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納会印象記 会友員D 2002/01/24

 昨年の納会にはほとんど見学という無理な形で参加させていただき、有難うございました。初めて体験(見学)する太氣拳の稽古納めはかなり緊張した時間でしたし、初めて拝見した伝説の島田先生の動きにも見たものにしかわからない迫力があり、島田先生の特別セミナーの内容も沢井先生を知る上でも貴重な内容でした。残念なことに見学しか出来なかったのですが、見学でしか見えてこないこともあると思いますし島田先生の下半身の動きや膝の角度には何かただならぬ物を感じました。いくつかの稽古法を教えていただき、またその稽古法が沢井先生から教わった全てだという御言葉も印象的でした。天野先生が常々おっしゃっている自分の拳を作るしかないという御言葉もこの数種類の稽古法を通して、また再認識できました。メインの組手大会(?)には自分は勿論見学という形でしか参加できませんでしたが会友員の方も積極的に参加されている姿は感動的でしたし、あくまでも自分の拳を磨くという目的を忘れずに相手を痛めつけるということを極力せずに技術の交流に配慮されていた点も今振り返ると良かった思います。何人かの怪我人がいたようでしたが無事終了してホッとしたのと、でも自分もやりたかったという素直な気持ちが残っています。「百見は一触にしかず」という言葉がありますが、今度は怪我を完全に治して稽古をして納会に参加したいと思います。色々と御迷惑ををお掛け致しますが本年も宜しくお願い致します。
 ※納会の飲み放題の時間を増やしていただければ有り難いです。出来れば料理の量も増やしていただければと思います。

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島田先生の講習会の感想と初めての組手体験記 奥津宣幸 2002/01/20

 太気会東神奈川支部に入会して1年半になる奥津と申します。

 私は33歳から太気拳を始め、武術経験もありませんでしたが、東神奈川支部の大関先生そして太氣会代表の天野先生による大変親身な指導のおかげで、私が習い事した中で一番長い一年半という期間、太気拳を続けることができました。組手はまだ先のことと思っていましたが、大関先生の勧めにより、とうとう太気拳の組手に挑戦することとなりました。組手についてはまだ見たこともなかったので正直かなりビビっていましたが、組手前に島田先生の講習があると聞き、そのことは楽しみにしていました。

1. 島田先生の講習会について

 島田先生のことは、漫画家の板垣啓介先生の著書に書かれた組手体験談や秘伝での島田先生の初インタビューを読み、鬼のように強いということと大変味のあるインタビューの内容から先生のおおらかな性格が感じられ、一度、見てみたいと思っていました。(本当は、お会いしたいと書くのが正しいですね。希少な生物を見るような表現で申し訳ありません。)

 そして、当日、島田先生には、澤井先生から伝授された太気拳の基本である立禅・歩法・打撃を指導していただきました。島田先生の動きはどっしりと腰を落としながら時には機敏に動くという、まるで重戦車がときにF1車のコーナリングを見せるというような素晴らしいものでした。また天野先生とも雰囲気が違い、島田先生の『太気拳は爆発だ。』という言葉のとおりに、動きながらいつでも最大の力が出せる状態を維持しているのが感じられました。
 太気拳の基本ができていれば先生がたのような動きができるのだということが実感でき、基本をもっと練習していこうと思いました。

2. 組手について

 島田先生の講習の後、とうとう組手が始まりました。
 最初は、中堅どころの先輩同士からの組手から行われました。相手が攻撃してこようが後退せず反撃をする先輩方の組手を見て、こんなことが自分にできるのとかなり不安になりました。(当然、できるわけがありません。)
 その後は、キックや空手経験者で太気拳組手が初めての方々の組手が行われましたが、先輩同様に勇気ある組手を行い、ますます不安になりました。
 そして、私が指名され、始めの方に組手を行った中堅の先輩が相手となりました。その先輩は先の組手で直突きを有効に決めてきたので、できるだけ動きまわり、直突きがくる瞬間に横に回りボディーを打つということを心がけて組手に望みました。
 実際に組手が始めると先輩が余裕をもって私の攻撃を待つ形となり、私はその余裕に対し攻撃を出すことを躊躇しながら、横に動きボディーをねらい、先輩が反撃すると逃げるという情けないパターンを繰り返し、組手を終えました。
 反撃を恐れて逃げてしまい、中に入り推手の感覚で組手ができなかったことは反省していますが、組手独特の緊張感は日常生活にない刺激的なもので、再度挑戦してみたいと思ってしまいました。
 相手の中に入れなかったのはまだ推手に自信がなかったことが原因だと思いますので、今後はこの組手の感覚を忘れずに推手の練習を行い、自信をもって相手の中に入れるようにしたいと思います。又、この組手の後に足をつってしまったので基礎体力も鍛えなくてはいけないと思いました。(本当に情けなく思います。)

 しかし、まだ、私の組手体験は終わりませんでした。私の組手の後に指導員クラスの方々の組手が行われ、その後に天野先生との組手が行われましたが、私も天野先生に相手をしていただきました。
天野先生との組手は反省点を上げることもできないくらい全く話にならないものでした。
 とにかく天野先生の動きは素早すぎて目が追いつかず、私が攻撃をしようと手を出した瞬間、そこに先生の姿はなくなり、知らぬ方向から攻撃されました。先生の攻撃は寸止めというより、皮止め(肉止めと言ったほうが正しいかもしれません。)で、素早い動きの中から先生の拳が気持ちよく鼻にムニュッと食い込む、がダメージは全くないという素晴らしいものでした。又、先生は素早い動きをしながらも常に最大の力で攻撃ができる状態にあるので、攻撃するどころではなく逃げだしたくなるような恐くてたまらない状態でした。

 ということで、天野先生との組手はなにもできませんでしたが、これからも少しでも先生に近づくように太気拳の練習を続けていきたいと思います。

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平成13年12月23日に行なわれた組手稽古会の模様 富川リュウ 2002/01/07

 太氣会・会員№073の富川リュウと申します。
 今日は、平成13年12月23日に行なわれた組手稽古会の模様を報告いたします。

 今回の組手稽古会は、太氣会の会員と会友員が参加、島田先生の主宰する太気拳気功会のお弟子さんたちも4名が参加されました。また月刊誌「秘伝」の取材の方もいらして、天野先生、島田先生を含め盛況でした。

 組手に入る前に、島田先生からの指導が45分ほど行なわれました。指導の内容は、各種の練りや歩法、打拳など、天野先生とはまた違った動きで、各自それぞれにためになったようでした。

 組手稽古は、島田先生が立会いとアドバイスを担当し、天野先生がランダムに2名を指名して、はじめはAさんとBさんが行ない、続けてBさんとCさんが行ない、次はCさんとDさんが・・・という要領で、ひとり2回ずつ組手を行なっていきました。
 この組手の中で、一人一人に対しての島田先生からのアドバイスがあったのですが、急なアドバイスに戸惑いながらも、それを自分の組手に生かそうとみんな必死になっていました。
 当たり前の事ですが、すぐにはそれを生かした動きが出来ない者がほとんどだったのですが、中には目から鱗がとれたように急に上手くなってしまう者もいて、みんなそれぞれに成果があったようでした。
 そして最後には、天野先生が元立ちをされ、「希望者はどうぞ」と言われ、太気拳気功会の3名と太氣会の7名ほどのお相手をされました。

 腰の調子が思わしくなく、見学のみの参加だった私ですが、天野先生から「技術云々ではなく、魂で感じた事を書いてみてはどうか・・・」と助言を受けましたので、印象的だった組手について幾つか感想を書かせていただきます。

 太氣会の古参の先輩である、Aさん、Rさんは、島田先生から「力量が十分にあるんだから、もっと相手を圧倒する、一方的におしまくれるような組手をしてみなさい」と言われていました。私から見ると、Aさんは小柄ながら素早い動きで相手を翻弄し、Rさんは体格を生かして重戦車のようにズンズン前へ出て、十分に相手を圧倒しているように見えたのですが、島田先生は「もっと一方的に相手を圧倒して、爆発の一撃で相手を倒すのが、太気拳としての理想の組手なんだよ」ということを教えたかったのだと思います。

 太氣会の最古参の大先輩で、養生館で治療や武術指導もされている大関さんは、A先輩、R先輩をしのぎ、いちばん天野先生に実力が肉迫している誰もが認める実力者です。
 大関さんの組手は、見ていてとても安心です。まったく危なげなく相手をコントロールします。未熟者の私の目には、その強さの秘密?がよく解らなかったのですが、先輩のKさんがいうには「どんな時にも軸がぶれないし、重心がしっかりしているからだよ」と教えてくださいました。確かにビデオを見返してみるとKさんの言うとおり、攻める時、守る時、走る時、打つとき、蹴る時、いかなる時においても、安定していて姿勢が崩れていません。「ああだから端から見ていると、安心感のある危なげの無い様子に映るんだろうな」と思いました。だけどこの時、大関さんと組手で対峙している相手はどういうふうに感じていたのでしょうか・・・?

