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会員・会友員のテクスト 富川リュウの太気拳修行記

平成21年・冬の章

結局、体幹部

人の身体は、末端部が器用に動き、中心部は不器用に出来ている。太気拳では、中心部の動きの延長として、手足が動くことが求められる。しかしながら不器用な中心部を意のままに動かすことは並大抵のことではない。それでも立禅や這い、練り等を繰り返し行うことで、脇腹や脇胸、腰ハラ、肩甲骨、アバラなどが少しずつ動くようになってくる。それでも、問題視しないことにはそこに目が行かず、問題として浮上させないことには、答えが出てきようもないことも事実だ。

当たり前のこと、当たり前に人として立っていること。あまりに当たり前すぎて、そこに問題があるとは気が付かない。否、指摘されたとしても気が付くことが出来ないから直すことも出来ない。そんな大問題が、体幹部の大きな部分に潜んでいる。それが骨盤の角度と頭の位置・首の状態。ここが整わないことには、何も始まらない。何も始まらないのに、気がつくのに時間がかかるので、最後の最後まで、課題となって残ってしまう。もし時間を巻き戻すことが出来るなら、ここを最初に直したのに…。そう思ってみても後の祭り。だけど、そう効率よく最短距離を進めないところが、人生の旨味なのかもしれない。

骨盤、効果絶大

前回の「秋の章」の最後に「11月1日はまた、天野先生から自分の立禅の姿勢を大きく直された日でもあった。骨盤をシャクル様にして、腹を引っ込めて、背中を楽に…。これでベルトラインがそれまでとは逆に、尻さがりとなる。しばらくは歯科矯正をやってるつもりでこの腰つきを身体に馴染ませていこうと思う」と書いた。

当時、その姿勢を獲得するには結構な時間が掛るのではないかと予想していた。実際、この件は、10年前の入門当初にすでに天野先生から指摘を受け、自分でもやろうとしていたのだが、尻さがりに骨盤を調整すると、頭部を著しく前に出してバランスを取るしかなかったため、腰が重くなって、腰痛を引き起こしてしまい、断念していた。

しかし今回は、次の日にはほぼ完成し、3日、一週間、二週間と、日増しに良い具合に姿勢が整ってきた。頭部を前に突き出すことなくバランスを取れたのは、10月25日の自主練で、右の脇胸が緩んでいたからだ。この脇胸の緩みを使って身体のバランスを整えてやると、そのままの高い位置に頭部を置いたまま、尻さがりの骨盤が実現出来たのだ。そして組手においても、11月8日、11月15日と、2週連続でなかなか良い成果を得られた。

空間、それは何?

骨盤の角度が良くなって、腕に抱える空間の感覚が出来てきた。しかしこれも天野先生のアドバイスによるものだ。前回の骨盤の角度にしても、今回の空間の指摘にしても、良く弟子の状況を見て、適切な時期に、的確なタイミングでアドバイスをくださる天野先生には頭が下がる。空間に関しても以前から何度か言われていて、自分なりにイメージしてみるのだが、骨盤の角度が間違っていては、そんなものが出来るはずもない。しかしながら、骨盤の角度が整ってしまえば自然に「そのように」なる。この感覚を言葉で表現するのは難しい。腕を少し大きめに拡げて羽根布団を抱える様にそっと包んでみると、ちょっと近いかなぁ~。けど似ているようでいて、全く違うとも言える。

仮説、心のシコリとアバラのシコリ

これは全くの仮説だが、気持ち的なシコリが、胸骨やアバラ、あるいは胸腺などにつまっていて、動きを悪くしているのではないだろうか。なぜならば、頭位置を調整するにあたり、また今回も胸骨のすぐ脇辺りが緩んでくれたから。

頭部、不参加問題

11月15日岸根での組手で、新たな問題が発覚した。骨盤の角度を直したことにより、もつれ合った際に、下を向くことは無くなったのだが、なんとヨコを向いてしまう。初めは、相手の丹田をモリで打ってウィンチで巻き上げることを忘れていたからかな、とも思ったが違っていた。

翌朝の自主練習で、禅を組んでいて気がついたのだが、空間を抑えることに頭部が参加していなかった。これは由々しき大問題である。「骨盤の角度を整えて、腰ハラを作り、両腕で包み、太ももで抑える様に空間をつくる」この作業に頭部は知らんぷり。なんと、不参加表明をしていたのだ。問題が発覚すれば、解答はすぐにでる。頭部も空間を抑える作業に「参加」させれば良いだけだ。しかしこれも「空間の感覚」が出来てきたから自然に「そのように」できる。それにしても、この感覚を言葉で表現するのは難しい。オデコの生え際で抑える様に、あるいはノドに何かを飲み込んでゴックンする感覚が、ちょっと近いかなぁ~。けど似ているようでいて、全く違うとも言える。

新しい体←の使い方

ここ数カ月の間、ジンクスといっていいほど、組手の出来が良い週と悪い週が交互に来るパターンが続いている。それならば、土日の両日ともに太気の稽古に参加するようにすれば、進化の度合いが2倍に加速するかな、などと欲張りなことを考えてしまう。

11月29日は、少し出来が良かった。頭部も参加させることで、組手の中で横を向いてしまうことが無くなっていた。それから一週間後、12月4日金曜日の稽古で、不思議なことが起きた。立禅を15分程していたところ、急に肩が下がって、首が伸びたのだ。肩首に関しては、もうすでに充分な状態であると思い込んでいたので、これは意外な変化だった。そしてこの日は組手は無かったが、推手で体の進化を感じられた。しかしながらこの2日後の12月6日の稽古では、組手の出来が悪かった。立禅において、喉→胸→腹→太ももの前側に一体感が出てきたことが面白く感じられて、この状態のまま組手に挑んでしまったので、動きは硬く、反応できない、変化できない、動けない、の三重苦であった。それでも気持ち的にはリラックスして組手に臨めたので、気持ちの面では多少なりとも、進歩したのかもしれない。

「新しい体の使い方」というと、今までの話の流れから、「新しい→体の使い方」という取られ方をされてしまうと思ったので、「新しい体←の使い方」と表記してみた。新しい体とは、骨盤の角度を尻さがりに調整した後の体のことであるが、前述のように、この体を使って良い効果が得られたこともあったが、使い慣れていないばっかりに、勘違いの方向へ行ってしまう場合もあった。12月6日の出来の悪い組手の教訓から、もっと体を緩めて、反応できる姿勢、変化できる状態、を保つ工夫が必要だと思った。幸いにも先輩のIさんから「お腹ブルブル立禅」と「鯉の滝登り効果」を教えていただいたので、これをベースに5日間の自主練ができた。

蛇足ながら、12月11日の金曜日は雨の為、朝の自主練が出来なかった。しかし不思議なことに、藤沢始発のオバQ線に座った途端、今までとは明らかに違って首が良く動くようになっている自分に気づいた。今までは動いていなかったある部分の関節が動き始めたような感覚だった。

嗚呼、交流会

5日間の自主練の中から、お腹の中に車輪が二つできて、これを交互に回しながら歩を進める感覚ができてきた。名づけて、機関車トーマス作戦! この作戦が功を奏し、12月13日の交流会では、そこそこ思い描いていた体を緩めて、反応できる姿勢、変化できる状態、を保つ組手ができたと思う。まあ、前回の組手の出来がNGだったので、ジンクス通りに出来の悪い週の次に、出来の良い週が来ただけかもしれないが…。

また、交流会参加が一年半ぶりとなるトミリュウには、島田先生や鹿志村先生からの貴重なアドバイスがありがたく、次への飛躍のステップの新しい課題をいただけた。もう課題満載で、お腹一杯の忘年会であった。

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平成21年・秋の章

姿勢の作り方・その1

立禅の姿勢は常に進化し続ける。その切掛けは、組手の反省点からのフィードバックがほとんどだ。打ちに行こうとして上体が流れてしまう。組み付いたときに頭が下がってしまう。そうしないためにはどうすればよいか…。それを課題にして姿勢の作り方を工夫する。8月までの立禅のポイントは、ノドのイキミと丹田にあった。9月に入ると丹田で足腰を運び、ノドで頭頂部の突き上げ感を作り、この頭頂部で肘を押し下げる。そしてその押し下げた肘に身体を乗せる…。そんな感じで姿勢を作っていた。そして、これがまた10月に入ると変わってくる…。

ココロの弱さ

人の心の弱さには、どんなものがあるのだろうか。優柔不断だったり、怠け癖があったり、酒・女・金にだらしなかったり、ギャンブルや遊びの誘惑に弱かったり…。数えきれない程の種類の弱さが、人の数だけ存在する。

自分は身体は弱いが、心(意志)は強い方だと思っていたが、どうもこれは思い違いだったようである。いつも組手で天野先生から「おまえは打たれる前から、あっ打たれたらどうしよう、ダメだったらどうしよう、そんなことばっかり考えてるんだよな」と言われ続けている。どうもこれは、自分の会社での仕事ぶりについても同じことが言えるようだ。

4月からの7ヶ月間、工場の現場での常駐サポート業務を行っている。この工場には、自分の担当する装置40台が24時間稼働で動いている。これが故障した際の修理業務が主な仕事だ。一ヶ月の内の一週間が自分の担当で、3人交代で行っている。初めの内は、出来なかったらどうしよう。自分のわからない個所、苦手な個所が壊れたらどうしよう…。そんな不安だらけのスタートだった。

ひどく疲れてしまう経験を何度もして、その疲労の原因を探っていく内に、だんだんと自分の問題点に気づいてきた。

① 「うろたえる、動揺する、当惑する」そんな気持ちになるとエネルギーを消耗する。

② ああだったらどうしよう、こうだったらどうしようという「取り越し苦労的」思考パターンに陥るとエネルギーを消耗する。

③ 細かいことを気にしすぎて、糞真面目に何もかもキッチリとやろうとしすぎるとエネルギーを消耗する。

この三つが、この7ヶ月間で気付いた自分の心の弱さである。まだしばらくは、この仕事環境が続きそうなので、まだまだ気付いていない問題点が出てくるかもしれない。あるときから自分の考え方を変えてみた。自分の心の弱さを受け入れて、①②③を手放そうと…。そして組手も少しだけ良くなった。

マニュアル・セールスマン

新人のセールスマンで、マニュアルどおりに喋る奴がいるだろ。相手の気持ちや考えてること感じてること、あとは要望や好き嫌いなんかを全く無視してさ、研修で習った通りの説明を延々と喋り続ける奴。それってさ、心に響かないんだよな。聞いてても言葉が耳に入って来ないだろ。マニュアル通りの説明を延々と喋り続ける営業マン、そんな組手なんだよ、お前の今日の組手は…。

確かにおっしゃるとおりです。相手の様子を伺う心の余裕が全然ない。でも判りました。そうならないためにはどうすれば良いかを自分なりに工夫してみます。

二重螺旋の立禅

10月に入って、天野先生が自分の稽古の中から探し出した新発見を我々にもシェア―してくださった。空手の三戦(サンチン)立ちみたいに、踵に対してつま先を内側にして立つだろ、そして踵を寄せるトルクで膝を緩めて、尻を締めて、腹を緩めるように立禅してごらん。こうするとだな、静中の動、動中の静という感覚になるんだよ。

低い禅を置物のようになってやってると、どうしても足腰の筋力に負担が出てくる。静中の動、動中の静という感覚には至っていないが、自分では、二重螺旋が身体の中に感じられ、足腰の筋肉の負担が軽減されたように感じている。確かにこうすることでヒザが緩んで尻が締まる。これだけで十分って感じで、9月にやっていたノドと丹田はそれほど意識しなくても良い姿勢を作れるようになった。

