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会員・会友員のテクスト 富川リュウの太気拳修行記

平成13年・春の章

楽しい立禅

 太気拳を始めた一年目の終わりの頃から、これまでよりもより真剣に稽古に取り組むようになってきた。別にそれまでが不真面目だった訳ではないのですが、やはり週に一回、稽古に出席している時だけが練習時間――という感じがまだあったのです。それまでにも月に何度かは自宅で立禅を組んでみたりもしたのですが、やったりやらなかったりで、そろそろ毎日の生活の中に立禅をする時間を習慣として根付かせていこうと思い始めていました。毎朝、40分ほど早起きして出勤し、会社の近くの公園で立禅をすることにしました。会社と公園の間の移動のために多少時間が取られるので、準備体操の時間を除いた実質の練習時間は、20分程になります。立禅(正面)を5分、半禅(左右)を5分ずつ、最後に揺りをしながら体をほぐすのが5分――といったところでしょうか。

 立禅はよく、つらい稽古だと言われますが、この頃の私にとって、毎日の立禅はとても楽しくてたまらないものでした。何がそんなに楽しいのかというと、毎日なにがしかの新しい発見や閃きが起こるからなのです。天野先生がこれまでに教えてくれた色々なこと、今、自分に与えられている課題、這いや推手の稽古の問題点からのフィードバック、様々なバックグランドの中から、何かふと発見があるのです。特定のことを意識していて、それが見つかる場合もあるし、何も考えずにただ立っているだけの時に、ひらめきが訪れることもあります。また、その日の気分次第で、自己流にやってみたりすることもあります。

 ひとつ面白かったのに、立禅のシャドーボクシングと自分が名付けたものがあります。半禅の姿勢で立ち、相手からの攻撃を想定し、ダッキングやヘッドスリップでかわしてみるのです。立禅はあくまで立禅なので、それほど大きくは頭や体は動かしません。せいぜい2cm~3cmといったところです。上下に、前後に、左右に、斜めに、時に速く、時にゆっくりと。色々とやってみるとなかなか面白いものがありました。

股関節の立禅

 この年の4月の太気拳のセミナーでは、天野先生に、「股関節を意識した立禅の方法」を指導していただきました。股関節というとすぐに思い浮かぶのが、開脚する又(また)の部分ですが、本来はぐるっと一周全部が股関節です。いちばん下が又(また)の部分、前側は鼠径部、横は腰骨のすぐ下、斜め後ろは尻の脇あたり、後ろは尻のすぐ下といったところでしょうか。そしてこの時のセミナーで天野先生が指摘(強調)された部分は、斜め後ろの股関節であり、これを便宜上「尻の股関節」と呼ぶことにしましょう。

 尻の股関節が自分の尻のどの部分に当たるのかを見つけるのは意外と簡単です。まず両足を肩幅に広げ、平行に立ち、膝を軽く曲げる。そして膝を左右に開き、足裏の内側(親指から踵の内側まで)が地面から離れるようにガニ股になってみる。この時に股関節の斜め後ろの部分が緊張しているはずです。これが天野先生の言うところの「尻の股関節」であります。この方法で解りにくかった方は、サッカーボールかドッジボールを膝にはさんでみるといいかもしれません。できるだけ膝の力を抜き、尻の力でボールを挟むようにすれば、尻の股関節を意識できると思います。

 次に天野先生は、立禅の中で尻の股関節に意識を持たせる方法を説明してくださいました。

1.立禅(正面)の場合
 まず普通に立禅の姿勢をとる。そして膝を少しだけ曲げたり伸ばしたりしてみる。(伸ばしきらないこと) この時に足先と踵と膝の位置関係(角度)が全く動かないようにして行うこと。ちょうど後ろにある椅子に腰掛けたり立ち上がったりする感じです。しかし立禅はあくまで立禅なので動作は一番大きな所でも4cm~5cmほどに留めるようにします。またこの時に膝の力は極力抜くようにして、上体も力まずに行うようにします。ゆっくりとこの動きを行いながら、自分の尻の股関節の動きをじっくりと観察します。その部分の筋肉を力ませて行うよりは、できるだけ力を抜いて行った方が感覚がつかみ易いかもしれません。この動作の目的は、まず第一ステップとして、普段意識して使っていなかった尻の股関節に意識をもたせること。第二ステップは、尻の股関節が力強く、スムーズに動き、且つ瞬間的に緩めることと固めることができるようになることにあります。

2.半禅(左・右)の場合
 左手、左足を前にして普通に半禅の姿勢をとります。立禅(正面)の時と同様に、左の足先と踵と膝の関係(角度)を変えずに、後ろの椅子に腰掛けてまた立ち上がるような感じで、4cm~5cmほど、繰り返し動いてみてください。そして右足の股関節の右斜め後ろの部分(尻の股関節)がどのように動いているのかをよく観察し、味わうのです。 右手・右足を前にした場合も同様に行いますが、左の尻の股関節を動かそうとするとき、右利きの人はやや動きがぎこちなく感じるかもしれません。それがスムーズに、力みなく動かせるようにすることも、この「股関節の立禅」のひとつの目的であるようです。