 天野先生の組手は、一言でいうと、まるで芸術品のようでした。軽やかなステップと、しなやかな身のこなしで相手の攻撃をかわし、全く力みの無いところから鋭い打拳が打ち込まれます。ほんとうにひとつの完成された「武芸」といった趣(おもむき)があります。そしていったん戦闘モードに入ると、眼つきが変わり、重心が下がり、動きが倍速になるのです。このとき対峙している相手は、たぶんとっても速い動きに感じているのではないかと思います。
 というのは、ある稽古のときに天野先生と対峙していた私が、「速イェー」と思わず声をあげてしまって、この速さは何なんでしょうか?とお聞きした時に「速さとは物理的な速さだけではなくて、感覚的な速さなんだよ。そこからこうは来ないだろうと思っているところから、予備動作が全く無くスーッと来られると、相手は4倍速にも感じるんだよ」と言われたことがあったからです。

 天野先生や大関さんとの組手は、私にとっては、怖くて楽しみな未体験ゾーンですが、近い将来体験できることを心待ちにしています。

 天野先生との組手が終了すると、日も落ちかけてきて、平成13年度の最後の組手稽古会も無事終了となり、この後、場所を桜木町の中華料理店に移し、太氣会と太気拳気功会の合同の大忘年会が開催され、皆それぞれに、澤井先生時代の太気拳の話や今後の太気拳の行く末、格闘技談義などなどに花を咲かせて、楽しいひと時をすごしました。

※)ちなみにこの組手稽古会の模様は、2月14日発売の月刊誌「秘伝・3月号」に掲載される予定との事です。

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平成23年・秋の章

立禅で蓄積されるもの

立禅で蓄積されるものとは何か? あるいは立禅で整ってくるものとは何か? 言葉で言い表わすことの出来ない事の方が多い。 しかしひとつはっきりと言えることは「姿勢が整う」という事である。立っている時の姿勢、それがまるで違ってくる。見た目に はそれほど変わらなくとも、機能的にはまるで違う。

この数ヶ月の間、ハラ締める、膝締める、脇胸を生かす、とどれも課題ではあるけれども、以前は出来なかった、そうはならな かったものが、そうなるようになってきた。

身体が整うとは、そういうことらしい。「夏の章」では、9月くらいからハラにチカラを入れることで、組手が良くなった旨を 報告した。しかしただ単にハラにチカラを入れるだけなら5年前、6年前にもやっていたはずだ。天野先生に聞いてみて謎が解ける。

同じことをやっても身体が整っていないと、まるで違う解釈や、まるで違う状態になってしまう――とのこと。10月になってから 始めた膝を締めることも然り、5年前、6年前にもやっていたがそうはならなかった。脇胸を生かすも然り、5年前、6年前には、 ただ肩と肘を引くだけの動作になっていた。よって、どれもこれもが組手での成果が全く得られなかった…。にも拘らず、今はその どれもが組手の成果に直結している。

膝締める、の?

10月2日の稽古に参加した。一人稽古の終わり際に天野先生からアドバイスをいただいた。立禅で足裏の内側のみを接地し、 膝を締めるように、膝を擦り合わせる様に使うことでハラが生きる、とのこと。

この日は組手はなかったが、推手でその効果が感じられ、16番先輩からも「チカラが途切れなくなったね」と褒められた。

悶える立禅

9月28日の天野先生のブログからの抜粋

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禅を組んでるのを見てると、当たり前だけど動かない。
外が動かないから内も動いてないか、と言うとそれは違う。
それどころではない。禅を組む、と言う事は、つまりは悶えるということだ。
悶える、身悶える・・・。

六面力というと、そういうものが元々あって、それを見つける、と言う感じになる。
そうじゃない。六面力、六面に力を得る、と言うとスマートに聞こえる―――
実感としては六面に悶える。上から押さえられ、引っ張られる。
それを押し返し、引っ張り返す。前から後ろから押され、引かれ、押し返し、引き返し。
捻られ、捻り返し―――絡み合い、もつれ合い、錯綜した力の混沌に身を置き、そこで上下前後左右に悶える。

直も曲も螺旋も全てがあり、時に無くなる。心は泡立つ―――
練りも形はあるけれど、結局は形を通じて、悶える事を求める―――
格好よく言えば、禅はカオス、混沌・・・。
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抜粋おわり。という訳で、10月3日からの一週間は身悶える立禅の自主練の日々。
立禅で身悶え、這いで身悶える。そして10月9日の組手に臨む。しかし成果はイマイチ。後にわかることなのだが 「身悶える」の捉え方が間違っていた。

文章だけを読んで自分のイメージでたぶんこんなだろう…と勝手に解釈した上で自主練に励んでいたが、 天野先生が伝えたかった「感覚」は別の物だったようだ…。

膝で相手を締める

10月10日からの一週間は自主練の課題を変えた。
①ハラを緩め、腰を振る動作を確認。
②組手での距離を意識し、継ぎ足の稽古。
③薪割りのイメージで、相手の前腕を自分の前腕で割っていく探手。

翌週の一人稽古の終わり際に天野先生からアドバイスをいただいた。「膝を締めるように、とは、自分の 膝を擦り合わせる様に、ということもできるが、膝で相手を挟むようにしてみろ」とのこと。

そしてこの日の組手では、前述の①②③は全く成果が無く、その日、天野先生に言われた「相手を膝で挟む」が 一番成果があった。とくに③は、手の意識が強すぎてNG。
ほとほと自分のオリジナルアイディアには自信を なくしてしまう。そして①も、今のところは成果なし。今はまだ、膝を締めてハラも締めておいた方が良さそうだ。

窓枠フレームから覗け

10月17日からの一週間は自主練の課題を変えた。今回は自分のオリジナルではなく、天野先生と16番先輩の 二人からのアドバイス。トミリュウは腰が高すぎるとのことなので…

① 腰を低く、手を高く、構える
② 手はそれまでの肩の前よりも高く上げ、ほほ骨の高さまで上げる。人差し指と親指のチョウジの90度を窓枠の フレームのように使い、ここから相手を覗き見る。
③ このフォームで這いや練りをやってみるが、肩が狭くなってしまう感じは、ムネの張り具合で調整する。

膝を柔らかく

翌週の稽古は欠席。広島で充実のヒマな休日を過ごす。
ここで再び10月23日の天野先生のブログからの抜粋

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歩法で何がネックになってるのか。普通の歩行や走ることと何処が一番違うのか。
それは膝の柔軟な使い方。歩く走るで慣れきった動きを変える。

デフォルト歩行を歩法に転換しないと動けない。デフォルトだと、推手にしても組み手にしても前に出よう とすると前のめりになる。前のめりになって、相手に体重を預けるような姿勢は一番の下策。つまり一番やってはいけない事。

力は質量の移動と距離、そして時間の関係。そしてその質量の伝達、そして変化。
つまり強さの要素の一つが質量と言う事になる。だから、それを外に求めると体重を増やすとなる。そして その体重を支えるための筋力強化と進む事になる。
これが一般的な思考の順序、進み方。

そんなのはもともと力があって体重があって、バネがある奴にかなうわけない。
質が同じなら体重と腕力になる。だからそうならないように質を変えていく。

その第一歩が姿勢で、次はそれを守っての移動、変化。
その質を守れば前のめりになるはずが無い。
太気拳の稽古をして姿勢が悪いなら、それはつまり稽古してないのと同じ。

と言う事で、今日のセミナーは第一が膝で、次は腹腰の振動。
何処まで進めるかは疑問。求める事が多すぎかも・・・。
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抜粋おわり。という訳で、その日からの一週間は「膝柔らかく…」の模索。
そうは言っても、膝を締めたまま膝を柔らかくというのは、どう考えても矛盾している。確かに膝を 締めることでハラが生きてくる感じはあるし、組手での成果もあった。しかし膝を締めると、膝は柔 らかくはならず逆に硬くなる。月、火、水、木、、、金曜日になって、やっと答えが見つかった。 それは膝を擦り合わせる様に使う。10月2日に天野先生からこの話しを聞いた時には、片足立ちで、 寄せ足から差し出し足に向かう際に、膝をすり合わせる様に使うのだと思っていたが、違っていた。
両足で立っていて、膝でモノを挟むようにして、そして尚且つ柔らかく使おうとすれば、膝を擦り合 わせるように、擦り合わせて廻すような使い方になる。