ハッピーランチ

9月も10月も、一回おきに、組手の良い週と悪い週が繰り返されるというパターンが続いている。それでも悪いは悪いなりに新しい発見があるのでヨシとする。今まで気がつかなかった一瞬。今まで見ていなかった一瞬。そんな一瞬の出来事を経験することを繰り返し、積み重ねていって身体に染み付けていく。それが稽古の意味なのかもしれない。

10月18日、岸根での稽古の後、先輩のHさんと二人でランチを食べた。自分のその日の組手のできは悪く、Hさんもその日の組手では落ち込んでしまったとのこと。あれやこれやと話すうちに、自分とHさんは同じ問題を抱えていることに気が付いた。心の問題だ。そして上達の早い人は楽しんで組手をやってるよね、ということで意見が一致した。二人は組手に苦手意識をもっていて、なかなか楽しんで…という気分にはなれない。その為、どうしても緊張したり、固くなったりしてしまうようだ。

Hさんと別れて自分なりに考えた。取り越し苦労をしない。動揺しない。細かいことを気にせず、大まかな線で上手くいっていればそれで良しとする…。プラス、楽しんで…か。そう考えるとなるほどを合点がいく。

もう目の怪我をしなくなって1年以上が経つ。たまに腹部に蹴りをもらいダウンしてしまうものの、大きな怪我はしなくなった。ならば何を怖がっているか。結局、自分の心の弱さ。前述の①②③これだけだ。そして④楽しんで、これを課題として、自主練で禅・這い・練り・探手を組み立てていく。今までは探手や組手で「あっ、わっ、どひゃ、わーーー」となってしまっていた気分を「へぇ~、ほぅ~、なるほど、そんなのもアリかぁ」てな感じに、気分の転換を図る。相手からの情報を良く見取ったうえで、それに過剰に反応することなく、へぇ~と観察する自分とパッと反応する自分。どんな自分が創出されるのか未知との遭遇を楽しんでみよう!

ウィンチで巻き上げろ!

10月18日の岸根での稽古のあとにA先輩から組手に関しての貴重なアドバイスをいただいた。A先輩は組手の際に、自分の中心と相手の中心が繋がっているようにイメージしているという。それは紐かゴムでさ…という様な話だったが…。

その後の自主練習で自分なりのイメージが出来てきた。自分の丹田からモリを発射し、相手の丹田に打ち込む。モリにはワイヤーが付いていて、自分の腹にあるウィンチで巻き上げていく。魚釣りの要領だ。ウィンチで巻き上げながら近づいて行って、あとは左手に釣り糸、右手にはタモ網。そして魚が頭からタモ網に入ってくれればベストだが、まぁ横向きでも尾っぽからでも網に入ってくれればしめたもの。ただこの時に一気に行くのではなく、すこし緩めたり、なだめすかしたりしながら相手を観察しながら臨機応変に対応していく。そんなイメージで探手を組み立てた。

ふろしき包みの探手

10月19日からの自主練では、二重螺旋の立禅や楽しい気分の探手、そしてウィンチで巻き上げるイメージの探手を行っていた。24日、25日の土曜・日曜は、出張先での休暇。特にやることもないので、午前と午後、それぞれ1時間ずつの自主練とこの原稿の執筆をしていた。

8月の終わりころから、這いの時に自分の肩が前に被っていることが気になっていた。特に右の肩が良くなく、どうも肩の収まりもしっくりしない。立禅や半禅でも肩の具合、肘の位置、肘の開き方などなどの試行錯誤を繰り返していたが、なかなか良い感覚が得られずにいた。

10月25日の午前の自主練で、ふと右の脇胸が膨らむ感覚が出てきた。膨らむといっても前に膨らむのではなく、モモンガの飛膜のような吸い込む感覚だ。そして肩がしっくりと収まった。肘はそれまでより大きく広げる立禅となり、探手を行うと、相手をふろしきで包むような感覚や吸い込んでから動くような感覚がでてきた。ここまで書いて、今年の4月の出来事を思い出す。その時、気持ちに変化があって体が変わった。今回も同じことなのかもしれない。自分のコダワリ、ワダカマリを捨てることで、気を緩めることになり、これが体のある部分を緩めることになる。そういうことか、と思った。

経験と体験から学ぶ

「人は、自分自身が体験したことや経験したことをとおしてのみ、身に付く学びを得ることが出来る」と最近気がついた。本で読んだ知識や、人から聞いた話、その時は、なるほどなるほど、と分かったような気になるけれど、その知識だけでは日常生活に応用することはできない。仕事で辛かったり、組手で出来なかったり、悩んで苦しんで、経験して体験して、初めて実に成るものとなり、日常生活のいろんな場面にも対応できるスキルが身に付くのだと思う。

11月1日、岸根での久しぶりの組手。色々な検証ができた。

① 相手の丹田を自分の丹田から発射したモリで突く感覚は、なかなかGOOD! これは使えるって感じだ。ウィンチで巻き上げるのはまあまあで、タモ網は、どちらかというと自分の方が、相手のタモ網に入ってしまうことが多かった。

② 気持ちの問題はクリア。割と平静で居られた。しかし組手の際にはリラックスだけではダメなことが、この日の組手でハッキリと認識できた。次は、リラックスしながらも覚醒している感覚、集中力がありながらもリラックスしている感覚でやってみようと思った。

③ ふろしきで包む感覚と吸い込む感覚の組手は、裏目に出た。受けに回ってしまい、相手に押しこまれることが多く、自分の打拳もストレートが打てず、フック系だけになってしまい、相手を抱え込んでしまう展開がほとんどだった。しかし包む、吸い込む感覚が気持ちの余裕を作ってくれたので、次は肩口で吸いこむのではなく、丹田で吸い込むようにしてみようと思った。

組手の出来としては、40点くらいの出来の悪さだったが、次に繋がる良い発見がいっぱいあったので、この日は、とても良い組手稽古が出来た日だった。

姿勢の作り方・その2

自分は、出っ腹・出っ尻体形で、それが少しずつ解消されてきていると、しばしば報告してきたが、まだまだ完全には解消されていない。背中の下の方のそりがキツく、腹部が前にせり出している姿勢が自分の癖になっているので、普通に立つとヨコから見た時のズボンのベルトラインが、かなり尻あがりになっている。

11月1日はまた、天野先生から自分の立禅の姿勢を大きく直された日でもあった。骨盤をシャクル様にして、腹を引っ込めて、背中を楽に…。これでベルトラインがそれまでとは逆に、尻さがりとなる。しばらくは歯科矯正をやってるつもりでこの腰つきを身体に馴染ませていこうと思う。

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平成21年・夏の章(その2)

東京副都心

夏の章(その1)で、心(気持ち)を変えるには10年かかり、体を変えるには3年くらいでなんとかなるのではないか、というような趣旨のことを書いた。ここへ来て、確かに心についてのアプローチは難しいが、やはり体についても10年かかるのかな、という思いに至っている。

それは単純に言うと、どんなふうに力を抜いて、どんなふうに力を入れるのか、あるいはどこにどれくらいの力を入れるのかという所。立禅に対しての自分なりの解釈はこうだ。はじめは力を抜く、肩の力を、首の力を、そして腰ハラの力を。そして、ゆるゆるに力が抜けて立っていられるようにする。こうしたうえで、バランスボールに尻を乗せているようにイメージして、自身の頭部、胸部、腹部も3つのバランスボールと見立て、それぞれがゆらぎながら、相対的にバランスをとりながら、曲がってて真っすぐな自分なりの軸(芯)を見つけていく。あるいはそれを整えていく。これを称して「頭胸腹と芯」となる。

「頭胸腹と芯」が整ったのち、また再び力を入れていく。入れるべきところには入れ、入れるべきでないところには入れない。あるいは緩んでいて瞬時に力める状態を作り、それを保つ。

今年の6月末にその原点となるハラの力みのポイントが見つかった。それを維持するだけで組手が良くなった。7月の後半、今度はノドにもイキミのポイントを見つけた。これでまた組手が良くなった。そしてこの前後、足裏で地面を掴むことや、ヒジ・ヒザを意識することなどを先生や先輩からアドバイスしていただき、結局、体中のどこにでも全部、力は必要なんだな、と思うに至った。言葉で説明するのは限界があるが、外側(腕、肩、足)よりも内側(ハラ・ノド)の力を重視。そして特に外側(腕・肩・足)の状態は、緩んでいて一瞬にして力めるような状態にしておく。このへんの微妙な力加減、その塩梅を良い力加減に調整していくために、10年という歳月を要する、あるいはこれからもこのファインチューニングを続けていく、そんなことなんじゃないのかな、というのが現在の心境だ。

ノドからのヨコS字

第9部冬の章に「八種の半禅・八種の構え」という項目がある。昨年のその時点においての頭部と腹部の関係は、横へシフトさせる、あるいはハラは相手の中心を捕え、頭部はオフセットして相手からの攻撃をかわすというイメージであったが、これはほとんど組手の上達に寄与していなかった。ノドのイキミを見つけた今年の7月の後半から、半禅と這いで、ハラとノドがS字につながる感じが出来てきた。つまり傍目には、形としては同じように腹部に対して頭部が横へずれているが、以前はただ横にずれてただけで、今はしっかりと中で繋がったうえで、ずらしている。

お誕生日おめでとう!

8月9日岸根での稽古、この日の組手稽古の後、天野先生から「今日はお前の誕生日だな」と言われた。今まで下を向いたり、頭が横へふらついたりと、打拳が当たる当たらないという問題ではなく、組手としては話にならないレベルだったものが、やっと組手らしくなったということらしい。素直に嬉しかったが、自分ではなにか確信が持てずにいた。手応えが無いというか、ハッキリ言って何をもって褒められたのかが分からなかった。もちろんノドからのヨコS字の効果が出たのかもしれない。これを以ってして自分の中の何かが繋がったのかもしれない。しかしやはり???という思いが残る。だけど先生は言ってくれた。頭では良くわかんなくてもさ、体が一回やれたことっていうのは、体がちゃんと覚えてるから。そんなに心配しなくてもいいよ、と。ちょっとだけ安心。けどやっぱり???な気恥かしい「誕生日おめでとう!」だった。

月謝、払います!

