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会員・会友員のテクスト 富川リュウの太気拳修行記

平成13年・冬の章

腰がゆったり立禅

 腰痛のための休養は、ほんの2、3週間のつもりだったのですが、結局、丸々2ヶ月も練習ができない状態でした。12月23日に行なわれた組手稽古会にも、見学のみでの参加で、とても残念で、悔しい思いをしました。

 この日は、太気気功会を主催する島田先生とそのお弟子さん達も参加されていました。島田先生は10月のある日曜日に、初めて太氣会の稽古を見学に来られて、その日の稽古の後、お食事を一緒にさせていただきました。一部のインターネット上のやり取りで、板垣恵介氏の「格闘士列伝」に掲載されたS先生という怖いイメージが流布していて、私もお会いするまではとても怖い方を想像していました。ところが実際にお会いしてみると、自分の方から「島田です」と挨拶され、「貴方のお名前は?」と声を掛けて下さり、「とても礼儀正しく、心の広い方なんだな」という印象を受けました。

 さて組手稽古の当日、少し遅れて岸根公園に着いた私は、まず初めに天野先生に、そして次に島田先生に挨拶に行きました。島田先生に「以前お会いした富川です」というと「ああ覚えているよ」といわれました。また私が「腰痛でしばらく稽古を休んでいて、今日の組手も見学なんです」というと、「えっ!腰痛?俺はね、時々腰が悪くなった時にはね、立禅をして治すんだよ。こういうふうにやってさ(立禅の姿勢で腰をゆすりながら)いつも治しちゃうんだよね」とアドバイスしてくださいました。

 組手稽古がはじまるまで、ちょっと時間があったので、島田先生に教えていただいた腰がゆったり立禅をしばらくやってみました。腰の筋肉を緩め、骨盤のまわりの腸骨や仙腸関節を緩めるように少しだけ揺すってみると、これがなかなかいい感じだったのです。島田先生は「ここの人たち(太氣会のメンバー)は、立禅の時に力を入れすぎてるんだよな」とも言われたので、今後は、立禅の時も這いの時も、もっと力を抜いてやってみようと思いました。(でもほんとは天野先生にも言われていることだったのに忘れていたのでした)

けがの功名

 広辞苑によると、「けがの功名(こうみょう)」とは、「過失が思いがけなくも良い結果を生むこと。また、何気なしにやったことが偶然に好結果を得ること」とあります。私の腰痛も、丸々2ヶ月も練習ができなかったというデメリットはありましたが、たくさんの好結果にも恵まれました。新しい気づきや、新しい稽古方法、新しい体の使い方、新しい体の動きなど、いろいろな“新しい”との出会いがありました。

 島田先生に教えていただいた「腰がゆったり立禅」にヒントを得て、揺りや練り、這い等の稽古の時にも、できるだけ腰周りの力を抜いて、ゆったり立禅の感じでやりはじめました。また探手の際にも、力を抜いて柔らかな動きを意識して行なうようにしています。こうすることによって今までより、動きが滑らかになりましたし、体の中の力を一致させるということもより明確に解ってきました。

 さてそして対人練習の推手ですが、これもブランクが長かったにもかかわらず、意外にも、以前よりも良く出来ました。相手から圧力を掛けられたときに、以前は、腰にぐっと力を入れて受けていたのですが、最近では、腰はゆったりのままで螺旋(らせん)を描いて、沈みながら退がりながら、斜めに受け流し、捩じりながらUターンして、力の方向を相手の方へ返していく・・・という動きが自然に出来るようになっていました。それから相手に圧力を掛ける際にも、まっすぐに力を出していくのではなく、沈みながら斜めにいなしながら螺旋を描きつつ、押し込んでいきます。こうする事で自分の力を引き出すキッカケができ、且つ力も出やすいようなのです。またこの時、相手のほうは、力が出てくる方向が読みにくいし、斜め方向からの力に対しては、崩れてしまいやすいいようなのです。

 はじめは極端なほど大きな動きでこれをやっていましたが、A先輩から「それをもっと小さく小さく・・・最終的には、体の中でそれをやって、相手には見せないようにするが理想なんだょ」と言われ、天野先生や達人の方々の動きや力の出し方の秘密をひとつだけ見つけてしまったような気がしました。

極意・術理・道理

 螺旋の力、なんば歩き、丹田の意識、潜在能力開発・・・武術や武道の本には、こういった言葉がよく出てきます。ということは日本の武道に限らず、そもそも物事の本質や、極意、術理、道理といったものは、どれもみな同じような事にあり、ただその表現方法や練習方法が異なるというだけなのではないでしょうか。しかしながらこういった事を実際の武術の中に生かしきるというのは、言葉でいうほど簡単なことではないようです。天野先生の教え方は「初めに動きありき」です。先生の動きの意味はそのまま人が観ても解らないし、解らないので真似のしようもない。そこをなんとか言葉やジェスチャーで伝えようといつも努力されているのがよくわかります。その中で、時に「螺旋の力」が、時には「なんば歩き」という表現が出てきます。

 「なんば歩き」とは、歩く時の腕の振り方が、通常とは逆になる歩き方をいいます。つまり、右手右足が同時に出て、左手左足が同時に出て、これを繰り返して進んで行くのです。ではこの歩き方には、どういった武術の述理が隠されているのでしょうか。

 「シコ踏んじゃった」という映画を観た方は、覚えていらっしゃるでしょうか。冒頭の場面で、廃部寸前の大学の相撲部員が新人をスカウトする時に、右手右足を同時に出しながら歩いている、どんくさい感じの太った人に目をつけたシーンです。2年生は「あんなどんくさそうな奴はダメですよ」と言ったのですが、4年生の先輩は「いや、あれがいいんだよ。あれはもう相撲の基本が出来ているんだよ」と言ったのです。

 相撲の稽古では、腰を落として、両手を顔面ガードのように挙げ、すり足で進んでいく稽古方法があります。右の肩と右の腰が同時に出て行くようにするので、当然、右手と右足も同時に出て行きます。つまりこの体の使い方は、いちばん力の出る体の使い方なのです。

 この「なんば歩きの体の使い方」は、主に相撲やレスリングなどの組技系の格闘技で体現されているのですが、打撃系の格闘技においてはあまり取り沙汰されることがありませんでした。天野先生は「自分の動きをリファインしていって、いちばんスムーズでいちばん力の出る動き方が出来るようになるのは“肩腰の一致”から生まれるんだよ」と言われています。そしてこれを私ら弟子達に教える方法を色々と工夫されています。前述の秋の章で<立禅の中の左右の力―その2>に書いたこともそのひとつです。そしてもうひとつの稽古方法として、半禅の姿勢でなんば歩きを行ないながら、肩腰の一致を力の確認をしていく方法があります。

なんば歩きで綱渡り

 この稽古方法の動きは、とても単純です。ただ単に半禅の左右の姿勢を繰り返しながら、綱渡りのように一直線上に歩を進めて行くだけなのです。半禅の前の足先を進行方向へ向け、その足の踵の位置はそのままで、つま先を綱の外側へ開いて置いて、その反動で、後ろの足を前へ送るようにします。ただこのときに腰と肩を一致させる事と、骨盤と胸の開合の力を感じる事が要求されます。はじめにこれを天野先生から教えていただいてやってみたときには「それじゃ、ただ歩いているだけだよ」と指摘され、どのへんが「肩腰の一致」で、どういうことが「骨盤と胸の開合の力」なのかが、さっぱり分からなかったのですが、繰り返し行なう内に、なんとなくですがそれがだんだんと分かってきている様な気がします。

 私が腰痛で見学のみでの参加だった年末の忘年会組手練習会のときには、この「なんば」を使った体の動かし方を天野先生が組手の中で身をもって示してくださいました。言葉で表現すると、いたってシンプルな打拳なのですが、どうもこれがくると誰も受けきれずにもらってしまうようなのです。

 これは空手でいうところの「順突きでの追い突き」に似ています。追い突きとは「前屈立ちをしていて、前後に開いている後ろ足の方を前へ送って、突き(パンチ)を一本出すこと」で、順突きとは「この突き(パンチ)がその一歩出した足と同じ側の手を出すこと」をいいます。(このとき一歩出した足と逆側の手を出す場合を「逆突き」といいます)ボクシングの表現をすれば、オーソドックス(左足が前)の場合、順突きは「ジャブもしくは左ストレート」、逆突きは「右ストレート」となり、追い突きの足運びはボクシングにはありませんが、あえて言えば「スイッチ(左右の足を入れ替えること)」がそれに相当するでしょうか。

 天野先生の動きは、空手でいうところの「順突きでの追い突き」に似てはいるのですが、そこに「なんば」と表現される、開合を使っての速さ、肩腰の一致した重さ、が積み重なっていて、単なる「順突きの追い突き」とはまったく別物になっています。太気の構えでは前の足は常に入れ替わっていますが、今、天野先生の左の足が前にあるとします。その前足をちょっと自分の側へ引き寄せ、距離を調節し、後ろ足が一歩踏み込むと同時に右の打拳が飛んできます。これはノーモーションからいつ出るのかが分からず、またこれが出る時には一瞬の速さ、さらに全体重と移動の重さも加わっての打拳になっています。

 見ていると当たり前でとても簡単そうなのですが、なかなか真似はできません。でも私達は良かったと思います。天野先生は、使い方の見本を目の前に示してくれていて、なお且つそこへ至る練習法を具体的に示してくれます。武道・武術の稽古に励む者として、これはとても幸せな事だと思います。

※)この「なんば」についての天野先生による解説が、2002年3月14日発売の「秘伝4月号」に掲載されました。

養生館での治療

丸2ヶ月も稽古ができなかったガンコな腰痛に悩まされていたのは、この章の始めにも書きましたが、1月に入って太氣会神奈川支部でもある養生館の大関さんの治療で、やっと復帰する事ができました。大関さんの治療は、頭の先から足の先までをもみほぐし、軟らかくするマニュピレーションという技術だそうですが、効果が体の芯にまで染み込んだ感じで、かなり全身が楽になりました。そして私の腰痛の原因は、骨の際の筋肉にまで蓄積された筋肉疲労だということでした。

 ちまたには色々な治療法があり、それぞれ一長一短があって、おのおのの個性や症状により相性などもあるのは当然の事ですが、運動による肉体疲労からくる症状と運動不足からくる症状とでは、異なる施術が必要なこともはじめて知りました。大関さん自身、太気拳や意拳を中心に各種格闘技、武術等と交流していることから、このような人たちが、どのへんに疲労をためやすく、どこが故障しやすいのかを、文字どおり身をもって判っているわけです。

 一月の中旬からは、まだ本調子ではないにしろ、稽古しながら治療もつづけるといった感じで、腰のほうも順調に回復してきています。この場を借りて、大関さんにお礼を言いたいと思います。「ありがとうございます。そしてこれからも宜しくお願いいたします」感謝。

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平成13年・秋の章

立禅の中の左右の力――その1

 六面力という言葉があります。意拳・太気拳の中で使われる、上下、左右、前後のどの方向に対しても力が出せるようにすることを指し示している意味のようです。 今までに天野先生にご教示していただいた、立禅の中における前後の力と上下の力に引き続き、この年の9月のセミナーの中では、立禅の中における左右の力がテーマとなっていました。

 立禅の中における左右の力は、左右というよりは回転方向の力と表現した方が適切かもしれません。立禅もしくは半禅の状態で、自分の背骨を中心軸として、上体を左右にねじってみます。例えば体を左に捻ろうとする時には、左手の手刀から前腕の外側全体で空手チョップを打つように、これと同時に右手の背刀と右手の前腕内側全体で相手の首を刈るような動作をイメージします。はじめは、首も上体と同じ方向を向けるようにして行ない、次のステップとして、首は一方向を向いたままで上体と腕を廻すようにしてみます。胸と両腕の形は立禅の形を維持したままで、これを行ないます。

 勘のよい方はもう気が付いたかもしれませんが、この動きが太気拳のフック系の打拳の打ち方になります。太気拳のフックは、禅の形をそのままにして打つようになります。つまり、胸と肩と腕と肘の角度(位置関係)をほとんど変えずに打つのです。天野先生の説明によると、これが「力を逃さない打ち方」であり、「もし肘を肩より後ろへ引いて打とうとするなら、パンチ力は腕と肩の筋力で決まってしまう」ということです。現代格闘技をやっていらっしゃる方々には、もちろん異論の声もあるとは思います。ただ、ボクシングや空手とはまた違った打ち方もあるんだな、ということも理解しておいてほしいのです。

ベーゴマの推手

 ある日のこと、天野先生が唐突に「ベーゴマになった気分で推手をしてごらん」と言われました。そしてこれは前述の、立禅の中の左右の力(回転方向の力)を意識して、腕と肩と胸の位置関係を変えずに、半禅(右向き)と立禅(正面)と半禅(左向き)の動作範囲の中でだけ上体を廻し、そこに触れたものは全てはじき飛ばしてしまうような気分で推手を行なってみなさい・・・というような意味合いのことも教えてくださいました。

