目玉のオヤジ
バサバサバサ。すぐ目の前にカラスが降りてきた。正面の樹の上にそいつが居るのは眼の端で捕らえていた。だから、驚くこともなかったのだが、姿勢を変えることはせずに、目玉だけがそのカラスを追っていた。ああ、これじゃイカン。大切な事に気がついた。
普通の人は物を見るときにどのように見ているのだろうか。たぶん姿勢を変え、首を使い、頭の角度が少し振れ、目玉も適当量動かす。これらを無意識の内に自然に組み合わせて行なっている。それで、見るという目的は充分に達成される。しかし、立禅を長く続けていると身体が普通ではなくなってくる。前述の行為もその内のひとつ。普通ではない反応をする。そしてその先は?
もっと普通ではなくなる、はずだ。
目ん玉は真ん中に
目玉の反応から気がついたことは、もっとよく見ておくためには、目の玉が常に中央になければならないということ。目の玉を中央に置いたまま、身体をそちらへ向けていく様にすると、そのものがもっと良く見えるようになる。ただ見えるということと、良く見えているということの違いは、情報量の違い。何事も見逃さないように、観察するように、その一瞬が観えるようになってくる。
観えていない瞬間
目玉の位置に気をつけて這いの稽古を行なう。這いの動作はジグザグに歩を進めるのだが、この中で、後ろ足を引き寄せ、その足を差し出そうとする瞬間、自分が盲目になっていたことに気づいた。その瞬間だけ目の前が観えていなかったのだ。確かに目は開いているし、見てはいる。しかし観えてはいない。当然、組手の最中にもこの瞬間が存在する。組手の最中の観えていない瞬間、それを思うと背筋がゾッとなった。原因は首の角度にあった。左右の眼の高さを揃えて(首が傾かないように)、そして右眼と左眼の前後の位置も平行に移動していくように(右耳左耳のどちらかを引きすぎない)、これだけのことで良く観えるようになった。必要なものは首の柔らかさ。あとはアゴの引き具合に気をつけて。
鼻先でロックオン!
最新の戦闘機の技術は進んでいる。レーダーで目標をロックオンさえすれば、あとは自動追尾システムを備えたミサイルが、勝手に相手を追いかけてくれる。このシステムは、相手が動き回る戦闘機などの場合でも有効だ。ひとたび、目標物をロックオンするだけで、発射されたミサイルは、目標物に当たるまで追い続ける。
こんな打拳を打てるように、いつも目標物を捕らえていた。しかしその捕らえ方が問題だ。相手の顔を良く見ると、全体をボワンと見るように、と言われ、全体をボワンと見ていると、もっと相手を良く見るように、と言われる。色々と試行錯誤の上、とりあえずの結論は、鼻先で相手の輪郭の縁を捉えておく事。目標は相手の耳から首筋。このあたりに自分の鼻先を向け、視界の中に、背景と相手を半々に捕らえておく、そして奥手の延長線上に、相手の中心、喉または鼻を捕らえておく。眼からの情報と気持ちは全体を捕らえ、身体(奥手の拳)は相手の中心を捕らえている感覚だ。
JOHNDOE
名無しの権兵衛。英語ではJOHNDOEという。ジョンというのは、日本で言うところの太郎のようなもの。世間によくありがちな男性名の代名詞である。ちなみにツゥな通販で有名な女性用下着販売メーカーPEACH&JOHNは、社長が、桃=ピーチは必ず付けたかったネーミングで、スタッフの一人が「桃」とくれば「太郎」でしょうということで、PEACH&JOHNとなったそうな。
翁・権兵衛
日本海に面したその町には、仕事でたまにおじゃまする。JR駅の裏手から数分歩いたところに、駅のホームを模した児童公園がある。ホームにはそれらしい屋根もついていて、係員の小部屋らしきものがあり、その中に昔の電話機のようなものが付いている。ホームの前には十数メートルの線路もあり、ポイントの切替え用の白黒の重りのついたガッチャンコ(正式名称不明)もある。
ドーン!ドーン!時折、翁が叫ぶ。ブツブツといつも独り言をつぶやいている翁。係員の小部屋の脇に常泊している。ある朝、その翁が穴を掘っていた。いつも先の短いホウキを持って地面を掃いているのは見かけていたが、掘っているのは始めて見た。何を掘っているんですか、と尋ねる富川リュウ。埋めるんだよ。埋めるための穴を掘っているんだよ。そう答える翁。それ以上は話しかけられたくない様子だったので、ああそうなんだ、埋めるんだ…といって、その場を去った。はじめは汚物やゴミを埋めるための穴だと思ったのだが、その公園にはトイレもゴミ箱も常備されていることに気がついた。よく見ると、穴を埋めたあと、あの先の短くなったホウキで、丁寧に丁寧に、何度も何度も、そこをならしている。そのホウキは掃くためのものはなく、何かを埋めた形跡を判らないようにするために、ならすために使っているようだ。だとすれば、埋めていたものは、翁自身の昔の嫌な思い出の数々に違いない。恐ろしい思いをした過去の出来事、怖い思いをした事、そんな嫌な思い出の数々をきっと埋めてはならし、埋めてはならして、忘れようとしているのだろう。