肩のタメ

10月30日、二週間ぶりに稽古参加。一人稽古の立禅を始めてすぐに天野先生からアドバイスをいただく。 「脇胸を出しながら、肩のタメから戻ってくる。これをどんどん小さくして行って、悶える感じを作る」これ でやっと、10月3日にやっていた「間違った身悶える」が「正しい身悶える」になった。

そしてこの日の組手では、「正しい身悶える」の成果が出ていい感じだった。しかし「腰低く、手高く」 は間違いではなかったにしろ、成果はイマイチ。

<手はそれまでの肩の前よりも高く上げ、ほほ骨の高さまで上げる。人差し指と親指のチョウジの90度 を窓枠のフレームのように使い、ここから相手を覗き見る>というテーマでやっていたが、天野先生からは的 確なアドバイスが。「目で見て相手を捕えるだけでなく、体の一部でも相手を捕えているように」とのこと。

この日の天野先生からの組手でのアドバイスは二つ「体の一部でも相手を捕えているように」「手が伸び て行って相手の顔に当たるイメージで」あとは稽古後の世間話しの中で「反射神経とか運動神経を良くするわ けじゃないんだよな…」という様な話がでた。

正しく身悶える立禅

10月31日からの一週間の自主練の課題は、まず「正しく身悶える立禅」から始め、これをどう組手に 繋げて行くのかを模索した。天野先生からの「体の一部でも相手を捕えているように」と「手が伸びて行って相手の顔に当たるイメージで」は却下(失礼!)というか保留。

「正しく身悶える立禅」を始めて間もなく、相手に張り付くような感覚が出てきた。そして、数年前に 16番先輩に言われた「自分の頭と相手の頭、自分の肩と相手の肩、自分の腰と相手の腰、自分の膝と相手の膝、 が繋がっているようなイメージ」が見えてきた。

脇胸を生かす

11月6日の稽古。一人稽古の立禅を始めてすぐに天野先生からアドバイスをいただく。脇胸を指さして 「ここを生かすように」と一言。特にそこを出す、とか引っ込めるではなく「生かす」、そう一言だけ行って 去って行った。しかしそれだけのことで、身体の中に「自分の体の一部が相手を捕えている感覚」が出来てきた。

この日は「感覚と気分」を重視して組手に臨んだ。そして、相手と繋がっているイメージ、相手に張り付いて いるイメージ、体の一部が相手を捕えているような感覚、の全てが成果を出し、なかなか良い感じの組手が出来た。

手を捨てる、脚も捨てる?

膝で挟んで尚且つ膝を柔らかく使うことで、ハラが生き、これによって手のチカラを抜くことができた。 しかし、脚も捨てろとはどういう訳か…。これは組手で接近した際に、立ち位置をちょっとずらしなさいと、 足で踏ん張ってしまうから動けないんだよと、言われた時のアドバイスだ。この辺が翌日からの自主練の課題となった。

探手で組手のイメージを思い浮かべながら、接触した刹那に立ち位置を替えてみる。しかしどっち方向に、 どれくらいの距離を動けばよいのかが良く分からない。加えて、腕の接触が、両方上の場合、両方下の場合、 そして左右で逆になった場合など、どう対処すれば良いのか…。しかし簡単なことに気がつく。「左右で逆に なった場合」それって推手を一緒じゃん!では、組手でも推手しちゃえばいいってことか?!

ここでタイミング良く11月9日の天野先生のブログにヒントが…

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振動とは、二つの壁の間を力が撥ね返ること。
立禅ではこの二つの壁をはっきりさせる。

この壁は左右の力感。力感を感じ取り、そこで跳ね返る。
その繰り返しが振動になる。

右に行こうとして行けず、左に行こうとして行けない。
しかし、この壁を感じ取る事だけでは不十分だ。

禅ではこの力感を感じ取るが、練りではこの力感を運ぶ。
力に触り、失わないように力を運ぶ。

禅で感じ取った力感を延長する。延長して初めて静が動に移行する。
推手はその力感の延長をお互いにぶつけ合う。
力を抜いても力感が失われず、力の源泉を探る。
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抜粋おわり。しかし「立禅で感じた力感を運ぶ」「立禅で感じ取った力感を延長する」とはいったいどういう 感覚なのか。その感覚が、謎だ…。

エアー推手で、挑む!

11月13日の稽古。推手の間合いで手が接触するよりも、もっと離れた位置にいても、手が伸びて行って 相手と接触するイメージで組手に臨んだが、イメージが中途半端な分、組手も中途半端になった感じだった。 また前述の「立禅で感じた力感を運ぶ」「立禅で感じ取った力感を延長する」という謎を抱えたままだったことも、 組手が中途半端になった原因なのかもしれない。

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平成23年・夏の章

ぱちぱちパンチ

7月10日の稽古に参加した。組手では、天野先生からのご指名でOKBさんと当たった。OKBさんは、
この日が組手お初のデビュー戦。トミリュウが軽ぅ~く、お相手…のハズだったのにもかかわらず、大苦
戦を強いられる。OKBさんは、目付けが良い、打たれても退がらない覚悟が良い。組手の後、天野先生に
も16番先輩からも褒められていた。一方のトミリュウはというと、お互いに足を止めてのぱちぱちパンチの
応酬で、久しぶりに連打しすぎて疲れてしまった…。組手の後に天野先生から言われたことは「あういう風
に打たれて、今までのお前だったら下向いたり、諦めたりしていたんだよ。ただ、今回は組手デビュー戦の
OKBが相手だったから、トミリュウにも意地があったんだよな。途中で諦めそうになったけど、それじゃ
ダメだって思い直しただろ」なんでそこまで人の気持ちがわかるんでしょうか?とトミリュウ。「組手を見
てりゃわかるよ。だけどそれが大事なんだよ。そういう経験をして、初めて覚悟みたいなもんが出来てくる
んだよな」なるほどトミリュウには、やはり覚悟が無かったってことですか、今までは…。

夏合宿の前と後

夏合宿の前までは自分なりに色々と「チカラの正面とカラダの正面。それを意識しての左右のステッ
プから入って行くライン取り」などなどを工夫して稽古していた。7/29,30 の夏合宿での天野先生からの
課題は、「ああきたらこうするとか、こうきたらああする、何てことは役に立たない。大切なのはどうあ
るのかということと、その状態を維持したまま動くこと」ということだった。

2日間の間に何人かと組手をして分かったことは、やはり考えて動いても上手くいかない。ある状態を
保ったまま、考えないで感じて動くしかない――ということだった。そして問題となるのは「ある状態」
ってどんな状態か? それは「立禅の状態だ」と言ってしまうと、じゃあどういう風に立禅を組めばいいの?
と課題は立禅に帰結してしまう。

夏合宿の2日目夜のバーベキューでの飲み会の際に、M島先輩からアドバイスをいただいた。トミリュウ
は手打ちだけになってて、腰ハラが全然ないんだよな。手は脱力しておいて、腰から打ち出すチカラが手に伝
わってポーンと行く感じなんだけど、その逆に腰ハラがスカスカで手にばかりにチカラが入っちゃってる。

8月1日からは、外での自主練のほかに、室内でストレッチをする際に腹筋運動50回も毎日のメニュー
に加えた。そして立禅では、それまで少しだけチカラを入れる様にしていた腹部のハラマキエリアに、より
一層チカラを込めて立つようにしてみた。ハラを締めることで気持ちも引き締まり、8月7日なんだこれ
・・・組手では「今日の組手では顔つきが違ってたよ」と16番先輩からも褒められた。

コの字クランプの差し手

8月14日の岸根での稽古の終わり際に、天野先生から差し手についての説明があった。タイミング
を合わせるということ。半歩でも間合いを詰めて差すということ。そんな説明であったが、自分では、
この日の立禅でソケイ部の角度を直されたことにより、腕の下に水平に挟み込むようなチカラが感じら
れたことも、差し手に重要な要素なのではないかと思っていた。

次の日からの自主練では、この辺に重点を置いて稽古に励んだ。色々な角度から差し手で接触して、
ハラのチカラで真下に落とす感覚を養っていった。

六面力が無い

9月4日の組手では、自分ではハラにチカラがみなぎっていて充実感のある組手が出来た気分でい
たが、16番先輩やI先輩からの評価は低かった。すぐに横を向いてしまう、すぐに諦めてしまう等など、
メンタル面の弱さを指摘された。そして一方向にしかチカラが出ていなくて六面力が無い、との指摘も受けた。

