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会員・会友員のテクスト 富川リュウの太気拳修行記

平成21年・夏の章(その2)

東京副都心

夏の章(その1)で、心(気持ち)を変えるには10年かかり、体を変えるには3年くらいでなんとかなるのではないか、というような趣旨のことを書いた。ここへ来て、確かに心についてのアプローチは難しいが、やはり体についても10年かかるのかな、という思いに至っている。

それは単純に言うと、どんなふうに力を抜いて、どんなふうに力を入れるのか、あるいはどこにどれくらいの力を入れるのかという所。立禅に対しての自分なりの解釈はこうだ。はじめは力を抜く、肩の力を、首の力を、そして腰ハラの力を。そして、ゆるゆるに力が抜けて立っていられるようにする。こうしたうえで、バランスボールに尻を乗せているようにイメージして、自身の頭部、胸部、腹部も3つのバランスボールと見立て、それぞれがゆらぎながら、相対的にバランスをとりながら、曲がってて真っすぐな自分なりの軸(芯)を見つけていく。あるいはそれを整えていく。これを称して「頭胸腹と芯」となる。

「頭胸腹と芯」が整ったのち、また再び力を入れていく。入れるべきところには入れ、入れるべきでないところには入れない。あるいは緩んでいて瞬時に力める状態を作り、それを保つ。

今年の6月末にその原点となるハラの力みのポイントが見つかった。それを維持するだけで組手が良くなった。7月の後半、今度はノドにもイキミのポイントを見つけた。これでまた組手が良くなった。そしてこの前後、足裏で地面を掴むことや、ヒジ・ヒザを意識することなどを先生や先輩からアドバイスしていただき、結局、体中のどこにでも全部、力は必要なんだな、と思うに至った。言葉で説明するのは限界があるが、外側(腕、肩、足)よりも内側(ハラ・ノド)の力を重視。そして特に外側(腕・肩・足)の状態は、緩んでいて一瞬にして力めるような状態にしておく。このへんの微妙な力加減、その塩梅を良い力加減に調整していくために、10年という歳月を要する、あるいはこれからもこのファインチューニングを続けていく、そんなことなんじゃないのかな、というのが現在の心境だ。

ノドからのヨコS字

第9部冬の章に「八種の半禅・八種の構え」という項目がある。昨年のその時点においての頭部と腹部の関係は、横へシフトさせる、あるいはハラは相手の中心を捕え、頭部はオフセットして相手からの攻撃をかわすというイメージであったが、これはほとんど組手の上達に寄与していなかった。ノドのイキミを見つけた今年の7月の後半から、半禅と這いで、ハラとノドがS字につながる感じが出来てきた。つまり傍目には、形としては同じように腹部に対して頭部が横へずれているが、以前はただ横にずれてただけで、今はしっかりと中で繋がったうえで、ずらしている。

お誕生日おめでとう!

8月9日岸根での稽古、この日の組手稽古の後、天野先生から「今日はお前の誕生日だな」と言われた。今まで下を向いたり、頭が横へふらついたりと、打拳が当たる当たらないという問題ではなく、組手としては話にならないレベルだったものが、やっと組手らしくなったということらしい。素直に嬉しかったが、自分ではなにか確信が持てずにいた。手応えが無いというか、ハッキリ言って何をもって褒められたのかが分からなかった。もちろんノドからのヨコS字の効果が出たのかもしれない。これを以ってして自分の中の何かが繋がったのかもしれない。しかしやはり???という思いが残る。だけど先生は言ってくれた。頭では良くわかんなくてもさ、体が一回やれたことっていうのは、体がちゃんと覚えてるから。そんなに心配しなくてもいいよ、と。ちょっとだけ安心。けどやっぱり???な気恥かしい「誕生日おめでとう!」だった。

月謝、払います!

翌週の組手は散々。「先週出来ていたことが今日は出来ていないじゃないか!」「組手に全然気持ちが入っていない!」と叱咤叱責の雨嵐。月謝を払うときに「怒られて、金払って、なんだか損した気分だねぇ」と茶化された。いえいえそんなことはございません。このトミリュウ、先生の血肉を分けていただいている思いで太気拳と向き合っておりますので、月謝は感謝、どんなに怒られても、どんなに叱られても、感謝の一念で、お月謝をお渡しさせていただきます。

それはともあれ、反省点は二つ。この一週間の朝練メモを見ると、ノドからのヨコS字を意識して、後ろ手の開掌に自分の顔を隠すフォームに取り組んでいた。また探手の動き、足運びには自分なりのリズムを見つけてその稽古をメインにしていた。この2点は組手には使えない、役に立たない、そういう結果が出たというだけのことだ。

春夏秋冬 夢の間に…

その日の天野先生のブログ「春夏秋冬 夢の間に…」に、組手での注意点が書かれていた。ひとつはリズムで動かないということ、リズムを取るとそのリズムでしか動けなくなるので、合ったときには自分に有利だが、合わせられた時には不利になるというリスクを伴う。だからリズムでは無く、気持ちが途切れない、気持ちが途切れないから動きも途切れない。そういう状態で無段階にギヤチェンジしていく、それが一点目。

もうひとつは、ココロを二つ持つということ。自分の身体が「兵」で、それは考えずに感じて動く、そしてもう一つのココロが「司令官」。みんな組手やると「兵=自分」だけになっちゃうんだよな。「兵」に任せておいて、「司令官」は上から見ている。組み手の際には、そんなココロふたつの状態が必要、とのこと。

リズムで動かないというアドバイスは、2年ほど前に聞いていた。その時はまだそれ以前の課題が満載されていて、それどころではなかった様な気がする。また、記憶には残っていたが、自分はリズムでは動いていないと思っていたのか、あるいはリズムで動くことの弊害をきちんと認識していなかったのかもしれない。

ココロふたつの組み手についても、1年ほど前に聞いていた。そのときのことは、はっきりと覚えている。ただ単に「そんな高度なことが今の私に出来るわけがない」と思い、その課題に取り組むことはしなかった。

ココロふたつの組手

翌月曜日からは、浜松への2泊3日の出張だった。8/17(月)は朝から新幹線で移動の為、朝練なし。以下、その週の朝練時間メモ。

8/18(火)浜松・晴れ30分、8/19(水)浜松・晴れ30分、8/20(木)品川・晴れ30分、8/21(金)品川・曇り30分。ココロふたつとは一体どんな状態なのかと、毎朝の立禅で模索していた。そして迎えた8/23(日)、ココロふたつの組手が初めて出来た。思考は頭の上で考えさせておいて、体には体の動きたいように任せてあげる。そして体は解放され、初めて自由を手に入れ、やりたいように奔放に生き生きと動いてくれた。この日が本当の自分の誕生日だと思っている。