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会員・会友員のテクスト 富川リュウの太気拳修行記

平成20年・秋の章 その2

尻を締めろ!

6月7日、もう4ヶ月以上も前のことだが、立禅を組むトミリュウの傍らに現れた天野先生から「尻を締めろよ」とアドバイスを受けた。これは特に半禅では重要で、後ろ足側の尻を締め、腰を前に押し出すようにして、前へ移動していくことも可能とのことだった。しばらく数週間位だろうか、先生の言うとおりにやっていたが、あまり効果を感じなかったためか、アーカイブス入りしてしまった。それ以降、ほとんど尻を締めることはしなくなっていた。

ロング・トーン

7月20日、もう3ヶ月以上も前のことだが、立禅を組むトミリュウの傍らに現れた天野先生から息の吐き方についてのアドバイスを受けた。これはトロンボーンやトランペット、クラリネットやオーボェなどの管楽器の練習方法で、一定の音量・音程を保ったまま、んんん~と息が続く限り吹き続けるというものだ。これを立禅でやってみさいとのこと。ポイントは最後の息を吐き切るところ。息の全部を吐き切って、もうこれ以上でないと感じてから、さらにフンッ!と下腹部に落とすように吐き切る。しばらくの間、数週間位だろうか、先生の言うとおりにやっていたが、あまりその実用性を見出せないままに、アーカイブス入りしてしまった。それ以降、ほとんどロング・トーンの練習はしなくなっていた。

背中のショックアブソーバ

10月11日の推手で「背中が硬いぞ」と言われた。体全体がゴムまりのように立禅をしていたはずだが、時に、対人稽古となるとついつい力が入ってしまい、あるいは「良い姿勢、良い姿勢」と頭で考えている内に、間違った方向へ行きそうになる。膝だけではなく、常に背骨全体がショックアブソーバのようになっているように気をつけようと思った。

モモの盾

踵を押し出すような感覚を使ったTS打法を見つけたのが9月末、しかし、このTS打法では前ヒザが伸びてしまって次に続かないことを受けて、前足の踵を内に入れるのではなく、ヒザを内側に寄せるように半禅の姿勢を工夫してみた。これにより、大腿骨が自分の中心に来て、金的を守り、さらに前足側の下腹部が活きてくるという効果が得られた。この感覚を保ったまま這いや練りを行うと、それまでとはまるで体の繋がり方や動き方が変わってきた。

未来の軸足

10月18日の稽古で、この感覚を確認できた。対人稽古の推手で、前に歩み出して行くときに、今までは軸足の力に頼っていたのだが、モモの盾の半禅で前足側の下腹部が活きていきたことにより、差出し足の感覚が変わっていた。この差出し足には意図があり、重心がそちらへ自然に移って行くので、軸足だけの筋力に頼らずに相手を押しのけていくことが出来るようになった。これはまるで、差し出し足が未来の軸足であることの意思表示をしたかのようだった。

相手の歩幅につられるな

人間は、無意識のうちに相手の歩幅に合わせてしまうようにできているらしい。組手で、相手が大きく後方に一歩下がると、自分も何故か大きく一歩踏み込んでしまいたくなる。この傾向がわかったなら、後は、そうならないにはどうしたら良いか?という問いの解を探せばよいだけだ。①相手が大きく下がってもつられないように常に小さい歩幅で動く稽古を重ねる。②大きく一歩踏み込んでも、自分の姿勢が崩れないように工夫する。このどちらかしかない。

テレホンパンチの理由

組手では自分だけでなく、仲間の何人かが「引いてから打つなよ。そのままの位置から打つんだよ」と天野先生から言われていた。今までは、ただそうしないようにしようと気をつけていたのだが、ただ気をつけているだけでは、なかなか直らなかった。しかし相手の歩幅につられる傾向に気付いてから、テレホンパンチの理由がわかった。これは大きな歩幅で踏み込む時に、陸上競技の走者と同じで、腕を大きく後ろへ振る出したくなるためだ。この傾向がわかったなら、後は、そうならないにはどうしたら良いか?という問いの解を探せばよいだけだ。①常に小さい歩幅で動く稽古を重ねる。②引き手に頼らずに、大きく一歩踏み込めるように工夫する。このどちらかしかない。

反応できる姿勢、反応できる気持ち

10月23日の朝、目覚める一瞬前に気付いたことがある。反応して打つためには、いつでも反応できる状態にいること。反応できる姿勢、反応できる体、反応できる手、反応できる目付け、反応できる気持ち・・・。

腕を背中で支えない

ここのところ、出張が多い、出張先では工場での立ち仕事なので、足や背中に疲れがたまりやすい。10月25日、体があまりに疲れていたので、稽古をさぼってしまった。翌週からの朝の自主錬でも、まだ背中に張りが残っていた。この疲労は、もしかしたら仕事からのものだけではないかもしれない。たぶんこの朝錬も負担になっているのかも・・・。そう思った月曜日に、背中で腕を支えないように工夫してみた。腕はお腹の周りにある膨張感にのっかる感じで・・・。

尻を締める

次の日もまだ身体に疲労感がまとわり付いている。足と背中が張っている。ふと気付いた。お腹とお尻には疲労感がないではないか。そうだ!尻を締めるんだっけ。背中の力を抜くために、お腹とお尻ではさんでみた。はさんだ所に丹田ができた。しかし腹筋にはあまり力を入れないほうが良いようだ。腹筋を意識してしまうと、表面の腹筋だけを使うようになってしまう。尻だけを締め、少し斜め上に押し出すようにしてみる。ずいぶんと立禅が楽になった。特に半禅が楽になった。もう4ヶ月以上も前に天野先生が教えてくれたこと。今やっと、それが理解できた。

さえない組手

尻の締めにより、ずいぶんと楽に姿勢を保っていられるようになっていた。しかし11月2日の組手には全く冴えがなかった。三人ほどと組手を行い、いつもなら三人目くらいから調子が出てくるのだが、何かが足りない。全く冴えがない。歩幅は狭くしたし、片足で打つこともできるはずだ。背中も柔らかく使っていたし、反応できるように意識していたはずだ。しかし何かが足りない。何だ、何が足りないのだ。

組手の後の総括で、先生が皆に話をする。その日の話は呼吸について。呼法について教えたのだから、それを組手の中で活かせるように各自工夫しなさいとのこと。これだ!これが足りなかったのだ、今の自分には。

呼吸力ということ

さっそく次の日からの朝練で、呼法について真剣に取り組む。もう3ヶ月以上も前に天野先生が教えてくれたこと。今やっと、それに取り組もうとしている。俺は無駄なことなんか何にも教えていないよ。そう言った天野先生の言葉が思い出された。

まずはロング・トーンの練習。はじめは天野先生に教わったとおりに何度かやってみる。次第に自分なりに工夫して、ハミングのような音を出すようになった。以前は全く効果を感じなかったこの稽古が、今は確実な手応えを感じている。たぶん、尻の締めをキープしているようにしたためだと思う。最後にふんっ!と吐き切ってみる。この感じのままで這いを行う。初めは右で吐いて左で吸う。次第にずっと吐き続けていて、姿勢が変化するタイミングでだけ吸うようになった。そして練り、探手へ。探手では初め、吸うタイミングで変化して動いた。そして次第に変化の瞬間に吐き切るようになった。いちばん驚いたのは、これをやり始めてから、体の疲れ方が和らいだことだ。この週もユーザー先の工場で一週間立ち仕事だったが、それまでより背中や足の張りが軽減され、疲労感もそれほど感じなくなっていた。

そこそこ組手

11月15日、呼法の成果が出て、そこそこの組手ができた。天野先生からのアドバイスは視線が泳いでいるとのこと。来週までにこの辺を改善するように工夫してみようと思う。あとは秘伝(11/14発売)の記事の中の天野先生のエッセイにあった「殴りに行くのではなく、殴れる状況を作る」という話。それから日曜大工のたとえ話もとても参考になった。

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平成20年・秋の章 その1

AN打法

8月1日からの3日間、熱海で夏合宿が行われた。ここでは繰り返し、前へ出て行きながら、左右の打拳を連続して打ち出していく打法の稽古を行った。

とりあえず名前が無いと何かと不便なので、仮に「AN打法」と名づける。このAN打法、まず構え方に特徴がある。通常は、両手の平を相手に向け、その手を自分の顔の前あたりにおく。そして右足が後ろなら右手も後ろ、同じく左足が前なので左手が前となり、当然、右足と右手が前になる逆パターンも存在する。まあ簡単に言うと、半禅のまま構えているようなものだ。そしてAN打法の場合には、半禅での構えから左右の手の前後を入れ替える。右足が後ろのときに右手が前で、左足が前で左手が後ろとなる。そしてこの構えから前に歩き出しながら、左右交互に打っていく。右足が前の時に左手で打ち、左足が前の時に右手で打つ。

このAN打法、トミリュウは一人稽古の中では、まずまず上手くできた方だと思う。しかし組手では全く使えなかった。何故か?それは夏合宿の間中ずっと考えていたが、結局、答えは出ずじまいであった。

パルス打法

「ちょっとだけミゾオチの辺りを引っ込めてみて、胸がやっと生きてきた」と夏の章に書いた。夏合宿で聞いた話をヒントにちょっとした工夫を加えることで、アバラの状態が変化しはじめた。8月から9月にかけて、どんどんアバラがよく動くようになって、9月の末には、乳首の内側に、縦に20cmくらいのエリアのアバラのグラデーションが2列できた。両腕を縦に大きく回す練りをしてみると、このグラデーションが光の点滅を伴ってパルス信号を発しているように感じられた。次第に同時に回していた左右の腕の位相を少しづつずらし、左右交互に回すように。そして、それがブンブン回るようになってくると、フリッカージャブの連打ができあがる。パルス打法、またの名をぐるぐるメリーゴーランドという。しかしこの打法、組手では使えない。何故か?それは考えても答えが出そうになかったので、とりあえず保留扱いとなっている。

TS打法

9月21日の組手で、相手の顔を見ずに攻防を行っても、的確に自分の打拳が相手の顔面を捉えられる感覚が確認できた。第一司令塔と第二司令塔の目付けの成果が得られて嬉しかった。天野先生からのアドバイスはひとつだけ「相手の中心に打っていけるように工夫してみなさい。それだけやればいい」とのこと。またこの日は、這いをやっているときに「頭を傾け過ぎている」とのご指摘もいただいた。

朝練を繰り返す毎日の中で、次第に這いが変わっていった。この頃は足先を外へ向けるように工夫していたのだが、踵を押し出すようにしても同じ効果が得られることを発見した。そしてこれにより、這いでの足の着地の位置が、今までより縦に短い歩幅で、横にもかなり狭く、ほとんど中央を歩いているような足位置になっていった。

そんな中、ふとした弾みからTS打法が生まれた。「相手の中心に打っていく」それをイメージして探手をしていて、AN打法とは違うんだけれども、自分なりに自然な動きで前へ打って出られる打法ができた。これは、右足・右手が前にある体勢から、左足を左後ろにスライドさせ、瞬時に右足の踵を相手の中心にグッとスライドさせ踏み込み、左手で打ち込んでいくような体の使い方をする。えっ、TS打法って何の略かって?それはTommySpecialのTとS、それでTS打法なのです。

KS打法

9月27日は体があまりに疲れていたので、拳法の稽古をさぼってしまった。ここのところ、仕事が忙しく、まぁ年のせいもあるのだろうが疲労が抜けにくくなって来ている。10月5日、組手でTS打法が面白いほど良く当たった。しかし次に繋がらない。TSで打ち込んでいくと一発目はあたるのだが、体が伸びているため次の変化に時間が掛かり、格上の相手だと一発目を当てた後に、今度は自分の方がやりこめられてしまう。特にH田さんとの組手では、最終的に組み技になってしまい、投げられておしまい、ということが2度もあり、これは次への課題となった。

またこの日は、他のメンバーの組手を見ていて新しい発見があった。それはTS打法と似た動きをしたK村さん。その打拳は、AN打法の動きで間合いを詰めて行き、打つ時だけ前足をスライドさせるものだった。左右の手足が交互に出て行くので、左手と右足が前にある。そこから右足を右斜め前にスライドさせ、左手で相手の中心へ打ち込んでいくような体の使い方をする。えっ、KS打法って何の略かって?それはK村SpecialのKとS、それでKS打法なのです。

