骨盤がぐるぐる立禅
1年目の冬のある日のこと、いつものように立禅をしていると、背後から近づいてきた天野先生が、新しい課題を与えてくださいました。「立禅(正面向き)をしている姿勢で、両足とも地面に接地している状態で、片足で地面を踏みつけるとどうなるか、やってみてごらん・・・」と、重心はあくまで両足の中央にあるという前提である。やってみると解るのだが、「このときにもう一方の足が浮き上がろうとするような感じです」と先生に云うと、「そのときの骨盤の動きを観察してごらん、足と骨盤の関係、股関節の動きがどうなっているかを・・・」をいう言葉を残して離れていった。
「骨盤と股関節の動きかぁ。うぅん・・・」と自分なりにやってみる。右足を踏みつけると接地したままで左足は浮き上がろうとし、このとき骨盤は右下がりに傾いている。左足で踏みつけると、骨盤は逆側に傾むく。これを何度かやってみると、股関節が僅かに動いて(傾いて)、緩んだり緊張したりする様子がうかがえる。ここで言う股関節とは、股や鼠径部ではなく、“斜め後ろのちょうど尻の脇あたり”にあたる部分である。この股関節の斜め後ろの部分は、後になってもっと大きな発見につながっていくのだが、この時は骨盤がぐるぐると廻る感じが面白くて、そればかりを味わっていた。
半禅の姿勢でもそれをやってみると、右足が後ろにあるときには、骨盤の右側がよく廻り、左足が後ろにあるときには、骨盤の左側がよく廻る――はずであったが、右利きの私は左半身の動きがすべて不器用なようで、骨盤の左側は、なかなかスムーズには廻ってくれなかった・・・。
天野先生が云わんとしている事がこのことなのかどうか、はっきりとは判らなかったのですが、私の自己流の「骨盤がぐるぐる立禅」は、骨盤の左側がスムーズに廻るようになるまで続けられました。
ゴックンで前進(歩法)
この歩法も正式な名称がわからないので、便宜上、「片方向への歩法」ということにさせていただきます。この歩法の動きは、剣道やフェンシングを思い浮かべていただければ、大体わかり易いと思います。
左手が前にある半禅の姿勢から少しだけ歩幅を広げ、腰を落とします。左足先が進行方向となるので、左手先も進行方向を指差すようにして、やや伸ばします。(肘は少しだけ曲がっている) 右手は体側に手のひらを下に向けて、バランスを取るようにします。左足で一歩踏み出し、素早く右足を引き付けます。このときの歩幅(右足と左足の間隔)は、逆に立禅のときよりも、やや狭くなります。この狭目の歩幅から、素早く踏み出し、素早く引き寄せるという動作を繰り返します。反対方向も同様に、右手右足を進行方向へ向けて行います。
片方向への歩法を行う際の注意点のひとつ目は、後ろ足で蹴らないことです。ボクシングでも空手でも、大抵が後ろ足で地面を蹴る力で前へ進もうとしますが、太気拳では、もちろん全く後ろ足で蹴る力を使わない訳ではないのですが、できるだけそれを使わないようにします。ではどういうふうに歩を進めるのかというと、加速歩法のところで記述したように、体の重さをまっすぐ下に落とす力と、両足を引き裂く力(開く力)を同調させて、進行方向へ移動して行く力を発生させるのです。両肢の開く力で一歩前へ出て、両肢の閉じる力で後ろ足を引き付けるようにする――といった感じです。
そして注意点の2つ目は、首と上体の動きにあります。素早く歩を進めようとすると、腰と下半身は前に行っても、慣性の力で上体はそこに残ろうとしますので、ややのけぞるような姿勢になってしまいます。ちょうどバイクが急発進しようとした時に、前輪が浮き上がり、ウイリーしてしまうような状態です。これを防ぎ、スムーズに前進して行くために、首の力(頭の重さ)を使います。一歩踏み出そうとするその瞬間に、少しうなずくようにして、首に一瞬だけ力を入れます。うなずくと言っても、ほんの1cmか2cmほどです。そして首に一瞬だけ力を入れるときのコツは、「ちょうど唾を呑み込むときのような感覚だよ」と天野先生にアドバイスをいただきました。実際にやってみると、唾を呑み込むような感じ、あるいは本当に飲み込んでみると、ゴックンとしたときに、頭がうなずきながら一瞬だけ首に力が入る様になるのがよく解ります。