自分ではメンタル面の問題はあまり感じていなかったが、六面力が無い点については「おっしゃるとお
りでございます」としか言いようが無かった。この2~3週間の間、ハラのチカラで真下に落とすことしか
やっていなかったのだから…。

判然としない半禅

次の日からの自主練では、この辺に重点を置いて稽古に励んだ。初めは腕で囲んだ空間の開合を糸
口にしてみたが、どうも違ってる感じだった。腕の(仮想の)接点に、上下、左右、前後、の六面力を求
める以前に、ハラの中にその6種のチカラの方向性が存在していないではないか、と気がついたのだ。
特に正面の立禅ではハラにチカラが入っていても、半禅に立ってみると、まるでハラにチカラが無い。
それまでの半禅の姿勢では、せっかく充実していたハラマキエリアを捩ってしまうことで台無しにして
いたのだ。ここの平面を保ったまま這いに移ると、前足に過重が乗る際には後ろ足の踵を高く上げた方が
具合が良いこともわかった。

9月11日の組手では、なかなか良い感触で組手が出来たし、16番先輩からも褒められて嬉しかった。
そして、次の課題もいただけた。それは腕で囲んだ空間の開合と、上下、左右、前後、の六面力をより実用
的にするために、平行四辺形と卍のチカラと充実させるように、とのことだった。

平行四辺形と卍(まんじ)のチカラ

天野先生からは、組手で構えた両手の「右手と左手が重要なのではなく、その間の空間が重要なんだよ」
と言われていた。このアドバイスをヒントに平行四辺形の崩しを腕の間に模索すると、やはりハラマキエリ
アの縁を少しだけ捩って、つまりはハラが主導で、そのチカラを腕に繋げるような作業になっていった。

テコの原理から用語だけを借りてこよう。作用点は手(打拳)、支点は身体の中の繋がり、そして力点は
ハラ(ハラマキエリアの締まり)となる。差し手にしても打拳にしても作用点は手であるが、ここにチカラを
込めても意味がない。力点となるハラにチカラがなければ話にならない。

9月12日からの一週間は、ハラマキエリアの縁を少しだけ捩るように使いながら、色々な角度からの揺
りや練りの稽古を繰り返し行った。

9月18日の稽古では、推手で自主練の成果が確認できた。この日は、つま先ガ二股歩きの歩法をメインに
指導していただいたので、合同での組手は無かったが、M島先輩が声を掛けてくださり、一回だけ軽く組手の

感触も確認できた。16番先輩からは次の課題もいただけて充実した一日だった。「角で当たる感覚」その意味が
わかりかねていたが、翌日の朝練で身体を動かしてみると、なるほどなかなか良い感じが出てきている。まだまだ、
進化の過程にいる実感がある。これからが、楽しみだ…。

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平成23年・初夏の章

不思議な腰痛

4月17日の天野先生の還暦祝いの日以来、しばらくの間、不思議な腰痛に悩まされた。この不思議な腰痛は、その日の岸根でのAK吉さんとの組手の直後に、
尾骨の両脇あたりに違和感を感じたのが発端だった。左足にローキックを喰らい、左側頭部にハイキックを喰らったものの、組んで揉み合いになったり、
投げられることも無かったので、何故そうなったのかは不明である。それでも桜木町での飲み会と新横浜から広島への新幹線での移動後にも、
悪化することはなかったので、それほど気にはしていなかった。さらに、朝の立禅などの自主練や、ストレッチ等で脚部や腰部を引き伸ばす動作でも悪化することはなかった。

しかし月曜日から木曜日まで、ユーザー先の業者控室のパイプ椅子に座り続けていた為か、木曜日の夕方から急に痛み出した。
この日の帰りの電車の中では、座っているより立っている方が楽だったが、何か腰のあたりがムズムズして変な感じだった。
歩いている時には、ほとんど痛みは無い。しかし次の日の朝起きて、あまりの具合の悪さに仕事を休むことにした。尾骨の両脇
の違和感がMAXになっていて、ベッドに寝ている状態でも患部が疼いていた。

4/22(金)と4/23(土)は一日中寝ていた。普通の速さで歩く分には、ほとんど痛みを感じない位の軽度の腰痛にも関わらず、
そんなに昼も夜も爆睡し続けていられることが不思議でならなかった。日曜日にはやや回復してきたので、広島市内の東急
ハンズに行って、事務用のエアサス仕様の椅子を自腹で購入した。1万円なり。これでユーザー先の業者控え室でのデスクワークも楽になるはずだ。

飛車・角のライン

4月25日からの朝練では、天野先生に言われた「相手と当たる直前に半歩ずらすように」というアドバイスに従って、並足
の歩法から前足の着地で半歩ずらすバージョンと後ろ脚の寄せ足から半歩ずらすバージョンの2種類を繰り返し稽古した。

5月1日の稽古では、将棋の駒の例えを使いながら、組手の構えで「飛車のラインと角のラインを防ぎつつ攻める」という天
野先生からの新しい約束組手の提案があり、この稽古にしばらく時間を費やした後、自由組手に移った。自分はどうもそれに
固執しすぎていたようで、その約束組手をそのまま自由組手でもやろうとし、相手の手を意識しすぎて、顔から前に出ていく
ようなフォームになってしまっていたようだ。前回の会心の出来がウソのような、散々な不出来な組手の一日だった。16番
先輩からは「良い組手が出来たあとでも、その次の回にまた、悪い感じに戻ったりするもんなんだよね。だけどそれを繰り返
しながら上達していくんだから、大丈夫だよ」と慰められた。

王手、飛車・角

5月2日からの朝練では、胸を張って頭を後ろに充分に退げ、手を前に押し出すフォームの立禅と前腕の骨を中心とした旋回
方向の螺旋の意識を使って、相手を崩すようなイメージで稽古をした。

5月8日の稽古では、一度だけ半歩ずらす感じで打拳を出せたが、全体的にはあまり良い出来の組手ではなかった。しかしこ
の日の約束組手の中で、相手の空間への入り方のパターンに、A:槍で突いて行くイメージ、B:飛車・角を抑えていくイメ
ージ、C:歩で王手を取るイメージ、の3パターンあることを発見した。

強い後輩のふたり

5月9日からの朝練では、前述のA、B、Cのアプローチから、相手を制圧するというイメージで稽古をした。これに加え、
チカラの出し方に抑揚をつけ、体を緩めて前腕を相手に絡め、そこから相手を崩すように意識した。

5月15日の稽古では、全てが裏目に出て散々な組手だった。それに加え、後輩でありながら武歴が長く、組手センスの良い、
kitaGさんとAK吉さんの二人と当たり、けっこうボコボコにされてしまった。それでも組手の最中には「出入りのタイミング」
や「入る角度」などを盗み取ってやろうと必死になっていた。しかしそれが分からずじまいのまま、この日の組手稽古は終わって
しまう。あとになって考えてみると、どうも「出入りのタイミング」や「入る角度」などではなく、何かもっと「基本的で重要な
要素」が自分には欠落しているのではないかと思った。

ひとり反省会

「だまって座ればピタリと当る」これはよく言われる占いの常套文句であるが、毎朝、立禅で立っていると「だまって立つとむ
くむくヒラメク!」ということがよくある。

5月16日の朝練では、まずは昨日の反省点を頭の中でまとめてみた。
はじめに全てが裏目に出ていた点を整理してみる。

①前腕に意識を集中させる(誤)→(正)腰ハラの中心の意識をメインにして、腕は肩から肘までだけを考える。肘から先はオマケ(by M島先輩のアドバイス)

②チカラの出し方に抑揚をつける際に、緩んでいる状態をメインにする(誤)→
→(正)リキんでいるくらいの状態をメインに持ってきて、必要に応じて緩められるようにする。

③A、B、Cのアプローチから、相手を制圧するというイメージにとらわれすぎていて、受身で待ちの気持ちでいた(誤)→(正)自分から前に出ていく。

これらの反省点を踏まえたうえで、この日の朝練では、「腰ハラの中心の意識をメインにして、腕は肩から肘までだけを考える」
「リキんでいるくらいの状態をメインに持ってきて、必要に応じて緩められるようにする」「いつでも前に出ていくぞ!という
気持ちと体の状態(姿勢)を保つ」この3点を重視した。さらに、kitaGさんとAK吉さんの二人と当たり、この人たちにあって
自分にはないものは何かとずっと考えていたが、この「基本的で重要な要素」が見えてきた。これは、一言でいってしまうと、
3点目の「いつでも前に出ていくぞ!という気持ちと体の状態(姿勢)」ということになる。