 しかしいつもの事ながら、すぐにはこの事を推手の中で実現するのは難しいことでした。何せ相手があっての推手なのです。自分はこうしようと思っても、相手はそうさせまいとしてくるし、力量の差もあります。それに立禅・半禅の右向き~正面~左向きの間といっても、相手の方に力のベクトルを向けているので、それをしようとすると必然的に相手との位置関係を調整する為に、歩法に工夫が必要となってきます。それに腕をぐるぐると廻しているので、どうしても手先に頼りがちとなってしまうのです。

 天野先生からのアドバイスは、手の動きに関しては、「肘を大きく動かし過ぎない。手先も肘が動いた分だけしか廻さないような感じで」ということと「自分の手の後ろに隠れてしまうように、常に相手に向かって素面をさらさない様に自分の顔の前にはいつも右手か左手があるように」とのことでした。そして歩法は「這いの歩法で、常にどちらか一方の片足荷重で立ち、両足を開く力を使って引き裂くようにして一歩を踏み出し、両足を閉じる力を使って足を引き寄せるようにしてみなさい」とのことでした。それからもうひとつのポイントは「足を踏み替えたときに前の足の足先が、常に相手の中心に向いているようにする事」でした。確かに半禅の姿勢の時には、前足の真上に前手があるわけですから、この手を少しだけ内側にしておけば、その手(腕)には常に禅の力があるはずなのです。

 この年の初秋、自分自身まだ全ての留意点を融合させて動けるようには至っていませんが、私よりも後輩の者に対しては、だんだんと「ベーゴマの推手」が出来るようになってきています。そして私レベルでの「ベーゴマの推手」は、立禅・半禅の形で相手のほうに力を出していくことが第一目標なのですが、次のステップとして上級編になると、自分の下半身はそのままの位置に置いておいて、上体を廻すことで相手を引きずり回してしまうこともできる様なのです。というのはちょうどこの半年ほど前に、R先輩が「回転方向の力」を課題として取り組んでいた時期があって、その時にR先輩の推手の相手をしていた私は、ズルズル、ズルズル、と右に左に崩されっぱなしだったのです。Rさんは下半身はそのままに、禅の形で上体をねじっていただけなのに、そのたびに崩されてしまう自分は、「この力はいったいどこから出てくるのだろう?」と不思議でしょうがなかった――という経験を思い出したからです。

 「回転方向の力」とひとくちに言っても、その使い方には、まさに様々なものがあるようです。この辺にも、太気拳の技術の奥の深さを感じてしまいます。

推手でクソ!

 推手をしていると色々と考えさせられます。後輩を相手にしていると自分の上達がよく分かるし、先輩や先生が相手だと、自分の“穴”や“問題点”が見えてきます。そしてその“穴”を埋め、“問題点”を解決していくことが、推手の大きな目的のひとつであるようです。

 この頃、天野先生との推手の中で、ひとつ新たな発見がありました。それは先生に体軸を崩され、後ろへ飛ばされたときのことでした。思わず自分が小さく「クソッ!」と叫んだのです。一瞬自分でも驚いて、「天野先生に飛ばされるのは、実力差を考えれば当たり前のことなのに、何故、自分がそんなことを口走ってしまったのだろうか?」と、あとになってふとそう思ったのでした。つまり「クソッ!」と叫んだのは、自分の“思考”ではなく、もっと“感覚的”なものだったようなのです。というのは、このことについて天野先生にお話しした時に、先生が次のように説明をしてくださったからです。

 「富川が俺に飛ばされて、クソッ!と思わず叫んだのは、富川の中に『守るべき自分』というものが出来てきたからだよ。立禅を続けていると、いつのまにか『自分の中心』ができてきて、それが『守るべき自分』となってくるんだよ」をいうことでした。そして続けて「推手の中で崩された時に、自分の姿勢、自分の状態が、違う形にされると、『守るべき自分』を持っている人間は、非常にそれが不快で、『イヤだな』というふうに感じるんだよ。実はこの『あっ、この状態はイヤだな』という感覚がとても重要で、例えば相手に至近距離で指差された時に、顔の中心線上に相手の指があれば『イヤだな』と感じて、それを10cmほど左右のどちらかに逸らすと、『イヤ』でなくなる。武術というものにおいては、この感覚が非常に重要なことなんだよ」と言われ、富川も「うーん、なるほどぉー」と合点がいく説明でありました。

 この後も、推手の稽古のたびに、私は何度か「クソッ!」と小さく叫んでいました。そして殴り合う格闘技をする人にしては、反骨精神の希薄だった私の中に、少しずつではありますが、そういうものが育ちつつあるように思える今日この頃なのです。

推手は救世主となり得るか?

 一般的に言って打撃系の格闘技では、打つ、蹴るといったことに対して“センス”があって、“スタミナ”がある者であれば、比較的上達が早いのではないかと思います。これに対して、組技系では、一概に言えないのは承知の上ですが、“肌の感覚をとうして覚える”という要素があるので、時間は掛かるものの、さほどスタミナやセンスのない者であっても、上達していけるというメリットがあるのではないでしょうか。

 そしてこの中間に、推手という稽古体系が位置付けられると思うのです。推手は、組み技系出身で、打撃技にはセンスがないと思っている方や、闘争心があまりない方、スタミナにあまり自信のない人でも打撃技術を上達させる糸口となり、実際にそれを上達させるために有効な練習方法だと思うのです。

 いみじくも天野先生はおっしゃっています。澤井先生が神宮で太気拳を指導されていた時代、澤井先生には時間がなかったという都合もあったのでしょうが、立禅と這いの稽古の後は、一足飛びに“組手”が待っていた・・・と。そしてこの組手の後では、勝つ者には学びが在っても、負けた者には、何も新たな発見は見出せずに、その場を去るのみであった・・・と回顧されています。

 敗者も勝者も新たな発見を見出し、上達していくことの出来る稽古体系のシステムとして、意拳で行なわれていた推手がありました。推手を太気拳の稽古体系の中に取り入れていくことで、「立禅や這い」と「組手」の間の橋渡しができ、なお且つ色々な条件の人たちに対して、太気拳の、打撃系技術の、上達への間口を広げてくれたと言えるのではないでしょうか。

 繰り返しになりますが、打撃格闘技においては、センスとスタミナと闘争心がある者のみに約束された上達への道が、推手という救世主が現われたことにより、打撃技術においても、皮膚感覚を通して、上級者から盗み取るようにしながら、上達していける道が拓けた――というと言い過ぎでしょうか・・・。

推手から発力へ

 そうは言っても、推手にもデメリットはあります。まず時間が掛かるということです。まともな推手が出来るようになるまでには時間が掛かり、さらにそれを組手につなげていくためには、またひと工夫が必要となります。第一部、第二部を通して、「訳のわからない推手」「推手で飛ばされる」「てんでバラバラの手足」「楽ちん推手はもう卒業?」「ベーゴマの推手」と書き綴ってきたように、まともな推手が出来るようになるまでに私の場合は、1年と半年ほどを要しました。

 しかしながら時間をかけた分、得るものも大きいようです。私の場合は、このごろ急に推手の稽古がとても楽しく思えてきています。自分が優位な時はもちろんですが、格上の先輩とやっていても何かとても楽しいのです。守るべき自分があって、それをどう維持していくかが解ってくると、何も怖いものは無いといった感じでしょうか。たぶんこの感覚で、組手も出来るようになれば、言う事はないのでしょうが・・・。

 またもうひとつ、推手の稽古が楽しく思える理由があります。それは推手の中に発力の動作を取り入れられてきているからです。もっとも初めの頃から推手で発力をやってはいけないという訳ではないのですが、やりたくても出来ないというのが実情なのです。これは文章で説明するのはなかなか難しいのですが、簡単に言ってしまうと「相手が格上か格下かには関係なく、ベーゴマの推手が少しでも出来るようになっていないと、自分が発力できる状態にはならない」といったところでしょうか。

 でも、はじめのうちから発力が上手く出来るわけではありませんし、今でもまだ「やっとそれに手が掛かったかなぁ」くらいな感じです。相手と推手を行なっている中での発力は何種類かあるのですが、代表的な例では、相手の胸元(咽元)に、片手もしくは両手をあてて、ボンと後ろへ飛ばす――というのがあります。はじめのうちは、タイミングもコツも何も解りません。ただやみくもに、とにかく相手の胸元に手が入れば発力みたいに押してみる、といった具合です。A先輩も「はじめのうちはそれでいい」と言って下さっています。そして「何度も何度もやって、上手くいったり失敗したりを繰り返しながら体に覚え込ませていく、体で覚えていくんだよ」ということです。きっとこういった稽古を繰り返し行なっていく中で、「こう来たらこう動く」という型稽古的なパターンではなく、「相手が動いたときには、もうスッと自然に反応して動いている」という感覚が身に付いてくるのだと思います。

練習のための練習はするな

 天野先生が普段からよく言われる言葉に「練習のための練習はするな」というのがあります。これは普段から常に「推手のための推手」ではなく、「組手のための推手」を心掛けることが大切なんだよ、という意味なのではないかと私は理解しています。組手を意識して推手をするようにしていないと、自分の中心が空いてしまったり、左右の腕が横や上にあるのにもかかわらず、そのままの状態で推手をやり続けてしまいます。私自身、天野先生や先輩格の方々と推手をしている時に、よくそのような状態になってしまう様で、そんな時にはきまって、膝蹴りや頭突きや咽への張り手が飛んできて、「中心を空けるな!」とどやされることがしょっちゅうあります。

 また推手のみならず、立禅でも、這いでも、各種歩法においても、組手を意識して行なうか否かで、その稽古の質に大きな差が出てくるのではないでしょうか。そして組手も「組手のための組手」ではなく、「武のための組手」を心掛けることにより、よりリアルファイトに近い稽古になっていくのではないかと思うのです。

タックルでつぶされギャフン!

 10月のある日曜日のこと、他流派の方と組手を行なう機会がありました。天野先生が指名したのは、A先輩と私でした。はじめに組手をしたA先輩は、相手を軽くあしらっていたようなのですが、私は何かひとごとのような気分でその組手を見ていました。恐怖感はそれほど無かったのですが、やはり緊張していたのだと思います。

 A先輩は楽勝のようでしたが、私がどうなってしまうのかは、自分でも全く予想もつきませんでした。相手は、打撃がそれほど得意ではなさそうに見受けられましたが、天野先生からは、いきなり「組手をやってみるか」と言われただけで、相手が何者なのか、どういう経歴の方なのかを全く知らされてなかったのです。後で聞いた話では、その方は組み技と寝技を得意とし、打撃技はほとんど出来ないとのことでしたが・・・。

 この組手の内容について、ここでこと細かに描写するつもりは無いのですが、大まかな流れとしては、こちらが2~3発の打拳を打ったところで、組み付かれ、タックルされ、倒されて、横四方で上に乗られて動けなくなった――というような状況でした。

 タックルの切り方は、以前に骨法をやっていた頃に習ったことがあったのですが、そんな昔のことはすっかり忘れてしまっていたし、太気の練習には関係ないものと思い込んでいたのも事実です。しかし「太気拳は打撃系格闘技ですから、タックルは防げません」という話が通用するはずもなく、そもそも「太気拳は打撃系格闘技です」等とは誰も言っていないのです。ということは私自身も「タックルで来られても太気拳は負けないよ」ということを実現していかなければなりません・・・。

 この組手の後で、天野先生からは「相手の目線の高さに常に自分の目線の高さを合わせておいて、相手が低くなったら自分も低くなる」ということをアドバイスしていただきました。こうする事により、相手が急に自分の視界から消えて、タックルに入ってくることに対しての対処が容易になるとのことでした。またA先輩、R先輩からは、この後の推手の中で、実地を通してタックルへの対処を指導していただきました。

立禅の中の左右の力――その2

 毎朝の自主練で、左右の立禅を自分なりに行なっていたのですが、この中で大きな間違いを冒していたことに気がつきました。それまでは、腰骨は動かさずに上体だけをねじっていたのですが、このやり方では上体を左右にねじるときに、力が出ている感じや体が繋がっている感じがなかったのです。そしてこうではなくて“骨盤も廻して、それに固定された上体が一緒に動いていく”というのが、正しいやり方だと気がついたのです。以前から肘と腰骨が、手首と腰骨が、繋がっている意識――ということは繰り返し言われていたのですが、それがこの時になってやっとわかったという感じでした。

 このことに気が付いたきっかけは、前述のタックルの防御のための動きを朝練の中でやっていた時でした。天野先生や、A先輩、R先輩に言われたこと、教えていただいたこと思い出しながら、探手の中で、頭を下げて腰を低く、足を退げて腰を落とす、足を廻しながら退げて腰を落とす――という動きをやっていた時にふと、立禅の中での左右の力を探るために、上体を水平方向に廻していた時には感じられなかったことが、探手の中で頭を下げ、腰を引いて、上体が前傾している形で、足を後ろに廻しながら引く動作を行った時に、手と腰骨が繋がっている感覚がとてもよくわかったのです。