翌週の組手は散々。「先週出来ていたことが今日は出来ていないじゃないか!」「組手に全然気持ちが入っていない!」と叱咤叱責の雨嵐。月謝を払うときに「怒られて、金払って、なんだか損した気分だねぇ」と茶化された。いえいえそんなことはございません。このトミリュウ、先生の血肉を分けていただいている思いで太気拳と向き合っておりますので、月謝は感謝、どんなに怒られても、どんなに叱られても、感謝の一念で、お月謝をお渡しさせていただきます。

それはともあれ、反省点は二つ。この一週間の朝練メモを見ると、ノドからのヨコS字を意識して、後ろ手の開掌に自分の顔を隠すフォームに取り組んでいた。また探手の動き、足運びには自分なりのリズムを見つけてその稽古をメインにしていた。この2点は組手には使えない、役に立たない、そういう結果が出たというだけのことだ。

春夏秋冬 夢の間に…

その日の天野先生のブログ「春夏秋冬 夢の間に…」に、組手での注意点が書かれていた。ひとつはリズムで動かないということ、リズムを取るとそのリズムでしか動けなくなるので、合ったときには自分に有利だが、合わせられた時には不利になるというリスクを伴う。だからリズムでは無く、気持ちが途切れない、気持ちが途切れないから動きも途切れない。そういう状態で無段階にギヤチェンジしていく、それが一点目。

もうひとつは、ココロを二つ持つということ。自分の身体が「兵」で、それは考えずに感じて動く、そしてもう一つのココロが「司令官」。みんな組手やると「兵=自分」だけになっちゃうんだよな。「兵」に任せておいて、「司令官」は上から見ている。組み手の際には、そんなココロふたつの状態が必要、とのこと。

リズムで動かないというアドバイスは、2年ほど前に聞いていた。その時はまだそれ以前の課題が満載されていて、それどころではなかった様な気がする。また、記憶には残っていたが、自分はリズムでは動いていないと思っていたのか、あるいはリズムで動くことの弊害をきちんと認識していなかったのかもしれない。

ココロふたつの組み手についても、1年ほど前に聞いていた。そのときのことは、はっきりと覚えている。ただ単に「そんな高度なことが今の私に出来るわけがない」と思い、その課題に取り組むことはしなかった。

ココロふたつの組手

翌月曜日からは、浜松への2泊3日の出張だった。8/17(月)は朝から新幹線で移動の為、朝練なし。以下、その週の朝練時間メモ。

8/18(火)浜松・晴れ30分、8/19(水)浜松・晴れ30分、8/20(木)品川・晴れ30分、8/21(金)品川・曇り30分。ココロふたつとは一体どんな状態なのかと、毎朝の立禅で模索していた。そして迎えた8/23(日)、ココロふたつの組手が初めて出来た。思考は頭の上で考えさせておいて、体には体の動きたいように任せてあげる。そして体は解放され、初めて自由を手に入れ、やりたいように奔放に生き生きと動いてくれた。この日が本当の自分の誕生日だと思っている。

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平成21年・夏の章(その1)

都合のよい解釈

「聞く耳をもたない」という表現がある。はなから人の話を聞こうとしない態度のことを指してこういう。天野先生からのアドバイスに対して、こういう態度をとる稽古生はいないと思うが、人にはどうも都合の悪いことにたいしては聞こえないふりをするという特性があるらしい。つまり、トライしてみようとする課題と、はなから取り組むことを放棄してしまう課題とがある。

実行してきたこと、常に心掛けていることの中には、私の場合、「気持ち良くやりなさい。楽にやりなさい。力を抜いて。楽しい気分で」などがあげられる。そして取り組みを放棄してきたことの中には「自分で工夫しなさい。短い時間でもいいから低い禅をやりなさい。腹に力を。尻を締めろ」などがある。

このように、自分にとって都合のよい方だけを選び、都合の悪い方は却下してしまうことが、自分の太気拳の進歩の妨げとなっていることに、最近気がついた。

守・破・離

自分の太気拳の進歩が人より遅いとは思わないが、もうちょっと早く、10年かかったけれども、もしかしたら(違う取り組み方をしていたなら)3年くらいでなんとかなっていたのでは、と思うことがある。天野先生は、頭の切り替えだという。物事の解釈の仕方、これが固定概念に囚われていると、新しい考え方を受け入れられないというのだ。

確かに自分もいくつも目からウロコを剥がしてきた。しかしながら本当の意味での頭の切り替えのために、10年という歳月が必要なのかもしれない。逆に言うと体を変えるには3年でそこそこの結果が得られるが、頭を変えるには10年以上かかるということか。

そしてもうひとつ問題となるのが、体のあり方と言葉による説明の間にある大きなギャップ。一見すると矛盾しているように思われるアドバイスが出てくるのは、このギャップのせいだ。天野先生からのアドバイスはどれも個性的だ。「とりあえず言う通りにやってみろ。言われた通りにやってるだけじゃダメだ。自分で工夫をしなさい。俺の体じゃないからわからないよ」等々。

しかしここへ来て、やっと自分の方もアドバイスの解釈の具合がわかるようになってきた。先生の言葉を自分の言葉に置き換えてみる。あるいは自分がテーマとしている課題にそれをあてはめてみる。そんな取り組み方ができるようになってきた。

Sweet Spot

5月16日の元住吉での稽古で、組手での位置取りの話になり、「ここに入っちゃえばいいんだよ。このポジションにいれば、自分はなんでもできて、相手はなんにもできないだろ」というアドバイスをいただいた。自分の両手が、相手の顔の中心と片側の肩に触れられるような30度くらいの角度を取った立ち位置、そこがSweet Spot となるらしい。

このポジションへ入る為の工夫と練習を一週間、毎朝おこなった。前蹴りから入って、蹴り足をセンターに置く方法と蹴り足を外にステップさせる方法の2種類を考え出し、相手が退がった場合には、蹴り足をセンターに置き歩を進め、相手がそのままの位置か前に出てきた場合には、蹴り足の着地点をサイドにステップさせる、という推測を立てた。また蹴りを使わない場合には、中心に打って行くぞという牽制をしながらSweet Spot を取るという練習もしてみた。

5月23日の組手ではこの取り組みの効果が出て、Sweet Spot に入ることで自分の組手を有利に運べる感触が得られた。しかしながら反省点としては、相手も動いているので、そこに居られるタイミングは一瞬しかないということ。また、中心を牽制して入っていくという発想はNGで、牽制の瞬間に自分の顔面が空き、あるいは相手に合わせられ易いらしく、このタイミングで打たれてしまうことが多かった。

そして次の一週間の工夫の中から出てきた回答は、その位置に入りながら打つ、打つと同時に入っている、ということ。この感覚で動くと相手に自分の顔面をさらすことなく、常に自分の片手が顔を守れるような位置にあることも発見できた。

5月31日の岸根での組手にて、この成果が得られた。またこの日の大発見は、考えずに感じてパッと打てたタイミングが3回ほどあったこと。思わず出た手が、正確に相手の顔面を捕えていた。これには、ビックリするやら嬉しいやら。俺って天才かも、と一瞬だけ思った。

一進一退

幸せは歩いてこないだぁから歩いて行くんだよ~♪ 一日一歩、三日で三歩、三歩あるいて二歩さがるぅ~♪。なんでせっかく三歩あるいたのに二歩さがっちゃうんだよ!と突っ込みを入れたくなる古い歌が思い出される。

6月度は出張の仕事が入ったり、元住の稽古に出たけどメンバーの都合で組手をやらなかったりで、結局6月28日にだけしか組手の稽古ができなかった。そしてこの日の自分の組手は散々。あまりの出来の悪さに落ち込んで、あぁ、俺ってやっぱり才能ないな…。もう辞めちゃおうかな…と、心が悲痛な叫びをあげ、自分の不甲斐なさに打ちひしがれた。
この一ヶ月間、何をしていたんだろうか。毎朝、朝練やって、出張先でも土日稽古して、色々と工夫をして、進化と変化を感じて…。でも、これが結果に繋がらないとは…。ワハハ本舗もびっくりのトホホ本舗だぁ――。

だんご虫の立禅

6月28日の稽古のあとにR田先輩とA野先輩からアドバイスをいただいた。腰を低く、腰腹をキメて、これだけを守っていれば組手はなんとかなる。そんな姿勢と守るべきポイントを教えていただいた。そして自分でも、疲れるからとか、辛いからと、後回しにしていた低い立禅に取り組んで、自分を追い込んで行くようにやってやろう!と心に決めた。

翌日からの朝練で、低い立禅を背中を少し丸める様にしてやってみた。イメージはだんご虫。はじめ、レスリング(アマレス)の構えのように上体をほぼ90度まで前傾させ、その腹の閉じ具合をそのままで、上体だけを起こしてみる。下腹部がキュッと締まった感じになり、A先輩に言われた内圧を高めておく感じが意識できた。

思うに、立禅の姿勢は時に自分の取り組み方によって変化する。まっすぐ→猫背→まっすぐ→だんご虫 とそんな感じだ。初めに良い姿勢と言われ、良い姿勢ならやっぱりキヲツケだな、と思い込み、そういう立禅をしていた。そしてある時期に天野先生から「スポーツ的な姿勢、サッカーのゴールキーパーや、バレーのレシーバー、そんなすぐに動けるフォームを」と言われ、それに取り組むも、しばらくやってみて効果が出ないと止めてしまった。そしてまた、胸の感覚が緩んだことが嬉しくて、胸を張った姿勢での立禅となる…。そんなことの繰り返しだ。今の時点ではだんご虫だが、また変わるかもしれない。だんご虫の立禅の姿勢が正しいのかどうか、それは組手をしてみて、白黒ハッキリけりをつけようじゃあないか!

アルマジロ・タックル

だんご虫の立禅に取り組む中で、探手をしながら相手の首に巻きつけた自分の腕の抜き方を考えて、アルマジロ・タックルを思いついた。抜いた腕のヒジと肩を使いショルダータックルのように相手に体当たりするという自分のオリジナル技だ。

7月12日の岸根での稽古。だんご虫の立禅の効果がでた。前回の6月28日に一方的に押しまくられやられてしまった後輩のK村さんに対して優位な組手ができた。しかし、アルマジロ・タックルはNG。頭が下がって一番良くない状態だと組手の最中に天野先生からダメ出しをくらう。それでも頭を下げないようにしてみただけで、下腹部の締まりが功を奏し、組み付かれても以前のように身体が浮かず、どっしりとしていて、逆に相手を抑え込むことができた。

この日の天野先生からの指摘は「頭が左右に揺れていて、視線が定まっていない」ということ。先生が言うには「気持ちの持ち方が違うんじゃないか」とのこと。しかし自分では??? 気持ち…ではないような気がした。

ノドにイキミを

最近、立禅で天野先生から言われることは、形ではなく管を閉じる様にということ。外に現れる形はいくらでも真似もできる。手の形はこう。肘の角度はこう。背中の丸め具合は…などなど。しかしいくら形が同じになっても、内容は、質は、同じにはならない。これはなかなか教えられるものではない。なぜならこれは感覚的なもので、一人一人感覚も受け取り方も様々であるから…。そういうことを前提にしつつも、いただいたアドバイスは、身体の体幹部、手足をもぎ取ってまだ残る生きるために必要な、食べる・飲む、そして排泄する。このミミズにもある基本的な生命維持機構である所のいっぽんの管(くだ)。ひとの身体の一番重要な生命維持システムである所のこの管をどう使うかという話である。

さて前置きが長くなったが、話は単純明快である。「喉は何かを飲み込む時のような感じ、あるいは欠伸(アクビ)を我慢するような感じ。そして下腹部は排泄を我慢するような感じ」話は簡単であるが、この「感じ」というところが曲者である。要は「それに似てはいるが、それそのもの、それとイコールでは無い」という点。このへんは自分で探すしかない。しかしながら自分の場合、前述のだんご虫の立禅に取り組む中で、下腹部のどの辺をどれ位、どのように力を入れておけばよいか、という点について、組手で良い実績を得られていたので、喉についてはイキミ方が足りないのではないかと考えた。

4連打での入り方

7月度に2度に分けて、4連打拳で相手の空間をつぶしながら入って行く方法を教わった。これはいわゆるワン・ツー・ストレート、フック、アッパー等のコンビネーションのようなものではなく、2歩進みながら4打のストレートを打っていくという、相手の間合いのつぶし方のひとつの参考例だとの説明であった。この稽古はなかなかスタミナを必要とする。4連打を3回ほど行うだけで、汗がドッと噴き出す。7月12日からの2週間、この稽古も朝練のメニューの中に取り込んでいた。

7月18日、元住での稽古では組手がなかった。その代わり4連打拳のやり方をまた違ったアプローチで教えていただいた。7月25日、この日も組手がなかった。次の土日は出張で稽古に参加に出来ないので、このまま不完全燃焼では2週間のあいだ中、ずっと悶々とした気分で過ごすことになると思い、疲れた体に鞭打って26日の岸根の稽古にも参加した。