ユニコーンの打拳

初めて習った打拳はユニコーンの打拳でした。これも正式名がわからないので、私が勝手につけた呼称なのですが、その打ち方は、まさにユニコーン(一角獣)をイメージさせます。

1.歩法
 ユニコーンの打拳の歩法は、<平成12年・冬の章>で記述した片方向への歩法を使います。右手・右足が進行方向にある場合には、一歩、歩を進めるごとに右の拳で打つようにします。

2.手の形
 手の形は、初めは半禅のような形で掌を手前に向けておきます。そしてタイミングにあわせて、掌を前向きにする力を使って肘を絞り(閉じる力)、すぐに元に戻します(開く力)。この閉じる力と開く力がわかるようになってきたら、今度は右拳を半拳にして、相手の鼻先を下から上へズルッとずり上げるようにイメージして、打拳を打つようにします。左手は顔面のガードのため、掌を前方に向け、右手の半拳を後ろから支えるようにします。(正式名称:添え手)

3.頭と上体
 歩を進める時にゴックンと唾を呑み込むようにして、一瞬だけ首に力を入れ少しうなづき、上体が出遅れないようにします。この時に額にある角で相手を下から突き上げて突き刺すようにイメージします。そして額から相手にあたっていくイメージを右の拳に重ね、この右の拳で打っていきます。こうすることによって、全体重+移動エネルギーが右の拳にのるようになってきます。

ユニコーンの打拳の優位性

 先生に教えていただいたことは、何ごとも素直に疑いを持たずにコツコツと稽古するように勤めていたつもりだったのですが、このユニコーンの打拳に関しては、「この打拳は使えるのかな?どんな時に有効なのだろう?」と、ちょっと疑問に思っていました。というのは、これまでやってきた空手やキックボクシングのパンチの打ち方とは、全く違っていたからです。でも、後になってこの打拳の優位性を、まのあたりにすることがありました。

 それはある日の組手稽古の時に、先輩のIさんが天野先生の鼻面に一発入れたのが、この打拳だったからです。未熟者の私の目には、その場面では、何がどうなっていたのか、よくは解らなかったのですが、稽古の後に天野先生が次のように言っていたのです。

 「なんかゴチャゴチャってなった時に、Iのいいパンチを一発食らってしまったけど、あれってこの前、俺が教えたやつ(ユニコーンの打拳)だよな。自分が教えた技でやられてりゃ世話ねぇよな。ハハハハハッ!」と屈託なく大笑いされました。またIさんが、この打拳を普段から熱心に稽古していたことも、ずいぶんと誉めていました。

 その後、私は自分の疑問を先生に訊いてみました。「ワン・ツー・フック・アッパーとかのコンビネーションではなく、何故、単発のようなユニコーンの打拳が有効なのでしょうか」と。この質問に対しての天野先生のお答えは次のようなものでした。

 「コンビネーションは所詮、手先の小事に過ぎない。それに比べてユニコーンの打拳は、全体重が乗って、しかもそれが相手の中心に向かって打っていく。富川は単発といったけど、本来は(稽古をして身に付けば)この打ち方は、何度でも繰り返して打つことができる。相手にしてみればこれほど厭なことはない。だから有効なんだよ」と。

 これを聴いた私は、目から鱗がとれたような思いでした。そして「絶対にこの打拳を自分のものとしてマスターしてやるぞ!」と心に誓ったのでした。

楽ちん推手はもう卒業?

 一年目の終わり頃のある日、天野先生との推手はだんだんと厳しくなってきていました。「もっと力を出せ!ズルズル退がるな!力を継続して出すんだよ!」と激しい叱咤が飛びます。「先生、怒ってんのかな?」と少し不安に思ったけど、稽古の後はいつものニコニコ顔で、「富川もだいぶ良くなってきたよなぁ」と誉めてくださり、少し安心しました。

 帰りの電車の中で先輩のRさんにこの件を話すと、Rさんは、「富川君さ、それはあれよ、先生も本気で教えようとしてるからだよ。今まではほら、なんだかんだ言っても、お客さん扱いみたいなところがあったんじゃないのかな。先生が真剣になってるってことは、(弟子の一人として)認めてくれたってことだと思うよ」といわれ、ちょっと嬉しくなる。

 これまでも楽に推手をやっていたつもりは(自分では)ないのだけれど、段階を踏んで少しずつ要求レベルが上がっているのだと思う。確かに最初の頃は、先生に3m~4mも飛ばされていたのに、最近は2mほどに留められるようになり、飛ばされた時の姿勢も以前とは比べ物にならないほど、軸を守って体勢を保てるようになってきている。