 いったんこの感覚がつかめると、立禅の中でもこれが感じられるようになりました。はじめは探手でやった時のように、上体の軸を前傾させて廻してみました。この方が感覚がつかみやすかったからです。そして感覚がつかめてから、上体を前傾させずに、水平に廻して、左右の力(回転方向の力)が確認できました。

 ここで一気に話が全部つながりました。まずタックルを切るときの動き方がわかり、以前からR先輩に指摘されていた打拳が手打ちになっているということの理由がわかり、打拳を腰骨と一緒に打っていくという感覚もつかみかけています。立禅、這い、探手の中で腰骨と上体が一緒に動くということを意識しての練習は、まさに達人への一歩を踏み出したかの様な気分でしたが、あまりの練習の楽しさにオーバーワークがたたって腰を痛めてしまいました。どうも楽にやる事を忘れて、全ての動作を力んでやるようになっていて、腰の周りの筋肉に緊張を溜め込んでしまったようなのです。

 これから2~3週間のあいだは、練習を休まなければならないかもしれませんが、これもまた、新しい筋肉、新しい力の出し方、新しい体の動き方を手に入れるための通過儀式と考えれば、しばらく練習ができない事もそれほど苦痛には思わないものです。

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平成13年・夏の章

這いの完成形

 “平成13年・初夏の頃”において、尻の股関節を意識した「オヤ・コ・シリの這い」のやり方を紹介しました。尻の股関節を意識することによって足腰や背中の筋肉の負担がぐっと減り、かなり楽に這いができるようになっていた、というくだりです。

 そして夏になった頃、天野先生に指摘されたのは「首や腕の力を抜き、もっと楽に這いを行なうように」ということでした。「エッ、もっと楽でいいの?」と一瞬思ったのですが、「這いの鍛錬は、足腰の筋力を鍛えるためだけに行なっている訳ではないのだから、もっと楽に、もっとゆったりと行なえるようにしなさい」と言われました。そして「首はスッと立てるのだけれど決して力まずに、腕も常に自由に動けるように力を抜いておくこと」というアドバイスもいただきました。実際のところ、這いを行なうときの両手の位置は、目の高さに挙げているだけで、ほとんど動きがありません。だからその状態(その形)を維持することにだけに意識を集中させてしまうと、肩に力が入って硬くなってしまうのです。天野先生からは「例えば、這いの最中に打拳を打ち込まれても、この両腕がパンパンと素早く動けるように、そんな楽で自由な感じにしておきなさい」ということも付け足して言われました。

 自主練の這いの中で、天野先生のアドバイスを思い出し、色々と工夫しながらやってみました。最初はなかなか難しく、尻の股関節の意識によって下半身はかなり楽になっているとはいえ、腰を低く落としているので、どうしてもそこに何がしかのストレスがあります。そして「首をスッと伸ばした状態で、両腕を高く挙げつつも、首と両腕をリラックスさせる」というのが、初めはなにか矛盾しているように感じていたのですが、何度も何度も繰り返し行なっている内に、だんだんと力みが抜けるようになってきました。いや逆に、下半身が安定しているからこそ、両腕が楽で自由になるという感じでしょうか。

 ここでふと気が付いたことがありました。それは足腰の負担を減らしてくれた尻の股関節の意識についてです。この時はまだ、「尻の股関節を意識する=尻の股関節に力みを持つ」という感じでやっていたのですが、ふと「この尻筋肉の力みも取ってみたら、どうなるのだろうか。力みをとっても同じように出来るのではないだろうか」と思いついたのです。そしてさっそく実行してみました。まさにこの考えがズバリと的中し、今まで力んでいた尻の股関節の緊張を無くしても、同じように安定した這いが出来ていたのです。「こんなにも楽ちんでスムーズに動けて良いのだろうか」と目から鱗が落ちたような思いでした。

 さていったいこれは、「這いの完成形」と呼べるのでしょうか?仮にはそう呼んでもよいかもしれませんが、太気拳の全ての動きの終わりは常に次の動きの始まりと同質であるという事を考えると、この這いの完成形は、完成と思った瞬間に次のステップへの踏み台となり、新たな領域の発見を示唆しているように思えてきます。

前腕の触覚中心(推手)

 太気拳では、「手が効くようになる」あるいは単に「手が効く」という表現がよく使われます。これは相手の攻撃に対して手が勝手に反応し、「手がさばいてくれる」ということなので、ある意味「手が効く=聴勁」といってよいのではないでしょうか。

 そして「手が効くようになる」ためには、どうすればよいのでしょうか?もちろん、立禅の中にもそういう要素は含まれているのだろうとは思います。ただ、その感覚を一番伸ばしてくれるのは、やはり推手の稽古なのではないでしょうか。推手の稽古は傍目から見ると、ただ単に二人の人間が前腕と前腕をぐるぐる廻して押し合いながら、前へ後ろへと、動いているだけの様に見えます。しかしながら実際には、禅の状態を保ちながら、這いの歩法を使って動き、自分の中心を守りながら、相手の中心を奪う――という作業が行われているのです。

 推手で相手と前腕を合わせる時、手首寄りの部分よりは、できるだけ肘に近い部分を使う様に――という事は、一年目の最初の頃から言われていました。でもどうしても肘寄りの部分が使いずらいためか、手首寄りの方ばかりを使ってしまうのです。二年目の夏、先生がこの推手での腕使いについて、ひとつアドバイスをしてくださいました。それは推手の時に「肘の少し上の内側の部分を使って、相手を抑えるようにしてごらん」ということでした。本来、推手のときの腕使いは、前腕のぐるっと一周、360度全体をどの方向にも使えるようになることと、前腕の全体が触覚のようになることが目的なのですが、発展途上の私に対して、ひとつの導入部として、「その部分を意識して使ってみてごらん」という意味でのアドバイスだったんだと思います。

 果たして結果は如何に。推手の時に「肘の少し上の内側の部分」で相手を抑えるように意識して行うと、上半身の禅の形が保たれ、安定して動けるようになり、且つ、相手に対する圧力のかけ方も楽に行なえる様になったのです。そしてこの部分に私なりのネーミングではありますが、「前腕の触覚中心」という呼び名をつけました。

 この日から、毎朝の立禅の中では、特にこの「前腕の触覚中心」を意識して行なうようにしています。これを行なうことにより、次に推手を行なう際には、その部分がより生かされるようになってくるのです。“少し意識を向けるポイントを変えただけで、ぐっと力量が上がってしまう事もある”というのも太気拳の魅力のひとつだと思います。

走りながらも止まらない(打拳)

 タッタッタッタッタッと小走りに走りながら、左右の拳をフックぎみに連続して繰出していく。私が立禅をしている脇で、よく天野先生がそんな打拳の練習をされていた。「あぁ、あんなのが出来たらすごいのになぁ。でも今の自分には、無理なんだろうなぁ」と思い込んでいたので、「先生、私にもその打拳を教えてくださいッ」とか「あれはどうやってやるんですか?」などとは、全く聞く気にもならなかった時期がしばらくありました。でもこのやりかたを正式には習っていないにもかかわらず、2年目に入ったある時から、見様見真似でなんとなく、出来るようになっていたのです。それは何とも言えず不思議な感覚でありました・・・。

 この年の夏合宿のときに、何種類かの打拳の打ち方と、走りながらの打拳、肘打ちの打ち方、等を教わりました。大関さんがミットを持ってくださり、私がそのミットに向かって、小走りしながら、左右の打拳を打ち込んでいきます。真夏の暑い体育館の中で、延々とミット打ちを行い、もう汗がダクダク状態でへばりそうになってしまったのですが、終わってから、「この打ち方は、太気拳の体の使い方が身についている人にしかできないから、富川はもう大体できてるネ」と大関さんに褒められて、とても嬉しくなってルンルン気分で、疲れもふっ飛んだような気がしたけれど、やっぱり民宿への登りの階段はきつかった・・・。

 8月末に行われた天野先生のセミナーで、一般参加の人たちにも、太気拳の打拳の打ち方の基本から、最後にはこの小走りしながらの打拳も教授されたが、空手やボクシングをやっている方々でも、この「小走りの打拳」は誰一人としてできる人がいなかった。

 人間というものは、自分ができるようになってしまうと、できなかったときの感覚は忘れてしまうようで、「なぜ他の人達にはできないのだろう?」と疑問に思えてしまいます。天野先生の説明によると、「上半身と下半身の動き、バランスが全てよどみなく一致していないと、これはできないんだよ。逆に、その一致が体の中にできていれば、何も言われなくてもできてしまうものなんだ」ということでした。

 皆さんもちょっと試してみてください。この打拳のやり方は、言葉で説明するのは意外と簡単で、でもやるのはとっても難しい・・・みたいです。はじめは普通に歩く速さでかまいません。逆突きの要領で、左足が前にあるときには右の打拳を、右足が前にあるときには左の打拳を、交互に打っていきます。打拳は、ややフックぎみのストレートで、それほど形にはこだわらずに、打ち易い形で打てば良いと思います。これを歩きながら連続して打っていって、だんだんと早足に進み、最後は小走りしながら連発で打っていきます。左足が前のときに右パンチ、右足前のときに左パンチ、一歩で一発ずつです。

 この説明を読んだだけでもう出来てしまった人は、きっともう「武道の達人」―――かもしれません。

寸勁なんてあたりまえ?(エピソード)

 中国拳法全般において、短く鋭いパンチのことを「寸勁(すんけい)」という言葉で表現される事がよくあります。具体的にどういう打ち方かというと、ストレートやフックなど、その形には関係なく、目標との距離が5cm~10cmのショートレンジ、あるいは既に触れている状態からでも相手に大きなダメージを与えられるパンチということのようです。プロのボクサーの打つショートフックやショートアッパー等もこの類のものらしく、確かに初心者には難しいようです。またジークンドーを創始したブルース・リーのワンインチパンチ等も有名です。

 私がはじめて中国拳法関係の本を読み始めたころ、この「寸勁」という打ち方や「聴勁(ちょうけい)」という技術に大変感銘を受け、是非とも習得してみたいと切望していました。そして、聴勁に関しては、詠春拳(えいしゅんけん)等で行われる目隠しをして、推手のように二人の人間が腕と腕を接触させてぐるぐる回すような練習の様子が紹介されていて、「私もいつか、こういう練習をしてみたいなぁ」と思っていました。でも寸勁に関しては、「○○さんは出来る」とか、「○○先生の寸勁でふっ飛ばされた」という記述はあっても、どうすればそれが身に付くのかは、どこにも書いてなく、「これでは絵に描いた餅だな」と残念に思っていました。いったいどこへ行けば寸勁の打ち方を教えてくれるというのでしょうか?套路を何十回も行えば、それが身に付くというのでしょうか?空手を10年やっていれば、自然とそれが出来るようになるとでも言うのでしょうか?どうにも曖昧模糊としていて歯がゆくてしょうがない思いをしていました。

 8月末に行われたセミナーの後の懇親会の席で、この旨、天野先生に聞いてみたところ、なんとも明快なお答えが返ってきたのです。それは「立禅をすれば出来るようになる!」ということでした。

 これは私(富川)の私見なのですが、正しい方法で立禅を行っていれば、早い人なら6ヶ月、遅い人でも2年ほどで、それらしい力が出てくるのではないかと思うのです。それらしいと書いたのは、寸勁といってもピンきりだからです。4回戦のボクサーのパンチと世界チャンピオンのパンチの力量に差があるように、1年生の寸勁と、10年生の寸勁では、その力と質が異なっていて当然でありましょう。私自身も、太気拳をはじめて1年から1年半が過ぎたころから、それらしい(寸勁のような)打ち方や力の出し方が感じられるようになってきています。

 しかしここで新たな疑問またひとつ出てきました。もし本当に「立禅をすれば、寸勁が打てるようになる」のだとすると、なぜ天野先生は、「立禅をすれば、寸勁が打てるようになるんだよ~」と吹聴して回らないのでしょうか。いや、吹聴というのは少々大袈裟な表現ではありますが、それを切望している多くの人達に、情報として提供してあげてもよいのではないかと思ってしまうのです。この旨を先生に尋ねると、「寸勁を打てたからといって何になる。それを打つ技量があっても、攻めてくる相手に対して、打ち込める力量がなければ意味がないではないか」とのことでした。

 たぶん先生は、ボクシングでも、サンドバッグ打ちが得意で、力強く、素早く打ち込め人であっても、試合で勝たなければ意味がないのと同じように、とても威力のある寸勁を身につけた人が、止まっている人や物に対してこれを使い、「ほら、僕ってこんなに凄いんだョ~」と自慢するようなことを戒める意味で、こういう表現をされたのだと思います。拳法とは所詮、人と人とのぶつかり合い。パンチ力(寸勁)だけがあっても何の役にも立たない。攻撃してくる相手に対して、それをかわし、あるときは打つ、あるときは引き倒す、またあるときは、はじき飛ばす―――という対応ができることが前提で、はじめて寸勁や発勁、発力というものが役に立ってくる。だから「殴ることなどどうでもいいんだょ」と天野先生はよく口にされるのでしょう。

殴ることなどどうでもいい?(エピソード)

 太気拳の稽古の体系は、立禅、這い、歩法、推手、等がほとんどを占めていて、打つ、蹴る、等の稽古の割合が極端に少ない。天野先生は言う、「殴ることなんか、そんな事はどうでもいいんだょ」と。そのココロはいったい何?

