私が会友員として、太気会の稽古に参加させてもらうようになり、二年半が経ちました。
空手を二十年以上稽古してきましたが、20代前半に病気をしたこともあり、選手としてやり残した気持ちを抱えながら、稽古だけは続けてきました。
そんな決まりがつかない思いから一概奮起して33歳から再び大会に出場するようになったのですが、なかなか上手くいきません。
思うような試合運びができずに負けてしまうのです。
後輩や弟子達と一緒に大会に出場するのですが私だけ予選落ちすることもあり、やり残した気持ちはしだいに劣等感に変わっていきました。
年齢的な事もあるのでしょうか?試合に勝てないこともそうですが自分のやってきた空手に自信が持てず、何度も内容を見直し再稽古をするのですが答えが見つからないまま、いつも筋力トレーニングとフィジカルトレーニングに行き着き、無理なトレーニングで身体を壊してしまう、そんな悪循環に陥っていました。
そんな状況が何年か続いたある日に隣町の書店で太気拳、天野敏先生の著書、
組手再入門
という本に出会いました。
そこに書かれていた
「太気拳でなくてもいい、みんな強くなろう」
「いま武術を諦めないために」
「何のために組手をするのか?体を痛めながら打ち合う組手に未来はあるのか?試合のためではない、本当の組手の先に衰えない武術がある」
という言葉に深く感じ入るところがありました。
当時は古武術や身体操作法がちょっとしたブームだったこともあり、太気拳の独特な稽古方法が取り上げられることも多く、いずれは習ってみたいと思っていました。
ですがそれ以上に実際に組手を行う表紙の天野先生に強烈に引きつけられたのが購入のきっかけになりました。
その本の内容は、私が今まで出会った空手や格闘技の実用書とは一線を画して基本技やコンビネーションなどこの手の本にはお約束の内容があまり書かれていません。
どちらかというと直観力を生む構えや目付け、力の生み出し方、動きながら変化しながらの攻撃など、大切ですが、実際の組手では見落としてしまう内容に目を向けた事ばかりでした。
「この先生に太気拳を習ってみたい!何か答えが見つかるかも?」
そんな理由からホームページを調べてみると会友員になれば部外者も通常稽古や基礎講座に参加が可能と知り、さっそく連絡を取り基礎講座に参加させてもらいました。
基礎講座では立禅のやり方や注意点などを教えていただきました。
袋小路に陥ってしまった自分の空手を少しでもいい方向にもっていき現状を打破したい、そんな考えでしたが
「自然の中での立禅が気持ちよかったなー」
と、そんな理由から見よう見まねで立禅を稽古に取り入れました。
それから二ヶ月、思わぬところで大きな変化が二つも出てきたのです。
ひとつは二十代から高めだった血圧があるときを境に正常値に戻った事です。(下95~上145が下80~上120に改善)
天野先生は
「立禅にはそういう効果があるらしいんだけど、私はずっと健康だったから、今は立禅のおかげか?元からそうなのか?よくわからないんだよ」
とおっしゃいました。
おそらく両方なんだと思うのですが多くのスポーツ選手が(空手家や格闘家も含めて)引退後、慢性的に痛む古傷や様々な疾患を抱えている現状を見てきた私にはそれが少し不思議に感じられました。
そしてもうひとつは空手の組手で空間認識力がアップしたのか?フェイントからの攻撃をあまりもらわないようになったのです。
その時はわからなかったのですが、立禅で背骨や首を自然に伸ばすようになり、視界が広がったのがその理由のようでした。
「よくわからないけど、もう少し通ってみるか」
そんな感じで私の太気拳の稽古が始まりました。
長野県在住ということもあり、ひと月に一回のペースですが横浜や代々木の稽古に参加させてもらうようになりました。
毎回、新しい発見があり、カルチャ―ショックの連続でした。そのひとつは60歳になる先生の質の違う組手の強さをみたことです。失礼かもしれませんが空手の世界ではこの年齢で組手をされる先生は皆無といっても言いすぎではありません。
太気拳の組手は制約の少ない実践的なもので知られていますが、先生の連続組手は傍目には楽にやっているようにも見て取れます。
そのくらい無駄が無いのです。
「太気拳を稽古していくとこういうふうになれるのか?だったらこの拳法を自分がやってきた空手に生かしたい」
いつしかそんなふうに考えるようになりました。
大気拳一本で稽古されている方には失礼になるかもしれませんが…。
しかし先生は