 二年目に入った頃、天野先生から繰り返し言われた推手での注意点は2つあった。肩に力を入れないことと、肘を肩より上に挙げないこと。肩に力を入れてしまうと、肩が自由に動かなくなり、相手の動きに対しての自分の反応が遅くなってしまうし、何より抑えが効かなくなってしまうので、すぐに煽られたり、差し込まれたりしてしまう。肘を肩より挙げないというのも同じ理由からであった。

 この2つの課題は、これから暫くの間、おおいに私を悩ませることになる。天野先生や、A先輩、R先輩などの格上の人と推手であたる際には、手を触れる前から緊張して肩に力が入っている。「肩の力を抜いて、抜いて」と自分に言い聞かせると、ズズッと差し込まれてしまう。そんな経験をしながら、また立禅の中で力を探る。揺りや練りの動作の中で手の廻し方を考える。こういう自主練もまた、やりがいのあるものである。

戦慄の膝小僧(組手)

 先輩のAさんは元アマチュアボクシングの選手。キックボクシングのジムにもずいぶんと熱心に通っていたとのことである。天野先生が、横浜で指導をはじめた頃からの古くからの弟子なので、太気拳歴はもう9年ほどになる。最初の頃は、なかなかキックのスタイルが抜けずに苦労したとのことであったが、今では全くその片鱗さえ覗えない。否、あの首相撲からの膝蹴り――を除いては、である。

 四月の初め、花見の日。この日は花見の酒席の前に、通常練習に加えて、恒例の組手稽古が行われた。私にとっては、初めての太気拳での組手です。年末の忘年会の時の組手稽古(富川は不参加)の模様を収めたビデオテープをもらっていたので、何度も何度も繰り返し観て、自分なりに色々と研究していました。当然のことながら、今までやっていた空手やキックとはどうも勝手が違うようです。技の応酬というのがあまり見られません。先輩と後輩、あるいは先生と全員という実力に格差をつけた組み合わせで行われている事もあるのでしょうが、どうもどちらか一方が「ドドドドォ――ン」と行って終わり、といった感じなのです。

 それはそれとして、他人の組手の批評をするのではなく、自分がどういう組手をするのかを考えておかなくてはなりません。拳はあまり使っていなかったようなので、掌底を使って、フック、アッパー、ストレートと自分なりに打ってみます。この頃はまだ正式に太気拳の打拳の打ち方を習っていなかったので、だいたいが自己流のようなものでした。蹴りは皆それほど出していなかった様でしたが、自分は蹴りが少々得意な方なので、出せる機会があれば出してみようとプランを立てました。自宅近くの公園で、色々とシミュレーションしながら、使えそうなコンビネーションに工夫を凝らしていました。

 そして花見の当日、推手が終わり、一息入れたところで、大きな円陣を組み、その中央で一組ずつ組手が行われました。最初にコールされたのが、前述のAさんとわたくし富川だったのです。 天野先生の「お互いに礼、始め!」の合図。技量的には大人と子供ほどの差があるのは明白です。「こうなってしってしまったら、もうあたって砕け散るしかない」と心の中で思ったのですが、あっという間に押込まれ、組み付かれ、頭が下がって腰が引けた姿勢になってしまって、膝を入れられ、おしまい。「止め!」がかかり、元の位置へ戻り、再び「始め!」がかかるが、二度目もやはり同じようなパターンになってしまいました。 これを3回、4回と繰り返したでしょうか。最後には、右のアバラに渾身の一発を入れられ、ダウン寸前となってしまい、先生の「止め、お互いに礼!」でやっと終わったのでした。本当に“やっと”と強調したいほどに、短くも長くも感じられ、異次元空間の中に居たような気分でした。

 花見の酒席でAさんからは「ああなったら、ぜったい頭は下げるなよ。頭下げたらもうおしまいだからな」とアドバイスをいただきました。あと「言っとくけど、あれで思いっきり蹴ったわけじゃないからな」と言われ、後に「軟骨骨折」と診断された私の肋骨は、もし本当のAさんの渾身の一撃をもらっていたならば、どうなっていたのだろうと思うと、少しぞっとなってしまいました。R先輩に「Aさんの膝蹴りは怖いですね・・」と言うと、「あれはあの人の得意技だから。巷(ちまた)では戦慄の膝小僧と言われてんだよ」と聴き、「巷とはどのへんの巷なのかな・・」と思いながら、とにかく大事には至らずに良かった・・・とため息をついていました。

 肋骨のケガは3週間ほどで治り、練習も再開。一方的に攻めまくられただけの初めての組手稽古ではありましたが、なにか怖さを克服したというか「妙な自信めいたもの」が自分の中に出来ていました。これは自分でもとっても不思議な感覚でした。