「これってもしかしたら、いわゆる極意と呼ばれている類のものなのではないだろうか? だとしたら天野先生は何てすごいことを教えてくれるのだろう」と、一人ほくそ笑む富川でしたが・・・なんと天野先生は、セミナーの時には、会場のみんなにも教えていたのでした・・・。
おこがましい組手評論(エピソード)
年も暮れ、忘年会のシーズンがやってきました。我らが横浜太気拳研究会(現・太氣会)においても盛大に忘年会が催されることとなり、12月の某日曜日の岸根公園での稽古の後に、横浜市内の中華料理店で・・・とのことでした。その日、私はちょっとした野暮用があり、「稽古には参加せずに、忘年会にだけ出るようにしよう」と思っていました。
そして当日、集合時間より10分ほど早めにその中華料理店に到着したのですが、まだ誰も来ておらず、その後、10分経っても、20分経っても、誰一人として来る気配がなかったのです。「稽古が長引いているのだろうか・・・それにしても忘年会に出る人全員が、稽古にも参加しているなんて事があるのだろうか・・・昨日の土曜日の元住吉での稽古に出て、今日は忘年会だけに出席という人が、一人や二人いてもおかしくないのにな・・・」などと思いをめぐらせていた矢先、予定時間より30分ほど過ぎていたでしょうか、天野先生を筆頭に諸先輩の方々がやって来られました・・・だいぶお疲れの様子がうかがえます。よく見ると顔に青丹をつくっている人やわき腹を抑えている人がいて、天野先生はというと、拳を氷で冷やしながらの登場です。「あっ!これはもしかして、あの過激なことで有名な組手稽古をやったのか!」とまさにそのもしかしてでありました。
このあと聞いた話では、横浜太気では、毎年、花見と忘年会の前と、合宿のときに組手稽古を行うとのことでした。この年、仕事の都合とかで、春の花見も夏の合宿も欠席していた私は、忘年会の前の組手稽古のことも露知らず、「なんだ、それならそうと言ってくれれば、野暮用なんて放っておいて、絶対稽古に行っていたのにー 」などと強がりを言ってみましたが、内心「知らなくて良かった・・」と胸をなでおろしていました。
実際のところ自分自身、組手をやろうという心の準備もまだできていなかったし、素手・素面・防具なし・顔面あり、という太気拳の組手がどういうふうに行われるのか自分の眼で見てみないことには、どうもイメージが湧いてこないというか、空手やキックボクシングでのスパーリング経験はあるものの、太気拳の組手に対しては、「とにかく“怖い”という思いを払拭できずにいた」というのが本音の所でした。
組手稽古を録画したビデオカメラの小さなモニターの中に、次々と各メンバーの組手の模様が映し出されていきます。私にとっては、始めて観る映像で、興味しんしんでした。それを観ていて、思うところがあり、恐る恐る先生に「あのー、今日の組手稽古に不参加なのにオコガマシイのですが・・・」と何か質問しようとすると、「それはオコガマシイ!」と一喝されてしまいました。それでも酒が進み、場も和んでくると、私の“オコガマシイ”見解や質問にも、天野先生はひとつひとつ丁寧に解説してくださいました。しかしながら富川には、いつものことながらどうも理解が及ばない・・・まぁ、やっていないのであたりまえです。「この次は、自分の体を使って、天野先生に説明していただいたことを確認してみよう!」と、次回の組手稽古に向けて気持ちが奮い立ってきた富川でありました。