Q:
こんばんは、前回のセミナーで教えていただいたAです。
最近、禅を組んでいると足首を外へ返す力で上半身と下半身が体の中心へ引き合う感覚があり、逆にかかとをくっつける力で互いに離れる感覚があります。これがハラの力というのかわかりませんが、その感覚を無くさないよう這いに取り組んでおります。
その這いに対する取り組み方で質問があります。
仮に、練りを上半身(無論下半身もつかうのでしょうが)の動かし方の例と捉えると、這いは下半身の動かし方・フットワークと考えられます。練りは何種類かありますが、這いに関しては基本的に前進と後進のみ。稽古していて「どう動き、戦うのか」なかなかイメージし難いと思います。修練が足りないと言われればそうなのですが、どのようなビジョンを持って這いに取り組むべきかと考えています。
太気拳においてフットワークは修行者が這いを元に独自に編み出していくものでしょうか?あるいは「こうきたらこうするではない」との事ですので、体がアドリブで動くのに任せるという事でしょうか?
A:
A様
前回は初めての参加で、色々苦労したと思います。
それでも、文章を読むと掴むところもあったようで嬉しい限りです。
禅で感じている事も稽古を続けていく中でこれから様々に変化していく事と思います。
今感じている事を大事にしながら、同時にこれが絶対だ、などと決め付けずに稽古してください。
感じ方が変わっていくこと。
これが稽古と言う事ですから。
それから這いと練りに関しての質問です。
質問に、「仮に」と言う但し書きつきで上半身と下半身の動きを分けて考えているようですが、
これは根本的に間違いだと思っています。
人の身体を上半身と下半身に分けて考えるのは、
非常に判りやすく納得しやすいですが、
これは単なる言葉の上での事に過ぎない、と言うことを考えて見る必要があります。
これは手の使い方とか足捌きとか言うのも同じですが、
手とか足とか、上半身とか下半身とか言うのは単なる概念にしか過ぎなくて、
頭で分解して理解しようとする時だけ有効ですが、
実際に自分の身体を全体で捉えると、
何処までが手で、何処までが脚で、そして何処までが上半身で、
何処までが下半身なのか判然としなくなるはずです。
或いはちょっと別の言い方をして見ましょう。
上半身とか下半身、或いは手とか脚とかそういった区別を無くしていく。
それこそが稽古だと言う事です。
手をどう動かすとか、脚をこう踏むとか、
そんなことに惑わされているうちは何時まで経っても先に進めません。
武術を志して挫折する多くの人がいます。
彼らは手はこうで脚はこうして、といった形に囚われてしまって、
形を上手く出来る様になる事が稽古だと勘違いしたり、
或いは形や技を使いこなす事が武術だと思ってしまっているのだと思います。
そのお陰で、本来自分の持っているものを発揮できないのです。
形や技はわかりやすいし真似しやすいですが、
判りやすくて真似しやすいものなんていうのは、それだけのものです。
簡単に言えば、動けば技になるようになろうとするのが太気拳だと思っています。
動けば技になるなら、手がどうの脚がどうのなんて必要は無いですから。
そして、ちょっと考えてみてください。
動けば技になる、技が見える形になる、それを他人がまねる。
真似る人にとっては、この時点で技は自分の外のもの。
自分の外のものをいくら真似たって、自分のものにならない。
だから武術に挫折する。
まあ、挫折のスパイラルって奴です。
武術って奴は何処にあるのでもなく、自分の内にしか無い訳ですから、
形を追う限りこのスパイラルから抜けられない。。
さて、ちょっと話がずれたので話を「這い」に戻します。
這いで先ず大事なのは「片足に重心がきっちりと乗る」と言うことです。
人と相対したときに大事なのは変化です。
変化の源泉は何か、と言うとそれは重心の転換です。
では、重心の転換の最大のものはなにかと言うと、
それは左右の脚の重心の転換です。
それに加えて、片足の中でも重心の変化もあります。
そしてそれらの重心の変化にしたがって、身体全体が自然に変化していきます。
それを当たり前に受け入れていく事。
これが「這い」の一番重要なものだと思っています。
身体が自然に変化していく。
それを受け入れる。
つまり、自分の中の自然を受け入れて、
「自分の中の自然を味方につける」と言うことでしょうか。
話しは戻りますが、
上半身とか下半身とか言うのは、
人が頭で考えて創り出した概念にしか過ぎません。
ほとんどの人は最初から上半身と言うものと、下半身と言うものが、
或いは手や脚と言うものがあると思っていますが、
そんな物は人が創り出したものでしかないのです。
つまり言葉でしか無いのです。
言葉に振り回されてしまう人の悲しさですね。
その事に気がつけるかどうか。
そこら辺が武術を自分のもに出来るかどうか、
の境目かとも思います。
メールでこういった事を書くのはどうももどかしくてしょうがありません。
ま、詳しくは次回にお会いした時にでも話しましょう。
太気会 天野