しかしこのKS打法、天野先生からはダメ出しをされた。「そこまで歩いて行ってるんだから、そのまま歩いて打って行けばいいじゃん」つまりは「足をスライドさせることはせずに、AN打法で打てよ」ということだ。しかしトミリュウは心の中で呟いた「それが難しいんだよね。K村さん、俺にはその難しさが良くわかるよ。でも何故出来ないのかが分からないんだよね…」と。

ところでこのAN打法、その名の由来は、AmanoNormal打法なのです。なぜなら「当たり前じゃん。当たり前に打ってるだけだよ俺は」といつも先生がおっしゃるから。あらら、先生には当たり前のことが、なぜ我々には出来ないのか…。謎は深まりばかりです。

歩幅を狭く

太気拳では相手ともつれた合った時に組んではいけないと言われている。体の大きな外国人や柔道やレスリングなどの組み技を専門にやっている人間は五万といるのだから、ここで組んで投げた、勝ったと言ってもお話にならないからだ。もちろん投げられてしまうのはもっと話にならないことは言うまでもない。そこで取り組んだことは、組手の中では、絶対にスタンスが広くならないように工夫してみた。狭いスタンスで安定して立つ。しっかり立つ。あるいは片足ででも立つ。それだけを意識して毎朝の朝練を繰り返していた。

そして10月11日の組手ではこの成果が得られた。前述のH田さんと当たり、もつれ合ってH田さんの方がすっ飛んでいってコケた。自分は特に技を掛けたわけではない。ただ狭いスタンスを守り続けていただけだった。この日は天野先生から戦略・戦術を考えるようにとのアドバイスをいただいた。確かに自分でも狭いスタンスの効果は出たが、打拳には冴えがなかったと感じていた。

片足で打つ

朝練を繰り返す毎日の中で、ちょっと冷静にAN打法に取り組んでみようと思った。TS打法は出来た。KS打法も真似しようとすると出来た。それでは何故、AN打法が出来ないのか? いったいTS・KSとANにはどんな違いがあるのか?TS・KSに在ってANに無いもの。あるいはTS・KSに無くてANに在るもの。それを考えると答えは一目瞭然だった。数式にあらわすとX=AN―(TS・KS)となる。そして、Xとは、引き寄せ足だった。

どの打法も前足が着地するタイミングで打っている。しかしAN打法の場合には、後ろ足を引き寄せてから前に足を着地させて打拳を打つ。そしてTS・KSにはこのタイムラグが無い。だから足を引き寄せている時間分だけ、手が出るのが遅くなる。AN打法を分解し、はじめは引き寄せ足をしてから打ってみる。着地と打拳が同時になる。しかしこれを繰り返すうちに、足を引き寄せると同時に、片足のままで打っても出来るんじゃないかということに気がついた。これはなにも必ず片足で打たなければいけないと言う意味ではない。前足が着地するタイミングでしか打てないよりは、片足でも打てることが分かれば、それだけで選択肢と可能性が拡がるというものだ。

しかし10月18日の組手では、このAN打法から発展させた片足打法は役に立たなかった。天野先生からのアドバイスは、ヒザを柔らかく使って、滑らかに繋げて動けるようにとのこと。このAN打法、まだまだ奥が深そうだ。そしてこの日の課題は「目線を泳がせるな」とのこと。これは推手でも組手でも言われた。第一司令塔と第二司令塔じゃあダメなのかなぁ~と思った。

目線と意識の分離

人として社会生活を営むうえで、自然と身につくコミュニケーション術というものがある。相手の目を見て話をしなさい。女性と気持ちを触れ合わせるためにはアイコンタクトが大事、などなど。これが得意かどうかは別にして、少なからず誰しもが無意識のうちにこういうことは行っている。しかし組手とは普通の状況とはかけ離れている。つまり普通にしていては、組手にはならない。そこで編み出したのが、第一司令塔と第二司令塔。以前より、天野先生は相手のノド元を見て組手をすると聞いていたので、たぶん先生のようなバランスの取れた人は、自分の中心で相手の中心に合わせていくのが当たり前にできて、トミリュウのようなバランスの悪い人間は、それがちょっとズレていて、だから自分の場合には右上なんじゃないのかな、と推察していた。

普通の場合には、「目線の先の一番近くのものに目の焦点が合い、そこに意識も集中する」という状況になる。それを立禅でボウッと遠く全体を見ながら何をするかというと、目の焦点は遠くの一点に合わせるのではなく、どこにも合っていないけど、動くものは全部見えているという状態を作る。その上で目線の合っていない間近にある木の表面に意識を集中させる。この目線と意識の集中を分離させたやりかたでそこそこの成果が得られていた。ならば相手のノド元を見るにはどうしたら良いか。これはなかなか難しい。しかし立禅では出来た。そして電車の中の向かいに座った人にもできた。だからと言って組手で出来るのか、それが問題である。

※次回予告

まだまだ書ききれなかった項目が目白押しなので「秋の章その2」を近日中にリリース予定です。ここに予定される目次をご紹介します。

第九部・秋の章その2(予定)
<背中のショックアブソーバ>
<モモの盾>
<未来の軸足>
<相手の歩幅につられるな>
<テレホンパンチの理由>
<反応できる姿勢、反応できる気持ち>
<腕を背中で支えない>
<気持ちで体を引っ張る>
<尻を締める>

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平成20年・夏の章

ハーフ&ハーフ

前回の初夏の章の最後に「自分なりに工夫を凝らし臨んだ7月6日、少しは組手が良くなっていた」と書いたが、その工夫についての報告をしておきたいと思う。

6月28日の組手では「身体を透明化し、思いをゼロ化する」感覚で臨んだが、これでは緊張感に欠けていると感じた。「脱力」を意識するあまりに「ゆる過ぎる状態」だったのだ。その日の組手の終了間際、自分の手に力が無く、これではその瞬間が来ても打拳を出せないなと感じて、ちょっとだけ力を入れてみて、最後の1分間だけいい動きができたので、それがヒントになった。

そして次の日からの立禅で「ハーフ&ハーフ」にトライしてみた。力が完全に抜けている立禅の姿勢から、少しだけ手に力を入れてみる。そしてそれを全身を震わせながら、力んで緩める、力んで緩めるを繰り返しながら、6/4から 4/6の辺りに調整し、なんとなく5/5くらいかな、という所を探す。実は、このやり方は気持ちの作り方にも応用可能で、主に眼の焦点の合わせ方、目の前の全体の風景の見方に対して、目をカッと見開いたり、全体をボゥ~を見る状態を、ハーフ&ハーフに調整してみて、良い結果が得られたのだ。

上腹部の使い方

次の夏合宿に向かい、天野先生から皆に対してのテーマは「体幹部の使い方・体幹部からの力の引き出し方」ということだ。まずミゾオチから下を足だと思って使えとのこと。そして初めに、ミゾオチから上だけを肩と腕と頭を一緒に回転方向に捩じってみて、一番力が抜けて、気持ち良く捩じれる感覚を見つける準備体操から始めた。そして次にヘソからミゾオチの間だけを捩って使う。腰と肩はそのままの位置で、上腹部だけを捩じって使うのだ。ここでもポイントは同じ、一番力が抜けて、気持ち良く捩じれる状態を捜すのだ。

これが半禅で出来るようになると、自分の組手が大きく変わった。相手の顔に対して、自分の手が(打拳が)真っ直ぐに入って行くのに対して、自分の顔は少しだけ(イメージ的には約10度)横に入っていく。そしてその時のハラの向きはというと、相手に対してかなり横を向いている(イメージ的には約45度)。しかしこれでは順番が違う。まずハラが相手の頭部を打ち抜く感覚で45度方向を向き、次に頭が少しズレて入っていく。そして、この二つが組み合わされた結果として、打拳が相手の正面を捉えてくれる様になった。

ハラを「くの字」に

前述のハラを捩って使う感覚が身につくと、探手での打拳のキレが一段と良くなった。しかしそれでも天野先生からの色々なアドバイスを思い出しながら、何が足りないのかを考えて探手をしていると、自分の中から色々なものが出てくる。「打拳を打つ探手はあまり重要ではない」「手はいつも顔の前」「打ってしまったら、すぐに打ったことは忘れる(それが当たっても当たらなくても)」「相手が来た瞬間に、体を緩めて地面を掴んで、体全体を縮ませる」。ということは「引き手が重要」ということではないか! そう思い、打った手がすぐに所定の位置へ戻ってくるように工夫してみた。手だけで戻しても何か空しい感じがした。ならばどうするのか。フッと体全体を縮めてみる。コレだ!少しアゴをだして、ハラを「くの字」に曲げる動きに引き手の動きを連動させることで、手が体に戻ってくる感覚が得られた。後日、この件で天野先生から教えていただいたことは「少しアゴをだして、ハラを「くの字」に曲げる」ときに見つけたハラの感覚はそのままで、「アゴを出さずに、ハラも「くの字」にはしない」ということだ。その時のハラの感覚、ハラの奥のほうがキュッとなる感覚をキープすること。そして、頭部・胸部・腹部があるラインに揃っていることが重要だとのことだった。

緊張と弛緩

ハーフ&ハーフの感覚で立禅ができ、上腹部の使い方が解り、ハラがキュッとなる感覚が身についてくると、緊張と弛緩の相反する要素が両立できる状態が見えてきた。今年の春くらいまでは、リラックスすること、固くならずに緩んでいることを第一優先に考えて稽古してきていたが、それではやはり限界があった。ここへきてやっと体も気持ちも、緊張の中の弛緩、弛緩の中の緊張ということが実現できつつある。

これは天野先生の云う所の「ただ緩んでいるだけでは駄目で、いつでも締められる、いつでも力を出せる緩んでいる状態が必要」ということにも通じる。

これを体得するための近道というものがあるのだろうか? 大抵の初心者は、はじめて立禅を組むと、まず首と肩肘に力が入ってしまう。そして個人差はあるが数ヶ月で首と肩肘のリキミは取れてくる。そして次は腹と背中、ここのリキミが取れるまでには、ずいぶんと時間がかかる。自分の場合には、約8年の時間を要した。そして9年目に入ってやっと緊張の中の弛緩、弛緩の中の緊張ということが実現できつつある。

用心深くなれ

7月20日の岸根公園での組手で、ハラにヒザ蹴りをくらいダウンしてしまった。この時に意外な発見があった。もちろんその瞬間に自分のハラがガラ空き(ハラに締めの無い状態)だったことはいうまでもないが、もっと大事なこと、もっと違うことに気がついた。

この2週間前に、同じ場所で同じメンバーと組手をした。一人目は、空手経験者の小柄なTさん。そして二人目は私とほぼ同じ体格のS拳法経験者のKさんだ。この時は、Tさんに対しては、やや優位に立てている組手ができた。Kさんにはやや押されぎみの組手だった。そして7月20日、この2週間での自分の進歩に自信があったので、Tさんに対しては伸び伸びと、楽勝ではないものの、いい感じで自分の組手ができた。そして続けてKさんとの組手。前回は押されぎみだったものの、今日の自分は違うんだぞ、と意気込んでいた。そしてハラにヒザ蹴りをくらいダウンした。いったい何が悪かったのか。

その対戦でKさんと向かい合った瞬間に「あ、この人は強い」という感覚があった。しかし自分で自分のその感覚を無視した。今日の自分は違うんだぞ、という自分の思い込み・自分勝手な考えを優先させ、そして失敗した。ここでの教訓は、自分の思い込みや推測などは二の次にして、「あ、この人は強い」という感覚の方を優先させ、用心深く組手に臨むべきだ、ということだ。

充実感

8月1日からの3日間、熱海にて夏合宿が行われた。私は初日の金曜日に休みが取れたので、初めてフルの3日間に参加することにした。去年までは、体力に自信が無かったこともあり、日帰り参加することがほとんどだった。それが何故か「今年はいけそうだ」という感触があった。ひとつには体力がついたこともあるだろうし、体がこなれてきて無駄な所に力が入らないので疲れにくい、ということもあると思う。しかし今回の夏合宿で改めて気付かされた点は、長い時間の一人稽古に苦痛を感じなくなっている自分を発見したことだった。

