」という先生のお言葉をもとに立禅中に、両手を左右や斜めに引き伸ばしたりしてみました。手と手はゴムを引き伸ばすような感触があるのですが、同時に膝も腕と同じように動きます。
練りの動作と共通するものを感じました。

ところで、最近立禅を長くしていると、最初は足が痛かったり腕の付け根が痛かったりするのですが、時々気持ちがいいというか、そのような気分になり、立禅を終えた後、すっきりした気分になることがあります。これも、一般的なことなのでしょうか。

A:
メールから一生懸命に稽古している感じが伝わってきます。
メールでは言葉だけでしか使うことができませんが、それでも稽古で感触が変わってきているのが伝わってきて、とてもうれしいと思います。

さて、「腕の動きにつれて膝が動く」とありますが、その通りです。腕が動けば膝が動きます。
勿論膝だけでなくほかのところも動きたがります。
それが身体の繋がり、と言うものです。
身体全部がそれぞれに関連を持って動く。
どこも単独に動くのではなく、身体全体が一つの動きに呼応していく。
太気拳の動きはそういうものだと思います。
それが進んでいけば、気持ちが動けば身体が動き、身体が動けば気持ちが動く、と言うふうになるものです。
ますますがんばってください。

それから立禅のあとにすっきりとした気持ちになる、とありますが、そうです、その通りだと思います。
禅を組んでいる時は足が痛かったり、腕が痛かったりすることもありますが、それを乗り越えると実にすっきりとした気持ちになるものです。
禅の楽しみでもあります。
武術の稽古、と言うだけでなく、楽しみとしての立禅も良いと思います。

太気会 天野