 それはつまり闘いということの本質に起因する。まず守るべき自分の中心(体の中心と、気持ちの中心)があって、自分の中心を守りながら、相手の中心を奪う。そのためには歩法を使う。軽やかで力強い、楽ちんだけど素早いステップ。そしてこのステップをも含めた防御の技術。ここまでが必須条件。つぎに発力・発勁の力が常に準備されていること、いつでも思った時にすぐに出る、すぐに出せる。それが拳であるか、肘であるか、肩であるか。さらには押す力か、引く力か、廻す力か、ケースバイケースで如何様にも出せる―――だとすれば、殴る、打つという行為は闘いの最後のステップの小手先だけで十分だということで、要は打つにいたる、打てる状況にまで至るプロセスが重要だということである。

 相撲の解説で、「十分になっている」という表現があるが、これは「体制が十分に整っている」ということを指し示しているのだと思う。太気拳ではまさにこの「自分は十分、相手は不十分」の状態にまで体勢をつくってから打拳を打込むことを理想としている。そう考えると前述の「殴ることなどどうでもいいんだょ」という天野先生の意図する所もわかろうというものではないか。

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平成13年・初夏の頃

楽しい立禅のその後

 自主練として始めた毎朝の立禅も、3ヶ月を過ぎた頃になってくると、少々物足りなさを感じるようになってきていました。今までは立禅(正面)、半禅(右と左)をそれぞれ5分ずつ、揺りを5分ほどで、合計20分ほどを行っていたのですが、「よし、あと20分早起きして立禅の時間を増やして、這いも少しだけでよいから毎朝やるようにしよう!」と思い立ちました。実際のところ、「朝、眠たい・・」という欲求よりも、「もっと立禅をやっていたい!」という気持ちの方が大きくなってきていたのです。

 かくして、それまで起床時間を40分早めて20分間の練習時間を確保していたのに加えて、これからさらに20分延長させるためには、元の起床時間より、1時間も早起きするということになってしまったのですが、それほど苦にはなりませんでした。通勤電車もすいていますし・・・。練習メニューは、立禅を20分~30分、揺りを5分ほど、這いを10分ほどといったところでしょうか。電車の乗り継ぎの都合上、多少時間が増減したり、その日の気分で各メニューの配分が変わったりということもありますが、大体こんな感じでやってます。

立禅の中の上下の力

 6月末に行われた天野先生のセミナーでは、「立禅の中での上下の力」を指導していただきました。以前に、扶按椿(ふあんとう)という立禅を教えていただいたことがありましたが、これは「腰まで浸かって川の流れの中に立ち、手のひらを下に向け、この手で水面にある木の板を抑え、この木の板が流れていってしまわないように、また抑えすぎて沈めてしまうことないようにという意念を持ち、膝で緩やかに細やかに上下動を行う」というようなものでした。

 しかし今回、天野先生が指導された上下の力は、もっと判り易く、もっと力強いものでした。それは通常の立禅(正面)の姿勢において、「下半身はズンッと重くし、上半身から頭にかけてはスッと真っ直ぐに軽く立つ」というものでした。この下半身の感覚を判らせるために、先生は一人一人の腰をつかんでは、相撲の吊り出しのように持上げて回って下さいました。先生の説明では、「各自、相撲のまわしをつけていて、相手がそれを持って吊り上げようとしている。自分は吊り上げられまいとして、ズンッと腰を落とす――この下半身の感覚を、相手がいなくとも常に感じている、常に保っている――という状態です」と説明してくださいました。

 また上半身に関しては、「頭が上に紐で引っぱられているような状態、もしくは、自分が水中歩行をしていて、足には重しがついているけれども、頭は浮力で浮き上がろうとしている――スッと伸び上がっているが、力み(りきみ)は全くない状態」と説明されました。

 そして立禅の中には、前後の力、左右の力、等もあるが、実はこの上下の力こそがいちばん重要であるとのことでした。

 上下の力を失わずに、「禅を組む→這いをする→推手をする→組手をする」という事ができれば、もう完成といってもよいくらい重要であるとのことで、それだけにかなり難しく、特に相手がいる推手や組手の場合においては、なおさら難しいようです。

 ではこの上下の力とは、いったいどういうものなのでしょうか。これは言い換えれば、軸の力、軸を守りきる力、軸を崩さない力、自分の中心を守る力、等々とも表現できるのではないでしょうか。

 例えば、スパーリングの間合いからジャブを打ち込みながら、相手に向かって前進して行ったとします。相手は後退しながらこれを捌き、こちらが少しあせって一歩大きく踏み込んで、右か左のストレートを打った瞬間、相手がスッと体を横へかわしたとします。とこの時、自分が前のめりになり、バランスを崩している状態であれば、これは上下の力を失っているという事であり、逆に自分の体がすぐに相手の方へ向き直ることができれば、上下の力は保たれていたといえるのではないでしょうか。スパーリングの中で、前者のようになると、圧倒的に不利な状況であり、後者の場合には、相手はかわしたつもりでも、こちらはもう既にそのかわした相手の方を向き直っているわけで、やや優位な状況にあると言えましょう。

 上下の力について、一例を示しましたが、「推手、組手では、どんな状況においてもこの力を守りきる事ができるように稽古していくことが肝要である」と天野先生は特に強調されました。

這いの歩法の中での体重移動

 同じ日のセミナーの午後の部において、天野先生は、這いの歩法の中における体重移動についての説明をされました。

 基本的な這いの方法については、(平成12年・春の章)「這いの歩法」および(平成12年・秋の章)「背中パンパンの這い」の中で述べておりますので、そちらをご参照ください。まずそこに記述されている注意事項を遵守した上で、ここからの説明が重なっていくと考えてください。

 天野先生の説明では、人は歩くときに体重移動をしている。右へ左へ、右足へ、左足へ。そしてそれを細分化していくと、右足が接地しているときには右足裏の中でも、体重移動が行われている。前進するときのその順序は、「踵→小指の付け根→親指の付け根」となり、逆に後退するときには、「親指の付け根→小指の付け根→踵」となる。そしてこれを這いの動きの中に取り入れ、足裏の中での体重移動をより意識して、感じてください、とのことであった。

 順を追って説明しましょう。まず両足が揃っていて、右足を一歩斜め前へ踏み出し、体重が左足一本にかかっていて、右足は地面を確かめるようにしながら、まだ接地していないところから始めます。

1. 右の足裏全体を接地させたら、左足上にある骨盤と上体を、右足上まで移動させていき
ますが、この時、右足裏にかかる荷重が、はじめは踵にかかり、骨盤と上体が移動する
に従って、それが小指側を通って親指の付け根あたりへと移り、このときには骨盤と上体
が完全に右足上にあるという事を確認します。

2. 次に左足をゆっくりと引き寄せ、右足と擦れ合うようにしながら、左斜め前へと一歩踏み
出します。

3. 右足上にある骨盤と上体を左足上まで移動させていく過程において、左足裏の中の荷重
の移動が踵から小指側へ移り、親指の付け根あたりへ至り、このときには完全に左足一
本で立っている状態、右後ろに置き去りになっている右足を少し浮かせても全くふらつか
ない状態にあることを確認します。また後退するときにはこの逆の要領で行います。

※)上記の内容は、BABジャパン出版局から出されている「天野 敏 の太気拳“挑戦”講座」に出ておりますので、興味のある方はそちらもご参照ください。

這いの極意はオヤ・コ・シリ?

 この日、一日のセミナーの中では、私自身どうもしっくりと自分の動きとしてなじませる事ができなかったので、毎朝の自主練に這いの稽古も取り入れて、何度も繰り返してやってみました。

 朝の公園で、立禅を組んでから、両手を挙げ、腰を落とし、這いの姿勢をとり、右足を一歩踏み出し、骨盤と上体を左足上から右足上へと移動させていく。「カカト‐‐コユビ‐‐オヤユビノツケネ‐‐‐」どうも一言一言が長ったらしく、気持ちを集中させにくいので、踵は「カカ」、小指は「コ」、親指の付け根部は「オヤ」ということにして、左足一本で立って・・・ちょっと頭がふらつくので、上下の力で姿勢を正して、右足を一歩前へ出し、体重を移動させて「右足裏で、カカ→コ→オヤ」、左足を出して「左足裏で、カカ→コ→オヤ」と心の中でつぶやきながら繰り返し行います。後退するときには、逆に「オヤ→コ→カカ、オヤ→コ→カカ」となります。

 ここでひとつ問題が発生しました。「カカ→コ→オヤ」の体重移動はだんだんと明確に感じられるようになってきたのですが、体重が片足に移りきった時にどうしても上体がふらついてしまうのです。どうやら「体重移動=進む」という、移動していくことを重視しがちとなり、上下の力が失われているように思いました。とそのとき、頭の中であることが閃いたのです。「そうだ、尻の股関節を使ってみよう!これを組み入れて、這いをやったら良いではないか!」そうと決まればさっそく命名。というわけで「尻の股関節=シリ」ということにしました。

 右足を一歩踏み出し、ゆっくりと体重移動していく、「カカ→コ→オヤ=シリ!」。「オヤ」に荷重が乗ると同時に「シリ」を意識する。こうすると狙いがズバリと的中し、上体がピタッと安定しました。左足を踏み出して、体重移動していく、「カカ→コ→オヤ=シリ!」。人には恥ずかしくて言えないフレーズであるが、そんなことはどうでもよい。

 何度かやっていると、「カカ→コ」の次は意識しなくても「オヤ」に体重が移動するので、「カカ→コ→シリ、カカ→コ→シリ」の要領で行うことにしました。

 後退するときには逆に「カカ」が省略されたので、「オヤ→コ→シリ、オヤ→コ→シリ」と体重移動と尻の股関節を意識することで常に姿勢が安定していて、上下の力が保たれているような這いができるようになったのです。

 この「尻の股関節」は私の場合、本当に役に立ちました。ここを意識するだけで上体が安定し、背中や腰の負担もグッと減り、ほとんど筋肉痛に悩まされることもなくなったのです。以前は、背中の筋肉をパンパンにさせながらやっていた這いが、まるで嘘のように思えてきます。

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平成13年・春の章

楽しい立禅

 太気拳を始めた一年目の終わりの頃から、これまでよりもより真剣に稽古に取り組むようになってきた。別にそれまでが不真面目だった訳ではないのですが、やはり週に一回、稽古に出席している時だけが練習時間――という感じがまだあったのです。それまでにも月に何度かは自宅で立禅を組んでみたりもしたのですが、やったりやらなかったりで、そろそろ毎日の生活の中に立禅をする時間を習慣として根付かせていこうと思い始めていました。毎朝、40分ほど早起きして出勤し、会社の近くの公園で立禅をすることにしました。会社と公園の間の移動のために多少時間が取られるので、準備体操の時間を除いた実質の練習時間は、20分程になります。立禅(正面)を5分、半禅(左右)を5分ずつ、最後に揺りをしながら体をほぐすのが5分――といったところでしょうか。

 立禅はよく、つらい稽古だと言われますが、この頃の私にとって、毎日の立禅はとても楽しくてたまらないものでした。何がそんなに楽しいのかというと、毎日なにがしかの新しい発見や閃きが起こるからなのです。天野先生がこれまでに教えてくれた色々なこと、今、自分に与えられている課題、這いや推手の稽古の問題点からのフィードバック、様々なバックグランドの中から、何かふと発見があるのです。特定のことを意識していて、それが見つかる場合もあるし、何も考えずにただ立っているだけの時に、ひらめきが訪れることもあります。また、その日の気分次第で、自己流にやってみたりすることもあります。

 ひとつ面白かったのに、立禅のシャドーボクシングと自分が名付けたものがあります。半禅の姿勢で立ち、相手からの攻撃を想定し、ダッキングやヘッドスリップでかわしてみるのです。立禅はあくまで立禅なので、それほど大きくは頭や体は動かしません。せいぜい2cm~3cmといったところです。上下に、前後に、左右に、斜めに、時に速く、時にゆっくりと。色々とやってみるとなかなか面白いものがありました。

