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会員・会友員のテクスト 富川リュウの太気拳修行記

平成12年・秋の章

八方目の立禅

 以前に学生の頃の友人から聞いた話なのですが、少林寺拳法には「八方目」という用語があって、これは「四方、八方を敵に囲まれたときに、自分の目付けと意識で、四方八方を同時に観る」というようなことを聴いたことがある。 立禅しているときに、ふとそんな事を思い出し、ちょっと試してみました。まず目の前の風景に対して、左右に視界の幅を広げていって、できるだけ広い範囲を捉えてみる。次に、横、斜め後ろ、真後ろに向かって何らかの気配を捉えられるか、意識を向けてみる。聴覚だけが頼りなのか?あとは気配や殺気を感じる第六感を鋭敏にすることも可能なのであろうか?

 そういえば立禅や這いをしている時に、天野先生が私にアドバイスをするために歩みよって来る時には、大抵は、背後から足音を忍ばせながら、こっそりと来られる様な気がしているのは、私の思い過ごしであろうか。だいたいは枯れ葉や枝を踏む足音で気がつくのだけれども、もしかしたら先生はそういう気配や殺気を感じるための訓練の意味も含めて、背後からこっそりと近づいていらっしゃるのではないだろうか。

 この頃は、練習メンバーが多かったせいなのか、私の立禅や這いに対してのアドバイスも少なかったようで、練習が少々退屈で、時にはかったるく思えたりもした時期でした。それで前述の「八方目の立禅」をやったり、「瞑想的立禅」など、ちょっと自己流にアレンジしてやっていました。ただ冬になる頃にはまた新しい課題をいただいたので、自己流を模索していた退屈な時期は、そう長くは続きませんでした。

背中パンパンの這い

 這いの練習をやっていた時に、R先輩が近づいてきて、もっと本格的なやり方を教えてくださった。これははっきり言ってこの頃の自分にはかなり辛いものでした。

 この本式の這いのやり方の、歩法に要求される留意点は、<春の章>に記述した這いとほとんど同じなのですが、ただもっと腰を低く、足腰に負担をかけて行うように、とのことでした。そして両手は目の高さに揚げ、目線は5mほど先の地面に置きます。ゆっくりと歩を進めていきますが、この時の注意点は、半身にならないことです。例えば、左足に重心が移ったときには、右の肩が前に出ようとします。右肩が前に出て、半身になると、何故かは解らないのですが、足腰の負担が減り、少し楽になります。これをあえて楽にならない方を選び、常に上体がまっすぐ前を向いたままで歩を進めていきます。

 もうひとつの注意点は、額と両肘を胸の位置関係にあります。まずアゴを引いて頭上に引っぱられているように意識をもちます。前進するときも後退するときも、けっしてアゴを出さずに、頭が上に伸びていくようにして首を立てておくのです。そのうえで額と右肘と左肘の3点が先導していくような感じで、胸の中央は逆に引っ込んでいるような感じにします。ちょうど三角の布を船の帆のように見立てたときに、布の角が額と右肘と左肘に繋がっていて、前からの逆風を受け、胸のまん中が丸く引っ込んでいるようなイメージです。但しこれはR先輩に言われたことを私なりに勝手にアレンジしたものなので、これが本来の姿なのかどうかは判らないのですが・・・

 実際にこういう形で這いをやっていると、後退するときの方が、形をキープしやすいことがわかります。前進するときには、どうしても肘が上体に近づいてきてしまいがちです。これを防ぐために、前述の帆を張るイメージが、私の場合はとても役に立ちました。しかしながらこの本式の這いはかなりきつく、10歩ほど前進と後退を行っただけで、背中や足腰の筋肉がパンパンになってしまいます。そしてこの時には、これこそが本物の這いであると思い込んでいたのですが、後になって天野先生に言われたのは、形は同じなんだけれども、もっと楽に行える這いでした。これは別にR先輩に教えていただいたことに間違いがあった訳ではなく、私が自己流でアレンジした「帆を張る」をいう形が間違っていた訳でもないようなのですが、ではどういうことなのかというと、形はそれで正しいのだけれども、意識の持ち方と、這いで動いていくときの体の(中の)使い方が違っていたのです。それが解る(出来る)ようになると、同じ形の、同じように腰の低い這いでも、全くと言っていいほど背筋や足腰の筋肉に負担がかからなくなるのです。

 「楽に行える低い姿勢の這い」――それには一体、どういう目的があり、どういう効果があるというのでしょうか? それは後々、明らかになっていくことでしょう・・・

 ※)この「楽に行える低い姿勢の這い」の方法は、<平成13年・夏の章>に掲載の予定です。

てんでバラバラの手足(推手)

 ズルズルと押込まれたり、ポンポンと軽くあしらわれたりしながらの推手。どうも手と足の動きがバラバラのような気がする。手はぐるぐる廻しながら相手を押したり、相手に押されるのをぐっと押し返したり、足は押される時には後退し、自分から押そうとする時には前進する。だけど「手と足を合わせる」ということが、何をどう合わせればよいのか、というあたりがどうもよく解らない。でも何かが違っているような気はしている・・・。

 稽古が終わってから、天野先生にこの辺のところを尋ねてみました。まず歩法。これは常に片足で立つ。片足にだけ重心がまとまってあるようにしながら動くということ。6:4とか7:3とかの中途半端な状態を作らないこと。それには這いの歩法を思い出し、這いの形を推手の中でも常に意識しておくこと。次に手というか、上半身の形。これは常に立禅、半禅の形を意識しておくこと。肩はゆったりと下げたまま、胸よりもややせり出す感じ(胸は引っ込む)、肘は常に肩の前にあり、動きは最小限にする。手指と手首の緊張を使って前腕に張りを作り出し、前腕の回転も最小限にして、腕の力ではなく、禅の力、体の中心の力、体の軸の力を使って相手に圧力を掛けていく――とのことでした。
  何のことはない、答えは、立禅・半禅と、這いの練習の中にあったのだ。なんと単純にして明解。しかしこの単純にして明解なことが、自分の体を使って実現しようとすると、複雑にして難解と思えてくる。複雑にしてしまうのは、自分の考え方ひとつだとしても、難解だけは残ってしまう。残ってしまった難解は、それを課題として、一人練習の立禅、這いの中でじっくりと自分を見つめ、課題に対しての答えを模索するしかない。これがまた太気拳の練習の醍醐味でもある。この練習の成果がフィードバックされて、推手の上達が感じられるようになると、脳内にドーパミンが溢れ出し、太気拳の練習がますます楽しく思えてくるのです。