パズルの最後のワンピース

この2年ほどの間、姿勢についての天野先生からの要求がどんどん厳しくなっていた。「尻を締める様に、つま先で立つ、
胸を張って、頭を後ろへ」等など…。そしてそれらにアプローチするうえで、例えば胸だけを張っても、組手では、返って
それまでよりも動きづらくなる、という経験もした。あくまで要求される全ての要素が整って、その姿勢が完成した時に、
いままでとは違う動きが出てくる、ということのようだ。

今回はそれほど苦労は無かった。ただ気づいただけだった。「尾骨を2~3cmほど前へ押し出す」これだけのことで、
禅も、這いも、探手も、大きく変わった。たぶんこれが自分の体にとって、パズルの最後のワンピースであったと同時に、
一番重要なエレメントだったのでなはいかと感じている。ちなみにネコ型ロボットのドラえもんも、シッポが電源スイッチ
になっていて、ここを押してやらないと、喋ったり、動いたり、ポケットから何かを出したりしないそうである。

尻の表情

5月21日と22日の土曜と日曜は、広島で過ごした。そして、尾骨を押し込んだ5月16日から2週間の間に色々なことが起きた。
練りで歩く時の寄せ足の感じが変わってきた。たぐり手では、それまでは差し込んで行く感じだったのが、腰を前へ押しつけていく
ような感じになった。揺りをすると、尻の柔らかみと硬みのグラデーションの表情を手のひらの動きに同調させられるようになってきた。
そしてこれにより、腰の六面力を手に伝え、UFOのように急に動いたり、止まったり、あるいはジグザグに動けるような感じが出てきた。

キョンシーの行進

5月29日は通常稽古ではなく、天野先生による月一の特別セミナーが行われた。午前中3時間、プラス午後の2時間という、
長くキツイ稽古であったが、その分大きな成果も得られた。細かい内容は省かせていただくが、立禅で要求される体幹部の状態
を強化するような地味な稽古だった。

例えば、二人一組になって、一人が正面の立禅で立っている所へ、もう一人が後ろからドンと押す。この時に押された方は、
半歩ほど前へ移動するが、この時にいかに態勢を保っていられるかという稽古があった。傍から見ていると、幽幻道士キョン
シーの行列としか言い様のない摩訶不思議な様子であったと思う。そもそもやっている本人たちですら、その稽古の意図が分かり兼ねるのだから…。

それでもしばらく繰り返すうちに、体の中に核となるような何かが定着していくのを感じていた。翌日には、右のふくらはぎ
に酷い筋肉痛があったが、それ以外にも腹筋の奥が張っている感じがあり、これにより体全体に天野先生が言うところの「板バネ感」が見えてきた感じがあった。

三段跳びでジャンプ!

5月30日からの朝練では、前述の板バネ感を意識して自主練に励んだ。三段跳びのジャンプの直前の感覚で禅の姿勢を作れるよう
になってくると、探手では、タコが獲物に覆いかぶさるような、相手を包みこんでしまうようなイメージが出てきた。

覚悟が足りないのか?

6月5日の組手には、良い結果を期待していた。5月29日の特別セミナーの最後に軽くM島先輩と約束組手をして良い感触を
得られていたし、6月5日の本番組手の直前にも何人かと約束組手をして良い感触があったからだ。

しかし格下の者と当る時には、スッキリとは行かないまでも、何とかそれなりにしのげる組手であったが、格上の先輩と当ると
からっきし駄目。すぐにあきらめて後ろを向いてしまう。天野先生からは「お前には、覚悟が足りないんだよ!」と叱責を喰らう。

その指摘は自分にとっては???であったが、この日の推手で大先輩のR田先輩に手合わせいただいて、良いヒントが見つかった。
それは「チカラの質」ということだった。

チカラの質

6月5日からの朝練では、この「チカラの質」ということについて工夫してみた。ねばっこさや、ねちっこさ、しつこい感じに
チカラの質を変えていく。そんな工夫をしてみた。これでけっこう組手でも行けるかな、と思っていたが、6月12日の組手で
もあまり良い成果は得られなかった。そしてまた、天野先生からは「お前には、覚悟が足りないんだよ!」と叱責された。

ハラを締める

6月13日からの朝練では「ハラを締める」ということについて工夫してみた。それまではハラ緩めたままだったので、
尻とハラを締めて、丹田をサンドイッチに挟むように工夫をしてみた。これでけっこう組手でも行けるかな、と思っていたが、
6月19日の組手でもあまり良い成果は得られなかった。そればかりでなく、怪我をして翌日には病院へ行くことになってしまった。

人間不信

もう誰の言うことも信じられない。誰からのアドバイスも受け付けない。そんな気分になっていた。人の言うとおりにして、上手く行ったためしがない。

良かった時のイメージに戻る。4月の3日と10日、17日あたりは結構いい感じで組手が出来ていた…。その時の状態にまで戻って考え直してみる。

しかしながら、あと一歩という点が、そもそもの思い違いなのかもしれない。その一歩で一気に組手開眼!というのは、
ただの思い上がりということだ。あと百歩必要なのかもしれないし、そもそものベース、土台、基礎、の部分が間違っているのかもしれない。

レンガで土台を積み上げたつもりでいても、それはただの思い違いで、ワラの土台だったのかもしれない。
「溺れる者はワラにもすがる」という諺があるが、かすめとってきたアドバイスや自分なりの工夫、それらは全部ただのワラで、
ただのワラをいくら集めても浮き具にはならず、ただただズブズブと沈んで溺れていくだけ…。そんなワラを集めるくらいなら、
犬かきだって、立ち泳ぎだって、バタ足だっていい。とにかく鼻と口を水面から出し、呼吸を確保し、溺れないようにすることが先決だ。

目の表情

6月25日と26日の土曜と日曜は、広島で過ごした。目のかすみもだいぶ治ってきている。新しいプランは出来ている。
新しい自主練での成果も感じている。しかし、今は書かないでおく…。果たしてこのトミリュウに「組手開眼の日」はやって来るのだろうか?!

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平成23年・春の章

東日本大震災の日

3月11日、東日本大震災の日、幸運にも自分は自宅にてお昼寝中でした。その日は金曜日でしたが休暇を取っていました。茅ケ崎では震度4ほどでしたが、自宅はマンションの11階のため、かなり大きく揺れました。その日は、津波警報がなかなか解除されなかったため、関東の広い範囲でJRをはじめとするほとんどの電車が止まってしまいました。都内のオフィスに勤務する同僚たちは、みんな帰宅難民となり、6時間、7時間かけて歩いて帰った方や、オフィスに宿泊された方もたくさんいらっしゃいました。翌日の土曜日の朝からは電車も動き始め、都内のオフィスで一泊された疲れた顔のサラリーマンが、どっと茅ケ崎駅にも帰ってきていました。
土曜日は、ちょっと遊びに行く予定もあったのですが、そういう雰囲気でもなかったので、友人の安否を確認したり、家族と連絡をとったりして過ごしました。そして日曜日は、いつものように稽古に参加して、午後には新幹線で広島まで移動の予定でした。しかし心配症の私は何かソワソワした落ち着かない気分でした。新幹線で移動中に名古屋や神戸のあたりで大地震に見舞われたらどうしよう…。稽古だけ行って、茅ケ崎の自宅へ戻って明日広島へ移動しようか…。でもそうなると上司の○○課長とユーザーの担当○○さんに連絡しないとな…。ちょっと待てよ、やはり稽古にも行かない方が安全なんじゃないかな…。そんな不安と恐怖の入り混じった思案のどうどう巡りをしていました。
茅ケ崎市内の小さな公園で30分ほど立禅と自主練をしました。そして気づきました。明日大地震がくるのか、あさって大地震がくるのか、そんなことを心配していても埒があかない。出来る時には出来るだけの事をしよう。仕事にしても拳法の稽古にしても、自分の住んでいるエリアが被災したり、放射能に汚染されれば、何も出来なくなる。何もできなくなる前に、出来ることはやっておこう! そう心に誓いました。
3月13日の日曜日はよく晴れて良い天気でした。久しぶりに組手稽古にも参加し、3カ月ぶりでしたが、そこそこ良い動きができました。ちょっといい気分で広島まで移動。新幹線は何事もなく無事に広島まで到着しました。しかし翌朝、ユーザー先へ出勤して、パソコンのインターネットでニュースを見てビックリ。関東エリアは、電車がほとんど止まっていて出勤パニックになっていました。日曜の夜のテレビのニュースでは、月曜朝からは計画停電が実施されると言っていましたが、電車が止まるなんて一言も言っていませんでした。それにもかかわらず、例えば横浜方面から都内へ向かう電車はJRは全面ストップ。京浜急行だけが動いていて、そこは何百人という人たちが殺到していました。自分も変な臆病神に吹かれて、月曜移動にしなくてほんとに良かったと思いました。