ドーン!ドーン!また翁が叫ぶ。それは戦時中の爆撃の音か、地雷の響きか、何か恐ろしいものに違いない。
連打の探手・打てない打拳
探手をしていて、いつも天野先生から注意されることがある。シャドーボクシングのように連打を打ち出す、ダッキングしてストレート、フックと打拳を繰り出していく。いい気分でいると、それじゃあダメなんだよ、と注意される。打つことを何度やっても組手では打拳を出せないんだよ。いつでも打てる状態でいなさい。いつでも打てる状態というのがどういう状態なのかを考えなさい。そう言われてきた。しかし連打の稽古をしなければ身体が動かないじゃないか、という反発心もあったが、いつでも打てる状態というのがよく解らないのも事実。それを探し続けていた。
インプットの途切れる瞬間
反応して打つ。インプットがあって、アウトプットがある。ただ闇雲に打っていても相手には当たらない。アウトプットの練習だけでは片手落ち。では、インプットの方はどう取り組めというのか?
見て感じる、聞いて感じる、肌で感じる。感じた瞬間、考えずに打つ。感覚で反応して打てるように。それは立禅で、いつも養っているものだという。
自然を相手に、それを合図に、反応する稽古を積んできた。あるときは枯葉で、あるときは雨だれで、そしてまたある時は、風になびく木々の揺らぎを合図にして。
翁、宜しく。今日はあなたのドーンが合図です。半禅のまま掌を前に向け、組手の構えを取る。せわしなく動き回ることはせずに、静かな気持ちで待つ。たまに一歩二歩と前後に歩を進めるだけ。ただひたすらに合図を待つ。なかなか合図が来ない。しびれを切らし、右の打拳を一発。その直後、翁からのドーンの合図が――。全く反応出来なかった。というよりも、もっと大事なことに気がついた。打った直後、インプットが途切れていた。そしてそれは、打っている最中もだ。これはとても重要なこと。当然、組手の最中にもこの瞬間が存在する。組手の最中のインプットが途切れている瞬間、それが無くなれば…。
生きている地球
半禅で肩甲骨を後に外し、首をやや前にもってくると、自分の身体に心地よい歪みが生じる。それはまるで地球という球体に海があり、さざ波があり、それが嵐の時には大波になり、そしてまた平らな状態=球体の状態に戻る。そんな感覚に似ている。地球の海面はまた、月の引力に影響され、満ち引きを繰り返す。球体がやや楕円になり、また球の形に戻る。しかし真円の状態には決してならずに、いつもいつも、少し少しの揺らぎをもって生きている。
マクロの視点・ミクロの視点
えー、そんな神秘的なロマンチックな話は信用できないなー、という貴方。そんな貴方にピッタリな、とっておきの話があります。ラーメン食べるでしょ。食べ終わったら、スープが残るでしょ。スープに油が浮いているじゃない。玉玉になってる油が。小さい油の丸と丸をね、くっつけてごらん。小さい二個を一個につなげて、それにまた小さい一個をつなげてね。そして中くらいのが、三個できたなら、それをつなげてね。ミッキーマウスみたいになるでしょ。でもそれが、時間が経つにつれ、ミッキーマウスから、一つの大きな丸い油になっていくでしょ。ふぅって息を吹きかけると、ちょっと円が歪むけど、また時間が経つと真ん丸に戻ってる。そんな感じなのさ。
それで、何点?
2月度は、4週連続で土曜の稽古に参加できた。皆勤賞だ。この間の組手の出来は、20点から30点。ちょっとだけポイントアップした。
3月度は忙しく、ほとんど組手をやっていない。一週目は田舎から妹が上京してきて土日がつぶれ、二週目は土日をはさんで鳥取へ出張。三週目は法事と風邪による体調不良のため稽古はお休み。ただこの間、金曜の夜の稽古に一回だけ参加できた。そして4週目、満を持していざ鎌倉へ、ではなく元住へ。んー、20点でした、組手の出来は。「レンシュウノセイカ、イマダクミテニアラワレズ」電報打っときますね・・・って、誰に?