股関節の立禅

 この年の4月の太気拳のセミナーでは、天野先生に、「股関節を意識した立禅の方法」を指導していただきました。股関節というとすぐに思い浮かぶのが、開脚する又(また)の部分ですが、本来はぐるっと一周全部が股関節です。いちばん下が又(また)の部分、前側は鼠径部、横は腰骨のすぐ下、斜め後ろは尻の脇あたり、後ろは尻のすぐ下といったところでしょうか。そしてこの時のセミナーで天野先生が指摘(強調)された部分は、斜め後ろの股関節であり、これを便宜上「尻の股関節」と呼ぶことにしましょう。

 尻の股関節が自分の尻のどの部分に当たるのかを見つけるのは意外と簡単です。まず両足を肩幅に広げ、平行に立ち、膝を軽く曲げる。そして膝を左右に開き、足裏の内側(親指から踵の内側まで)が地面から離れるようにガニ股になってみる。この時に股関節の斜め後ろの部分が緊張しているはずです。これが天野先生の言うところの「尻の股関節」であります。この方法で解りにくかった方は、サッカーボールかドッジボールを膝にはさんでみるといいかもしれません。できるだけ膝の力を抜き、尻の力でボールを挟むようにすれば、尻の股関節を意識できると思います。

 次に天野先生は、立禅の中で尻の股関節に意識を持たせる方法を説明してくださいました。

1.立禅(正面)の場合
 まず普通に立禅の姿勢をとる。そして膝を少しだけ曲げたり伸ばしたりしてみる。(伸ばしきらないこと) この時に足先と踵と膝の位置関係(角度)が全く動かないようにして行うこと。ちょうど後ろにある椅子に腰掛けたり立ち上がったりする感じです。しかし立禅はあくまで立禅なので動作は一番大きな所でも4cm~5cmほどに留めるようにします。またこの時に膝の力は極力抜くようにして、上体も力まずに行うようにします。ゆっくりとこの動きを行いながら、自分の尻の股関節の動きをじっくりと観察します。その部分の筋肉を力ませて行うよりは、できるだけ力を抜いて行った方が感覚がつかみ易いかもしれません。この動作の目的は、まず第一ステップとして、普段意識して使っていなかった尻の股関節に意識をもたせること。第二ステップは、尻の股関節が力強く、スムーズに動き、且つ瞬間的に緩めることと固めることができるようになることにあります。

2.半禅(左・右)の場合
 左手、左足を前にして普通に半禅の姿勢をとります。立禅(正面)の時と同様に、左の足先と踵と膝の関係(角度)を変えずに、後ろの椅子に腰掛けてまた立ち上がるような感じで、4cm~5cmほど、繰り返し動いてみてください。そして右足の股関節の右斜め後ろの部分(尻の股関節)がどのように動いているのかをよく観察し、味わうのです。 右手・右足を前にした場合も同様に行いますが、左の尻の股関節を動かそうとするとき、右利きの人はやや動きがぎこちなく感じるかもしれません。それがスムーズに、力みなく動かせるようにすることも、この「股関節の立禅」のひとつの目的であるようです。

ユニコーンの打拳

初めて習った打拳はユニコーンの打拳でした。これも正式名がわからないので、私が勝手につけた呼称なのですが、その打ち方は、まさにユニコーン(一角獣)をイメージさせます。

1.歩法
 ユニコーンの打拳の歩法は、<平成12年・冬の章>で記述した片方向への歩法を使います。右手・右足が進行方向にある場合には、一歩、歩を進めるごとに右の拳で打つようにします。

2.手の形
 手の形は、初めは半禅のような形で掌を手前に向けておきます。そしてタイミングにあわせて、掌を前向きにする力を使って肘を絞り(閉じる力)、すぐに元に戻します(開く力)。この閉じる力と開く力がわかるようになってきたら、今度は右拳を半拳にして、相手の鼻先を下から上へズルッとずり上げるようにイメージして、打拳を打つようにします。左手は顔面のガードのため、掌を前方に向け、右手の半拳を後ろから支えるようにします。(正式名称:添え手)

3.頭と上体
 歩を進める時にゴックンと唾を呑み込むようにして、一瞬だけ首に力を入れ少しうなづき、上体が出遅れないようにします。この時に額にある角で相手を下から突き上げて突き刺すようにイメージします。そして額から相手にあたっていくイメージを右の拳に重ね、この右の拳で打っていきます。こうすることによって、全体重+移動エネルギーが右の拳にのるようになってきます。

ユニコーンの打拳の優位性

 先生に教えていただいたことは、何ごとも素直に疑いを持たずにコツコツと稽古するように勤めていたつもりだったのですが、このユニコーンの打拳に関しては、「この打拳は使えるのかな?どんな時に有効なのだろう?」と、ちょっと疑問に思っていました。というのは、これまでやってきた空手やキックボクシングのパンチの打ち方とは、全く違っていたからです。でも、後になってこの打拳の優位性を、まのあたりにすることがありました。

 それはある日の組手稽古の時に、先輩のIさんが天野先生の鼻面に一発入れたのが、この打拳だったからです。未熟者の私の目には、その場面では、何がどうなっていたのか、よくは解らなかったのですが、稽古の後に天野先生が次のように言っていたのです。

 「なんかゴチャゴチャってなった時に、Iのいいパンチを一発食らってしまったけど、あれってこの前、俺が教えたやつ(ユニコーンの打拳)だよな。自分が教えた技でやられてりゃ世話ねぇよな。ハハハハハッ!」と屈託なく大笑いされました。またIさんが、この打拳を普段から熱心に稽古していたことも、ずいぶんと誉めていました。

 その後、私は自分の疑問を先生に訊いてみました。「ワン・ツー・フック・アッパーとかのコンビネーションではなく、何故、単発のようなユニコーンの打拳が有効なのでしょうか」と。この質問に対しての天野先生のお答えは次のようなものでした。

 「コンビネーションは所詮、手先の小事に過ぎない。それに比べてユニコーンの打拳は、全体重が乗って、しかもそれが相手の中心に向かって打っていく。富川は単発といったけど、本来は(稽古をして身に付けば)この打ち方は、何度でも繰り返して打つことができる。相手にしてみればこれほど厭なことはない。だから有効なんだよ」と。

 これを聴いた私は、目から鱗がとれたような思いでした。そして「絶対にこの打拳を自分のものとしてマスターしてやるぞ!」と心に誓ったのでした。

楽ちん推手はもう卒業?

 一年目の終わり頃のある日、天野先生との推手はだんだんと厳しくなってきていました。「もっと力を出せ!ズルズル退がるな!力を継続して出すんだよ!」と激しい叱咤が飛びます。「先生、怒ってんのかな?」と少し不安に思ったけど、稽古の後はいつものニコニコ顔で、「富川もだいぶ良くなってきたよなぁ」と誉めてくださり、少し安心しました。

 帰りの電車の中で先輩のRさんにこの件を話すと、Rさんは、「富川君さ、それはあれよ、先生も本気で教えようとしてるからだよ。今まではほら、なんだかんだ言っても、お客さん扱いみたいなところがあったんじゃないのかな。先生が真剣になってるってことは、(弟子の一人として)認めてくれたってことだと思うよ」といわれ、ちょっと嬉しくなる。

 これまでも楽に推手をやっていたつもりは(自分では)ないのだけれど、段階を踏んで少しずつ要求レベルが上がっているのだと思う。確かに最初の頃は、先生に3m~4mも飛ばされていたのに、最近は2mほどに留められるようになり、飛ばされた時の姿勢も以前とは比べ物にならないほど、軸を守って体勢を保てるようになってきている。

 二年目に入った頃、天野先生から繰り返し言われた推手での注意点は2つあった。肩に力を入れないことと、肘を肩より上に挙げないこと。肩に力を入れてしまうと、肩が自由に動かなくなり、相手の動きに対しての自分の反応が遅くなってしまうし、何より抑えが効かなくなってしまうので、すぐに煽られたり、差し込まれたりしてしまう。肘を肩より挙げないというのも同じ理由からであった。

 この2つの課題は、これから暫くの間、おおいに私を悩ませることになる。天野先生や、A先輩、R先輩などの格上の人と推手であたる際には、手を触れる前から緊張して肩に力が入っている。「肩の力を抜いて、抜いて」と自分に言い聞かせると、ズズッと差し込まれてしまう。そんな経験をしながら、また立禅の中で力を探る。揺りや練りの動作の中で手の廻し方を考える。こういう自主練もまた、やりがいのあるものである。

戦慄の膝小僧(組手)

 先輩のAさんは元アマチュアボクシングの選手。キックボクシングのジムにもずいぶんと熱心に通っていたとのことである。天野先生が、横浜で指導をはじめた頃からの古くからの弟子なので、太気拳歴はもう9年ほどになる。最初の頃は、なかなかキックのスタイルが抜けずに苦労したとのことであったが、今では全くその片鱗さえ覗えない。否、あの首相撲からの膝蹴り――を除いては、である。

 四月の初め、花見の日。この日は花見の酒席の前に、通常練習に加えて、恒例の組手稽古が行われた。私にとっては、初めての太気拳での組手です。年末の忘年会の時の組手稽古(富川は不参加)の模様を収めたビデオテープをもらっていたので、何度も何度も繰り返し観て、自分なりに色々と研究していました。当然のことながら、今までやっていた空手やキックとはどうも勝手が違うようです。技の応酬というのがあまり見られません。先輩と後輩、あるいは先生と全員という実力に格差をつけた組み合わせで行われている事もあるのでしょうが、どうもどちらか一方が「ドドドドォ――ン」と行って終わり、といった感じなのです。

 それはそれとして、他人の組手の批評をするのではなく、自分がどういう組手をするのかを考えておかなくてはなりません。拳はあまり使っていなかったようなので、掌底を使って、フック、アッパー、ストレートと自分なりに打ってみます。この頃はまだ正式に太気拳の打拳の打ち方を習っていなかったので、だいたいが自己流のようなものでした。蹴りは皆それほど出していなかった様でしたが、自分は蹴りが少々得意な方なので、出せる機会があれば出してみようとプランを立てました。自宅近くの公園で、色々とシミュレーションしながら、使えそうなコンビネーションに工夫を凝らしていました。

 そして花見の当日、推手が終わり、一息入れたところで、大きな円陣を組み、その中央で一組ずつ組手が行われました。最初にコールされたのが、前述のAさんとわたくし富川だったのです。 天野先生の「お互いに礼、始め!」の合図。技量的には大人と子供ほどの差があるのは明白です。「こうなってしってしまったら、もうあたって砕け散るしかない」と心の中で思ったのですが、あっという間に押込まれ、組み付かれ、頭が下がって腰が引けた姿勢になってしまって、膝を入れられ、おしまい。「止め!」がかかり、元の位置へ戻り、再び「始め!」がかかるが、二度目もやはり同じようなパターンになってしまいました。 これを3回、4回と繰り返したでしょうか。最後には、右のアバラに渾身の一発を入れられ、ダウン寸前となってしまい、先生の「止め、お互いに礼!」でやっと終わったのでした。本当に“やっと”と強調したいほどに、短くも長くも感じられ、異次元空間の中に居たような気分でした。

 花見の酒席でAさんからは「ああなったら、ぜったい頭は下げるなよ。頭下げたらもうおしまいだからな」とアドバイスをいただきました。あと「言っとくけど、あれで思いっきり蹴ったわけじゃないからな」と言われ、後に「軟骨骨折」と診断された私の肋骨は、もし本当のAさんの渾身の一撃をもらっていたならば、どうなっていたのだろうと思うと、少しぞっとなってしまいました。R先輩に「Aさんの膝蹴りは怖いですね・・」と言うと、「あれはあの人の得意技だから。巷(ちまた)では戦慄の膝小僧と言われてんだよ」と聴き、「巷とはどのへんの巷なのかな・・」と思いながら、とにかく大事には至らずに良かった・・・とため息をついていました。

 肋骨のケガは3週間ほどで治り、練習も再開。一方的に攻めまくられただけの初めての組手稽古ではありましたが、なにか怖さを克服したというか「妙な自信めいたもの」が自分の中に出来ていました。これは自分でもとっても不思議な感覚でした。

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平成12年・冬の章

骨盤がぐるぐる立禅

 1年目の冬のある日のこと、いつものように立禅をしていると、背後から近づいてきた天野先生が、新しい課題を与えてくださいました。「立禅(正面向き)をしている姿勢で、両足とも地面に接地している状態で、片足で地面を踏みつけるとどうなるか、やってみてごらん・・・」と、重心はあくまで両足の中央にあるという前提である。やってみると解るのだが、「このときにもう一方の足が浮き上がろうとするような感じです」と先生に云うと、「そのときの骨盤の動きを観察してごらん、足と骨盤の関係、股関節の動きがどうなっているかを・・・」をいう言葉を残して離れていった。