例えば何も予定のない休日に、近所の公園で自主練をしようとする。夕方になり、あまり暗くならないうちにと、エイヤっと重い腰を上げ、午後4時くらいに自宅をでる。30分だけか、一時間まで行うのか、気分はややもすると短めの時間で切り上げるほうに傾く。それでも自分は稽古が好きなほうだと思っていた。何も予定のない日は、ジョギングするよりも、プールで泳ぐよりも、立禅をすることがとても楽しいからだ。

今回発見した自分は、立禅も這いも、ただメニューをこなすのではなく、思考と実行をセットで行うようになっていた。労働者が課せられた責務をもくもくと果たすというよりは、研究者が自らの興味・関心から派生した事柄を研究することが仕事であるように。仮定し、検証し、出てきた解に基づいて再び仮定し直し、また検証する。そんなふうに自分の稽古を組み立てられるようになっていた。

欠落感

初日、金曜日の稽古のあと、夕食後の部屋飲みで、いっぱい飲んで、いっぱい喋った。いや、はっきり言って飲みすぎた、喋りすぎた。土曜日の朝は二日酔い。そのまま稽古で汗をかき、昼にはほとんど酒も抜けたが、胃腸が疲れているせいかあまり食は進まない。午後の稽古の締めは、やっぱり組手。さんざんな結果だ。二日酔いのせいにはできないが、初対面の伊豆同好会の面々の手前にもかかわらず、いいところを全く見せられなかったので、ずーんと落ち込んだ。その日の飲み会でのお喋りは一気にトーンダウン。何だか全然元気がでない。そういう訳で、夜は皆がワイワイ盛り上がる中、一人早めに床に着いた。ちくしょう!明日こそ、不完全燃焼ではない組手をやりてぇーと。

翌朝、早く目が覚めてしまい、一人、体育館に行く。30分ほど自分のイメージで探手を行う。なかなかいい感触だ。そしてその日の稽古の締めも、やっぱり組手。不完全燃焼感こそ無かったものの、何かに手が届きそうで、全く届いていない欠落感。そんな欠落感をまざまざと感じさせられた夏合宿の最終日だった。

聞きたいことが分からない

熱海からの帰り道は、私と天野先生と後輩のYさんの3人が電車の中にいた。組手に対して、どういうアプローチをしていけばよいのかを聞きたかったが、尋ねるための糸口がない。分からないのだけれど、何が分からないのかも分からないので聞きようが無い、という有り様だ。それでも、○○ということは、どういうことなんですか?と的外れを承知の上での質問をすると、天野先生は丁寧に答えてくださった。

アプローチの違い

組手の始まりは、打ちに行く、当てに行く、ということではない。まず「抑える」、つぎに「触れる」、そのつぎに「変化する」、そして変化のあとはまた「抑える」に戻る。富リュウは自分が組手のセンスがないと思うんだったら、「抑える」から入って「触れる」ところまで行って、相手と自分の状況を良く観察してごらん。そしたら打たなくてもいいから、また「抑える」の距離にまで戻ればいいんだよ。そんなアドバイスだった。

帰宅後、そのアドバイスの意味を反芻するように天野先生の著書「組手再入門」を読み返してみた。実に4割ほどがそのための説明にページを割いていた。「打ちに行く、当てに行く」という意識でいたときには、あまに目に入らなかった点だ。いや、それなりに読んで解っていたつもりにはなっていたが、自分の意識がそれを(抑える、触れる、変化するを)プライオリティの低いほうに分類していたのだろう。

そしてもうひとつ、一昨年の夏合宿のビデオを見直してみた。さすがに一年前に比べると少しは自分も成長しているだろうとの自信がほしかったのかもしれない。だけど、自分のしょぼい組手を見ても何の感触も無い…。しかしここで、驚きの新事実を発見!それは天野先生の組手のスタイル。まさに、抑える、触れる、変化する、を体現されているのだ。いただいたアドバイスは、初学者に対してのものと思い込んでいたが、そうではなかった。天野先生自身もその手法を使い、組手に臨んでいた。まさに組手の王道ここに有りって感じ!もちろんそれが出来たらの話ですが…。

抑えること触れること

ここで「抑えること」と「触れること」の解説をしておこう。抑えるとは、自分の手を顔の前に置き、手の平を相手に向けるということ。そして相手の手から自分の顔までの軌道線上に自分の手を置いておく。つまり相手の手が低い位置にあれば自分の手もやや低い位置にする必要がある。触れるとは、自分の手と相手の手が触れ合える位置にまで距離を詰めること。ここでは、自分の手の平で相手の手や腕を掴みにいくのではなく、自分の掌、手首、前腕のどこかが、相手の掌、手首、前腕のどこかに触れればよい。そしてこの瞬間が一番大事で、この瞬間に気持ちを最大限に緊張させ、相手と自分の状況を良く観察することとすばやい変化を起こすことを同時に行なう。言うはやすし、西川きよし、である。

目に見えないこと大事なこと

夏合宿である人からとても参考になる話を聞いた。その人によると島田先生に聞いた話だという。それは立禅での体の感覚の作り方の話。手の平で子供の頭を撫でるような感覚を持つ。そしてそれを腕の内側と胸、腹、太腿のうえにまでも拡げていき、撫でて包んで抱擁しているような感覚を作っていく…そんな話だった。これを実践してみると、なんだか曖昧だった「ハーフ&ハーフ」より、島田先生の言う「撫でる感覚」の方がより的を射ていた。そして自分の胸が包めていないな…と感じた瞬間、ちょっとだけミゾオチの辺りを引っ込めてみて、胸がやっと生きてきた。その後、背中を拡げて使う感覚などにも気付き、とっても微妙なことなんだけど、これって大事なことなんだなと思った。

形ではなく機能

初夏の章に書いた<頭をハラの上にのせる>というのは間違いだったのかもしれない。ダビングしていただいた今年の夏合宿の組手のビデオを見てそう思った。なぜならば自分の組手が、春の花見のときよりも下手になっていたからだ。幸い、胸を少しだけ引っ込めること、背中を拡げて使うこと等々、自分の立禅に進化の兆しを感じていたので、次の課題もすぐに見つかった。特にkitaG3やi井さんのフォームが参考になった。それはミゾオチの裏、背中の上のほうを膨らませて使うフォームだ。これをやると肩が下がり、胸が緩んでアバラがよく動くようになった。特に私の場合、ビビリィの緊張気質なので、相手と向かい合うだけで無意識のうちに背中が強張っていたようだ。新しいフォームで立禅するようになって、この辺が改善されてきた。

思うに、「頭が下がってしまうから、頭をもっと後に置いておけばよい」というのは、あまりに安直すぎる考えだったと思う。人は誰しも「位置=形」に目が行きがちだが、大事なのは「機能=状態」である。どんな状況の時にも、動ける状態に自分の身体を保っておく。これが重要。――そういえば、ここのところ言われ続けている。「自分で自分の体を動けなくしてるんだよ。見直すべき点は、姿勢と視線」これが天野先生から自分に対してのアドバイスだった。

第一司令塔と第二司令塔

自分の体の中心はどうも右に2~3cm程ずれているようだ。そして長く禅を組んでいると右目の上あたりが気になってくる。これは自分の意識が、頭蓋骨の内側の右上の部分に何かを感じているように思えてならない。

右目の上に自分の第一司令塔を立てる。そして、第二司令塔を相手の左肩の上に立てる。こんな視線の保ち方を見つけた。意識は第一司令塔と第二司令塔に集中させておく。目付けは全体をボワ―ンを見る。しかし目玉は右上を向いているかもしれない。体はパラボラアンテナの様に相手の全体を捉えておく。目で見ずに、体で見ているような感覚だ。

組手の手応え

9月13日、久しぶりに組手をした。夏合宿でアバラを痛めていたので、しばらく対人稽古はしていなかった。今回は6週間ほどブランクがあったが、色々な工夫の成果が現れ、少しは組手が良くなっていた。しかし、またまた次の課題が噴出…。結局、これの繰り返しなんだな、と思った。でも今は、自分の組手に確かな手応えを感じている。回を重ねるごとに、新たな問題は出てくるものの、確実に内容が良くなってきている。そして毎回、何某かの進歩を感じられている。一足飛びにスーパーマンになれることはないだろうが、日々の積み重ねが、自分を「ただの普通人」から「ちょっと上質な普通人」へと向かわせてくれていることは確かなようだ。おっ!?手を抜きやがったな富リュウ。初夏の章と同じじゃねぇか。――いつもご愛読有難う御座います。

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平成20年・初夏の章

日曜セミナー

4月27日の日曜日、久しぶりにセミナーに参加した。このセミナーは天野先生が毎月一回主催しているもので、会員は無料、会友員は一回につき5千円で参加できる。時間は午前10時半から午後5時まで。途中昼休みが1時間半入るが、それで約5時間の充実したセミナーだ。

今回の内容は、ハラの捩じれる感覚を重視。この感覚が一番分かりやすい様にと、座った姿勢からセミナーが始められた。説明が這いに移ると、今度は腰をすべらせるように、とのこと。最近、這いに自信を持っていた富リュウだが、先生に指摘され、それは違うと。それでも勘所をすばやく捉え、先生の云わんとしている処を体現する。もう出来ました。先生は、不服そうにしながら(今日のところは)まあそんなもんか、といった表情をつくる。

セミナー中の昼休みのランチタイムに、大先輩のA野さんからアドバイスをいただく。とにかく力を抜いて禅を組めと。富リュウに書いてあるような部分的な繋がりに一喜一憂することは勘違いだと。何も感じないでいるように力を抜き去って立ち続けてこそ、得るべきものが出てくると。

セミナーの後、K村さんから4月上旬に行なわれた花見の時のビデオをいただく。薄価500円也。これが今回最大のトピックス! 大きな変化をもたらす起爆剤となった。

花見ビデオ

いつもは大抵、早い時間に呼ばれ、組手をするので、けっこう気楽に他の人の組手も見ていられるし、再度の呼び出しにも(体も気持ちもほぐれているので)リラックスしていられた。しかし今回は違った。待てど暮らせど、自分の番が回ってこない。最終的に、ほとんどシンガリで呼ばれた。それまでかなり緊張して待っていたようで、他の人の組手を見ていたにもかかわらず、ほとんど記憶に残っていない。ダビングしていただいたビデオを見始めて、まずそう思った。

去年の夏合宿のときのビデオを見たときには、他の人の欠点はすぐに判り、自分の欠点は全く判らなかった。そしてそれが見えてきたのはかなり経ってから、約半年間の猶予を経てからのことだった。今回は全く逆。はじめに長々と他の人の組手を見ていたが、どの人もこの人も良い点ばかりが目に入る。そしてやっと自分にお鉢が回ってきた。おぉ、思っていたよりなかなかいいじゃん。というのが初めの印象。で、すぐに欠点がわかった。これだけ直せば、かなりいいじゃん。て言うくらいにあからさまな欠点。それは頭が下がっていること。特に自分の方から仕掛けて行くときに、前へ出て行くときに頭が下がっている。見事に下がっている。ほとんど90度に下がっている。

原因は色々あると推測した。過重を前に移動させるときに前ノメリに頭を下げないと前に出て行かれないから、ただ単に怖いから、等々…。そして、その対策案としては、傾向の逆倒しを行なう。のけぞって入る、腰を滑らせて入る、等々…。しかし工夫をこらした推察と対策案は、次の日の立禅で、立ち始めて3分で覆った。

頭をハラの上にのせる

なんだ、立禅の姿勢ですでに、頭が前すぎるじゃないか。組手で頭が下がってしまうことの原因は、こんな単純なことだった…。

その後の一週間でだんだんと新しい頭の位置を身体に馴染ませていった。今までよりはかなり後の位置。少しずつ調整していくと、頭がハラのうえに乗っかるように感じる位置があった。これには前述のA野さんのアドバイスがとても役に立った。頭や首をどうにかしようとするのではなく、ただ乗っかっていて力が入らない、リキミの無い位置を模索することで、その位置を得られたからだ。さらに頭がハラに乗っかったことで、腰を滑らせる這いが自然にスムースに行なえるようになっていた。今までは軸足を緩め、腰を滑らせようとしても首の部分でロックが掛かり、全体が前に移動して行けなかったようである。

重さは下? 意識は上?