組手の出来は上々。4連打拳の稽古の成果と喉のイキミの成果がでて、内容的には60%ほどの満足度だ。あとの40%は、例によってモクロミが勘違いだった取り組みと大きな忘れ物がひとつ。忘れ物は立ち位置の調整。手と喉に意識が集中しすぎていて、相手のSweet Spotに入ることをすっかり忘れていた。しかしながら気分も上々。おかげで次の2週間、良い気分で朝練に取り組めそうだ。

朝練のメニュー

岸根での組手を見ていて思ったことは、諸先輩の方々の組手スタイルの違い。もちろん背格好が違うということも考えられるが、3人が3人とも全く違う動き、あるいは三者三様に相手に対してのアプローチを仕方が違う。A先輩、I先輩、M島先輩、どれも参考になるが、どれも参考にならない。自分のスタイル、自分のやり方を構築せねば…と新たな決意が生まれる。

明日からの2週間(7/27-8/7)の朝練メニューを考えた。立禅では、天野先生に教わった二の腕のひねり方とA先輩のアドバイスのパックマン・スタイルを。揺りでは、A先輩に言われた触れた瞬間に緩むということと、I先輩に言われたヒジとヒザの繋がりを見つけ出すように。探手では、相手の顔の位置、手の位置、身体の動きを読んで、それに合わせて、そのちょうどよいタイミングを見つけ出して、自分が動いて的に合わせる。そして立ち位置の変更。この辺を意識して取り組んでいこうと思う。

7月31日から8月2日までの3日間、熱海で夏合宿が行われる。自分は、土日をはさんで一週間の出張があるので参加できないが、8月9日には、夏合宿で力をつけた全ての後輩、そして諸先輩の方々にも負けずとも劣らない、進化した富川リュウをお披露目できるはず(予定)です。

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平成21年・春の章

ちょっとちょっとの体の変化

これまでの間、身体の変化を色々な場面で感じてきていた。日々ちょっとだけではあるが、ほぼ毎日のように何某かの変化を感じている。これまでの大きなトピックスとしては、平成17年4月8日記述の「アゴを引き、胸を張って股関節がハマッた」というもの、平成19年、新春の章での「出っ腹出っ尻体形」タイトル中での上腹部や下腹部の変化、平成20年の秋の章での「パルス打法」前後に記述したアバラ骨の領域である胸郭に関しての変化、などなど。総じて見ると、肩と首、腰と腹、背中とお腹、胸、肩甲骨、それらの状態やそれぞれの兼ね合いで出来上がる立ち姿(姿勢)に変化が現れ、その都度、喜んだり、悲しんだり、感動したり、という記載がある。

当然のことながら、それがあったから楽しい立禅であり、それがあったからこそ太気拳を続けられてきたのだが、ここへ来て、今までの変化が、ちょっとちょっとでしかなかったな…と思えるほどの大きな変化・大きな進化が自分の身に起きた。

日常が変わる・性格が変わる

天野先生は「日常が変わる稽古でなければ意味がない」という。これは、太気拳の稽古で武術としての組手を進化させようとするならば、当然、自らの日常生活にも変化が現れ、自分との向き合い方や他人との向き合い方、ひいては仕事との向き合い方などにも、修正や見直しがあってしかるべき、という意味だと理解している。実際に自分でも、この富川リュウの修業記にたびたび書いているような日常生活の変化や仕事への取り組み方の変化を体験してきている。しかし、もしかしたら太気拳とは、人の性質・気質までをも改善し、性格や人格にも、変化をもたらすのではないかと感じている。

春の新ネタ、BLINKINGと体の記憶

今年3月、4月は長期の出張などで仕事が忙しく、あまり稽古に参加できなかった。3月度は三回、4月度は一回のみである。第十部の新春の章に記述した内容は、3月8日の岸根での稽古で終了している。その後の春の新ネタとしては、BLINKING(3/15)と体の記憶(4/12)が挙げられる。BLINKINGとは、I先輩からのアドバイス。意識の解像度を上げ、這いなどで動いていく時にも、自分の身体の光が点滅しているように少しずつ動いていくというもの。体の記憶とは、天野先生のエッセイからのヒントで、組手で一人稽古のときのパフォーマンスを出すためには、気分を使って記憶をインプットし、気分を使ってそれを引き出すというもの。どちらもそこそこの成果を挙げ、どちらも必要な要素ではあると感じたが、自分の組手に大きな進化は見られなかった。

気分が重い

今年に入って、なにか気分が冴えない日々が続いている。1月から4月の上旬くらいまで、ずっとだ。1月から3月、4月にかけて、仕事がどんどん忙しくなってきている。2月の中旬からは、花粉症も出てきている。それでも毎日の朝練では進化を感じていたし、毎週ではないが、土曜日はタンゴで遊んで、日曜日は太気拳の稽古に参加している。仕事や家庭サービスに忙殺されていた訳ではない。1月から3月までの状況は「新春の章」にも書いた。これを読むと、それなりに充実した日々のようにも見受けられよう。しかしながら、ずっと気分が重い日々が続いている。原因は、仕事ではない、家庭でもない、太気拳だ。組手での結果がでないこと、何かがノドに詰まっていて、しっくりこない感じ。もうすぐ、ポンっと出てきそうで、出てこない、そんなじれったさが、重苦しい気分の原因だと思う。

夫婦喧嘩の果てに

4月の上旬、7日間の休暇をいただいた。勤続25年のご褒美休暇だ。妻と二人、沖縄へ旅行に出かけた。休暇明けに長期の出張予定が入っていて、内容的にも重いため、それが気になってなかなか旅行気分を楽しめずにいた。旅行4日目の夜、ホテルの部屋でささいなことから喧嘩になった。結婚して17年、これまでの傾向では3年に一度くらいの頻度で大喧嘩になる。今回は、なにか心の中にわだかまっていたもの、それをお互いに吐き出した。そして妻は妻なりに、自分は自分なりに、自分の中の問題に気付き、解き放った。その時、自分の中から何かがポンっと音を立てて抜けた。

その夜は泡盛で多少酔っ払っていたこともあり、大きな変化には気付かなかったが、翌朝の立禅で違う自分を発見した。旅行中は妻と二人で朝食をとるので、妻が起床する前に30分ほどの自主練をしていた。この日の朝、胸が緩んでいた。腕で囲む範囲がそれまでよりも狭くなり、しかしその分、胸や喉の辺りに柔らかい動きが感じられた。帰りの飛行機の中、何か胸の辺りがムズムズする。鎖骨の下あたり、胸骨の脇のアバラの周りの筋肉を揉み解したくなるようなムズムズ感だ。

この数日後、4/12の岸根での稽古の際に、天野先生からソケイ部が伸びていることと頭が前に落ちていることを指摘された。今までも何度か指摘されている自分のクセになっている姿勢だ。翌朝の出勤前の自主練、天野先生に言われたように、それまでよりも少しだけソケイ部を引く、引き過ぎると出っ尻になってしまうので、この微妙なサジ加減が難しい。中庸な位置を探ると、ちょっと下腹部がヒクヒクするようなポイントが見つかった。その瞬間、自分の頭部がムクムクと持ち上がり、とても高い位置に、そして今までよりもかなり後ろの位置に来た。

大きな大きな体の変化・気持ちの変化

4月13日から3週間ほど、仕事で忙しい日々を過ごしていたが、身体と気持ちに大きな変化を感じていた。はじめ2日ほどは頭が冴えてよく眠れなかった。3日目、開いた胸を閉じてやると良く眠れることに気付いた。はじめ5日間ほど、下痢ではないのだけれども宿便のような便が一日5~6回出続けた。立禅では、胸が緩んでムクムクと持ち上がった頭位置、そして良く動くようになった肩甲骨を感じていた。また、出っ腹出っ尻体形が解消され、ムネとノドがよく開いて呼吸が楽になっていた。天を仰ぎ、ウルトラマンの変身シーンのようなポーズととると、サーカスでよく見る剣を飲み込むパフォーマンスでさえもできそうな感覚がある。

日常では、立ち姿も座る姿勢もオードリーの春日君(ピンクのベスト着用)のような姿勢になっていた。特に驚いたのは、気分の違い。それまでは神経質でビビリィな性格だったのに、この日を境に、あまり細かいことは気にならなくなり、先々のことも「まぁなんとかなるさ」と思えるようになっていた。頭位置が本来の高い位置にきたことで、立ち仕事でもあまり疲れなくなっていた。まあそうはいっても、今までが人並み以下だったので、やっと人並みになれたなぁ、というレベルではあるが。

生まれ変わった自分

思うに、これまでの9年間、太気拳の稽古をとおして、自分の身体と向き合い続けてきた。ちょっとちょっとの進化を感じ日々を過ごしてきたが、ここへきて喉の辺りと鎖骨の下、胸骨の周りにあった精神的なわだかまり、あるいは肉体的なシコリとなっていたトラウマ(精神的外傷)などが抜き取られたことで、胸が緩み、頭位置が修正されるに至ったのだと思う。

気分スッキリ!

5月3日、久しぶりの岸根での組手。期待したほどの成果は出なかったが、前回よりは確実に進化していた。1月の中旬、岸根での稽古のあとに、A先輩とI先輩、そしてK先輩と4人で昼食をとった時に出た話、太気拳やってると、どんどん良くなるよ、稽古も組手もどんどん面白くなるし…。その頃、気分の重い日々を送っていた自分には、にわかには信じがたい話だったが、今ではそれが確信できる。ここに生まれ変わった自分がいる。気分スッキリ!まだまだ天井知らずな進化を確信している。

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平成21年 初春の章

温故知新

今年の1月からのトピックスは、温故知新なことがいっぱいあったことだ。入門してからの1年目、2年目に習ったことを見返す機会が多かった。組手での成果が出ないトミリュウに、あれやこれやとアドバイスをくれる先輩や色々とメニューを工夫してくださる天野先生からの心遣いが嬉しい毎日だ。

A先輩からは「揺り」を見直すようにとのアドバイスをいただいた。組手での接触の際に、この揺りで培った感覚が役立つとのことだ。また組手では、「打ちに行かずに、触りに行け」というアドバイスもいただいた。相手の腕でも顔でもまず初めに接触した部分を触りに行く、その後反応し、打つなり崩すなり…、というような内容で、難しい要求であるが、トミリュウの組手の成果につながる素晴らしいアドバイスであった。

また天野先生からは、盛り沢山の色々な歩法の指導をいただいた。入門した年、平成12年の夏の章に書いた「ジグザグ歩法と加速歩法」にフィードバックし、尚且つ新しい視点からご指導いただいた。先生によると、歩法は大まかに言って二通りしかなく、それは普通に歩いていく「並み足」と、一旦止まって踏み替える「継ぎ足」だけであるとのこと。この解釈から、前へ横へ、相手の周りを周る、などなどの色々なバリエーションを教えていただいた。これらの歩法練習を体に馴染ませていくことで、自分の組手の成果につながる新しい発見があった。
※「並み足」は便宜上、トミリュウが勝手に付けたネーミングです。

皮膚感覚から体毛感覚へ

代表的な揺りのメニューに「引き寄せる揺り」というのがある。両手のひら下向きにして腕を前方へ伸ばしていき、両手の平を向かい合わせにして腕を引いてくるように動かす。指先は常に前方を指しているようにする。そしてだんだんとハンドの座標位置を変えずに、両手の平を向かい合わせにした時点で、何かを掴んだと想定して体を前に、重心が5:5になる位まで移動させる。そして手のひらを下に向けながら、体を後ろへ戻していく。

(ちなみにこの揺りは、平成14年の春の章・揺りの項目の中の2番に記述されている。記述されているということは、当然、自分でも取り組んでいたはずなのだが…もう7年も前のことだ。そして現在は、下記のように理解している)