 「骨盤と股関節の動きかぁ。うぅん・・・」と自分なりにやってみる。右足を踏みつけると接地したままで左足は浮き上がろうとし、このとき骨盤は右下がりに傾いている。左足で踏みつけると、骨盤は逆側に傾むく。これを何度かやってみると、股関節が僅かに動いて(傾いて)、緩んだり緊張したりする様子がうかがえる。ここで言う股関節とは、股や鼠径部ではなく、“斜め後ろのちょうど尻の脇あたり”にあたる部分である。この股関節の斜め後ろの部分は、後になってもっと大きな発見につながっていくのだが、この時は骨盤がぐるぐると廻る感じが面白くて、そればかりを味わっていた。

 半禅の姿勢でもそれをやってみると、右足が後ろにあるときには、骨盤の右側がよく廻り、左足が後ろにあるときには、骨盤の左側がよく廻る――はずであったが、右利きの私は左半身の動きがすべて不器用なようで、骨盤の左側は、なかなかスムーズには廻ってくれなかった・・・。

 天野先生が云わんとしている事がこのことなのかどうか、はっきりとは判らなかったのですが、私の自己流の「骨盤がぐるぐる立禅」は、骨盤の左側がスムーズに廻るようになるまで続けられました。

ゴックンで前進(歩法)

 この歩法も正式な名称がわからないので、便宜上、「片方向への歩法」ということにさせていただきます。この歩法の動きは、剣道やフェンシングを思い浮かべていただければ、大体わかり易いと思います。

 左手が前にある半禅の姿勢から少しだけ歩幅を広げ、腰を落とします。左足先が進行方向となるので、左手先も進行方向を指差すようにして、やや伸ばします。(肘は少しだけ曲がっている) 右手は体側に手のひらを下に向けて、バランスを取るようにします。左足で一歩踏み出し、素早く右足を引き付けます。このときの歩幅(右足と左足の間隔)は、逆に立禅のときよりも、やや狭くなります。この狭目の歩幅から、素早く踏み出し、素早く引き寄せるという動作を繰り返します。反対方向も同様に、右手右足を進行方向へ向けて行います。

 片方向への歩法を行う際の注意点のひとつ目は、後ろ足で蹴らないことです。ボクシングでも空手でも、大抵が後ろ足で地面を蹴る力で前へ進もうとしますが、太気拳では、もちろん全く後ろ足で蹴る力を使わない訳ではないのですが、できるだけそれを使わないようにします。ではどういうふうに歩を進めるのかというと、加速歩法のところで記述したように、体の重さをまっすぐ下に落とす力と、両足を引き裂く力(開く力)を同調させて、進行方向へ移動して行く力を発生させるのです。両肢の開く力で一歩前へ出て、両肢の閉じる力で後ろ足を引き付けるようにする――といった感じです。

 そして注意点の2つ目は、首と上体の動きにあります。素早く歩を進めようとすると、腰と下半身は前に行っても、慣性の力で上体はそこに残ろうとしますので、ややのけぞるような姿勢になってしまいます。ちょうどバイクが急発進しようとした時に、前輪が浮き上がり、ウイリーしてしまうような状態です。これを防ぎ、スムーズに前進して行くために、首の力(頭の重さ)を使います。一歩踏み出そうとするその瞬間に、少しうなずくようにして、首に一瞬だけ力を入れます。うなずくと言っても、ほんの1cmか2cmほどです。そして首に一瞬だけ力を入れるときのコツは、「ちょうど唾を呑み込むときのような感覚だよ」と天野先生にアドバイスをいただきました。実際にやってみると、唾を呑み込むような感じ、あるいは本当に飲み込んでみると、ゴックンとしたときに、頭がうなずきながら一瞬だけ首に力が入る様になるのがよく解ります。

「これってもしかしたら、いわゆる極意と呼ばれている類のものなのではないだろうか? だとしたら天野先生は何てすごいことを教えてくれるのだろう」と、一人ほくそ笑む富川でしたが・・・なんと天野先生は、セミナーの時には、会場のみんなにも教えていたのでした・・・。

おこがましい組手評論(エピソード)

 年も暮れ、忘年会のシーズンがやってきました。我らが横浜太気拳研究会(現・太氣会)においても盛大に忘年会が催されることとなり、12月の某日曜日の岸根公園での稽古の後に、横浜市内の中華料理店で・・・とのことでした。その日、私はちょっとした野暮用があり、「稽古には参加せずに、忘年会にだけ出るようにしよう」と思っていました。

 そして当日、集合時間より10分ほど早めにその中華料理店に到着したのですが、まだ誰も来ておらず、その後、10分経っても、20分経っても、誰一人として来る気配がなかったのです。「稽古が長引いているのだろうか・・・それにしても忘年会に出る人全員が、稽古にも参加しているなんて事があるのだろうか・・・昨日の土曜日の元住吉での稽古に出て、今日は忘年会だけに出席という人が、一人や二人いてもおかしくないのにな・・・」などと思いをめぐらせていた矢先、予定時間より30分ほど過ぎていたでしょうか、天野先生を筆頭に諸先輩の方々がやって来られました・・・だいぶお疲れの様子がうかがえます。よく見ると顔に青丹をつくっている人やわき腹を抑えている人がいて、天野先生はというと、拳を氷で冷やしながらの登場です。「あっ!これはもしかして、あの過激なことで有名な組手稽古をやったのか!」とまさにそのもしかしてでありました。

 このあと聞いた話では、横浜太気では、毎年、花見と忘年会の前と、合宿のときに組手稽古を行うとのことでした。この年、仕事の都合とかで、春の花見も夏の合宿も欠席していた私は、忘年会の前の組手稽古のことも露知らず、「なんだ、それならそうと言ってくれれば、野暮用なんて放っておいて、絶対稽古に行っていたのにー 」などと強がりを言ってみましたが、内心「知らなくて良かった・・」と胸をなでおろしていました。

 実際のところ自分自身、組手をやろうという心の準備もまだできていなかったし、素手・素面・防具なし・顔面あり、という太気拳の組手がどういうふうに行われるのか自分の眼で見てみないことには、どうもイメージが湧いてこないというか、空手やキックボクシングでのスパーリング経験はあるものの、太気拳の組手に対しては、「とにかく“怖い”という思いを払拭できずにいた」というのが本音の所でした。

 組手稽古を録画したビデオカメラの小さなモニターの中に、次々と各メンバーの組手の模様が映し出されていきます。私にとっては、始めて観る映像で、興味しんしんでした。それを観ていて、思うところがあり、恐る恐る先生に「あのー、今日の組手稽古に不参加なのにオコガマシイのですが・・・」と何か質問しようとすると、「それはオコガマシイ!」と一喝されてしまいました。それでも酒が進み、場も和んでくると、私の“オコガマシイ”見解や質問にも、天野先生はひとつひとつ丁寧に解説してくださいました。しかしながら富川には、いつものことながらどうも理解が及ばない・・・まぁ、やっていないのであたりまえです。「この次は、自分の体を使って、天野先生に説明していただいたことを確認してみよう!」と、次回の組手稽古に向けて気持ちが奮い立ってきた富川でありました。

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平成12年・秋の章

八方目の立禅

 以前に学生の頃の友人から聞いた話なのですが、少林寺拳法には「八方目」という用語があって、これは「四方、八方を敵に囲まれたときに、自分の目付けと意識で、四方八方を同時に観る」というようなことを聴いたことがある。 立禅しているときに、ふとそんな事を思い出し、ちょっと試してみました。まず目の前の風景に対して、左右に視界の幅を広げていって、できるだけ広い範囲を捉えてみる。次に、横、斜め後ろ、真後ろに向かって何らかの気配を捉えられるか、意識を向けてみる。聴覚だけが頼りなのか?あとは気配や殺気を感じる第六感を鋭敏にすることも可能なのであろうか?

 そういえば立禅や這いをしている時に、天野先生が私にアドバイスをするために歩みよって来る時には、大抵は、背後から足音を忍ばせながら、こっそりと来られる様な気がしているのは、私の思い過ごしであろうか。だいたいは枯れ葉や枝を踏む足音で気がつくのだけれども、もしかしたら先生はそういう気配や殺気を感じるための訓練の意味も含めて、背後からこっそりと近づいていらっしゃるのではないだろうか。

 この頃は、練習メンバーが多かったせいなのか、私の立禅や這いに対してのアドバイスも少なかったようで、練習が少々退屈で、時にはかったるく思えたりもした時期でした。それで前述の「八方目の立禅」をやったり、「瞑想的立禅」など、ちょっと自己流にアレンジしてやっていました。ただ冬になる頃にはまた新しい課題をいただいたので、自己流を模索していた退屈な時期は、そう長くは続きませんでした。

背中パンパンの這い

 這いの練習をやっていた時に、R先輩が近づいてきて、もっと本格的なやり方を教えてくださった。これははっきり言ってこの頃の自分にはかなり辛いものでした。

 この本式の這いのやり方の、歩法に要求される留意点は、<春の章>に記述した這いとほとんど同じなのですが、ただもっと腰を低く、足腰に負担をかけて行うように、とのことでした。そして両手は目の高さに揚げ、目線は5mほど先の地面に置きます。ゆっくりと歩を進めていきますが、この時の注意点は、半身にならないことです。例えば、左足に重心が移ったときには、右の肩が前に出ようとします。右肩が前に出て、半身になると、何故かは解らないのですが、足腰の負担が減り、少し楽になります。これをあえて楽にならない方を選び、常に上体がまっすぐ前を向いたままで歩を進めていきます。

 もうひとつの注意点は、額と両肘を胸の位置関係にあります。まずアゴを引いて頭上に引っぱられているように意識をもちます。前進するときも後退するときも、けっしてアゴを出さずに、頭が上に伸びていくようにして首を立てておくのです。そのうえで額と右肘と左肘の3点が先導していくような感じで、胸の中央は逆に引っ込んでいるような感じにします。ちょうど三角の布を船の帆のように見立てたときに、布の角が額と右肘と左肘に繋がっていて、前からの逆風を受け、胸のまん中が丸く引っ込んでいるようなイメージです。但しこれはR先輩に言われたことを私なりに勝手にアレンジしたものなので、これが本来の姿なのかどうかは判らないのですが・・・

 実際にこういう形で這いをやっていると、後退するときの方が、形をキープしやすいことがわかります。前進するときには、どうしても肘が上体に近づいてきてしまいがちです。これを防ぐために、前述の帆を張るイメージが、私の場合はとても役に立ちました。しかしながらこの本式の這いはかなりきつく、10歩ほど前進と後退を行っただけで、背中や足腰の筋肉がパンパンになってしまいます。そしてこの時には、これこそが本物の這いであると思い込んでいたのですが、後になって天野先生に言われたのは、形は同じなんだけれども、もっと楽に行える這いでした。これは別にR先輩に教えていただいたことに間違いがあった訳ではなく、私が自己流でアレンジした「帆を張る」をいう形が間違っていた訳でもないようなのですが、ではどういうことなのかというと、形はそれで正しいのだけれども、意識の持ち方と、這いで動いていくときの体の(中の)使い方が違っていたのです。それが解る(出来る)ようになると、同じ形の、同じように腰の低い這いでも、全くと言っていいほど背筋や足腰の筋肉に負担がかからなくなるのです。

 「楽に行える低い姿勢の這い」――それには一体、どういう目的があり、どういう効果があるというのでしょうか? それは後々、明らかになっていくことでしょう・・・

 ※)この「楽に行える低い姿勢の這い」の方法は、<平成13年・夏の章>に掲載の予定です。

てんでバラバラの手足(推手)

 ズルズルと押込まれたり、ポンポンと軽くあしらわれたりしながらの推手。どうも手と足の動きがバラバラのような気がする。手はぐるぐる廻しながら相手を押したり、相手に押されるのをぐっと押し返したり、足は押される時には後退し、自分から押そうとする時には前進する。だけど「手と足を合わせる」ということが、何をどう合わせればよいのか、というあたりがどうもよく解らない。でも何かが違っているような気はしている・・・。

 稽古が終わってから、天野先生にこの辺のところを尋ねてみました。まず歩法。これは常に片足で立つ。片足にだけ重心がまとまってあるようにしながら動くということ。6:4とか7:3とかの中途半端な状態を作らないこと。それには這いの歩法を思い出し、這いの形を推手の中でも常に意識しておくこと。次に手というか、上半身の形。これは常に立禅、半禅の形を意識しておくこと。肩はゆったりと下げたまま、胸よりもややせり出す感じ(胸は引っ込む)、肘は常に肩の前にあり、動きは最小限にする。手指と手首の緊張を使って前腕に張りを作り出し、前腕の回転も最小限にして、腕の力ではなく、禅の力、体の中心の力、体の軸の力を使って相手に圧力を掛けていく――とのことでした。
  何のことはない、答えは、立禅・半禅と、這いの練習の中にあったのだ。なんと単純にして明解。しかしこの単純にして明解なことが、自分の体を使って実現しようとすると、複雑にして難解と思えてくる。複雑にしてしまうのは、自分の考え方ひとつだとしても、難解だけは残ってしまう。残ってしまった難解は、それを課題として、一人練習の立禅、這いの中でじっくりと自分を見つめ、課題に対しての答えを模索するしかない。これがまた太気拳の練習の醍醐味でもある。この練習の成果がフィードバックされて、推手の上達が感じられるようになると、脳内にドーパミンが溢れ出し、太気拳の練習がますます楽しく思えてくるのです。