どの本だったか忘れたが、太氣拳の本だったか、何か武術の本だったのか?しかし一般的によく言われていることである。それが、そこには絵入りで載っていた。武術の構え・太氣拳の立禅などは、意識と重さを腹・腰に据え、地に張り付くように立つ。そしてバレエ・ダンスなどの場合には、意識と重さを頭頂から天に向ける。そんな説明がされていて、なるほどと納得できていた。しかしここへ来て、それを覆す事態が我が身に引き起こされていて、ただいま混乱の真っ最中である。

ムネを持ち上げろ!

5月の3日と4日にタンゴウィークのワークショップに参加した。今回は、アルゼンチンからとても有名な先生が来ていらしたので、拳法の稽古をさぼって参加してしまった。そのワークショップ、それぞれのコマにメニューはあるものの、その先生の指導は、ほとんど姿勢と歩きだけであった。特にヒザは曲げないようにと、しつこく繰り返して言っていた。(ちなみにヒザを曲げるようにと、指導するアルゼンチンの先生もいる) その先生、つかつかとトミーの所へ歩み寄り、あばらを両手でムンズと掴み、グイッと引き上げると、KEEP ITといってその場を立ち去った。

今までもタンゴの指導で、そういった教え方をされることもあったが、腰腹重視の武術家志向のトミーとしては、それはちょっと違うんじゃないか?と思っていた。しかし今回、自分が頭を後へ移動させたことで、その姿勢が、ムネを膨らませて持ち上げている姿勢が、ピタッときた。その方が楽だし、そのまま動いても疲れない。これってもしかしたら、太氣拳の組手にも使えるかも…。淡い期待が、ほのかにトミーの胸を膨らませた。

吸いながら打つ

次の日から、吸いながら打ってみた。そして息を吸いながら前に進み出てみた。今までとは違う感覚だ。しばらくするとそれほどムネを膨らませ、息を吸い込まなくても、同じような感覚と姿勢を維持したままで動けるようなっていた。

特記事項なし

ここしばらく、毎日の朝練のメモ書きが短い。特に記録すべき内容が無いからだ。頭の位置を直してからは、○○が伸びた。ただそれだけが記されている。

5月13日、脇腹が伸びた。
5月14日、アキレスが伸びた。
5月16日、脇腹がまた少し伸びた。
5月20日、足の指が広がった。
5月23日、首が伸びた。
そして次の日の特記事項は尾底骨。半禅で、尾底骨に杭が打ち込まれたような感覚ができ、ピタッーときた。そして出っ腹出っ尻体形が解消されていた。

身体を透明化し、思いをゼロ化する

特記事項のない間、身体が透明化するようなイメージで立禅や這いに取り組んでいた。そしてある時、思うこと、考えることについても組手の際には何も無い方が良いのではないかとの仮定を立て、その様に立禅や這いを行なっていた。

モグラの眼で見る

ロシア人の量子学者ヴァジム・ゼランド氏の著書「リアリティ・トランサーフィン」という本を読んだ。この中に「モグラの眼で見る」という話が出てくる。これはどういうことかと云うと――。

生まれながらに目の見えない人は「見える」という体験をしたことがないので、本当の意味での「見える」という感覚を理解できない。たぶん他人には「見える」という感覚があって、自分には「見える」という感覚がないのだろう…という理解に留まり、体験を伴った理解には及ばない。

モグラさんは、人生のほとんどを地中で過ごしている。モグラさんにとっての世界は、嗅覚と聴覚と触覚で認識できることが全てだ。モグラさんに、太陽とはどういうものか、森とはどういうものか、バラは赤く、ヒマワリは黄色、ということを(仮に言葉を理解できるとしても)どんなに説明しても理解不能であろう。

太気拳法を続けていると時々、自分の中から未知のものが出てくる感覚がある。今まで経験したことのないものが出てきたとき、初めて「体の使い方とはこういうもんだ」という思い込みに囚われていた自分に気づかされる。

天野先生の組手を見ていると、あるいは相手をしていただくと「先生は超能力者ではないか」といつも思ってしまう。先生はそれを否定されるが、明らかに我々とは見えている世界が違うようだ。あるいは感じている世界といってもいいかもしれない。それはシックスセンスのゾーンに属している感覚なのかもしれない。ただ相手を見るというよりは、何かを感じ取るセンス。その未知のゾーンに足を踏み入れていく。これがつまり「モグラの眼で見る」ということだ。

組手の手応え

6月28日、久しぶりに組手をした。前述の「身体を透明化し、思いをゼロ化する」と「モグラの眼で見る」の感覚を試してみたが、あまり成果は無かった。その時の結果を踏まえ、自分なりに工夫を凝らし臨んだ7月6日、少しは組手が良くなっていた。しかし、またまた次の課題が噴出…。結局、これの繰り返しなんだな、と思った。でも今は、自分の組手に確かな手応えを感じている。回を重ねるごとに、新たな問題は出てくるものの、確実に内容が良くなって来ている。毎回、何某かの進歩を感じられている。一足飛びにスーパーマンになれることはないだろうが、日々の積み重ねが、自分を「ただの普通人」から「ちょっと上質な普通人」へと向かわせてくれていることは確かなようだ。

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平成20年・春の章

ロケットパンチ

3月13日水曜日、昨年の夏合宿のときのビデオをまた見ていた。そして天野先生の手の使い方、その動きから、もうひとつ新しい発見があった。天野先生の腕の使い方、それは手のひらを相手に向けてはいるが、手先には意識が集中していない。前腕の内側、ヒジの近く、その辺に意識が集まっているようだ。その部分で相手を捕らえ、その部分で相手を抑え、その部分で打拳を打っているように見える。

翌朝の立禅ではまず、前腕内側の接触中心(平成13年・夏の章参照)の感覚を再確認することから始めた。その部分に繊毛が生えていて、風のそよぎさえも、そこの感覚で捕らえられるように…。そして次に探手で打拳を放ってみた。腕内中心(前腕内側の接触中心の略)がスイッチで、このスイッチが押されると前腕の骨がその方向に沿って飛び出していくような要領で…。これはまるで、昔見た漫画、マジンガーZのロケットパンチのような感覚だ。

感覚が意識に吸い込まれる時

3月16日の日曜日、岸根での稽古の際に、注意を受けた。組手で相手に入っていくときに、両手を拡げながら前に出るクセがあるそうだ。だから両手を狭くしておきなさいとのこと。

翌朝の立禅ではまず、前腕内側の接触中心(平成13年・夏の章参照)を狭くすることから始めた。左右の腕内中心(前腕内側の接触中心の略)を底辺とし、相手のノドを頂点とする綺麗な二等辺三角形が出来上がる。立禅からゆっくりと揺りに移る。二つの腕で囲った領域が横長にはならないように。前後に細長い楕円になるように揺りをしてみる。次に這い。這いでは、左右の腕内中心が前後には動くが、左右には全くぶれないようにしてみる。そして最後に探手で打拳を放ってみる。相手のノドを意識しておいて、ふたつの腕内中心には感覚がある。この二等辺三角形で、感覚が意識に吸い込まれていくように打つのだ。

感覚だけの世界

二等辺三角形を保つ這いの際には、頭の位置が両手の中と外とを行き来する。その際、目線は軽く相手の周りを泳がせるような流し目で、意識だけを相手のノドに集中させておく。つまりここでは、目線の中心と意識の中心とを分離させておくことが必要になる。

何日か、目線の中心と意識の中心を分離させるように禅を組んでみてわかったことがある。それは、目線の中心と意識の中心を分離させることは無理だ、ということだ。ならばどうする? 

二等辺三角形を保つ這いの際には、目線は軽く相手の周りを泳がせるような流し目で、全体をボワンと見て、相手のノドだけを感覚で捕らえておく。つまりここでは、何かと何かを分離させるということは必要無く、単に視界の中の「あぁ、この辺に相手のノドがあるなぁ」くらいの感覚でいれば良い。相手のノドを感覚としてとらえ、ふたつの腕内中心にも感覚がある。この二等辺三角形で、感覚が感覚に吸い込まれていくように打つ? 否、感覚だけの世界では、もはや時間も距離も存在しない。ただ「ここ」に在るだけ。ただ「そこ」に在るだけ。そして同時に「ここ」は「そこ」に在る。

気分は良いか

3月22日土曜日、桜のつぼみはずいぶんと膨らみ始めていたが、ひどく寒い日で、風が強く、花粉症泣かせの日和だった。そのせいかどうか、その日の稽古には3人しか参加者が集まらず、先生を入れて4人。しかも、うち一名はアバラを痛めていて、推手も組手も出来ないという。そういう訳でこの日は、組手は無く推手のみであった。

久しぶりに天野先生と推手をした。やっと直ったと思っていた右肩の位置に文句を言われ、胸全体が開けっぴろげになるたびにゲキを飛ばされた。まだまだ何かが足りないようだ。ここの所、成長著しい組手も出来ず残念な気持ちと、せっかくの推手にも駄目出しばかりだったので、あまり気分の良くない稽古日だった。

染み込ませるもの

翌々日の月曜日、朝の立禅ではまず、右肩の位置を調整することからはじめた。しかしそれはすぐに、二本の腕の内側全体を見廻すこと替わり、やがて喉や胸の在り様を見直すことへと変遷した。その結果、先週までの姿勢に比べてこのようになった。①胸を張らない ②アゴがやや前に出て、頭部全体もやや前に ③腕内中心で相手を抑えるのではなく自分の空間を包む。包んでそれにのっかる。

立禅の効能と効果には、「良い姿勢、良い状態を探り、見つけ出す」という一面と「その良い状態を染み込ませ、定着させる」という一面がある。今回の一件で、自分はあまり良くない姿勢、あまり良くない状態を染み込ませていたということが判明した。だからそれが推手の時にも出るし、組手の時にも出る。胸を開けっぴろげてしまう悪い癖だ。

自分の空間を包む

自分の空間を包む感覚ができてくると、立禅の両腕に包容力がついてくる。それまでの力の方向は、外へ向かっていくだけだったが、包容力がつくことで外にあるものを取り込む、取り込んで引き付けてから次のアクションに移る、という動きが自然にできるようになった。これを相手の腕に対して行なう。相手の腕をたぐり寄せるようにとは、天野先生の説明だが、まさにそれが、やっとできるようになった。

量子の飛び交う空間

良い状態で禅を組んでいると両腕の中に何かが飛び交っているような錯覚に陥る。それは、漁師なのか猟師なのか量子なのか。仮にそれが量子だとして、その量子が飛び交っている状態を保って居たいと思う。こうなると二つの腕内中心と相手を結ぶ二等辺三角形は、もはや意味を持たなくなる。自分の空間に量子を保ち、相手の量子の薄い部分、相手の空間の裂け目を見つけて打てばよいだけのことだ。そんな空想に耽る。

今年の花見

4年前、平成16年の春の花見で、はじめて佐藤聖二先生率いる拳学研究会と交流会をもった。そして次の年、平成17年の春には、拳学研究会に加え島田先生の気功会と鹿志村先生の中道会が参加、史上初の四団体の交流が実現した。それが今年で4回目になるという。

個性溢れる4人の先生たち。それを継承するお弟子さん達の組み手を見ていると、それぞれの流派なりの組手スタイルがある。それを見ていてふと気付いたことがあった。太気拳の稽古をするということは、三つの巴をまとめていく事なのではないかと。ベースには太気拳の理念、稽古体系があって、教えてくれる先生、見本としての先生がいる。そのベースに則って、初めは先生の物真似から入る。しかし、だんだんと自分にちょうど良い位置、ちょうどよい姿勢、動き易いやり方を見つけていって、それを自分だけのオリジナルにたどり着くまでやり続ける。