チャクラ覚醒呼吸法

チャクラという概念が、立禅をする者たちによって度々話題に上がる。インドのヨーガでは、尾底部から頭頂に掛けて上がって行くチャクラの螺旋をクンダリーニという。 また、一般的に知られている、臍下丹田や眉間のサードアイ等もチャクラと同じものだと思われる。チャクラは下の方から順番に、一番:尾底部、二番:下腹部(臍下丹田)、三番:上腹部・みぞおちの少し下(上丹田)、四番:胸、五番:のど(甲状腺)、六番:眉間の奥(松果体)、七番:頭頂部、となっている。
昨年11月に神戸のヒーラーの方にチャクラ覚醒呼吸法を習う機会があり、それ以来、立禅の前に3分ほどこれをやっている。

上丹田から頭部へのつながり

3月13日の稽古で、天野先生から組手の際に頭を振ってよい範囲が、どこまではOKで、どこからがNGなのかは、揺りをやりながら自分で探す、という話を聞いた。それまでの自分は、太気拳では頭を振る際に左右に平行に振る、と思い込んでいる節があった。そして組手の際には、自分では頭を振っていないつもりでも、天野先生からは「自分から無用に頭を振って、自分で見えなくしちゃってるんだよ」とよく注意されていた。
3月14日の朝、立禅の前にチャクラ覚醒呼吸法をやっていて「そういえばずっと3番がスカスカなんだよな」と思った。もう3カ月以上これをやっていたが、どうも3番の意識が希薄というか、全く感じられないでいたのだ。これに気が付いた瞬間、あるものが数列を成した。3番を意識する呼吸法 → 立禅でも3番、半禅でも3番 → 這いでも3番 → 揺りでも3番。
前述の揺りで頭を振ってよい範囲を探す際に、上丹田から頭部のつながりを意識してやってみた。頭が少し傾く、鼻先が少し横を向く。ここまでは大丈夫な範囲だ…。確かに今までは傾けてよい範囲のマージンが全くなく。それが全くないがゆえに破たんを招くという組手ばかりだった。ここに、ごく僅かのマージンがあることで、また上丹田から頭部への繋がりが得られたことで、何か大きな進化の予感があった。

すがすがしくない祝杯

3月20日、日曜日の稽古に参加。2人~3人と組手。「上丹田から頭部へのつながり」の効果も出て、けっこう良い組手ができた。珍しく天野先生からも、褒め言葉が出る。「おまえはな、褒めるとすぐ図に乗るからな。けど、今日はなかなか良かったよ。広島までの新幹線の中で祝杯だな」。しかし気分はそれ程すがすがしいものではなかった。月曜朝からユーザー先の工場で大きな仕事が入っているので気が重い。それに褒められた組手でも、いまひとつ、何がどう良かったのかが実感できずにいた。たぶん身体の進化が未知の領域に入り、自分の考えの及ばない所まで行ってしまったので、身体と頭(考え・理解)の間で、整合性が取れていないのだと思う。

頭部は端に

3月21日から3月25日にかけての毎朝の自主練では、揺りや這いの中で、上丹田から頭部へのつながりを意識し、どういうふうに頭を振るかという点に着目し、頭をまず横へ振って腰が付いて行くようにするパターンと、腰が当って行ってそれに頭が付いて行くという二つのパターンを稽古した。
3月26日、土曜日の稽古では、組手は行われなかったが、探手の際に厳しくダメ出しをされ、「静を護って動に移行する。動に静を流し込む」ということを動作を交えて説明していただいた。またこの時、以前から天野先生が口を酸っぱくして言ってくれていた「組手でやるべきこと」と「組手でやってはいけないこと」が自分なりに見えてきた。

春の交流会

3月28日から4月1日にかけての毎朝の自主練では、胸を張って探手、自分は壁です!という気分で探手、が主なテーマだった。
4月3日の交流会では、佐藤聖二先生からも「君はバランスがいいねぇ」と組手を褒められて嬉しかった。しかし、自分の何がどう良かったのかは、相変わらず実感できずにいた。それでも佐藤先生や鹿志村先生、島田先生からも、色々とインスピレーションをいただき、次の練習テーマをゲットできたので、楽しい交流会だった。

頭部は中央に

前回の交流会の際に、拳学研究会の方から聞いた話。組手での立ち方について。両足はスクエア(正方形)に置き、体重は5/5に。当然、頭の位置も中央にある。この状態から寄せ足をせずに、2レール上を移動していく。この歩法は中国、意拳の中の歩法のひとつかと思ったが、意外にも澤井先生直伝の日本古流の武術からくるものとのこと。
これは、組手では片足で立つ、ジグザグに寄せ足しながら歩く、頭を横へ移動させる身体の使い方、ということとは対極にある。その方の話では、結局、何かひとつの事が正しいということではなく、これはこういうもんだ、という思い込みはNGで、別の可能性も常にある。そして、逆もまた真実なり、ということを忘れないように、という事だった。

会陰で吸い込む

4月5日から4月7日にかけての毎朝の自主練では、鹿志村先生からダメ出しされた推手でのチカラの出し方と、佐藤先生から聞いた六面力の説明を思い出しながら立禅をした。それでふと「腕の力をもっと抜いたほうが良いな」と思った。天野先生からは尻を締める様にと言われていたが、それに似た感じで、会陰部から少し吸い込むようにして、透明なパイプを頭頂部までイメージしてみると、上体の全体にピリピリ感が出てきた。
半年ほど前から、前腕がピリピリする感じが時々あったが、上体の全体にピリピリ感が出たのは初めてだった。これに気付いた瞬間、あるものが数列を成した。会陰部から少し吸い込むようにして上体のピリピリ感のある立禅をする → 半禅でも同じように → 這いでも同じように → 揺りでも同じように。 
そしてこのピリピリ感を保つためには、頭部が中央にあって、膝が少しガ二股になっていたほうが都合が良かった。4月10日、日曜日、岸根での稽古では、組手は行われなかったが、推手の際に先輩のIさんと当り、頭が中央にあるときは維持できるものが、頭が外に行った瞬間に崩されるという体験ができて、自分の課題の検証ができ、有意義な一日だった。

それなりにバケラッタ!

4月11日から4月15日にかけての毎朝の自主練では、先週に引き続き「会陰部で吸い込む&上体のピリピリ感」をテーマに稽古していたが、毎朝、新しい感覚が出てきて不思議な感じだった。ノートのメモから項目だけを抜粋すると、「今を味わう立禅」「空(クウ)の探手」「腰掛け替える這い」「腰かけ続ける這い」「おおらかな気持ちの立禅」そして最終日には、立禅の中で、自分がそれまでより大きくなったように感じるようになっていた。

還暦祝い・嬉しい祝杯

4月17日の稽古に参加。3人~4人と組手。その後、天野先生の還暦祝いの飲み会に参加。何だかみんなの眼が違う。羨望のまなざしが注がれる。ちょっと恥ずかしいような感じ。なんでなんでと何人かに聞かれる。3月20日の何がどう良かったのかが実感できずにいた整合性が取れない状態からはやや進歩したものの、まだ夢心地の気分。また、今から組手やったら以前のヘナチョコに戻ってるんじゃないかな、と疑いたくなるような気分。さっき組手やってたのって俺じゃないんじゃないかな、というような気分。先生のお祝いはそっちのけで、自分に対しての祝杯でした。横浜桜木町で飲んで、新幹線の中で飲んで、広島のアパートでもまた飲んだので、翌朝はかなりの二日酔い。それに加えてAK吉さんに蹴られた左足が痛い痛い。腰にも筋肉痛が…。