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平成12年・夏の章

立禅の中での開合の力

 前後の立禅の次に天野先生に教えていただいたのは、腕と胸のあたりの「開合の動き(力)」でした。立禅で手を顔の前におき、親指を曲げてぐっと起こすようにすると、親指の第二関節の後ろに角張った部分ができます。左右のこの部分にゴムバンド繋がっているような意念を持ち、少しだけ緩めたり広げたしてみます。このときに腕の外側や肩の筋肉を使いがちとなってしまいますが、これとは逆に腕の内側を意識することと、胸が閉じたり開いたりする感覚を味わってみる様にするとよい、とのことでした。これが太気拳の体の使い方のひとつのコツで、打拳や歩法を含む全ての動き方のコンセプトになっている「開合の力」の練習の第一歩でした。

立禅の効果

 立禅の効果とは、いったいどれくらいの期間で出てくるものなのでしょうか。物の本には、一年とか三年とか、気の遠くなるようなことが書いてあったりします。しかも「毎日1時間、雨の日も風の日も休まずに」とのこと。太気拳を始めるにあたり、それなりの覚悟はありました。立禅とはいったい何なのか、効果が出始めるまでに一体どれくらいの時間がかかるのか皆目見当がつかない――でもやれるだけのことはやってみよう。とにかく最初の1年は続けてやってみよう――そう思って始めました。

 そして実際に効果が実感できたのは、3ヶ月目を少し過ぎた頃で、これには正直、自分でも驚いてしまいました。天野先生に教わっていたのは、立禅(正面向き)と半禅(右向きと左向き)、その中での「前後の動き(力)」と「開合の動き(力)」のみでした。そして先生に要求された点は、この動き(力)ということに対して、「僅かな緊張」と「完全なる弛緩」の状態を味わうこと、感じること、にありました。

 極真空手やボクシングを習っていた頃、ミット打ちやサンドバッグ打ちがどうも苦手でした。先輩達は「バンバン」「ボンボン」という感じで、カッコ良く打っているのに、私がやるとどうも「パスパス」といった感じで、超カッコ悪ィなのです。それでも週に1~2回の練習を3~4ヶ月と続けていると、すこしは「バンバン」に近づいてくるのですが、「これは慣れやコツといったこともあるのかもしれませんが、やはりスタミナが無いとできないんじゃないかな」と思い込んでいました。というのは、たまに仕事が忙しくて暫く練習を休んだりすると、サンドバック打ちがまた元の「パスパス」に戻ってしまっていて、再び「バンバン」にたどり着くまでには、また2~3週間は掛かってしまう――そんな経験を何度となくしてきていたからです。

 実は立禅を始めて3ヶ月を過ぎた頃に感じた効果のひとつは、このサンドバッグを打つ感じでした。どうも胸のあたりの筋肉がムズムズして、無性にサンドバッグが叩きたい感覚が体にまとわりついていてしょうがないのです。そこで早速近くのスポーツジムへ行き、サンドバッグを叩いてみました。するとどうでしょう(あら不思議)、もう半年以上もそんなもんとはご無沙汰だったにもかかわらず、ちゃんと、というか以前よりももっとしっかりと「ボンボン」とパンチが打てるのです。どうもなにか「貯まっていたエネルギーを使えることに体が喜んでいる」といった感じだったのです。

立禅の効果つづき

 またある日のこと、立禅をしていると無性に走り出したくなったことがありました。この頃は、ジョギングもしていなかったし、もちろんダッシュもやっていなかったのに・・。それでちょっと立禅をやめて、ダァーと50メートル程でしょうか公園の中を走ってみました。足の筋肉が喜んでいるのがよくわかります。走って、走って、走って、走って、走って、足の筋肉が嬉しいと云っています。とても不思議な感覚でした。

 この件を天野先生に聞いてみました。「立禅をしていて、ダッシュをしたくなったんですけど、これは何故なのでしょうか?」と。先生の説明はざっとこんな感じでした。「立禅の中ではいつも中途半端な状態を維持しつづけている。開合をとってみても、グワッと大きく開いたり、グッと手と手を合わせて閉じるという動きはしない。あくまでも立禅の姿勢の中で動かしてよいのは、せいぜい1cmか2cmくらいなもの。そうしていると体がムズムズしてきて爆発的な力を出したくなる。立禅や半禅の姿勢は、一体どういう形なのかというと、全身の各部がちょうど良く中途半端になっている状態にある」――ということでした。この説明を聞いて「なるほど!」と納得の富川でした。

 暗中模索の中、教えられるままに、立禅の中での前後の力と開合の力を味わっていただけの3ヶ月間。そして自分の体の何かが変わって、それに対する明確な理由付けをいただいた。このことは、私が後々、太気拳の稽古を続けていく上で大きな礎(いしずえ)となる貴重な経験でありました。

 それはつまり順序だてて言うと次のようになります。 
 1.先生が何か新しい事を教えてくださる。
  「こういう風にすると、こうなるでしょう」と説明してくれる。 
 2.自分は今ひとつ理解が及ばない。とりあえず何回かやってみていると、少し動きがスムーズ
  になってくる。  
  でも先生が言わんとしていることには、どうも話が繋がってこない。 
 3.二日、三日と先生の言葉を思い出しながら、繰り返しその動きをやっていると、自分の体の
  中に「あっ!先生はこの事を、この感覚のことを言っていたんだな!」とあるとき突然に理解
  する。これがひとつのことの場合もあるし、2つ3つの事が芋ずる式に出てくる場合もある。
 4.自分の体を通してて感じたことを先生に確認してみる。たいていは1のときに既に言われた
  説明であるが、それに理由付けも加わって、よりいっそう理解が深まる。というか自分の体の
  感覚を明確な言葉で説明していただいて気持ちがとてもすっきりする。

 これは天野先生に教えていただくひとつひとつの全てのことに当てはまります。そして段階を追っていくと、立禅→這い→推手、という単調な練習の中に奥行きが出てきて、そこからまた別の課題を与えられ、新しい発見がある。これが太気拳の稽古の一番の喜びであります。

ジグザグ歩法と加速歩法

 この年の夏、新しい歩法を教えていただきました。這いの歩法に比べてやや腰高で、初めはゆっくりと確実に行い、その後、徐々に速度を上げていき組手のときと同じ速さにしていきます。

 初めは手を体側に広げてバランスを取りやすいようにして、足腰の安定とバランスを重視して行います。やや斜めに踏み出して、右、左、右、左、とそのつど軸足の一本だけでスッと立っているようにします。一歩進む毎に、ピタッ、ピタッと片足だけで上体をまっすぐにして止まるイメージです。(膝はやや曲がっている) この時に遊足が軸足の横にあると体が左右に振れやすいので、遊足の踵を軸足のつま先の真上に重ねるようにします。こうすることにより、股関節も閉じ、左右のバランスが取りやすくなります。

 足腰と全体のバランスが取れるようになってきたら、次に手をつけて行います。手首が目の高さになるように両手を前に挙げ、右足が軸足の時には右手が、左足が軸足の時には左手が、顔面をガードするような位置を取り、もう片方の手は同じ高さで、常に両腕の手首から肘までが平行に、やや前後しながら動くようにします。そして後退(後ろ向きに進む場合)も同様に練習します。ここまでは這いの鍛錬を行っていれば、そこそこ簡単にできてしまうのですが、次の加速歩法は、ちょっと難しいかもしれません。

(注記)「ジグザグ歩法」、「加速歩法」という呼称は、私が勝手につけたもので、正式には何と言うのかわかりません。ただ便宜上、呼び名がないと説明しにくくなってしまうので、それらしくネーミングをさせていただきました。

 前述のジグザグ歩法ではフットワークとして、スピードを上げていくのには、おのずと限界があります。特にに足が揃っている状態から一歩踏み出すときに、ワンテンポ遅れるというか、足(股関節)を開く力に初動の加速力がつきません。そこで加速歩法では、軸足を一瞬、進行方向とは逆の方向に、一足分ほどずらすことで、股関節を開く力に加速をつけるようにするのです。

 要領としては、大体次のようになります。

 【前進するとき】
 1.最初、左足が軸足で、その上に骨盤および上体がスッとまっすぐに立っているように
します。軸足の膝は少しだけ曲がり、遊足がある右足の踵は左足つま先の上に
浮いている状態におきます。 
2.次に右足を右斜め前へ一歩踏み出す訳ですが、その前に左足を左斜め後へ一足分
ずらします。そしてその反動で右足を前へ飛ばし、右足が接地したと同時に左足を引
寄せます。(引き寄せた左足の踵が右足つま先上に浮いているようにする) 
3.同様にして、右足を右斜め後に一足分ずらした反動を使って、左足を左前方へ踏み
出し、接地したらすぐに右足を引寄せます。

 【後退するとき】
 1.最初、左足が軸足で、右足の踵が左足のつま先上にあるとすると。 
2.右足を右斜め後へ一歩後退させるために、一瞬だけ左足を左斜め前に一足分ずらし、
その反動を使って右足を右斜め後ろへ一歩後退させ、接地したと同時に左足を引寄せ
ます。 
3.同様にして、右足を右斜め前に一足分ずらした反動で、左足を左斜め後ろに一歩後
退させます。

 どの状態の時も上体はほとんどまっすぐで、軸足の上で大きく傾くことは無いようにします。

 【軸足のシフト】
 上記の説明の中で、特に「軸足を進行方向とは逆方向に一足分ずらす」という部分が解りにく 
 いと思いますので補足いたします。 「軸足を進行方向とは逆方向に一足分ずらすこと」を便
 宜上、「軸足のシフト」とネーミングしましょう。シフトには、「入れ替える」「切り替える」「ずれる」
 「ずらす」等の意味があります。 軸足のシフトを行なうときのまず第一の注意点は、上へ飛び
 上がらないことです。逆に下に沈み込むようにして行います。どの足をどちらへシフトさせる場
 合も同じで、骨盤から頭頂までがまっすぐになっている上体を、まっすぐそのままで、真下にズ
 ンッと重心をかけて落とします。そしてこのとき同時に軸足のシフトを行なうのです。

 文房具のコンパスに例えるなら、通常その先端には鉛筆と針とがついていますが、これが、両
 方に鉛筆がついていると考えてみてください。このコンパスを2cmほど広げてある状態にし
 て、机などに押付けていくと両足が均等に広がって行こうとします。この状態をイメージして、
 自分の両方の足を一足分だけズズッと広げてみてください。初めは、ずらす前もずらした後も
 両足が接地しているようにします。何回かやってみて、この感覚を体が覚えたようになった
 ら、今度は両足をズズッとずらした直後に片足だけを地面から少しだけ(1cmほど)浮かせてみ
 ます。このときに自分の上体は、設置している足とは反対の方向へ自然に動いていこうとする
 はずです。この自然に動いていこうとする力に、股関節の開く力を同調させて加速させるよう
 にしていきます。

推手で飛ばされる

 推手の練習も3ヶ月を過ぎる頃になるとだんだんと要領を得てきます。表面的な体の動きができてくると、次に要求されることは、「自分の中心を守って、相手の中心を奪うこと」だと天野先生は言われます。富川はどうも理解が及びません。「自分の中心を守る」ということには、どうも2つの意味があるようです。ひとつ目は自分のどちらかの手が常に自分の顔の前にあり、顔面を(自分の中心を)守るようにするということ。もうひとつは、自分の体の重心がしっかりとしていて、その重さの方向が常に相手の中心に向かっているということです。

 しかしながら、実際にはそう簡単にことは運びません。古参の大先輩であるRさんと手合わせする時などは、全くなすすべも無いといった感じになってしまうのです。手を廻しながら、全体重を前腕を通して相手に押し当てていっているつもりが、ズルッと去なされてしまったり、体の中心の守りの甘い私の両手の間をいとも簡単に通り抜けたR先輩の掌が私の胸元に触れ、アッと思った瞬間にズズッと押込まれ、体が浮いてしまい、後はもうポンポンポンポンという感じになってしまいます。

 天野先生に相手をしていただくときには、また感じが違います。相手の悪い点を指摘しつつも、正しい方向へ導いてくれる(誘導する)ような推手をしてくれている様なのです。とは言っても入りたての頃とは違って、だんだんと厳しくもなってきます。先生に発力されるとほんとうに後ろへ3m~4mはふっ飛んでしまいます。たいていは手をつかんで停めてくれるのですが、回転方向に崩されたりすると、勢いあまって転がってしまうこともあります。うぅーん、推手とはなんと厳しく、奥の深いものなのでしょうか。でも、またそれが楽しいんだけどね・・・ (^^; 