この部分はどんなに名人にも教えられないし、どんなに教えかたが上手い人でも教えられない。なぜならそれが個人に起因するものだから。そして誰からも教えてもらえないのであれば、自分で見つけるしかない。だからそれをやり続けて見つけた先人が、佐藤先生であり、島田先生であり、鹿志村先生であり、天野先生なのだ。誰しも結果だけを見て、あの先生は天才肌だからとか、組手センスが抜群だからと言うが、膨大な稽古量をこなすことと、その稽古の内容を吟味する厳しい目がなければ、大成はしなかったはずだ。

自分は、この花見交流会に3年ぶりに参加した。久しぶりにお会いした鹿志村先生や佐藤先生から、たくさんの素晴らしいアドバイスをいただけたが、今回一番自分が感じたことは、「自分の体からの声にもっと耳を傾けよう。そして自分の体がどうなりたいのかをもっと感じてあげよう」ということであった。

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平成20年・新春

勘違いの組手

 平成20年は波乱の幕開けだった。年初から「おまえは組手に対して何か勘違いをしている。大きな勘違いだ」と指摘され、1月の3週目の稽古で眼に怪我を負い翌週の稽古を休み、2月の一週目の稽古でアバラを痛め翌週の稽古を休む。組手の内容に工夫を凝らす以前に気持ちの方が落ち込んで、このままでいいのか、何が間違いなんだ、と自問自答し続ける苦悩の日々が続いた。

 眼に怪我をした時は、三日三晩寝続けていたので考える時間はあり余るほどあった。初め、この状況では辞めるのか辞めないのかは50/50だな、と思っていた。そして時間が経つにつれ次第に、もう辞めた方が良いのだろうという気になっていた。しばらくはスーパーセーフを着けて稽古をし、2~3ヶ月で芽が出ないようなら見切りを着けようと、そう考えをまとめていた。それが、目が開いて周りのものが普通に見えるようになるにつれ、このままじゃ終われないよ~、今の自分から組手を取ったら何が残るんだぁ!という強い思いがふつふつと湧き上がってきた。考えれば考えるほど今の自分にはそれが、組手に挑戦しつづけることが、重要な使命であり、必然の宿命である――そう思えてならなかった。

組手構えの矛盾・その1

 天野先生の指導する太気拳の組手の構えには矛盾がある。両手のひらを相手向け自分の顔の前に置き、手のひらと前腕に張りがあること。この手で防御し、打拳を放つ。しかし手のひらを内側にして腕で丸く囲っている半禅の形から、手のひらを相手の方に向けるだけで、前腕のみならず肩のあたりまで「張り」を通り越して「リキミ」が出てきてしまう。しかし師は言う。出来ないことを出来るようにするのが稽古であって、出来ることを何度繰り返していても意味がないと。

 いつもいつも組手で注意される点がある。頭から突っ込んで行っている。両手が開けっぴろげで胸元全開で突っ込んで行っている。俺が注意していることを何一つやろうとしていないじゃないか、と。しかし、やろうとしていないのではなく、出来ないのである。師は言う。出来ないには、出来ないなりの理由がある。それを探しなさいと。

 怪我や絶望や悔しさを乗り越えて、真剣にその理由を探してみると、なるほど太気拳には道理がある。半禅→這い→組手。これで全てが完結しているようだ。組手ができないのは構えができていないから、構えができていないということは、間違った半禅をしているから。単純に言ってしまうと「組手構え=半禅」なのである。意拳では半禅のことを「矛盾椿」という。つまりこれは、矛盾していることを実現させるという、とてつもなく尊大な計画なのである。

未開の大地

 数年前にアバラを痛めた時には、始めのうちの自覚症状は、鈍い疼きのような感覚で、それほど強い痛みではなかった。そして数日後、手近にあった大きなダンボールをサンドバッグ代わりにして、ボンっボンっといい気になって叩いていて、何度目かの左フックを打った瞬間にピキッとアバラが音をたてて折れた――。しかし整形外科での実際の診断は軟骨骨折。しかも折れたというよりはヒビが入ったという程度のものであった。たぶん、初めはただの打撲で小さな亀裂があるかないかの程度だったものが、ダンボールを強く打ったことによる衝撃で、ヒビというレベルになったということらしい。

 そして今回も全く一緒だった。初めの痛みは、鈍く疼いている程度。そして数日後のある晩、天野先生の古い秘伝の記事を読み返し、打拳についての講釈に従って空打ちを数回。それでピキっといった。

 翌朝の自主練の稽古で、多くのことを会得した。はじめは打たれているときの状況。アバラが卵の殻のように固くなっているので衝撃に耐えられずダメージを受けるという推測から、ゆで卵の白身の表面のように柔らかくしておけばよいのではないかという発想がでた。そして次に昨晩のあの事件から、ダンボールではなく空打ちをしただけでピキッとなるということは、それは正しい打ち方だと。そして打たれる場合と打つ場合の両方にアバラの柔らかい状態は重要で、打つときにはアバラを引き伸ばすようにして打つ。

 この推測に基づいて立禅や這いの稽古を見直していく。今まではアバラの領域を全く動かしていなかったことに青ざめる。そして自分の体のなかにこれほど大きな未開の大地があったとは、という驚愕の思い。肺を包んでいる大きなアバラ骨達、この領域を全て使い切ることが出来るなら、体の自由度は今までとは見違えるほどに洗練されるに違いない。

弓を引いている状態

 前述のピキッとなった次の日、アバラを緩めることのほかに、あと2つ良いことを見つけた。天野先生からは半禅、すなわち組手の構えの体勢とは、下半身がキュッと締まっていて上体は緩んでいる状態。弓を引ききっていて、それを放てば、いつでも打拳を飛ばせるような体勢、という説明を受けていた。

 初めの頃その下半身の締まっているという感じが、大腿部から下腹部にかけた辺りがキュッと締まっているのだと思い込んでいたが、そのやり方では良い結果が得られていなかった。その日は何故か足の指で地面を掴むという話を思い出し、足の小指を意識してみた。それまで足裏では、前荷重やカカト荷重など、内側のみを意識していたので、これに小指が加わることで足裏全体が吸盤のように地面に吸い付くようになった。そしてそれが出来てしまうと不思議と、ヒザ周りや大腿部など、足全体のリキミが取れていて、下腹部は、それまでよりゆったりと構えていられるようになった。

照準を合わせる

 アバラの領域を柔らかく使うことと、足の小指を意識したことで、組手構えでの全体のバランスが整ったようだ。両手のひらを相手に向け、自分の顔の前に置くように構えると、手や前腕に程よい張りは残したまま、腕や肩にはリキミがなくなっている。

 探手をしながら、いつも天野先生に注意されている点をひとつひとつチェックしていく。そのままの位置から打てるか、打ったらすぐに戻しているか、戻した時にちゃんと顔の前に手があるか。ここで、手の位置に自分なりの解釈が出てきた。漠然と顔の前というよりも、目の前に置くようにした方がいい感じだ。右目の下に右手を、左目の下に左手を置くように意識してみる。そして手の指の間から相手の目標点としての顔と邪魔者としての手を覗き見ておく。ここで天野先生がよく打拳の打ち方をライフル銃で相手に狙いをつけるような説明をされていたことを思い出し、ライフルでの照準の合わせ方をちょっとネットで調べてみた。「照門の中心に照星の先端をおく。標的の中心に照星の先端をおく。目の焦点は照星に。標的はぼやける」とある。子供のころ、安物のおもちゃのピストルで遊んでいたことを思い出す。照星や照門を一生懸命標的に合わせて、銀の玉でマッチ箱に狙いをつけていたことを。

犬掻きとクロール

 組手をやっていると、人の欠点はよくわかるものだが、自分の欠点はさっぱり見えない。それは、撮影されたビデオを見ても同じだ。あの人は打ちに出るときに腰が伸びているとか、この人は前に出るときに頭がさがっているとか。しかし自分の姿は「ん、なかなかよく頑張っているなぁ」くらいにしか見えない。

 久しぶりに去年の夏合宿のときのビデオを見てみた。はじめは天野先生の組手に着目してみようと思っていたのだが、どうも自分の組手が気になってしかたがない。そこには白いヘッドギヤを着けて、両手をグルグルと意味もなく振り回す犬掻きをしているような自分がいた。胸周りのアバラが硬いため体の中に甲冑を着込んでいるかのような動きになっている。だから正面がガラ空きである。体の使い方が変わったことで、はじめて過去の自分の欠点が見えてきた。ちゃんと両手と一緒に肩や胸や胴も動かすようにして、クロールをするような組手をやろう。そう思った。

組手構えの矛盾・その2

 一、アバラの領域を柔らかく使う。

 二、足の指で掴むことで、弓を引いている状態に下半身を保つ

 三、手は目の前に置き、相手に照準を合わせるように

 2月6日の朝練でこの3つのことに気がついた。そして矛盾椿が自分の体になじんできている。2月の17日と23日、組手に進化がみえ始めている。天野先生の言っていることが、少しずつではあるが着実にできるようになってきている。一歩一歩、階段を上がって行くように上達を感じられるのが嬉しい。

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平成19年・冬ですね

20年ぶり50時間

 10月に職場で人事異動があった。よその課から移ってきた人が、今まで私がやっていた仕事をすることになった。10月末までは引継ぎなど、その人に自分の業務をトランスファーするのが主な仕事で、とりたてて忙しいという程でもなかった。

 11月から急に忙しくなってきた。今まで自分のペースで出来る仕事に甘んじていたため、急激な環境の変化についていくのが大変だった。11月末には、新規の装置の搬入・設置を3人のメンバーでやることになった。そして、いつの間にかそのチームのリーダーになっていた。というより、リーダー役を押し付けられていた、と言った方が正しいかもしれない。

 12月になると、立ち上げ作業が始まった。ホテルと工場の往復の毎日だ。途中、二週目の土日で一旦休暇をとり、自宅へ戻れる予定であったが、スケジュールの遅れもあって、結局もどれずじまい。3週間の間、土曜は毎週仕事、日曜も2~3時間は仕事をしていた。

 20代の頃、50時間を2回、100時間を1回、経験したことがある。それ以外は多くて40時間程度。おしなべて10時間から20時間くらいの残業時間だった。そしてここ4~5年の間は、ほとんど残業をしていなかった。そんな状況だったにもかかわらず、今回は、12月の一ヶ月間で50時間以上の残業をした。実に20年ぶりことで、さすがにキツかった。

3週間の強化合宿

 はじめは、その仕事が嫌で嫌でたまならかった。早く帰りたい。3人の内、自分だけ帰ってもいい、戻ってもいい、という状況になりはしないかと、毎朝、歩きながら考えていた。毎朝の立禅の日課だけが、せめてもの救いだった。疲れていても、20分~30分の少ない時間でも、何某かの新しい発見や進化や変化がある。そして公園への行き帰り、ほんの10分程度の道すがら、綺麗な山々や野鳥の姿を目にすることで、すさんだ心が癒されていた。

 初日、午前9時から午後1時まで仕事。一時間の休憩を挟み、午後2時から8時まで。休憩無し、立ちっぱなしで働いていた。だいたい毎日がそんな感じだった。もういくら立っていても平気になった。疲れていても気を張っていれば、力仕事もやって、尚且つ細かい作業もこなすことができるようになっていた。体も使うし集中力も持続させておく、その両方を要求されるから。

 もともと細かい作業は苦手ではなかった。ただ、細かいことを気にしすぎて前に進めなくなる気質でもあった。ある日の夕方、まだ細かいところまで把握できていないその装置の操作をしていて「バッと、全体の雰囲気を掴めばいいんだ」をいう感触がふっと湧いて出てきた。ひとつひとつの細かい要素を拾いあげていくことも大事だが、それで全てを完璧に掌握するには無理がある。全体の雰囲気をバッと掴むことで、装置と自分との間に信頼関係が生まれるというような感触を体感した。

 ほんとうに大変な3週間であったが、一生の宝物にできるような貴重な体験をした。太気拳で培った体力気力があったから乗り越えられたと言うことも出来るし、この仕事を通して太気拳のスキルアップを図ることができたとも言える。