この揺りは、その形が出来れば良いというものではなく、細かい体の使い方と言葉にはできない感覚的なものを探す・養う必要性がある。これは当然、入門してすぐの者にはわかるはずもなく、長年、立禅を組んできたものにとっても難題である。なぜなら、言いようが無い、説明のしようが無い、そういう感覚的な世界だからである。

前年度の第九部・冬の章の最終項目は<八種の半禅・八種の構え>ということで終わっている。このことについて、I先輩に対して「これはあなたのフォームを盗んで考えたことなんです」と報告した。I先輩の答えは「それは違うよ」というものだった。彼曰く「確かに頭の位置はそのように見えるだろうし、それ自体が間違いだと言っているのではない。ただ重要なことは、下が動いて(その結果として)頭位置も変わるということ」
また、「下というのは「腰腹」のこと。この辺を練って、ここから動けるようにしていかないと太気の動きにならないよ」ということも言われた。

A先輩からは、「とにかく力を抜いていく、リキまないで揺りを行う。常にニュートラルな状態、フラットな状態を保つ、前にも行けるけど、後ろにも退がれる。上にも行けるけど、下にも行ける、それを意識して揺りに取り組んでみなよ、そしたらさ、組手も変わるよ、と言われた。

I先輩とA先輩のアドバイスに従って1月から2月にかけて、この揺りに取り組んで、皮膚感覚というよりも、体毛感覚という感じの方が力が抜けて、いい感じになるな、と思った。また、ハンドの座標位置を変えずにこの揺りを行うことで、ハラがとても良く動くようになってきて、質的な進化の兆しがあった。上手くして、これが組手の成果につながってくれると良いのだが…、そんな淡い期待に胸が膨らんだ。

SHOES BY SHOES

1月17日・土曜日の元住での組手稽古の最後の方で「相手と膠着して、どうしていいかわからないときに、足位置を替えるだけで、大きく状況の変化を起こせる」という天野先生の説明があった。この時の天野先生の動きの中から見て盗んだものが「SHOES BY SHOES」。トミリュウは、この日からしばらくの間、この自分で編み出した架空の課題に取り組んで、無駄な時間を過ごすこととなる。

自分はコロンブス張りの大発見をしたつもりで、この課題に取り組んでいた。「SHOES BY SHOES」とは、相手の靴の脇に自分の靴を添えて様に置くようにすること。この位置関係が奥義なのではないかと、色々と考え、工夫した。その位置・タイミング、それを見つければ、後だしジャンケンのように、組手では常勝、負け知らず―――となることを夢見て。

2月8日・日曜日の岸根での稽古。この日の組手は、SHOES BY SHOESにこだわりすぎて「相手が、こうきたらこうしよう」をしていた。「こうきたら・こうしよう」は、組手では一番やってはいけないことだ、と天野先生に口を酸っぱくして言われていたのにもかかわらず、その一番やってはいけないことをやってしまった。

前腕のタテ

1月24日・土曜日の元住での組手稽古の際に、足の踏み替えを伴った打拳のディフェンス技術を教わった。これは、片方の前腕の外側と手の甲を相手に向け「前腕の盾」という感じのもので、とても太気拳らしい独特な動きである。トミリュウは、2月8日の悲惨な組手の後から、この前腕の盾に固執して無駄な時間を過ごすこととなる。

前腕の盾の練りを繰り返しながら、相手の打拳や蹴りをスキーのスラロームのようにすり抜けながら、最終的に相手の腹部から頸動脈に向けて、逆方向の袈裟切りのように入り込めば、組手では常勝、負け知らず―――となることを夢見て。

2月15日・日曜日の岸根での稽古。この日の組手は、前腕の盾にこだわりすぎて「相手が、こうきたらこうしよう」をしていた。「こうきたら・こうしよう」は、組手では一番やってはいけないことだ、と天野先生に口を酸っぱくして言われていたのにもかかわらず、その一番やってはいけないことをやってしまった。なにか組手必勝のルーティンのようなアプローチがあるのだろうか。誰も教えてくれないのなら、自分で探すしかない。

手応えのなさ

しかしながら前腕の盾に取り組む中で、この力のみなぎる動きでさえも工夫次第で力を抜いて行えることを発見した。肘を外に張り、二の腕が空気に乗っかるような感覚を見つけると、結構、力が抜けてきた。ここのところのテーマは「手応えのなさ」手応えとを手放したときに、新しい発見が出てくる。

究極のハイレグ

また、前腕の盾で脱力して揺りの動きを繰り返すうちに、腹部から胸部にかけて大きな変化があった。これは胸板が縦に3枚に割れたような感覚で、股間のソケイ部の切り込み角度が大きくなり、脇までがソケイ部のような感覚だ。この感覚は究極のハイレグといえるのだが、不思議なことにこの線は、上開きのハイレグ・バージョンだけでなく、下がハの字にひらいた二本線、縦に平行な二本線、胸に大きくバッテンとなるクロス線などなど、その時々で感覚が変わっていった。

センターステップ

2月8日から2月21日にかけて色々な歩法を教わった。反復横跳びのようなもの、スキップでランラン気分のもの、横へ斜めに進んで行くもの、相手の周りを廻っていくようなもの等々。これらの中から自分なりにピックアップしたものがセンターステップだ。これは並足で相手に向かって歩いていき、急激に方向を替えるために、継ぎ足を相手のセンターに置くというものだ。トミリュウは、2月15日の悲惨な組手の後から、このセンターステップに固執して無駄な時間を過ごすこととなる。センターステップからの急激な体の転換で、相手の斜め・あるいは横位置を瞬時に取れるのならば、組手では常勝、負け知らず―――となることを夢見て。

3月8日・日曜日の岸根での稽古。この日の組手は、センターステップにこだわりすぎて「相手が、こうきたらこうしよう」をしていた。「こうきたら・こうしよう」は、組手では一番やってはいけないことだ、と天野先生に口を酸っぱくして言われていたのにもかかわらず、その一番やってはいけないことをやってしまった。なにか組手必勝のルーティンのようなアプローチがあるのだろうか。もうそれを探すのは止めにしよう…と思った。

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平成20年 冬の章

消えた引き寄せ足

前回、秋の章(その2)の中で、ヒザを内側に寄せるように半禅の姿勢に工夫して、這いや練りが変わったことを「未来の軸足」というタイトルで記述した。これは10月の中旬のことであったが、11月の中旬にも同じようなことが起きた。

きっかけは何もなかった。ただ普通の朝の出勤前の稽古の中で、半禅に新しいアプローチを思いついた。それは、後ろ足側の尻を前足側に押し出すように、ということ。尻を少ししゃくって、正面側にではなく、斜め30度か45度の前足がある方向に押し込んでみる。これにより軸足は、後ろにあるんだけれども、もう前足に寄り添っているも同然という状態、そして腰から前に進んで行けるような体勢、が生まれてきた。

この感覚を保ったまま這いや練りを行うと、それまでとは全く体の繋がり方や動き方が変わってきた。特に練りの動作の中では、引き寄せ足が、まるで消えたように感じられた。それくらい滑らかに繋がって歩けるようになっていた。

そして前々回、秋の章(その1)の中で「AN打法」というタイトルで記述した項目があったが、引き寄せ足が消えたことにより、この「AN」は、打法というよりも、その構え、そして歩法にこそ一番の重要性が隠されているのではないか、という考えに至った。つまり重要なのは「AN構え」であり「AN歩法」なのではないか。

さえない組手

11月22日の元住の稽古でもそこそこの組手ができたのだが、翌々週の12月7日、岸根での稽古では全くさえのない組手だった。この二週間の毎朝の自主練の中では、AN構え/AN歩法の発見以外にも、幾つかの新発見があり、手応えを感じていたのだが、その成果が全く出なかった。全くさえない組手、あまりのセンスのなさに落ち込んで、再びもう辞めようか…という気分になった。

終わり際に、A先輩から「トミリュウは組手で相手に当たる時に姿勢が伸びちゃってるんだよな。その時に逆に縮んで相手に腰からぶつかって行くようにするんだよ」とアドバイスをいただいた。落ち込む気持ちの中に、とりあえず明日からはそれをやってみようと、模糊とした課題だけを持ち帰った日曜日だった。

耳の痛い話

この日の岸根での稽古の終わりに、天野先生がこんな話をされた。「組手とは何が起こるかわからないカオス的なもの、言うなれば出たとこ勝負。しかしこの混沌の中においても、これだけやっておけば大丈夫というものを掴む。そしてそれをペースにして臨機応変な対応をするという経験を積み重ねていく。この経験の積み重ねが、自分の組手に厚みをもたせる」そんな内容だった。

これは自分にとっては実に耳の痛い話だった。なぜならば、自分の会社での仕事ぶりが、まさにこれの真逆で、嫌なこと、面倒なことからは逃げてばかりいて、この年になっても積み上げてきたものが何も見当たらないからだ。やはり日常の立ち振る舞いが性格となり性質となり、その人となりが組手にも出てしまうということだろう。会社での仕事のやり方、心構え、そういったものを見直して、少なくとも人並みに仕事に取り組むようにしていかなければ、結局、人並みの組手もできるようにはならない。そんなことを思った。

ちょうど良いハラ具合

週明けの月曜日からの朝稽古で、A先輩のアドバイスに従って、腰からぶつかって行く感覚とあたる時に縮む感覚にトライしてみた。そして、すぐさま新たな発見があった。腰からぶつかって行くだけだと、少しのけぞってしまうし、縮むだけだと頭が下がってしまう。しかしこの両方をやろうとすると、不思議なことに下腹部の辺りにちょっとだけリキむに良いポイントが見つかったのだ。ハラは緩めるだけでもダメ、そしてリキむだけでもダメ。あるポイントだけを僅かにリキむ、そのちょうど良いハラ具合が見つかった。

そこそこ組手

12月8日からの3週間は仕事が忙しく、出張も多くあり、全く土日の稽古に参加できなかった。それでも旅先のビジネスホテル近くの公園で、毎朝20分から40分ほどの自主練を行っていた。そして12月28日の岸根での稽古に参加。下腹部に少し力を入れることの効果が出て、そこそこの組手ができた。しかしながらまだまだ未完。この日の天野先生の総括のお話は、日常生活の中で、信号待ちなどでも自分の体で遊んでみるようにとのこと。そこで立っているときの腰腹の具合や体のバランスなど、ブラジルのサッカー少年が日がな一日サッカーボールと戯れているように、自分の体と戯れてみてごらん、というような内容だった。

終わり際に、I先輩がHさんにアドバイスしているのを盗み聞きして次の組手のヒントを得た。I先輩によると「自分は相手の中心を捕らえても、相手には自分の中心を捕らえさせない姿勢と歩法がある」とのことで、それを実演されていた。また帰りの電車の中で、天野先生からは「組手では自分と相手との共通点を見つける」というお話を聞いた。「相手が何をしようとしているのかを踏まえたうえで、自分の次のアプローチを選択する」というような内容だった。

スルーさせる這い

12月27日土曜日からは年末年始の長期休暇に入っていた。11月、12月の忙しさもひと段落。ほっと一息といったところだ。年末の29,30,31は、自宅の大掃除などの合間をぬって、午後3時半くらいから近くの公園で自主練をした。

先日の「組手では自分と相手との共通点を見つける」という天野先生のアドバイスから、
・あなたには腕が2本、足が2本ある
・あなたは私の中心を打ち抜こうとしている
という二つの言葉が浮かんできた。