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平成12年・春の章

入門後の印象

 平成12年の春、一度練習を見学させて頂いて、次週から入会という形をとりました。何を習うにしても、先生との相性や、その団体や組織のもつ雰囲気が、自分に合うかどうか、要は居心地が良いかどうかというのが、それを長く続けられるためひとつのポイントになると思うのですが、天野先生はとても気さくな方で、親切丁寧に説明してくれるし、ちょっと顔が怖くて稽古のときには厳しい先輩達も、稽古のあとには「とにかく長く続けるように頑張って下さいネ」と声を掛けてくださり、気持ちの上で受け入れられているんだなという安心感がありました。

立禅の中の前後の力

 入門して初めて習った立禅は、「立禅(正面向き)」と「半禅(右向き)」と「半禅(左向き)」の3種類でした。立禅は足を肩幅に開き、足先はやや外側を向け、膝を閉じ気味にして、手は大木を抱えるように顔の前に置き、手のひらを自分の方へ向け、指を開く――おおざっぱに言うとこんな感じです。立禅の中で、初めて天野先生に教えていただいた事は、「前後の動き(力)」でした。立禅で立っている状態から重心をつま先に移していく。そして踵が地面から離れそうになった瞬間に、手の甲が壁にあたったように感じて、ピタッと止まってみる。次に重心を後ろに移していく。同じようにつま先が地面から離れそうになった瞬間に、背中の上の方(首の付け根あたり)に僅かに緊張を持たせて、その力で動きをピタッと止めてみる。

 実際に自分で上体を前後させながらこれをやってみると、「壁」をイメージした時と、していない時の違いがはっきりと判ってくる。つまりこれが「意念」ということであるらしい。「なぁんだ、それってイメージトレーニングの事なんじゃないの。じゃあ『意念=イメトレ』だな」などと、自分勝手に解ったようなつもりになってしまいました。

 そしてもうひとつ、先生の言うところの「僅かな緊張」――実はこれが曲者です。確かに、後ろに行きそうになった時に、背中の上のあたりをグッと力んでみると、動きは止まるのです。でもしかし、この「力む」ということと、先生の言うところの「僅かな緊張」とはどうも違うらしいのです。この辺がどうも難しいというか、奥が深そうでなのです。

這いの歩法

 入門した初日に、這いの歩法も教えていただきました。這いのやり方には何種類かあるらしいのですが、私が最初に習った這いは、比較的、楽に行えるものでした。たぶん「最初から本式のきつい這いのやり方をさせると、根性のない富川はすぐに辞めてしまうだろう」と先生が気を使って下さったのかもしれません。

 その這いは、手を体の横にヘソの高さあたりにおいて、腰をあまり落とさずに、目を前方へ向けゆっくりと歩み、進んでいく――というものでした。このときの注意点は、寄せ足と重心移動の2点でした。

 例えばいま、右足が前にあり、上体の重心も右足上にある時に、左足が後方にあるとしましょう。つぎに左足を軸足である右足に近づけていくのですが、この動作の中に色々な要求事項がありました。
 1.左足を引き寄せる前に、靴裏全体を地面から1cmほど浮かせてみて、上体が
  ふらつかないこと。重心が右足一本ににしっかりと乗っていて、上体が右に
傾いたりしないことを確認する。
 2.動き初めは、最初に外を向いていた左足のつま先を右足(軸足)の踵の方へ向
け、左足のつま先が右足の踵を目指して進んでいくように意識すること。
 3.また同時に、左足の膝頭が右足の膝裏にピタリと合体するように意識して、
左足を引き寄せていくこと。
 4.また同時に、左足が大腿部まで田んぼの泥の中に浸かっていて、その抵抗を
感じながら、左足を引き寄せていくこと。
 5.また同時に、脚の筋力を使うのではなく、股の閉じる力を感じて引き寄せる
こと。
 ―――という具合です。

 これでやっと左足が右足の所まできてくれたので、次は左足を一歩斜め前へと踏み出していきます。
 1.今は右足が軸足になっていて、左右の足が並んで揃ってはいるが、重心は右足
一本にあり、左足裏は地面からやや浮いている状態で、両膝ともが少し曲がっ
ている状態です。この右足に重心が掛かったままの形から左足をそろそろと斜
め前方に出して行きます。
 2.右足のつま先の親指から左足の踵が引き裂かれていくように意識すること。
 3.また同時に、左膝裏が右膝頭~引き裂かれていくように意識すること。
 4.また同時に、田んぼの泥抵抗を意識しながら、左足を出していくこと。
 5.また同時に、脚の筋力を使うのではなく、股の開くる力を意識して左足を出し
ていく事。
 ―――と、ここまでの動作でやっと左足を一歩前に踏み出すことができました。

 そして次に何をするのかというと、体の重心を右足上から左足上へと移していきます。分解して説明すると次のようになります。
 1.重心を移動させるということは、腰と上体を右足の上から左足の上へ動かし
ていくことです。上体は常にまっすぐに立っているという前提で、骨盤(腰)
に着目します。そして骨盤に繋がっている右足のつけ根部(股関節)を意識し
ます。
 2.骨盤が右足上から左足上へと移動していくときに、右の股関節と左の股関節
が「グリグリ、グリグリ」と動いていくように感じます。
 3.またこの時に、左の膝が自然に少しずつ前にせり出して行きますから、この
膝のすぐ下あたりに氷が張っていて、その氷を「バリバリ、バリバリ」と砕
いていくように意識します。
 4.またこの時に、太ももの前面の筋肉はできるだけ力まないようにして、太もも
の後ろ側の筋肉(ハムストリング)と背中に僅かな緊張を感じるようにします。
 5.骨盤が完全に左足の上まで移動し終わったら、まだ後ろにある右足を少しだけ
浮かせてみて、上体がふらつかなければ良しとします。
 ―――以上の動作を繰り返しながら、ゆっくりと前進と後退を行います。

訳のわからない推手

 推手とはいったい何なのだろう。端から見ていると単なる腕と腕で押し合っているようにしか見えないのだが、その練習方法に内包される要求事項には、けっこう奥の深いものがあるようなのです・・・

 とりあえず最初は足を使わずに、手の廻し方から。手首から肘までの前腕部を用い、相手の前腕部と絡めて廻しながら上になったり下になったり。つまり最初に前腕の内側で相手の腕を押したら、次はぐるっと廻って前腕の外側で相手の腕を押すようにします。(相手側はこれの逆をやっている) そして自分と相手とが向かい合い、両手をぐるぐる廻しながらこれを行うのですが、要領を得るのに多少時間が掛かります。お互いがぐるぐるとスムーズに腕を回せるようになってきたら、二人同時に一歩前へもう一歩前へ、一歩後へもう一歩後へ、と歩を進めてみます。前に出るときも、後に下がるときも常に相手に圧力を掛けていることが大切なようです。つまり前腕は単にぐるぐると廻しているのではなく、相手の腕を右へ左へと払うのでもなく、常に前へ前へと相手の中心に向かって行く方向に、力を出し続けるようにすることが最初に要求されます。

 とりあえず初めの頃はこんな要領でやっていきますが、これが結構きついのです。前腕をぐるぐる廻して相手と押し合いながら、前へ、後へと足も合わせて動かしていくのですが、シャドーボクシングのような激しい動きではないしにしても、さすがに一人と4分から5分ぐらい相手をして、「交代!」と言われてまた4分から5分ぐらいやる。これを40分から長い時には50分もやっているので、途中からは結構、息も上がってきます。ただメンバーの人数が奇数の時には、途中どこかで自分に休憩の順番が廻ってくるので少し楽ちんです。(偶数人数の時にはそうもいかない)だけど拳法で強くなるためには、つらい稽古も楽しくこなしていかなければならないのに、「今日は奇数人数だからラッキー (^-^) 」 と喜んでしまう自分が、少し情けなく思えたりもするのです。

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会員・会友員のテクスト 富川リュウの太気拳修行記

富川リュウの太気拳修行記 プロフィール

はじめに

 私は、富川リュウ(ハンドル名)と申します。30代の会社員(入会当時)で横浜市内に在住しています。天野 敏(さとし)先生の主宰する、太氣至誠拳法・太氣会へは平成12年の春に入会いたしました。  太氣会のホームページの開設にあたり、何か手記を――との依頼があり、入門当初の頃より書き溜めていたメモやノートを読み返して見ているうちに、自分でも書き記しておきたいことが色々と出てきてしまい、「入門当初のことにまで、さかのぼって書こう!」という思いに至りました。  この原稿の内容は主に、立禅、這い、歩法、推手、を中心に書き進めておりますが、後々、組手稽古の模様や先生や先輩方々のエピソード等も書き加えていきたいと考えています。

私の武歴

 武歴などというと少々おおげさですが、この原稿を書くにあたり、私という人間の経歴を知っておいていただいた方がよいと思いますので、概略程度に説明させていただきたいと思います。 子供の頃は体が弱く、いつも風邪をひいていました。運動神経も鈍かったようで、小学校の体育の授業で跳び箱が跳べるようになったのはクラスで一番最後の3人の中に入っていましたし、ソフトボール投げの飛距離はクラスの男子の中で最下位でした。この頃、あのブルース・リーのブームが起こり、素早いパンチやサイドキックなどにとっても魅了されていました。自分でヌンチャクを作って遊んだりもしていましたが、ひ弱な体質から、はなから無理と思い込んでいたのか、格闘技に対する思いはそれほど強くはなく、テレビでプロレスやキックボクシング等を観ることもほとんどありませんでした。 中学生になると、背がグッと伸び体力も少しずつですが、ついてきた様でバスケットボール部のボール拾い係として活躍していました。というのはずっと補欠だったからです。この頃からスポーツをやって汗を流すことは嫌いではなかったのですが、いかんせん何をやっても人よりも上達が遅いので、途中でイヤになってしまうことが多かったような記憶があります。 高校に入っても運動神経は開花せず、テニス部に入りましたが2年で辞めてしまいました。後輩達がどんどん上達して自分を追い越していくようになると、なんとなく居心地が悪いように感じていたのかもしれません。 上京して就職し、運動不足ぎみだったので20才の年からスイミングスクールへ入って、水泳を習い始めました。これが自分にはとっても合っていた様で、1年でかなり上達し、体重も増え、鈍かった運動神経もだんだんと繋がり始めたようでした。スイミングスクールへの登録は、入っている期間とそうでない期間もありましたが、プールへ行って泳ぐことは、しっかりと私の生活習慣の一部となって根づいていて、週に一度は泳いでいました。 29才で結婚しましたが、まだ週に一度の水泳の習慣は続いていました。そしてこの年の夏、昔から心のどこかで燻っていた思いから、格闘技を始めようと思い立ちました。 はじめは少林寺拳法を1年ほど、それから極真空手を2年、大道塾、骨法はともに1年未満、その後、キックボクシングを2年ほどやりました。また合気道やボクシングジムにも少しだけ行っていました。太氣会に入会する時点においての私の格闘技歴は、途中のブランクの期間を除くと、「6年と少々」といった所でしょうか。

太気拳入門のきっかけ

 30代も後半にさしかかると、スタミナが低下し、ケガの直りが遅くなり、疲労の回復にも時間がかかるようになってきて、空手やキックボクシングを続けていくのが、だんだんと辛くなってきました。そうなってくると不思議なもので、格闘技に対する情熱も冷めてきてしまい、しばらく何もやらなかった時期もありました。そんなとき中国拳法や古武道をあつかう雑誌を見て、年をとっても強くなれる世界を垣間見たような気がして、「これなら出来るかな」から「これからでももっと強く成れるかも知れない」という想いがつのり、その雑誌の後ろにあった道場ガイドに、天野 敏 先生の主宰する「横浜太気拳研究会(現・太氣至誠拳法・太氣会)」を見つけ、時間と場所が私の希望どうりでしたし、「武術班と健身班に分かれて云々・・」という記述があり、「はじめは健身班ということで入って、自分で出来そうだったら武術班へ移るということにすれば、最初からボコボコにされる事はないだろう」と考えて入門を決めました。

入門に際しての不安

 先に「入門を決めました」と書きましたが、実際には、そう決めるに至るまでに色々と不安な点もたくさんありました。立禅に代表される、一見、単調に見えてしまう練習体系、あとの練習は、這いや推手等々と書いてあっても、一体全体それがどういう練習で、どういう目的で行われるものなのかも、何も知識が無かったからです。また室内ではなく、公園での練習のため、夏は暑く、冬は寒い、という当然の事実。練習時間が午後2時から6時までととても長く「大丈夫かなぁ、俺にもできるかなぁ」と思ったこと。(ちなみに現在は2時から5時ということに改められています) という様に、数え上げればきりが無いほどの懸念点や不安材料が目白押しでした。それでも太気拳への入門を決心させたのは、私の心のどこかに「次はこれをやるんだ」「とにかくやってみよう」という何か不思議な確信めいたものがあったからです。