神様からのギフト

 思い、願い、祈り、決意、宣言、それに対して神様は何を与えてくれるだろうか。神様は、チャンスをくれるのだと思う。試練という形の。

 秋の章で宣言をした。「将来の夢」というタイトルで。その原稿を書いたのが9月末。変化はすぐにやってきた。10月の人事異動。そのときに、もう始まっていたのだと思う。このシナリオの筋書きが。この試練は神様からのギフトだと信じていたから、頑張ることができたのだと思う。

 結局、12月は一度も太気拳の稽古には参加できなかった。しかし、今回の強化合宿のような出張を通して、自分の中で大きな変化があった。それは、ヒト・モノ・コトに対しての自分の態度、気のもち方だ。「物・装置・機械」「人・組織・チーム」「仕事・出来事・物事」それら対しての自分の向き合い方、気持ちのあり方が、今までは大きく変わった。まぁ「やっと人並みに成った」だけなのかもしれないが。

足りないものは…

 私は毛が薄い。とは言っても頭髪ではなく体毛の方だ。別に今さら気にしている訳ではないが、心臓の毛だけは気になる。全くの無毛状態だったからだ。それでも昨年の暮れには、少しは産毛が生えてきたような気がする。

 気力と体力は充実した。あと足りないものは、根性と気合いと度胸とおおらかさ。仕事を通して鍛錬し、太氣の組手に役立てよう。

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平成19年・秋なのだ

仮面ライダーになりたかった少年

 センスが無い。組手に対してのセンスが全くない。そもそもが格闘技や武道・武術、そういった男らしい強さに対しての体格や体質、性質や才能、そういったものには全く縁が無く、元来、自分には不向きなカテゴリーである。当然、プロレスやボクシング、空手の試合などにもほとんど興味が無く、男同士でプロレスごっこをしたり、ボクシングの真似ごと等をした記憶もない。なのに今でもそれを続けている。毎週毎週、ぶつかり稽古のような組手を繰り返している。何故か、何故やり続けているのか?自分でも良くわからない。

 最近は、日曜日でも7時くらいには目が覚めてしまう。朝食と片付けを済ませても、まだ8時代だ。ふと、普段はあまり見ないテレビをつけてみた。そこに仮面ライダーがいた。昔見た深みどり色の地味な仮面ライダーではなく、桃太郎のような極彩色とパステルカラーを身にまとった今風の仮面ライダーだ。仮面ライダーが闘っている。悪役のモンスターと闘ってる。ヒーロー達はいつも誰かのために闘っている。地球の平和を守るため、日本の町を守るため、家族や友人達を守るため…。そうか、僕は仮面ライダーになりたかったのか。ふと、そう思った。

伝説のミロンゲーロ

 アルゼンチンの共用語はスペイン語だ。しかし、ヨーロッパのスペインで使われているスペイン語とは少しだけ違っていて、アルゼンチンの地元の人達は、自分たちの言葉を「エスパニョール(スパニッシュ)」とは呼ばずに「カステジャーノ」と呼んでいる。

 僕は、スペイン語が苦手だ。同じ言葉でも男性名詞と女性名詞で違っているので、覚えるのが大変だからだ。大抵は、女性名詞は「a」で終わり、男性名詞は「o」で終わる。タンゴの愛好家達のことを女性の場合にはタンゲーラ、男性の場合はタンゲーロという。またミロンガで遊ぶ人達のことも同様にミロンゲーラ、ミロンゲーロ、と呼ぶ。

 ミロンガというのは、日本風にいうとダンスパーティーのようなもの。ただ少し違うのは、ちょっと飲み喰いもできて、多少酔っ払っててもオーケーということ。アルゼンチンの首都ブエノスには、ミロンガのお店がいっぱいある。中央には踊るためのスペースが大きく採ってあって、その周りにテーブルが並んでいる。ほとんどのお客はテーブルにつき、飲み物やピザなどの軽い食事を注文する。一人で来る人もいるし、ペアで来る人もいる。また、4、5人のグループで来る人達もいる。ミロンガの楽しみ方は人それぞれだ。美味しいアルゼンチンワインに酔って、音楽を聴いて、人の踊りを見ているだけの人。ずーとお喋りしている人、もちろん踊っている人達もいる。

 日本ではタンゴという文化が定着していないので、当然ミロンガのお店は経営が成り立たない。なのでミロンガは、公民館のホールなどを借りきって行なわれることが多い。あとは、タンゴの先生達がレッスンで使っているスタジオで、開催されるというパターンもある。

 ミロンゲーロを名乗るのは簡単だ。毎週毎週、ミロンガに通い詰めるだけで良い。別に踊りが上手くなくても平気、踊れなくても、踊らなくても平気。ミロンガに行っていれば、その人はミロンゲーロだ、ということになる。

幻の太気拳士

 太気拳士という肩書きは実に重い。僕は太気拳を8年続けている。でもまだ「太気拳士です」と名乗ることは出来ない。いつになったらそう名乗れるのか、想像もつかない。組手が強くなったらなのか? 10年経ったらなのか? あるいは太気拳愛好家として一生を終わるのか。見果てぬ夢の果て。そんなフレーズが思い浮かぶ。

とみりゅう・タンゴ・太気拳

 とみりゅう・タンゴ・太気拳、これは僕のライフワークだ。とみりゅう=文章を書くこと。タンゴ=タンゴを聴いて踊ること。太気拳=太気拳を続けていくこと。

 富川リュウのペンネームは自分でつけた。ちなみにタンゴネームはトミーという。富川の富の字から流用した。ミロンガには外国人も多く、日本語名では覚えてもらいにくいからだ。今や都内のミロンガで、トミーといえば知らない人はいない。ちょっとした有名人、伝説のミロンゲーロである、と自分では思っている。

 富川リュウのペンネームでこの修業記を書き始めて、もう7年になる。この修業記を書き始めて、文章を書く面白さを知った。この機会を与えてくださった天野先生には感謝の気持ちでいっぱいだ。また、こんな若輩者が、太気拳について書くことを容認してくれている諸先輩の方々にも感謝している。そしてもちろん、読んでくださっている皆様にも感謝している。

 初めの頃は、文章が重く、リズム感がない実につまらない書き方だったが、日が経つにつれ、面白みがあり、味のある良い文章を書くようになった。まさに、文才という才能が花開いた、といった感じだ、と自分で勝手に思っている。

太気とタンゴの類似性

 太気拳とタンゴには不思議な類似性がある。まず、やっていることの違いを明確にしておこう。太気拳に限らず、格闘技というものは多かれ少なかれ「自分のバランスを護ったままで、相手のバランスを崩す」という作業をおこなっている。これがダンスの場合、男女ペアで踊るダンスの場合に男性側がするべきことだが、「自分のバランスを保ったまま、相手のバランスも保ってあげる」という作業をおこなうことになる。また、違う言い方をすると「前者は相手の嫌がることを常に仕掛けていき、後者は常に相手を気持ちの良い状態に居させてあげる」ということもできる。

 では、類似点はどんなところなのか? まず身体の使い方が似ている。常にリキまずにいるということ。足は常に片足でいることを心掛け、移動の際には閉じてから閉じてからが基本である。次に、常に体を滑らかに使うということ、また、ある一定のまとまった状態で居続けるということ。この辺の部分は全く一緒だ。

 さて、組み手のセンスのない僕ですが、ダンスのセンスは良いようです。太気拳の自主練や対人稽古の中で気付いたことは、なかなか組手には成果が反映されないのですが、ダンスの動きはみるみるうちに良くなり、それまであまり上手く出来なかったヒーロなどの回転系の技などが、太気の稽古を通してある日突然出来るようになることが良くあるのです。

将来の夢

 僕はもうすぐ45歳になる。いつの間にやらすっかり只の中年オヤジになってしまった。いや、只の中年オヤジではない。非凡なる只者、只者でない凡人、と自分勝手に肩書きをつけてみた。

 僕には将来の夢がある。五十になったらこんな生き方をしてみたい、という夢だ。文章を書き、踊りを教え、毎日太気拳の稽古をする。そんな生活を夢見ている。会社勤めは辞めているので、これらの活動の中から何某かの収入を得ることも必要だ。

 本を書こうと思う。何かエッセイのようなものを。あるいは人に伝えたい人生の術を。ハッピハッピーな人生、幸せな人生には何が必要で、何が不必要なのかを。そしてタンゴの踊り方を教えよう。まずは立禅から始める。次に這いを教える。そして歩き、カミナンド。そう、太気拳の基本練習をそのままタンゴのレッスンメニューにしてしまう。必要最低限のことを優先順位を明確にして教えていく。やらなければいけないことと、やってはいけないことをはっきりと伝える。既存のレッスン体系ではミロンガデビューするまでに、女性で1年位、男性だと3年くらいは掛かってしまう。これをとりあえずの最低限の踊りが、女性は3ヶ月、男性は6ヶ月できるように成るように、メニューを組み立てようと考えている。

結果報告

 8月の合宿を終え、毎週土曜は稽古に参加し、9月になっても毎週土曜の稽古に参加し、天野先生から「今日の組み手は55点だな」と言ってもらえた。それまでは20点~30点あたりウロウロするばかりの永かった低迷期間をやっと抜け出せたようだ。

 8月から10月までの取り組みの中で、効果の無かったのは「キョンシースタイル、自分のリズムをつくる、第一の意識と第二の意識」。そして組手の上達に功を奏したのは「ふんばらずに打つ、収縮して打つ、内廻しの練り、相手のノド元を見る方法」等々である。

効果の無かった取り組み

 ①キョンシースタイル~両腕を長く真っ直ぐ相手のほうに伸ばして組手に臨んだ→ノドの部分が硬くなり頭が全く左右に動かせず、ボコボコにされた。

 ②自分のリズムを作る~自分の攻撃パターン、コンビネーションを工夫し、自分のリズムを作ってみた→相手が思うように動いてくれず、ボコボコにされる。終わってから天野先生からは「リズムではなく音」というアドバイスをいただいた。

 ③第一の意識と第二の意識~相手を周りの風景をボゥーと見てこれを第二の意識とし、一番手前に見えている自分の手に目の焦点は合わせないが意識をおき、これを第一の意識とする→相手の動きに反応できずにボコボコにされた。

功を奏した取り組み

 ①ふんばらずに打つ、収縮して打つ~これが出来るようになって前に出ながら連打することが可能となった。

 ②内廻しの練り~今までは「外廻しの練りは組手のシャドー」で「内廻しの練りは推手のシャドー」と理解していたが、内廻しを組手で使ってみたら、結構すんなりと上手くいった。

 ③相手のノド元を見る方法~普通に相手のノド元を見ようとすると頭が下がってしまう。頭をそのままで目だけ、視線だけを下げると眠いような目になり、祖手がボゥーを見えたり、二重に見えたりする。しかし、ある状態、ある姿勢、ある意識になると、視線が下向きでも相手と周囲のものがハッキリと見えるようになることを発見した。

 ④トコトコ歩きで足先を外へ向けるようにすることで、上体が無理なく自然に左右に振れるようになった。

天野敏の組手再入門

 9月末に都内某所のスタジオで、新しいビデオの撮影が行なわれました。朝9時半から夕方6時半までの約8時間(昼食タイムを除く)、天野先生は出ずっぱり喋りっぱなしの大変な収録でした。僕を含む弟子達7名は、組手もしましたが、それ以外での出番は少なく、待ち時間がほとんどという状態でした。それでもビデオ撮影という現場に立ち会えたことはとても有意義な時間でした。まる一日、レクチャーを受けていたという感もあるし、まる一日、天野先生の太気拳にかける情熱に触れさせてもらったという感もあります。本当にあまり体は動かしていないのですが、とても自分が上達したような気になりました。

 このビデオ・DVDは、今年の12月に「天野敏の組手再入門」というタイトルで発売される予定です。尚、登場した弟子達のなかでどの人が富川リュウなのかはすぐわかります。いちばんハンサムな人が僕ですから。えっ、そんな人見当たらないって?んー、美的センスは、人それぞれ違うからなぁ。