正面の立禅で、呪文のように繰り返す。「あなたには腕が2本、足が2本ある。あなたには腕が2本、足が2本ある。あなたには腕が2本、足が2本ある・・・」そして半禅でも、心の中で呟き続ける。「あなたは私の中心を打ち抜こうとしている。あなたは私の中心を打ち抜こうとしている。あなたは私の中心を打ち抜こうとしている・・・」ここで新たなひらめきが。相手の打拳を耳の脇に通り抜けさせれば…。

今までは自分の中心で相手の中心を抑えることに固執しすぎていて、逆にスーパーセーフの正面に面白いほど良く打拳をもらっていた。相手にしてみるとちょうど良いマトで、とても合わせやすかったのだろう。しかし、意識を切り替えて、それを耳脇に逸らしていくように半禅の中で工夫してみた。この意識で這いを行ってみると効果は歴然で、今までは顔の正面を相手にさらす時間が長すぎていたことに気付いた。

半禅で耳脇にスルーさせる。AN構えでも耳脇にスルーさせる。そして這いでも耳脇にスルーさせる。I先輩が言っていた「自分は相手の中心を捕らえても、相手には自分の中心を捕らえさせない姿勢と歩法」というのは、こんな感じかな、と思った。

八種の半禅・八種の構え

この章は、第九部・冬の章となっているが、これを書いている今、暦は2009年1月。もうすぐ、自分の太気拳修業も丸9年となる。思えば、長いようで短い9年間だった。過ぎてみると、あっという間に歳月が流れたかのように感じる。

1月4日、岸根での初稽古、スルーさせる這いの成果が出て、そこそこの組手ができた。そして、I先輩の組手のフォームから、次の組手のヒントを得た。I先輩のフォームは、AN構えだけにこだわらず、半禅構えも時折顔を出す。また、AN構えでは頭はこっち。半禅構えでは頭はこっち。ということはなく、両方あり!というところ。この辺を自分なりに整理すると、構えは左右とりまぜて8種類となる。

明日からの朝稽古で自分の中から何が出てくるのか、来週はどんな組手ができるのかがとても楽しみだ。そして今年はついに、自分の太気拳修業も10年目に突入!とりあえず人並みに仕事をこなして、人並みの組手ができるようになりたいものだ。

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平成20年・秋の章 その2

尻を締めろ!

6月7日、もう4ヶ月以上も前のことだが、立禅を組むトミリュウの傍らに現れた天野先生から「尻を締めろよ」とアドバイスを受けた。これは特に半禅では重要で、後ろ足側の尻を締め、腰を前に押し出すようにして、前へ移動していくことも可能とのことだった。しばらく数週間位だろうか、先生の言うとおりにやっていたが、あまり効果を感じなかったためか、アーカイブス入りしてしまった。それ以降、ほとんど尻を締めることはしなくなっていた。

ロング・トーン

7月20日、もう3ヶ月以上も前のことだが、立禅を組むトミリュウの傍らに現れた天野先生から息の吐き方についてのアドバイスを受けた。これはトロンボーンやトランペット、クラリネットやオーボェなどの管楽器の練習方法で、一定の音量・音程を保ったまま、んんん~と息が続く限り吹き続けるというものだ。これを立禅でやってみさいとのこと。ポイントは最後の息を吐き切るところ。息の全部を吐き切って、もうこれ以上でないと感じてから、さらにフンッ!と下腹部に落とすように吐き切る。しばらくの間、数週間位だろうか、先生の言うとおりにやっていたが、あまりその実用性を見出せないままに、アーカイブス入りしてしまった。それ以降、ほとんどロング・トーンの練習はしなくなっていた。

背中のショックアブソーバ

10月11日の推手で「背中が硬いぞ」と言われた。体全体がゴムまりのように立禅をしていたはずだが、時に、対人稽古となるとついつい力が入ってしまい、あるいは「良い姿勢、良い姿勢」と頭で考えている内に、間違った方向へ行きそうになる。膝だけではなく、常に背骨全体がショックアブソーバのようになっているように気をつけようと思った。

モモの盾

踵を押し出すような感覚を使ったTS打法を見つけたのが9月末、しかし、このTS打法では前ヒザが伸びてしまって次に続かないことを受けて、前足の踵を内に入れるのではなく、ヒザを内側に寄せるように半禅の姿勢を工夫してみた。これにより、大腿骨が自分の中心に来て、金的を守り、さらに前足側の下腹部が活きてくるという効果が得られた。この感覚を保ったまま這いや練りを行うと、それまでとはまるで体の繋がり方や動き方が変わってきた。

未来の軸足

10月18日の稽古で、この感覚を確認できた。対人稽古の推手で、前に歩み出して行くときに、今までは軸足の力に頼っていたのだが、モモの盾の半禅で前足側の下腹部が活きていきたことにより、差出し足の感覚が変わっていた。この差出し足には意図があり、重心がそちらへ自然に移って行くので、軸足だけの筋力に頼らずに相手を押しのけていくことが出来るようになった。これはまるで、差し出し足が未来の軸足であることの意思表示をしたかのようだった。

相手の歩幅につられるな

人間は、無意識のうちに相手の歩幅に合わせてしまうようにできているらしい。組手で、相手が大きく後方に一歩下がると、自分も何故か大きく一歩踏み込んでしまいたくなる。この傾向がわかったなら、後は、そうならないにはどうしたら良いか?という問いの解を探せばよいだけだ。①相手が大きく下がってもつられないように常に小さい歩幅で動く稽古を重ねる。②大きく一歩踏み込んでも、自分の姿勢が崩れないように工夫する。このどちらかしかない。

テレホンパンチの理由

組手では自分だけでなく、仲間の何人かが「引いてから打つなよ。そのままの位置から打つんだよ」と天野先生から言われていた。今までは、ただそうしないようにしようと気をつけていたのだが、ただ気をつけているだけでは、なかなか直らなかった。しかし相手の歩幅につられる傾向に気付いてから、テレホンパンチの理由がわかった。これは大きな歩幅で踏み込む時に、陸上競技の走者と同じで、腕を大きく後ろへ振る出したくなるためだ。この傾向がわかったなら、後は、そうならないにはどうしたら良いか?という問いの解を探せばよいだけだ。①常に小さい歩幅で動く稽古を重ねる。②引き手に頼らずに、大きく一歩踏み込めるように工夫する。このどちらかしかない。

反応できる姿勢、反応できる気持ち

10月23日の朝、目覚める一瞬前に気付いたことがある。反応して打つためには、いつでも反応できる状態にいること。反応できる姿勢、反応できる体、反応できる手、反応できる目付け、反応できる気持ち・・・。

腕を背中で支えない

ここのところ、出張が多い、出張先では工場での立ち仕事なので、足や背中に疲れがたまりやすい。10月25日、体があまりに疲れていたので、稽古をさぼってしまった。翌週からの朝の自主錬でも、まだ背中に張りが残っていた。この疲労は、もしかしたら仕事からのものだけではないかもしれない。たぶんこの朝錬も負担になっているのかも・・・。そう思った月曜日に、背中で腕を支えないように工夫してみた。腕はお腹の周りにある膨張感にのっかる感じで・・・。

尻を締める

次の日もまだ身体に疲労感がまとわり付いている。足と背中が張っている。ふと気付いた。お腹とお尻には疲労感がないではないか。そうだ!尻を締めるんだっけ。背中の力を抜くために、お腹とお尻ではさんでみた。はさんだ所に丹田ができた。しかし腹筋にはあまり力を入れないほうが良いようだ。腹筋を意識してしまうと、表面の腹筋だけを使うようになってしまう。尻だけを締め、少し斜め上に押し出すようにしてみる。ずいぶんと立禅が楽になった。特に半禅が楽になった。もう4ヶ月以上も前に天野先生が教えてくれたこと。今やっと、それが理解できた。

さえない組手

尻の締めにより、ずいぶんと楽に姿勢を保っていられるようになっていた。しかし11月2日の組手には全く冴えがなかった。三人ほどと組手を行い、いつもなら三人目くらいから調子が出てくるのだが、何かが足りない。全く冴えがない。歩幅は狭くしたし、片足で打つこともできるはずだ。背中も柔らかく使っていたし、反応できるように意識していたはずだ。しかし何かが足りない。何だ、何が足りないのだ。

組手の後の総括で、先生が皆に話をする。その日の話は呼吸について。呼法について教えたのだから、それを組手の中で活かせるように各自工夫しなさいとのこと。これだ!これが足りなかったのだ、今の自分には。

呼吸力ということ

さっそく次の日からの朝練で、呼法について真剣に取り組む。もう3ヶ月以上も前に天野先生が教えてくれたこと。今やっと、それに取り組もうとしている。俺は無駄なことなんか何にも教えていないよ。そう言った天野先生の言葉が思い出された。

まずはロング・トーンの練習。はじめは天野先生に教わったとおりに何度かやってみる。次第に自分なりに工夫して、ハミングのような音を出すようになった。以前は全く効果を感じなかったこの稽古が、今は確実な手応えを感じている。たぶん、尻の締めをキープしているようにしたためだと思う。最後にふんっ!と吐き切ってみる。この感じのままで這いを行う。初めは右で吐いて左で吸う。次第にずっと吐き続けていて、姿勢が変化するタイミングでだけ吸うようになった。そして練り、探手へ。探手では初め、吸うタイミングで変化して動いた。そして次第に変化の瞬間に吐き切るようになった。いちばん驚いたのは、これをやり始めてから、体の疲れ方が和らいだことだ。この週もユーザー先の工場で一週間立ち仕事だったが、それまでより背中や足の張りが軽減され、疲労感もそれほど感じなくなっていた。

そこそこ組手

11月15日、呼法の成果が出て、そこそこの組手ができた。天野先生からのアドバイスは視線が泳いでいるとのこと。来週までにこの辺を改善するように工夫してみようと思う。あとは秘伝(11/14発売)の記事の中の天野先生のエッセイにあった「殴りに行くのではなく、殴れる状況を作る」という話。それから日曜大工のたとえ話もとても参考になった。

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会員・会友員のテクスト 富川リュウの太気拳修行記

平成20年・秋の章 その1

AN打法

8月1日からの3日間、熱海で夏合宿が行われた。ここでは繰り返し、前へ出て行きながら、左右の打拳を連続して打ち出していく打法の稽古を行った。

とりあえず名前が無いと何かと不便なので、仮に「AN打法」と名づける。このAN打法、まず構え方に特徴がある。通常は、両手の平を相手に向け、その手を自分の顔の前あたりにおく。そして右足が後ろなら右手も後ろ、同じく左足が前なので左手が前となり、当然、右足と右手が前になる逆パターンも存在する。まあ簡単に言うと、半禅のまま構えているようなものだ。そしてAN打法の場合には、半禅での構えから左右の手の前後を入れ替える。右足が後ろのときに右手が前で、左足が前で左手が後ろとなる。そしてこの構えから前に歩き出しながら、左右交互に打っていく。右足が前の時に左手で打ち、左足が前の時に右手で打つ。

このAN打法、トミリュウは一人稽古の中では、まずまず上手くできた方だと思う。しかし組手では全く使えなかった。何故か?それは夏合宿の間中ずっと考えていたが、結局、答えは出ずじまいであった。

パルス打法

「ちょっとだけミゾオチの辺りを引っ込めてみて、胸がやっと生きてきた」と夏の章に書いた。夏合宿で聞いた話をヒントにちょっとした工夫を加えることで、アバラの状態が変化しはじめた。8月から9月にかけて、どんどんアバラがよく動くようになって、9月の末には、乳首の内側に、縦に20cmくらいのエリアのアバラのグラデーションが2列できた。両腕を縦に大きく回す練りをしてみると、このグラデーションが光の点滅を伴ってパルス信号を発しているように感じられた。次第に同時に回していた左右の腕の位相を少しづつずらし、左右交互に回すように。そして、それがブンブン回るようになってくると、フリッカージャブの連打ができあがる。パルス打法、またの名をぐるぐるメリーゴーランドという。しかしこの打法、組手では使えない。何故か?それは考えても答えが出そうになかったので、とりあえず保留扱いとなっている。

