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会員・会友員のテクスト 富川リュウの太気拳修行記

平成19年・冬ですね

20年ぶり50時間

 10月に職場で人事異動があった。よその課から移ってきた人が、今まで私がやっていた仕事をすることになった。10月末までは引継ぎなど、その人に自分の業務をトランスファーするのが主な仕事で、とりたてて忙しいという程でもなかった。

 11月から急に忙しくなってきた。今まで自分のペースで出来る仕事に甘んじていたため、急激な環境の変化についていくのが大変だった。11月末には、新規の装置の搬入・設置を3人のメンバーでやることになった。そして、いつの間にかそのチームのリーダーになっていた。というより、リーダー役を押し付けられていた、と言った方が正しいかもしれない。

 12月になると、立ち上げ作業が始まった。ホテルと工場の往復の毎日だ。途中、二週目の土日で一旦休暇をとり、自宅へ戻れる予定であったが、スケジュールの遅れもあって、結局もどれずじまい。3週間の間、土曜は毎週仕事、日曜も2~3時間は仕事をしていた。

 20代の頃、50時間を2回、100時間を1回、経験したことがある。それ以外は多くて40時間程度。おしなべて10時間から20時間くらいの残業時間だった。そしてここ4~5年の間は、ほとんど残業をしていなかった。そんな状況だったにもかかわらず、今回は、12月の一ヶ月間で50時間以上の残業をした。実に20年ぶりことで、さすがにキツかった。

3週間の強化合宿

 はじめは、その仕事が嫌で嫌でたまならかった。早く帰りたい。3人の内、自分だけ帰ってもいい、戻ってもいい、という状況になりはしないかと、毎朝、歩きながら考えていた。毎朝の立禅の日課だけが、せめてもの救いだった。疲れていても、20分~30分の少ない時間でも、何某かの新しい発見や進化や変化がある。そして公園への行き帰り、ほんの10分程度の道すがら、綺麗な山々や野鳥の姿を目にすることで、すさんだ心が癒されていた。

 初日、午前9時から午後1時まで仕事。一時間の休憩を挟み、午後2時から8時まで。休憩無し、立ちっぱなしで働いていた。だいたい毎日がそんな感じだった。もういくら立っていても平気になった。疲れていても気を張っていれば、力仕事もやって、尚且つ細かい作業もこなすことができるようになっていた。体も使うし集中力も持続させておく、その両方を要求されるから。

 もともと細かい作業は苦手ではなかった。ただ、細かいことを気にしすぎて前に進めなくなる気質でもあった。ある日の夕方、まだ細かいところまで把握できていないその装置の操作をしていて「バッと、全体の雰囲気を掴めばいいんだ」をいう感触がふっと湧いて出てきた。ひとつひとつの細かい要素を拾いあげていくことも大事だが、それで全てを完璧に掌握するには無理がある。全体の雰囲気をバッと掴むことで、装置と自分との間に信頼関係が生まれるというような感触を体感した。

 ほんとうに大変な3週間であったが、一生の宝物にできるような貴重な体験をした。太気拳で培った体力気力があったから乗り越えられたと言うことも出来るし、この仕事を通して太気拳のスキルアップを図ることができたとも言える。

神様からのギフト

 思い、願い、祈り、決意、宣言、それに対して神様は何を与えてくれるだろうか。神様は、チャンスをくれるのだと思う。試練という形の。

 秋の章で宣言をした。「将来の夢」というタイトルで。その原稿を書いたのが9月末。変化はすぐにやってきた。10月の人事異動。そのときに、もう始まっていたのだと思う。このシナリオの筋書きが。この試練は神様からのギフトだと信じていたから、頑張ることができたのだと思う。

 結局、12月は一度も太気拳の稽古には参加できなかった。しかし、今回の強化合宿のような出張を通して、自分の中で大きな変化があった。それは、ヒト・モノ・コトに対しての自分の態度、気のもち方だ。「物・装置・機械」「人・組織・チーム」「仕事・出来事・物事」それら対しての自分の向き合い方、気持ちのあり方が、今までは大きく変わった。まぁ「やっと人並みに成った」だけなのかもしれないが。

足りないものは…

 私は毛が薄い。とは言っても頭髪ではなく体毛の方だ。別に今さら気にしている訳ではないが、心臓の毛だけは気になる。全くの無毛状態だったからだ。それでも昨年の暮れには、少しは産毛が生えてきたような気がする。

 気力と体力は充実した。あと足りないものは、根性と気合いと度胸とおおらかさ。仕事を通して鍛錬し、太氣の組手に役立てよう。