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会員・会友員のテクスト 富川リュウの太気拳修行記

平成19年・夏だよね

首の曲がり具合と頭位置

 半禅での頭位置、これにはずいぶんと苦労させられている。立禅でさえ、アゴの引き具合、あるいは首の力の入れ具合に、すっきりとした解答が得られていないのだから、当たり前といえば当たり前の話だが。

 右足が軸足で後にある場合を考えてみよう。去年までの半禅での頭位置は、右の後へ引かれていた。その方が正面位置のまま引くよりも、より大きく後へ退げられるからだ。今年に入って2月くらいから、左の前の位置になった。これは天野先生による後手からの打拳を幻の右ストレートで終わらせないためのアドバイスを受けての賜物だ。半禅の姿勢から、右打拳を打ち出して上体が左足に載る。この感じのままで手だけを引いてやると重さのある打拳を一挙動で出せるようになる。そうすると半禅の頭位置は、自然に左前の位置になったのだ。そしてそれが4月に入ると、まぁ色々とあって、左の後ろへ来るようになった。この位置だと肩でアゴを守れるようになり、なかなか具合が良い。

姿勢が良ければそれだけで…

 4月の末、岸根での組手の時に天野先生に言われた。お前は姿勢が悪いんだよ。そしてトミリュウはこう言った。姿勢だけは良いつもりでいたんですけどね。馬鹿野郎、姿勢が出来ちゃえばそれだけなんだよ。姿勢が全てなの――。その静かな呟くような何気ない一言が、今の自分の姿勢の至らなさを思い知るだけに留まらず、後に大きくトミリュウを変えていくことになる。

 5月に入って、ハラで見る感覚と言うものが少し感じられるようになってきた。たぶん半禅で頭位置が定まった事で、背中、腹、腰、内臓などが、より良い位置へ動き始めているのだと思う。

自分を見失わないということ

 5月19日土曜日、組手が少し良く出来た。ハラで見る感覚のおかげかもしれない。天野先生からは自分を見失わないということを言われた。打たれたっていいんだよ。打たれてもパニクらなければ、お前は、打たれてアワワどうしよう。それに打たれる前からアワワどうしようになっちゃってるんだよ。アワワどうしようの状態っていうのは、身体が動かない状態なの。だから全然反応できない――。打たれてもパニクらないでいろよ。それだけでいいんだから。そのための稽古を禅の中でやってるんだからな。

 この手の話は、もう半年も前から繰り返し聞いていた。いつもいつもトミリュウの組手は、このことを言われ続けていた。

 次の日、日曜日の夕暮れ時、いっぱい遊んでいっぱい踊って、心地よい疲れにつつまれて、四ツ谷の街を歩いていた。その時、あるインスピレーションがすぅーと頭の中に入ってきた。殴られてもそのままにしていりゃいいんだ…。コトバにしてしまえば同じこと。同じ意味。でもその瞬間、その意味が、やるべきことの意図が、なぜ必要なのか、何でそれなのか、何のためなのか、全てが一瞬にして繋がって腑に落ちた。

 次の日、月曜の朝、禅、這いをやった後、探手を長めにやった。いつもとは違う探手。打拳を放つのではなく、自分をぶってみる。平手を張る。グーで殴る。相撲取りが自分の頬を張り、気合を入れるように。そしてムエタイの選手のように、自分で自分に殴られた衝撃を動揺を振り払うようにニヤッと笑ってみる。初めは殴られてリラックスするまでに若干のタイムラグがあったが、それを繰り返す内に、だんだんと殴られた直後もそのままで居られるようになってきた。しかしながら、朝の公園でサラリーマン風の居で立ちの男がこんなことをしていたら、気がふれているとしか思われないだろうが、そんなことは全く気にならなかった。それよりも顔に青タンが出来ていないかどうかが心配だったのだが、たいしたことはなく、支障なく昼間の業務も遂行できた。めでたしめでたしである。しかし、翌朝にはアゴやコメカミに軽い打撲の痛みが。今日はボコボコリーマンはやめておこう――と思った。

BIGコミックオリジナルISSUE

5月19日土曜日、もうひとつ、天野先生から良いアドバイスをいただいた。コピーしきれない処は、オリジナルを創るんだよ。そんな話だった。

 先生に習う。先生の真似をする。しかし、先生のように上手くは出来ない。それは当たり前で、先生と自分とは、体格も違えば、性格も違う。気質も違えば、生きてきた過程も違う。違ってて当たり前。であれば同じようにしても、同じことが出来るようになるとは限らない。そのコピーしきれない部分、その部分だけは、自分のオリジナルを創るしかない。自分にしかできないもの、自分にしかわからないもの、自分が、より自分らしくなるためのもの。それは自分が、自分自身で見つけ出すしかないもの。だから、難しい。そう成るのが難しい、そうするのが難しいのではなく、それを見つけ出すことが難しい。だから、オモシロイ。そんな内容であった。

逆捩じりの半禅

 5月の下旬から6月の上旬にかけて、逆ねじりの半禅に取り組んでいた。右足が軸足で後にある場合を考えてみよう。普通の半禅では右手が後ろにあり、左手は前方にやや高めに位置している。これを逆に捩じるのだ。足腰の位置はそのままで、左手をやや後へ引いて、右手が前へ出てやや高めの位置にくる。この半禅で気付かされたことはテンコ盛り。これを使って這いや練りをしていくと、体が一旦グダグダにほだされて、また新たなまとまりに収束していくような、脱皮とサナギを繰り返すような毎日だった。

腰かけ替える這い

 腰かけ替えるように這いをしなさい。ずいぶん前に天野先生に聞いた。秘伝の雑誌にも出ていた。でもそれは出来なかったし、出来ないから意味もわからなかった。それがその日、急に出来るようになった。

 6月9日の土曜日、逆捩じりの半禅をしていると、つかつかと天野先生が歩み寄り、手はこう、とトミリュウの姿勢を直された。当然、通常の位置にである。しかし解説付き。手はこう。こういう力が働いているから、手はこう。こうはならない。それは力が出きったときの状態で、こういう力が内在している所に意味がある。それが半禅。

 こういう力と言うのは前足を引き上げる力。それが内在されていて、やや前手が高くなる。ここで立禅に対してのテーマが二つ持ち上がる。ひとつは「内在する力」ということ。もうひとつは「引き上げようとする力をどこへ持っていくのか」ということ。

 週が明けて、月火水と引き上げる方向を探ってみた。月曜は上へ引き上げる。火曜は引き上げる力を借りながらも腰を真っ直ぐ後へ引いてみた。そして水曜には、前足を引き上げる力で腰を後ろ下方向へと引いてみた。後ろの椅子に座り込むように。この繋がり、この感覚がわかると軸足が沈み込みながら体が前に運ばれていくような這いが出来るようになった。そして初めて腰かけ替えるように這いができた。

リキまないで力のある状態

 この週(6月11日の週)は、同時にもうひとつのことにも取り組んでいた。「内在する力」ということについてだ。以前から立禅の重さは置物の重さではダメだ、と言われていた。また脱力して緩むことが大事、と言ってみても、当然緩んでいるだけではいけない訳で、そのなんたるかを見つけ出す必要があった。

 自分の言葉でいうと「リキまないで力のある状態」「緩んでいて力のある状態」「緩んでいて力の出せる状態」この感覚を磨いていくと「身体が緩んでいて気持ちが張っている状態」に近づいてきた。これはまた「変化に対して“うろたえない”状態」でもある。

叱咤叱責

 叱咤激励というコトバは良く聞く。叱りつけ励ます。学園もののドラマなんかではおなじみのシーンだ。叱咤叱責、こちらの方はあまりイメージが良くない。叱りつけ責める、詰め寄る。そんなイメージがある。6月16日の土曜日、その日の稽古は、叱咤叱責から始まった。もちろんトミリュウに対しての叱咤叱責である。

 今のお前の気持ちではな、体が2mで100キロになったってダメ。急に運動神経がよくなったとしてもダメ。それじゃ組手にならないよ。いつまで経っても組手が出来るようにはならない。何を変えなきゃいけないのか、よ~く考えろ! そのままじゃダメだ。

 這いをやりながら、しかし今日の自分は違う。軸足を縮めながら前へ出られるようになっている。練りをやりながら、ほらこの動きの良さを見てごらん、きっと組手でも…。そう心の中で反論していた。しかし、勘違いはトミリュウの方で、正しかったのは天野先生の方。組手は全くいいとこなし。何かが根本的に間違っている。何かが決定的に欠落している。

 ほんわかとハラの中にかすかな感触が。前々回の5月19日土曜日には、組手が少し良く出来た。しかし前回と今回は全く以っていいとこ無し。その違いは何か。ハラ。ハラで相手を見るという感覚。それを忘れていた。太気拳の組手構えは、両手を前に出して腹を引く形をとる。しかしここで腹部が凹んでいると腰が引けているのと同じ状態になってしまう。だから、両手を前に出して腹は引くのだが、下腹部は出っ張らせておくことが必要になる。たぶんこれで行けるはず。

出っ腹を相手に向けろ!

 翌週の月曜からは、腹を出す練習をした。立禅でも、這いでも、練りでも、とにかく腹を出す。しかし腹といっても、腹全体ではなく下腹部のみ。ズボンのベルトを内側から押し広げるように腹圧を高めていく。そして出っ張らせた下腹部で相手の中心を捕らえておくようにする。顔は背けても、下腹部は相手の中心に向かっているような身体を作っていく。探手では、ハラで相手に狙いをつけている感じで動いてみる。不思議なことにこれをやると、今までよりも眼が良く見えるようになってきた。

盲目の雄鶏

 眼が良く見えるようになってきたという感覚は、組手をしてみると、さらに明確になっていた。今までは、相手のどこを打てば良いのかも分からなかったのが、その日は、相手のヘッドギヤの継ぎ目まで良く見えていた。何のことはない、自分の場合、腰が引けて腹が引けることで、全くの盲目となり、組手をやっていたのだ。まさに今までは開きメクラの組手、ボコボコにされて当然だったのだ。

 6月23日の土曜日、いつも一方的に攻め込まれているT長さんとの組手で、何気なく出した左手が相手の顔面を捕らえていた。左ストレートが当たった瞬間だ。相手もキョトンとしていたが、ビックリしたのはこちらも同じ。いや相手以上に自分の方が、一瞬、エエッ!っと驚いていた。腹の状態ひとつで、姿勢だけで、こんなに眼の見え方、体の動き方が違うなんて! 驚愕の一瞬だった。

 そのあとの組手の展開は、あまりの“出来の良さ”にうろたえてしまい、自分で自分を見失ってしまった。右膝の内側、ちょうど骨と骨の継ぎ目の部分に、強烈なローを的確にヒットされダウン。しばらく立てなくなってしまった。しかし、この日は大きな収穫があった。そして次に何をすべきかも、もう分かっている。たぶん、それで行けるはず。

ノドを見るの?