TS打法

9月21日の組手で、相手の顔を見ずに攻防を行っても、的確に自分の打拳が相手の顔面を捉えられる感覚が確認できた。第一司令塔と第二司令塔の目付けの成果が得られて嬉しかった。天野先生からのアドバイスはひとつだけ「相手の中心に打っていけるように工夫してみなさい。それだけやればいい」とのこと。またこの日は、這いをやっているときに「頭を傾け過ぎている」とのご指摘もいただいた。

朝練を繰り返す毎日の中で、次第に這いが変わっていった。この頃は足先を外へ向けるように工夫していたのだが、踵を押し出すようにしても同じ効果が得られることを発見した。そしてこれにより、這いでの足の着地の位置が、今までより縦に短い歩幅で、横にもかなり狭く、ほとんど中央を歩いているような足位置になっていった。

そんな中、ふとした弾みからTS打法が生まれた。「相手の中心に打っていく」それをイメージして探手をしていて、AN打法とは違うんだけれども、自分なりに自然な動きで前へ打って出られる打法ができた。これは、右足・右手が前にある体勢から、左足を左後ろにスライドさせ、瞬時に右足の踵を相手の中心にグッとスライドさせ踏み込み、左手で打ち込んでいくような体の使い方をする。えっ、TS打法って何の略かって?それはTommySpecialのTとS、それでTS打法なのです。

KS打法

9月27日は体があまりに疲れていたので、拳法の稽古をさぼってしまった。ここのところ、仕事が忙しく、まぁ年のせいもあるのだろうが疲労が抜けにくくなって来ている。10月5日、組手でTS打法が面白いほど良く当たった。しかし次に繋がらない。TSで打ち込んでいくと一発目はあたるのだが、体が伸びているため次の変化に時間が掛かり、格上の相手だと一発目を当てた後に、今度は自分の方がやりこめられてしまう。特にH田さんとの組手では、最終的に組み技になってしまい、投げられておしまい、ということが2度もあり、これは次への課題となった。

またこの日は、他のメンバーの組手を見ていて新しい発見があった。それはTS打法と似た動きをしたK村さん。その打拳は、AN打法の動きで間合いを詰めて行き、打つ時だけ前足をスライドさせるものだった。左右の手足が交互に出て行くので、左手と右足が前にある。そこから右足を右斜め前にスライドさせ、左手で相手の中心へ打ち込んでいくような体の使い方をする。えっ、KS打法って何の略かって?それはK村SpecialのKとS、それでKS打法なのです。

しかしこのKS打法、天野先生からはダメ出しをされた。「そこまで歩いて行ってるんだから、そのまま歩いて打って行けばいいじゃん」つまりは「足をスライドさせることはせずに、AN打法で打てよ」ということだ。しかしトミリュウは心の中で呟いた「それが難しいんだよね。K村さん、俺にはその難しさが良くわかるよ。でも何故出来ないのかが分からないんだよね…」と。

ところでこのAN打法、その名の由来は、AmanoNormal打法なのです。なぜなら「当たり前じゃん。当たり前に打ってるだけだよ俺は」といつも先生がおっしゃるから。あらら、先生には当たり前のことが、なぜ我々には出来ないのか…。謎は深まりばかりです。

歩幅を狭く

太気拳では相手ともつれた合った時に組んではいけないと言われている。体の大きな外国人や柔道やレスリングなどの組み技を専門にやっている人間は五万といるのだから、ここで組んで投げた、勝ったと言ってもお話にならないからだ。もちろん投げられてしまうのはもっと話にならないことは言うまでもない。そこで取り組んだことは、組手の中では、絶対にスタンスが広くならないように工夫してみた。狭いスタンスで安定して立つ。しっかり立つ。あるいは片足ででも立つ。それだけを意識して毎朝の朝練を繰り返していた。

そして10月11日の組手ではこの成果が得られた。前述のH田さんと当たり、もつれ合ってH田さんの方がすっ飛んでいってコケた。自分は特に技を掛けたわけではない。ただ狭いスタンスを守り続けていただけだった。この日は天野先生から戦略・戦術を考えるようにとのアドバイスをいただいた。確かに自分でも狭いスタンスの効果は出たが、打拳には冴えがなかったと感じていた。

片足で打つ

朝練を繰り返す毎日の中で、ちょっと冷静にAN打法に取り組んでみようと思った。TS打法は出来た。KS打法も真似しようとすると出来た。それでは何故、AN打法が出来ないのか? いったいTS・KSとANにはどんな違いがあるのか?TS・KSに在ってANに無いもの。あるいはTS・KSに無くてANに在るもの。それを考えると答えは一目瞭然だった。数式にあらわすとX=AN―(TS・KS)となる。そして、Xとは、引き寄せ足だった。

どの打法も前足が着地するタイミングで打っている。しかしAN打法の場合には、後ろ足を引き寄せてから前に足を着地させて打拳を打つ。そしてTS・KSにはこのタイムラグが無い。だから足を引き寄せている時間分だけ、手が出るのが遅くなる。AN打法を分解し、はじめは引き寄せ足をしてから打ってみる。着地と打拳が同時になる。しかしこれを繰り返すうちに、足を引き寄せると同時に、片足のままで打っても出来るんじゃないかということに気がついた。これはなにも必ず片足で打たなければいけないと言う意味ではない。前足が着地するタイミングでしか打てないよりは、片足でも打てることが分かれば、それだけで選択肢と可能性が拡がるというものだ。

しかし10月18日の組手では、このAN打法から発展させた片足打法は役に立たなかった。天野先生からのアドバイスは、ヒザを柔らかく使って、滑らかに繋げて動けるようにとのこと。このAN打法、まだまだ奥が深そうだ。そしてこの日の課題は「目線を泳がせるな」とのこと。これは推手でも組手でも言われた。第一司令塔と第二司令塔じゃあダメなのかなぁ~と思った。

目線と意識の分離

人として社会生活を営むうえで、自然と身につくコミュニケーション術というものがある。相手の目を見て話をしなさい。女性と気持ちを触れ合わせるためにはアイコンタクトが大事、などなど。これが得意かどうかは別にして、少なからず誰しもが無意識のうちにこういうことは行っている。しかし組手とは普通の状況とはかけ離れている。つまり普通にしていては、組手にはならない。そこで編み出したのが、第一司令塔と第二司令塔。以前より、天野先生は相手のノド元を見て組手をすると聞いていたので、たぶん先生のようなバランスの取れた人は、自分の中心で相手の中心に合わせていくのが当たり前にできて、トミリュウのようなバランスの悪い人間は、それがちょっとズレていて、だから自分の場合には右上なんじゃないのかな、と推察していた。

普通の場合には、「目線の先の一番近くのものに目の焦点が合い、そこに意識も集中する」という状況になる。それを立禅でボウッと遠く全体を見ながら何をするかというと、目の焦点は遠くの一点に合わせるのではなく、どこにも合っていないけど、動くものは全部見えているという状態を作る。その上で目線の合っていない間近にある木の表面に意識を集中させる。この目線と意識の集中を分離させたやりかたでそこそこの成果が得られていた。ならば相手のノド元を見るにはどうしたら良いか。これはなかなか難しい。しかし立禅では出来た。そして電車の中の向かいに座った人にもできた。だからと言って組手で出来るのか、それが問題である。

※次回予告

まだまだ書ききれなかった項目が目白押しなので「秋の章その2」を近日中にリリース予定です。ここに予定される目次をご紹介します。

第九部・秋の章その2(予定)
<背中のショックアブソーバ>
<モモの盾>
<未来の軸足>
<相手の歩幅につられるな>
<テレホンパンチの理由>
<反応できる姿勢、反応できる気持ち>
<腕を背中で支えない>
<気持ちで体を引っ張る>
<尻を締める>

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平成20年・夏の章

ハーフ&ハーフ

前回の初夏の章の最後に「自分なりに工夫を凝らし臨んだ7月6日、少しは組手が良くなっていた」と書いたが、その工夫についての報告をしておきたいと思う。

6月28日の組手では「身体を透明化し、思いをゼロ化する」感覚で臨んだが、これでは緊張感に欠けていると感じた。「脱力」を意識するあまりに「ゆる過ぎる状態」だったのだ。その日の組手の終了間際、自分の手に力が無く、これではその瞬間が来ても打拳を出せないなと感じて、ちょっとだけ力を入れてみて、最後の1分間だけいい動きができたので、それがヒントになった。

そして次の日からの立禅で「ハーフ&ハーフ」にトライしてみた。力が完全に抜けている立禅の姿勢から、少しだけ手に力を入れてみる。そしてそれを全身を震わせながら、力んで緩める、力んで緩めるを繰り返しながら、6/4から 4/6の辺りに調整し、なんとなく5/5くらいかな、という所を探す。実は、このやり方は気持ちの作り方にも応用可能で、主に眼の焦点の合わせ方、目の前の全体の風景の見方に対して、目をカッと見開いたり、全体をボゥ~を見る状態を、ハーフ&ハーフに調整してみて、良い結果が得られたのだ。

上腹部の使い方

次の夏合宿に向かい、天野先生から皆に対してのテーマは「体幹部の使い方・体幹部からの力の引き出し方」ということだ。まずミゾオチから下を足だと思って使えとのこと。そして初めに、ミゾオチから上だけを肩と腕と頭を一緒に回転方向に捩じってみて、一番力が抜けて、気持ち良く捩じれる感覚を見つける準備体操から始めた。そして次にヘソからミゾオチの間だけを捩って使う。腰と肩はそのままの位置で、上腹部だけを捩じって使うのだ。ここでもポイントは同じ、一番力が抜けて、気持ち良く捩じれる状態を捜すのだ。

これが半禅で出来るようになると、自分の組手が大きく変わった。相手の顔に対して、自分の手が(打拳が)真っ直ぐに入って行くのに対して、自分の顔は少しだけ(イメージ的には約10度)横に入っていく。そしてその時のハラの向きはというと、相手に対してかなり横を向いている(イメージ的には約45度)。しかしこれでは順番が違う。まずハラが相手の頭部を打ち抜く感覚で45度方向を向き、次に頭が少しズレて入っていく。そして、この二つが組み合わされた結果として、打拳が相手の正面を捉えてくれる様になった。

ハラを「くの字」に

前述のハラを捩って使う感覚が身につくと、探手での打拳のキレが一段と良くなった。しかしそれでも天野先生からの色々なアドバイスを思い出しながら、何が足りないのかを考えて探手をしていると、自分の中から色々なものが出てくる。「打拳を打つ探手はあまり重要ではない」「手はいつも顔の前」「打ってしまったら、すぐに打ったことは忘れる(それが当たっても当たらなくても)」「相手が来た瞬間に、体を緩めて地面を掴んで、体全体を縮ませる」。ということは「引き手が重要」ということではないか! そう思い、打った手がすぐに所定の位置へ戻ってくるように工夫してみた。手だけで戻しても何か空しい感じがした。ならばどうするのか。フッと体全体を縮めてみる。コレだ!少しアゴをだして、ハラを「くの字」に曲げる動きに引き手の動きを連動させることで、手が体に戻ってくる感覚が得られた。後日、この件で天野先生から教えていただいたことは「少しアゴをだして、ハラを「くの字」に曲げる」ときに見つけたハラの感覚はそのままで、「アゴを出さずに、ハラも「くの字」にはしない」ということだ。その時のハラの感覚、ハラの奥のほうがキュッとなる感覚をキープすること。そして、頭部・胸部・腹部があるラインに揃っていることが重要だとのことだった。