ともに進むみんなへ

その日、何人かの人達に今回記述した「上丹田から頭部へのつながり」「頭部は中央に」「会陰で吸い込む」などのやり方と効果について話しができた。しかし今になって考えてみると、トミリュウにとってこれらが最終的に決定打になったという事実があったとしても、他の人たちには当てはまらないな、と思った。それぞれ方々には、それぞれの個性がある。それぞれの性格がある。それぞれの体格・体質がある。そして、それぞれの段階がある。
そこで僭越ではありますが、稽古の際の留意点を優先順位の高い順にまとめて書いておきたいと思います。
(その1) 一日20分でよいので時間を作ろう。出来れば朝、無理なら夜、もしくは昼。出来れば外で、難しければ室内で、自主練をやりましょう。5分は準備体操、5分は正面の立禅、残り10分で、左右の半禅。練習が面白くなってくれば、時間は増やせます。30分、45分確保できれば、這いや揺り、練りの稽古も加えよう。
三年間太気続けてきて、週一回合同稽古にだけ参加した人は、まだ初めて一年だけど、週五回自主練して、週一回合同稽古に出た人に追い越されます。単純な計算です。 月4回×12カ月×3年=144days、これに対して月24日×12カ月=288days。太気拳の修行は、自分と向き合い続けることが必要最低条件です。しかしながらそういうトミリュウも、最初の一年間は自主練をやっていませんでした。初めたのは、二年目からです。最初は20分、そして少しずつ延長して30分、40分と…。三年目には、毎朝60分やるようになっていました。
毎朝60分の自主練は、三年目から九年目までの7年間続けました。その後は通勤時間の都合などにより毎朝30分になっています。
(その2) 体幹部にアプローチする。頭の位置、骨盤の角度、脇胸、脇腹、腰ハラ、手足より体幹部を重視しよう。
(その3) 先生の言った意味を考える。ノートにメモを付ける。自分なりに工夫する。
単なる反復稽古、繰り返し稽古にならないように。
最後に、今年4月15日の天野先生のブログからの抜粋をご紹介したいと思います。

about 太気拳
太気拳ほど単純な武術は無い。最近は特にそう思う。
以前稽古してる時に、それぞれの稽古が全部同じ方向を向いてる感じがした。
それでも、それが何であるのか、と言う事が明確にならなかった。
最近はそれが徐々に明確になってきた。
単純と言う事は、だから簡単だ、という事にはならない。
動に静を流し込む。静を護って動に移行する。
こんな単純な事を稽古する。だから禅を組む。
禅の質が動きの質であり、その人の功夫と言う事になる。
時によってはそれが今此処での強さと直結しない時もある。
でも、長い目で見れば必ず山に登れる。
急いで昇って息切れして諦めるより、一歩一歩を踏みしめる。

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平成23年・新春

一番と二番

天野先生はもう忘れてしまっているかもしれないが、自分がはじめに習った立禅と這いには2種類あった。それは立禅、半禅、に関わらず、どういう揺らぎ、どういう微動が求められているのか、という点である。自分では、それを一番と二番と呼んでいる。

しかしこう書いて再考してみると、先生に教えていただいた禅に求められる「質」には何十種類もあって、自分で勝手に一番と二番に分類していたのかもしれない。それでも4年、5年とやっているうちに「一番の中にも二番の要素があり、二番の中にも一番の要素があるように」という理解に変遷してきたので、あながち的外れではないと思っている。

一体化の微動

一番の状態を自分なりに言葉にすると「全体性を継続させる為の一体化」ということになる。具体的に一例をあげると、立禅に構えた腕で囲った空間を崩さないように持ち運んでいく。膝と腰、腰と肩、腰と頭が繋がって一体となり、そのまま動いていく。

この稽古のデメリットは、リキみ易く、特に運動やスポーツが得意でない人たちは、少しの稽古で背中や腰の筋肉がパンパンになってしまうという点だ。しかしこれをリキみなく達成することが出来たなら、その時点で太気拳の基本の大部分は完成とも言えるので、一番の稽古を怠ってはいけないと思う。

入れ替わりの揺らぎ

二番の状態を自分なりに言葉にすると「入れ替えの動きから揺らぎを見出す」ということになる。具体的に一例をあげると、這いで前に差し出した手で空間をつかんで、その手を動かさずに身体を前に運んでいく。ちょっとパントマイムに似たような動きになる。

この稽古のデメリットは、ちょっとその動きが出来るようになると、シャカシャカと早く動いてしまい、その中に潜む一番的な要素を無視してしまう、という点にある。しかし、リキみがちな身体をほぐし、動きにくい身体を動きやすい身体に変容させてくれる、というメリットもある。

Twin Tornadoの失態

昨年末、第十一部・冬の章にて<Twin Tornado>というお題の項目に、二つの螺旋の説明を書いた。今年一月に入って、推手の際にこの動きを確認する機会を得られたが、天野先生からは完全なダメ出しを喰らってしまった。要はヒョコヒョコするような動きになっていて、全くチカラが出ていないとのこと。二番の動きの欠点をみごとに体現したトルネードがそこにあった。

単推手で腰痛

1月に入って、9日と16日の稽古に参加できた。今年のはじめは、単推手に重きを置いてやっていくとの天野先生の方針から、我々十年選手も不慣れな単推手が毎回行われるようになった。単推手は、足をその場に留めたままで行われるので、ごまかしが効かない。腕の接触点から相手へ伝えるべきチカラが、ちゃんと膝から腰、腰から肩、そして腰から頭へと一体となり、伝えられているかどうかが問われる。これはまさに一番の動きの質が問われる稽古である。その一方で要領を得ないトミリュウは、左の背中がパンパンになってしまった。次の週に他のメンバーにも尋ねてみたが、誰一人として、そんな人はいなかった。つくづく自分のセンスの無さにいやになる。それでも、一人稽古の中で単推手のシャドーを繰り返すうちに、背中を固めずにお腹をタップン、タップンと柔らかく使いながら腰骨をぶつけていくような感覚がでてきた。これが正解であることを祈っている。

センターズレとオフセット値

前述の背中が張ってしまうこともそうだが、腰が痛くなる時には必ず左の骨盤の脇辺りに凝りや張りが出る。ここへ来て、頭、胸、腹、腰、の前後の位置の精度が上がってきたことにより、仙蝶関節を中心とした左右のちょっとしたアンバランスさが顕在化してきたようだ。最近の正面の立禅では、無意識に自然に立つと、右足が後ろの方に置かれている。

正面の立木などの中心を目印にして、そこへ鼻先を向ける。目線を向ける、ノドを向ける。ヘソを向ける。そうすると、自然に右足が左足よりも3cm程後ろにある。これがこの2年ほどのトミリュウの立禅スタイルだ。ためしに両方の足位置を揃えてみると、今度は鼻、ノド、ヘソがやや左を向いてしまう。左の腰痛に悩まされたことをキッカケに、これをそろそろ見直そうと思い立ったのが、今年の1月27日だ。

右の蝶骨と左の蝶骨を逆回転にトルネードさせ、鼻、ノド、ヘソがやや右を向くように調整してみた。これを3日ほど続けて、どうすれば両方の足位置を揃えたままで、具合よく正面に向けるかを模索するうちに、中心軸の意識を右に3cm程ずらしておけばよいことに気が付いた。丹田が右に3cmオフセット、ノドの意識も右に3cmオフセット、そして右目の奥が中心軸だと意識する。

2月に入って、13日と20日の稽古に参加できた。そろそろ推手も以前のように両手を使って歩きながら行われるようになってきた。右に3cmほどオフセットした中心軸を使うことにより、左右の切り返しにキレが出てきているように感じている。早くこれを組手稽古で試してみたいと期待が膨らんでいる。

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第十一部・冬の章

Don’t think. Feel it!

11月28日の稽古では、「圧縮から引き落とす組手」なんてことはどうでもよくなってしまった。とにかく棒を使っての稽古の時から「見て、考えてから動いてるから、全部タイミングが遅いんだよ」と言われっぱなし。けれど最後には、組手でも「考えないで、感じて、反応する動き」がちょっとだけ垣間見えた。

恥ずかしい写真・その1

4年前の2006年9月7日、稽古中にデジカメで写真を取っていただいた。天野先生とトミリュウが並んで映る立禅と半禅のサイドビューだ。翌朝、自宅のパソコンに「恥ずかしい写真」というタイトルで先生からメールが送られてきた。自宅のパソコンは妻との共有で、ほとんど妻がメインで使っているので、「タイトルが怪しくて、スパムメールに間違いないと思って、削除する所だったわ…」と言われてしまった。

さてこの「恥ずかしい写真」その時に見ても変な姿勢で禅組んでるな、と思ったが、今見ても、入会3年目の○○君よりひどい姿勢です。

恥ずかしい写真・その2

2010年12月5日、岸根公園での稽古の最中、携帯電話のデジカメで写真を取っていただいた。トミリュウの立禅の姿勢のサイドビューだ。「また元に戻ってるぞ!」そう指摘され、携帯の小さな画面を見てみると、的である顔が前に出て、盾である腕を支える肩が後ろに退がっている。みごとに組手に不利なフォームで立つ自分がいた。何のことは無い、今年の夏の章に書いた7月4日に直したつもりでいた自分の立禅の姿勢が、また悪い状態に逆戻りしていたのだ…。