 6月16日の組手稽古の際に、目付けについてのアドバイスがあった。天野先生は「これは自分のやり方だから、皆に当てはまるかどうかは判らないけど…」と前置きされてから、それを説明してくれた。相手のノドのあたりを見るように、そこを凝視するのではなく、そこを中心として全体を見るように、とのこと。しかしこの後、自分の組手の番が回ってくると、そのやり方は自分には合わないことがわかった。やはり自分にあったオリジナルのやり方を探さねば。

 それで前述の腹で見るやり方。そして目線は相手の軸を意識しつつも遠くを見るようにしてみた。しかし、6月23日の組手で得られた結果は、腹を出して相手を捉え、腹で見る感覚は正解であり、遠くに目線を置くやり方は間違いだった。

相手の軸を挟む

 相手の軸を意識しているだけではダメだ。ハラで相手の中心を捉えているのだから、頭で相手の軸を上から抑えるようにして、挟んでみてはどうか。そんな感覚で立禅を組み、這いをして、練りをやる。ついでに両手は相手の脇を下から上へ斜めからすくい上げるような方向性をもたせてみた。7月7日の推手の稽古では、これがなかなか良い効果を発揮。イケテル感じになってきた。

 しかし7月21日の組手の稽古では、これが裏目にでた。相手の軸を挟もうとするあまり、前に出るときに頭が下がってしまうのだ。このことを天野先生から何度も注意された。結果、自分の両腕が相手の両脇を差す感覚は正解であり、自分の頭で相手の軸を挟むやり方は間違いだった。

自分の軸を抑える

 相手の軸を挟んでいるやり方ではダメだ。では、自分の軸を自分の頭で抑えるようにしてみてはどうか。そんな感覚で立禅を組み、這いをして、練りをやる。ついでにハラの感覚も相手に向けることを残しつつ、自分であり続けるように意識してみた。7月28日の組手の稽古では、これがなかなか良い効果を発揮。イケテル感じになってきた。

 しかしこの日は、天野先生から自分の推手に対してのダメだしがあった。腕が上がって脇が空いてしまうのだ。ヒジを下に引き落とす力が足りないのだという。結果、自分の軸を自分の頭で抑える感覚は正解であり、自分の両腕が相手の両脇を差す感覚は間違いだった。朝令暮改というやつだ。

 翌週の月曜日からヒジを引き落とす力を模索する。不思議なことに二の腕を肩にハメル方向に力を入れることで、これが実現できた。そしてこの感覚から自分の骨の芯にビンッと張った力があるようになってきた。

力を入れるべきか抜くべきか、それが問題だ

 初めの頃は、とにかく力を抜くように立禅や這いなどの稽古に取り組んでいた。それで、打拳を打つ時にだけ力を入れるのだと思っていた。しかし今回、骨の芯に力を入れるやり方がわかると、力は常にずっと入れたままで、打つ時にだけ抜くのではないか、という考えに変った。

 しかしこの考えは2日で覆される。打つ時に力を抜いてしまうと、その後の集中力が途切れてしまうのだ。だから常に力を入れておいて、打つときにも力を入れておいて、打ったあとも力を入れておく。ただその力の入れ具合を20%から80%の間で波打たせるようにしてみる。

夏合宿

 今年の夏合宿は伊豆の修善寺で行なわれた。トミリュウは今年も土曜日(8/4)のみの日帰り参加。それでも午前2時間、午後3時間の汗だくの5時間稽古だ。天野先生から、いつもはあまり聞くことのない足裏の荷重の位置などの細かい点の説明を受ける。また組み手の際の相手の間合いへの入り方などの指導もあった。

 この日の組手は、昨年の夏合宿ほどに悲惨ではなかったが、それでも課題が残った。細かい部分部分では先生の説明が理解でき、体もそれなりに動くようにはなってきている。しかし、それがほとんど組手に反映されていない。これが、ここ最近の最大の問題点。だが、その原因がやっと明確になりつつある。一つ目は、まだ姿勢に修正すべき部分が残っているということ。いつも緩んでいられるような状態、位置、角度に、もう、ちょっとちょっとの工夫の余地がありそうだ。二つ目は、気持ちが飲み込まれてしまうことで、身体にコワバリを誘発させているのではないかということ。姿勢と気持ち、これがこれからの一番の課題である。

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平成19年・春だっぺよ

目玉のオヤジ

 バサバサバサ。すぐ目の前にカラスが降りてきた。正面の樹の上にそいつが居るのは眼の端で捕らえていた。だから、驚くこともなかったのだが、姿勢を変えることはせずに、目玉だけがそのカラスを追っていた。ああ、これじゃイカン。大切な事に気がついた。

 普通の人は物を見るときにどのように見ているのだろうか。たぶん姿勢を変え、首を使い、頭の角度が少し振れ、目玉も適当量動かす。これらを無意識の内に自然に組み合わせて行なっている。それで、見るという目的は充分に達成される。しかし、立禅を長く続けていると身体が普通ではなくなってくる。前述の行為もその内のひとつ。普通ではない反応をする。そしてその先は?

 もっと普通ではなくなる、はずだ。

目ん玉は真ん中に

 目玉の反応から気がついたことは、もっとよく見ておくためには、目の玉が常に中央になければならないということ。目の玉を中央に置いたまま、身体をそちらへ向けていく様にすると、そのものがもっと良く見えるようになる。ただ見えるということと、良く見えているということの違いは、情報量の違い。何事も見逃さないように、観察するように、その一瞬が観えるようになってくる。

観えていない瞬間

 目玉の位置に気をつけて這いの稽古を行なう。這いの動作はジグザグに歩を進めるのだが、この中で、後ろ足を引き寄せ、その足を差し出そうとする瞬間、自分が盲目になっていたことに気づいた。その瞬間だけ目の前が観えていなかったのだ。確かに目は開いているし、見てはいる。しかし観えてはいない。当然、組手の最中にもこの瞬間が存在する。組手の最中の観えていない瞬間、それを思うと背筋がゾッとなった。原因は首の角度にあった。左右の眼の高さを揃えて(首が傾かないように)、そして右眼と左眼の前後の位置も平行に移動していくように(右耳左耳のどちらかを引きすぎない)、これだけのことで良く観えるようになった。必要なものは首の柔らかさ。あとはアゴの引き具合に気をつけて。

鼻先でロックオン!

 最新の戦闘機の技術は進んでいる。レーダーで目標をロックオンさえすれば、あとは自動追尾システムを備えたミサイルが、勝手に相手を追いかけてくれる。このシステムは、相手が動き回る戦闘機などの場合でも有効だ。ひとたび、目標物をロックオンするだけで、発射されたミサイルは、目標物に当たるまで追い続ける。

 こんな打拳を打てるように、いつも目標物を捕らえていた。しかしその捕らえ方が問題だ。相手の顔を良く見ると、全体をボワンと見るように、と言われ、全体をボワンと見ていると、もっと相手を良く見るように、と言われる。色々と試行錯誤の上、とりあえずの結論は、鼻先で相手の輪郭の縁を捉えておく事。目標は相手の耳から首筋。このあたりに自分の鼻先を向け、視界の中に、背景と相手を半々に捕らえておく、そして奥手の延長線上に、相手の中心、喉または鼻を捕らえておく。眼からの情報と気持ちは全体を捕らえ、身体(奥手の拳)は相手の中心を捕らえている感覚だ。

JOHNDOE

 名無しの権兵衛。英語ではJOHNDOEという。ジョンというのは、日本で言うところの太郎のようなもの。世間によくありがちな男性名の代名詞である。ちなみにツゥな通販で有名な女性用下着販売メーカーPEACH&JOHNは、社長が、桃=ピーチは必ず付けたかったネーミングで、スタッフの一人が「桃」とくれば「太郎」でしょうということで、PEACH&JOHNとなったそうな。

翁・権兵衛

 日本海に面したその町には、仕事でたまにおじゃまする。JR駅の裏手から数分歩いたところに、駅のホームを模した児童公園がある。ホームにはそれらしい屋根もついていて、係員の小部屋らしきものがあり、その中に昔の電話機のようなものが付いている。ホームの前には十数メートルの線路もあり、ポイントの切替え用の白黒の重りのついたガッチャンコ(正式名称不明)もある。

 ドーン!ドーン!時折、翁が叫ぶ。ブツブツといつも独り言をつぶやいている翁。係員の小部屋の脇に常泊している。ある朝、その翁が穴を掘っていた。いつも先の短いホウキを持って地面を掃いているのは見かけていたが、掘っているのは始めて見た。何を掘っているんですか、と尋ねる富川リュウ。埋めるんだよ。埋めるための穴を掘っているんだよ。そう答える翁。それ以上は話しかけられたくない様子だったので、ああそうなんだ、埋めるんだ…といって、その場を去った。はじめは汚物やゴミを埋めるための穴だと思ったのだが、その公園にはトイレもゴミ箱も常備されていることに気がついた。よく見ると、穴を埋めたあと、あの先の短くなったホウキで、丁寧に丁寧に、何度も何度も、そこをならしている。そのホウキは掃くためのものはなく、何かを埋めた形跡を判らないようにするために、ならすために使っているようだ。だとすれば、埋めていたものは、翁自身の昔の嫌な思い出の数々に違いない。恐ろしい思いをした過去の出来事、怖い思いをした事、そんな嫌な思い出の数々をきっと埋めてはならし、埋めてはならして、忘れようとしているのだろう。

 ドーン!ドーン!また翁が叫ぶ。それは戦時中の爆撃の音か、地雷の響きか、何か恐ろしいものに違いない。

連打の探手・打てない打拳

 探手をしていて、いつも天野先生から注意されることがある。シャドーボクシングのように連打を打ち出す、ダッキングしてストレート、フックと打拳を繰り出していく。いい気分でいると、それじゃあダメなんだよ、と注意される。打つことを何度やっても組手では打拳を出せないんだよ。いつでも打てる状態でいなさい。いつでも打てる状態というのがどういう状態なのかを考えなさい。そう言われてきた。しかし連打の稽古をしなければ身体が動かないじゃないか、という反発心もあったが、いつでも打てる状態というのがよく解らないのも事実。それを探し続けていた。

インプットの途切れる瞬間

 反応して打つ。インプットがあって、アウトプットがある。ただ闇雲に打っていても相手には当たらない。アウトプットの練習だけでは片手落ち。では、インプットの方はどう取り組めというのか?

 見て感じる、聞いて感じる、肌で感じる。感じた瞬間、考えずに打つ。感覚で反応して打てるように。それは立禅で、いつも養っているものだという。

 自然を相手に、それを合図に、反応する稽古を積んできた。あるときは枯葉で、あるときは雨だれで、そしてまたある時は、風になびく木々の揺らぎを合図にして。

 翁、宜しく。今日はあなたのドーンが合図です。半禅のまま掌を前に向け、組手の構えを取る。せわしなく動き回ることはせずに、静かな気持ちで待つ。たまに一歩二歩と前後に歩を進めるだけ。ただひたすらに合図を待つ。なかなか合図が来ない。しびれを切らし、右の打拳を一発。その直後、翁からのドーンの合図が――。全く反応出来なかった。というよりも、もっと大事なことに気がついた。打った直後、インプットが途切れていた。そしてそれは、打っている最中もだ。これはとても重要なこと。当然、組手の最中にもこの瞬間が存在する。組手の最中のインプットが途切れている瞬間、それが無くなれば…。

生きている地球

 半禅で肩甲骨を後に外し、首をやや前にもってくると、自分の身体に心地よい歪みが生じる。それはまるで地球という球体に海があり、さざ波があり、それが嵐の時には大波になり、そしてまた平らな状態=球体の状態に戻る。そんな感覚に似ている。地球の海面はまた、月の引力に影響され、満ち引きを繰り返す。球体がやや楕円になり、また球の形に戻る。しかし真円の状態には決してならずに、いつもいつも、少し少しの揺らぎをもって生きている。

マクロの視点・ミクロの視点

 えー、そんな神秘的なロマンチックな話は信用できないなー、という貴方。そんな貴方にピッタリな、とっておきの話があります。ラーメン食べるでしょ。食べ終わったら、スープが残るでしょ。スープに油が浮いているじゃない。玉玉になってる油が。小さい油の丸と丸をね、くっつけてごらん。小さい二個を一個につなげて、それにまた小さい一個をつなげてね。そして中くらいのが、三個できたなら、それをつなげてね。ミッキーマウスみたいになるでしょ。でもそれが、時間が経つにつれ、ミッキーマウスから、一つの大きな丸い油になっていくでしょ。ふぅって息を吹きかけると、ちょっと円が歪むけど、また時間が経つと真ん丸に戻ってる。そんな感じなのさ。

それで、何点?

 2月度は、4週連続で土曜の稽古に参加できた。皆勤賞だ。この間の組手の出来は、20点から30点。ちょっとだけポイントアップした。

 3月度は忙しく、ほとんど組手をやっていない。一週目は田舎から妹が上京してきて土日がつぶれ、二週目は土日をはさんで鳥取へ出張。三週目は法事と風邪による体調不良のため稽古はお休み。ただこの間、金曜の夜の稽古に一回だけ参加できた。そして4週目、満を持していざ鎌倉へ、ではなく元住へ。んー、20点でした、組手の出来は。「レンシュウノセイカ、イマダクミテニアラワレズ」電報打っときますね・・・って、誰に?