緊張と弛緩

ハーフ&ハーフの感覚で立禅ができ、上腹部の使い方が解り、ハラがキュッとなる感覚が身についてくると、緊張と弛緩の相反する要素が両立できる状態が見えてきた。今年の春くらいまでは、リラックスすること、固くならずに緩んでいることを第一優先に考えて稽古してきていたが、それではやはり限界があった。ここへきてやっと体も気持ちも、緊張の中の弛緩、弛緩の中の緊張ということが実現できつつある。

これは天野先生の云う所の「ただ緩んでいるだけでは駄目で、いつでも締められる、いつでも力を出せる緩んでいる状態が必要」ということにも通じる。

これを体得するための近道というものがあるのだろうか? 大抵の初心者は、はじめて立禅を組むと、まず首と肩肘に力が入ってしまう。そして個人差はあるが数ヶ月で首と肩肘のリキミは取れてくる。そして次は腹と背中、ここのリキミが取れるまでには、ずいぶんと時間がかかる。自分の場合には、約8年の時間を要した。そして9年目に入ってやっと緊張の中の弛緩、弛緩の中の緊張ということが実現できつつある。

用心深くなれ

7月20日の岸根公園での組手で、ハラにヒザ蹴りをくらいダウンしてしまった。この時に意外な発見があった。もちろんその瞬間に自分のハラがガラ空き(ハラに締めの無い状態)だったことはいうまでもないが、もっと大事なこと、もっと違うことに気がついた。

この2週間前に、同じ場所で同じメンバーと組手をした。一人目は、空手経験者の小柄なTさん。そして二人目は私とほぼ同じ体格のS拳法経験者のKさんだ。この時は、Tさんに対しては、やや優位に立てている組手ができた。Kさんにはやや押されぎみの組手だった。そして7月20日、この2週間での自分の進歩に自信があったので、Tさんに対しては伸び伸びと、楽勝ではないものの、いい感じで自分の組手ができた。そして続けてKさんとの組手。前回は押されぎみだったものの、今日の自分は違うんだぞ、と意気込んでいた。そしてハラにヒザ蹴りをくらいダウンした。いったい何が悪かったのか。

その対戦でKさんと向かい合った瞬間に「あ、この人は強い」という感覚があった。しかし自分で自分のその感覚を無視した。今日の自分は違うんだぞ、という自分の思い込み・自分勝手な考えを優先させ、そして失敗した。ここでの教訓は、自分の思い込みや推測などは二の次にして、「あ、この人は強い」という感覚の方を優先させ、用心深く組手に臨むべきだ、ということだ。

充実感

8月1日からの3日間、熱海にて夏合宿が行われた。私は初日の金曜日に休みが取れたので、初めてフルの3日間に参加することにした。去年までは、体力に自信が無かったこともあり、日帰り参加することがほとんどだった。それが何故か「今年はいけそうだ」という感触があった。ひとつには体力がついたこともあるだろうし、体がこなれてきて無駄な所に力が入らないので疲れにくい、ということもあると思う。しかし今回の夏合宿で改めて気付かされた点は、長い時間の一人稽古に苦痛を感じなくなっている自分を発見したことだった。

例えば何も予定のない休日に、近所の公園で自主練をしようとする。夕方になり、あまり暗くならないうちにと、エイヤっと重い腰を上げ、午後4時くらいに自宅をでる。30分だけか、一時間まで行うのか、気分はややもすると短めの時間で切り上げるほうに傾く。それでも自分は稽古が好きなほうだと思っていた。何も予定のない日は、ジョギングするよりも、プールで泳ぐよりも、立禅をすることがとても楽しいからだ。

今回発見した自分は、立禅も這いも、ただメニューをこなすのではなく、思考と実行をセットで行うようになっていた。労働者が課せられた責務をもくもくと果たすというよりは、研究者が自らの興味・関心から派生した事柄を研究することが仕事であるように。仮定し、検証し、出てきた解に基づいて再び仮定し直し、また検証する。そんなふうに自分の稽古を組み立てられるようになっていた。

欠落感

初日、金曜日の稽古のあと、夕食後の部屋飲みで、いっぱい飲んで、いっぱい喋った。いや、はっきり言って飲みすぎた、喋りすぎた。土曜日の朝は二日酔い。そのまま稽古で汗をかき、昼にはほとんど酒も抜けたが、胃腸が疲れているせいかあまり食は進まない。午後の稽古の締めは、やっぱり組手。さんざんな結果だ。二日酔いのせいにはできないが、初対面の伊豆同好会の面々の手前にもかかわらず、いいところを全く見せられなかったので、ずーんと落ち込んだ。その日の飲み会でのお喋りは一気にトーンダウン。何だか全然元気がでない。そういう訳で、夜は皆がワイワイ盛り上がる中、一人早めに床に着いた。ちくしょう!明日こそ、不完全燃焼ではない組手をやりてぇーと。

翌朝、早く目が覚めてしまい、一人、体育館に行く。30分ほど自分のイメージで探手を行う。なかなかいい感触だ。そしてその日の稽古の締めも、やっぱり組手。不完全燃焼感こそ無かったものの、何かに手が届きそうで、全く届いていない欠落感。そんな欠落感をまざまざと感じさせられた夏合宿の最終日だった。

聞きたいことが分からない

熱海からの帰り道は、私と天野先生と後輩のYさんの3人が電車の中にいた。組手に対して、どういうアプローチをしていけばよいのかを聞きたかったが、尋ねるための糸口がない。分からないのだけれど、何が分からないのかも分からないので聞きようが無い、という有り様だ。それでも、○○ということは、どういうことなんですか?と的外れを承知の上での質問をすると、天野先生は丁寧に答えてくださった。

アプローチの違い

組手の始まりは、打ちに行く、当てに行く、ということではない。まず「抑える」、つぎに「触れる」、そのつぎに「変化する」、そして変化のあとはまた「抑える」に戻る。富リュウは自分が組手のセンスがないと思うんだったら、「抑える」から入って「触れる」ところまで行って、相手と自分の状況を良く観察してごらん。そしたら打たなくてもいいから、また「抑える」の距離にまで戻ればいいんだよ。そんなアドバイスだった。

帰宅後、そのアドバイスの意味を反芻するように天野先生の著書「組手再入門」を読み返してみた。実に4割ほどがそのための説明にページを割いていた。「打ちに行く、当てに行く」という意識でいたときには、あまに目に入らなかった点だ。いや、それなりに読んで解っていたつもりにはなっていたが、自分の意識がそれを(抑える、触れる、変化するを)プライオリティの低いほうに分類していたのだろう。

そしてもうひとつ、一昨年の夏合宿のビデオを見直してみた。さすがに一年前に比べると少しは自分も成長しているだろうとの自信がほしかったのかもしれない。だけど、自分のしょぼい組手を見ても何の感触も無い…。しかしここで、驚きの新事実を発見!それは天野先生の組手のスタイル。まさに、抑える、触れる、変化する、を体現されているのだ。いただいたアドバイスは、初学者に対してのものと思い込んでいたが、そうではなかった。天野先生自身もその手法を使い、組手に臨んでいた。まさに組手の王道ここに有りって感じ!もちろんそれが出来たらの話ですが…。

抑えること触れること

ここで「抑えること」と「触れること」の解説をしておこう。抑えるとは、自分の手を顔の前に置き、手の平を相手に向けるということ。そして相手の手から自分の顔までの軌道線上に自分の手を置いておく。つまり相手の手が低い位置にあれば自分の手もやや低い位置にする必要がある。触れるとは、自分の手と相手の手が触れ合える位置にまで距離を詰めること。ここでは、自分の手の平で相手の手や腕を掴みにいくのではなく、自分の掌、手首、前腕のどこかが、相手の掌、手首、前腕のどこかに触れればよい。そしてこの瞬間が一番大事で、この瞬間に気持ちを最大限に緊張させ、相手と自分の状況を良く観察することとすばやい変化を起こすことを同時に行なう。言うはやすし、西川きよし、である。

目に見えないこと大事なこと

夏合宿である人からとても参考になる話を聞いた。その人によると島田先生に聞いた話だという。それは立禅での体の感覚の作り方の話。手の平で子供の頭を撫でるような感覚を持つ。そしてそれを腕の内側と胸、腹、太腿のうえにまでも拡げていき、撫でて包んで抱擁しているような感覚を作っていく…そんな話だった。これを実践してみると、なんだか曖昧だった「ハーフ&ハーフ」より、島田先生の言う「撫でる感覚」の方がより的を射ていた。そして自分の胸が包めていないな…と感じた瞬間、ちょっとだけミゾオチの辺りを引っ込めてみて、胸がやっと生きてきた。その後、背中を拡げて使う感覚などにも気付き、とっても微妙なことなんだけど、これって大事なことなんだなと思った。

形ではなく機能

初夏の章に書いた<頭をハラの上にのせる>というのは間違いだったのかもしれない。ダビングしていただいた今年の夏合宿の組手のビデオを見てそう思った。なぜならば自分の組手が、春の花見のときよりも下手になっていたからだ。幸い、胸を少しだけ引っ込めること、背中を拡げて使うこと等々、自分の立禅に進化の兆しを感じていたので、次の課題もすぐに見つかった。特にkitaG3やi井さんのフォームが参考になった。それはミゾオチの裏、背中の上のほうを膨らませて使うフォームだ。これをやると肩が下がり、胸が緩んでアバラがよく動くようになった。特に私の場合、ビビリィの緊張気質なので、相手と向かい合うだけで無意識のうちに背中が強張っていたようだ。新しいフォームで立禅するようになって、この辺が改善されてきた。

思うに、「頭が下がってしまうから、頭をもっと後に置いておけばよい」というのは、あまりに安直すぎる考えだったと思う。人は誰しも「位置=形」に目が行きがちだが、大事なのは「機能=状態」である。どんな状況の時にも、動ける状態に自分の身体を保っておく。これが重要。――そういえば、ここのところ言われ続けている。「自分で自分の体を動けなくしてるんだよ。見直すべき点は、姿勢と視線」これが天野先生から自分に対してのアドバイスだった。

第一司令塔と第二司令塔

自分の体の中心はどうも右に2~3cm程ずれているようだ。そして長く禅を組んでいると右目の上あたりが気になってくる。これは自分の意識が、頭蓋骨の内側の右上の部分に何かを感じているように思えてならない。

右目の上に自分の第一司令塔を立てる。そして、第二司令塔を相手の左肩の上に立てる。こんな視線の保ち方を見つけた。意識は第一司令塔と第二司令塔に集中させておく。目付けは全体をボワ―ンを見る。しかし目玉は右上を向いているかもしれない。体はパラボラアンテナの様に相手の全体を捉えておく。目で見ずに、体で見ているような感覚だ。

組手の手応え

9月13日、久しぶりに組手をした。夏合宿でアバラを痛めていたので、しばらく対人稽古はしていなかった。今回は6週間ほどブランクがあったが、色々な工夫の成果が現れ、少しは組手が良くなっていた。しかし、またまた次の課題が噴出…。結局、これの繰り返しなんだな、と思った。でも今は、自分の組手に確かな手応えを感じている。回を重ねるごとに、新たな問題は出てくるものの、確実に内容が良くなってきている。そして毎回、何某かの進歩を感じられている。一足飛びにスーパーマンになれることはないだろうが、日々の積み重ねが、自分を「ただの普通人」から「ちょっと上質な普通人」へと向かわせてくれていることは確かなようだ。おっ!?手を抜きやがったな富リュウ。初夏の章と同じじゃねぇか。――いつもご愛読有難う御座います。