「太気拳は味の素みたいなもので空手なら空手、柔道だったら柔道が美味く(上手く)なるものなんだよ」
と笑顔でおっしゃいました。
「一ヶ月間、こんな稽古をしておくように」
と毎回、課題を与えてくれます。
それは空手に応用できるように私の個性に合わせたものが多く、ひとりで稽古するのに非常に励みになる内容ばかりです。
私は二十年以上空手に携わっていきましたが10代や20代前半の頃は師匠や先輩達を追いかけ、ガムシャラに稽古をしてきました。それがいつの間にか指導する立場になり、目指すモデルや目標のビジョンがなくなっていたのかもしれません。
そんな私には天野先生の武術の取り組み方や考え方を通し、自分にとって道が開けたように感じられ、月に一度直接ご指導いただく事が楽しみになりました。
先生の指導には古武道や伝統武術にありがちな、神秘的なものは一切無く、自らが研究研鑽された術理とも言える理論に裏付けされたものを実演してご指導いただいています。
会員の皆さんにもいつも、快く接していただき、殺伐とした空手界に生きてきた私にはそれがとても新鮮でした。皆さんの中には、伝統空手や極真空手、空道、合気道、居合い、など色々な武道、格闘技を経験した方やご年配の方も多く、それぞれが自分のスタイルで武道、武術とまた違った関わり方をされていています。
天野先生と皆さんのそんな姿は私の考え方を少しずつ変えていきました。
そして空手の技にも変化が出てきました。
まずは組手の際、攻撃の要になっていた下段蹴りの捉え方に疑問を抱くようになったのです。下段蹴りは昔からの私の得意技で威力には少々自信もあったのですが、フルコンタクトカラテルールで組手を行うから実戦的だと感じていただけだったことに気づいたのです。
「顔面攻撃があれば悠長に下段蹴りなんかだせない、攻撃の繋ぎに使うか?使えないより使えたほうがいいけど・・・」
それを境に色々な考えが頭を過ぎりました。
「胸を打つ突きは実戦だったら間合いが近すぎて使えないんじゃないか?」
「顔面攻撃ありでもグローブや防具をしていたら技術は変わってくる」
「下段蹴りや胸へ突きがばかりなら目線は自然にしたにいくから実戦では違ってくるのでは?」
「そもそも実戦て何?、喧嘩の事?だったらルールなんてないよね」
「ルールがあれば限定された技は洗練されるけど、イレギュラーな事には対応できないのでは?」
至極当たり前のクエスチョンではあるけれど、その世界にいると見えなくなってしまうことがあります。それらの事を意識するようになると空手の試合でもだんだん勝てるようになってきました。入賞こそできませんでしたが全国クラスの大会に出場できたことはいい経験にはなりました。ですが気がついたら、もうすでに自分自身が求めるものが違うものになっていたのです。
先にも書きましたが私は今は自分のやってきた空手に天野先生からご指導いただいたものを生かしたいと考えています。
私がやってきた空手は特定の型というものが無く、基本などは即、組手に直結するような稽古体系になっていました。
私の組手を見て天野先生は
「殴ったり蹴ったりは知っている。太気拳でそれをどう生かすかを考えなさい」
とアドバイスをくれました。
二十年以上やってきて殴る蹴るしか知らなかった事に、そしてそれすらも上手くいかなくなってきた自分の組手に虚しさを感じていたのかもしれません
その頃から組手にも変化が出てきました。
歩幅はやや狭めになり、膝に張力を保ちながら腰を落とし、つま先で地面を刺すようにし、立禅を意識しながら背筋や首を伸ばすように構えるようになりました。
(上半身は剣道家の構えに近いように感じます。)
この構えだと視野が広がり、手も顔面を守るようにして、余裕を持たせておくと相手との間合いが必然的に遠くなります。そうなると今までの近い間合いでの攻撃はもらわなくなります。
その反面、今までの自分の攻撃パターンも通じなくなります。
今はこの構えから這と練をイメージしながらステップワークを行い、動きながら突きや蹴りを無駄なく出せることを意識しながら稽古をしています。
徐々にですが大きな変化の途中にあることを実感しています。
どうやら私は自分がやってきた武道を諦めないで続けていくことができそうです。
「60歳になってもこんなに強い人がいる。」
そんな人に出会えた事に喜びを感じています。
これからは天野先生というモデルを目標に自分の理想とする空手を目指して行きたいと思っております。
最後になりましたが、いつもご指導いただく天野敏先生と太気会の会員の皆様に心から感謝を申し上げます。