悪い点は三つ。骨盤をしゃくることばかりに気を使っていると、ソケイ部は伸びきってしまい、腰ハラの力が出せなくなる。ソケイ部が伸びているのでバランスを取るために顔が前に出て、肩が後ろに引けてしまう。

天野先生からのアドバイスは二つ。ソケイ部をちょっと引いて、腰ハラから力を出せるようにする。そして、両肩で空間を確保するように意識してみて、とのこと。

自分のこだわり

リキむこと、力が入ることは、悪いこと。力が抜けてリラックスしている状態は良いこと。できれば足腰の負担が軽いような、疲れない立禅が理想である――。その思い込みが進化を遅らせていた。チカラを抜くべきか、チカラを入れるべきか。どちらも正解で、どちらも間違い。チカラの入る位置・チカラの入る状態に姿勢を調整し、できるだけチカラを入れずに待機している。そんな立禅が理想なんだと思う。

肩のエクボ

恥ずかしい写真・その1を撮っていただいた頃に聞いた話。「肩のこの部分にな、エクボみたいに窪みができるんだよ。これが大事」天野先生からそんな話を聞いていたが、自分では、それを追求することをしなかった。エクボを作ることにより、肩にリキみが出るのを嫌ったからだと思う。リキむこと、力が入ることはいけないこと。そう思い込んでいたので、4年以上の歳月を無駄にしてしまった。

昨年12月5日にいただいたアドバイスから、正解に近い立禅の姿勢ができてきた。ソケイ部をちょっと引いて下腹部にチカラを保つ。目の前の空間を確保するために肩が少し前に出て、少し上にあがる。この位置に肩をもっていくとエクボが出来る。そして手が効くようになる。

組手開眼?

12月5日の組手では「あぁここが自分の距離で、この形が自分の得意な形なんだな」と思える瞬間があった。やっていたことは前述の立禅の形を保つ事、そして考えないで感じるという事だけである。

 ① ハラを締めておく。
 ② 頭は後ろに。
 ③ 肩で空間を作る。
 ④ 考えて動かない、感じて反応する。

終わってから、天野先生からは「次の組手の時までに、今日の組手の感覚を忘れないように」と言われた。

首が収まる

12月16日、茅ヶ崎特練に参加した際に、天野先生から「立禅での肩の位置が定まってくると、首の位置も自然と収まるもんなんだよ」という話を聞くことができた。日常生活の中で普通にただ立ってたり、歩いていたりする時にも、頭の位置が後ろの低い位置に落ち着いてきている事を自分でも感じている。

Twin Tornado

12月19日に年末恒例の交流会&忘年会が行われた。その中で島田先生からは立禅の基本的なこと、そして立禅での注意点等をセミナー形式で教えていただいた。特に膝、そして脚の使い方をジェスチャーしながら「引き絞るように」との説明があった。以前天野先生からは「立禅では、雑巾を引き絞るように」という説明を聞いたこともあったが、この時に改めて「何をどう引き絞ればいいの?」という疑問が湧き上がってきた。今までの経験から「脚や膝、その辺りを内側に引き絞る」という点は、見た目にはそうに違いないが、そこだけを真似しても足腰が疲れるだけで、似て非なる物、似て非なる状態になる事は気づいていた。

翌朝の自主練で解は得られた。引き絞るのはお腹の中。そしてそれが、腕、脚、へと波及していく。腹の中を発生源とした、みごとな螺旋の渦がここに生まれる。

そしてこれは、正解かどうかはまだ分からないが、お腹の中にサランラップの芯くらいの大きさのローラーが縦に2本あり、これが中心へ引き込む方向、中心から押し出す方向、その2方向に回転するような感覚、これが使えそうだな、という感触が出てきた。はじめの内は、引き込む方向にしか回せなかったり、立禅(正面)ではできても、半禅ではできなかったり、という感じだったが、数日もすると、両方向の回転が半禅でも這いでもできるようになった。

12月26日の稽古では、推手も組手も行わなかったが、年末年始の休暇期間中の毎朝の自主練で、腹の中の2本のローラーの回転を腕の下にまで拡大し、そこに竜巻のような渦を感じるようにしながら立禅や這い、練りを行うようにしてみた。

出来ることを反復稽古で毎日やっていても意味は無い。常に工夫してみることが大事だ、というのが師のいつもの口癖だ。年明けにどんな組手が出来るのか、自分でも楽しみだ。

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会員・会友員のテクスト 富川リュウの太気拳修行記

第十一部・秋の章

腰を流す・背中を抜く

9月17日にまた腰を痛めてしまった。3日間ほど寝込んで日常生活レベルには回復したが、組手稽古ができるまでには、一ヶ月ほどを要してしまった。

この間、立禅での姿勢や力の入れ具合に工夫をこらし、「腰を流して使う」「背中を抜いて使う」そんな感じで、立禅や這いに取り組んでいた。

そんな訳で、10月3日(日)の稽古では、推手は2人とだけ軽めに、組手は見学のみだった。また、10月10日(日)の稽古では、棒の稽古と推手には参加したものの、まだまだ組手は見学のみだった。

中心ねらいはNG

10月17日(日)の稽古で、久しぶりに組手が出来た。久しぶりにしては、そこそこ動けたが、「夏の章」で書いた「自分の正中線で、相手の正中線の脇をかすめる」というアプローチはNGな事が分かった。稽古の後でI先輩がKさんにアドバイスしているのを盗み見て、次の組手へのヒントを得た。

被せる立禅

10月17日の組手の前に、立禅の中で上から下に被せる感覚が出てきていた。10月18日の朝練からは、この辺を応用して組手にも使えるのではないかと考えていた。この被せる感覚は、「後方発力」に近い。「押し拡げる・押し下げる・引き込む」という力の使い方だ。まず「膨張」から入って、次に「収縮」へ。そんなアプローチで、10月31日の組手に臨んだ。

差して拡げる

プランはこうだ。相手の顔の左右どちらかのエラの部分と二の腕を目標に、そこを自分の両腕で押し拡げる感覚でアプローチする。そして一気に収縮へ…。しかし組手の途中で、狭くて入れないことに気づく。そこでプラン変更! まず手の甲で相手の耳脇を差す。そしてそこから手のひらを返して押し拡げる――。「差して拡げる」これは結構うまくいった。そして特に、至近距離でこれが有効なことは意外な発見だった。

11月7日の組手でも、前述の「膨張と収縮」「差して拡げる」というアプローチをしてみたが、格上の先輩を当たったこともあり、あまり自分のイメージどうりには動けなかった。しかし、天野先生と16番先輩からは「なかなか良かったよ」と褒められた。しかも何が良かったのかと言うと、二人とも口を揃えて「低い姿勢が良かった」とのこと。これは自分でも意外だった。天野先生によると「その姿勢のままで居て、その姿勢のままで動ければ、あとは手足はどうだっていい」とのこと。また「そこまで出来ているんだったら、とにかくそのまま動けるように工夫してごらん」とも言われた。

張り付く立禅

色々と工夫を凝らして「差して拡げる組手のアプローチ」を編み出した。この工夫が全く無駄だったとは思いたくない。しかし、根本的な方向性は違っていたようだ。ここに差し入れて拡げて、腕をどうのこうの、手のひらをどうのこうの、と言うは枝葉であって、幹となる部分はほかにある。まず幹を太くすることが必須。要は、初めに出てきた「被せる感覚」これをより深化させれば良いだけの話だ。

11月8日の朝練からは、「被せる感覚」をより深化させ、「地面に張り付くような立禅」を始めた。そういえば5、6年前に、島田先生のセミナーで教えていただいた立禅でのコツのひとつに「自分の中の核の部分の小さな円筒形を圧縮するように…」というような説明があった。その時は???だったけど、今のこれがそうなのかもしれない。

圧縮から引き落とす組手

今までは探手の際に、移動して打つ、移動して体当たり、いずれにしても水平、もしくは水平よりやや斜め上へという力の方向を意識していたが、地面に張り付くような立禅を続けているうちに、探手での力の方向性が変わってきた。打拳でも、差し手でも、発力でも「水平に移動して、当たる直後に垂直に落ちる」そんな感覚が出てきていた。

「圧縮から引き落とす組手」をイメージして、11月28日(日)の稽古に臨んだ。続きは「冬の章」にて・・・。お楽しみに~