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会員・会友員のテクスト 富川リュウの太気拳修行記

平成23年・秋の章

立禅で蓄積されるもの

立禅で蓄積されるものとは何か? あるいは立禅で整ってくるものとは何か? 言葉で言い表わすことの出来ない事の方が多い。 しかしひとつはっきりと言えることは「姿勢が整う」という事である。立っている時の姿勢、それがまるで違ってくる。見た目に はそれほど変わらなくとも、機能的にはまるで違う。

この数ヶ月の間、ハラ締める、膝締める、脇胸を生かす、とどれも課題ではあるけれども、以前は出来なかった、そうはならな かったものが、そうなるようになってきた。

身体が整うとは、そういうことらしい。「夏の章」では、9月くらいからハラにチカラを入れることで、組手が良くなった旨を 報告した。しかしただ単にハラにチカラを入れるだけなら5年前、6年前にもやっていたはずだ。天野先生に聞いてみて謎が解ける。

同じことをやっても身体が整っていないと、まるで違う解釈や、まるで違う状態になってしまう――とのこと。10月になってから 始めた膝を締めることも然り、5年前、6年前にもやっていたがそうはならなかった。脇胸を生かすも然り、5年前、6年前には、 ただ肩と肘を引くだけの動作になっていた。よって、どれもこれもが組手での成果が全く得られなかった…。にも拘らず、今はその どれもが組手の成果に直結している。

膝締める、の?

10月2日の稽古に参加した。一人稽古の終わり際に天野先生からアドバイスをいただいた。立禅で足裏の内側のみを接地し、 膝を締めるように、膝を擦り合わせる様に使うことでハラが生きる、とのこと。

この日は組手はなかったが、推手でその効果が感じられ、16番先輩からも「チカラが途切れなくなったね」と褒められた。

悶える立禅

9月28日の天野先生のブログからの抜粋

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禅を組んでるのを見てると、当たり前だけど動かない。
外が動かないから内も動いてないか、と言うとそれは違う。
それどころではない。禅を組む、と言う事は、つまりは悶えるということだ。
悶える、身悶える・・・。

六面力というと、そういうものが元々あって、それを見つける、と言う感じになる。
そうじゃない。六面力、六面に力を得る、と言うとスマートに聞こえる―――
実感としては六面に悶える。上から押さえられ、引っ張られる。
それを押し返し、引っ張り返す。前から後ろから押され、引かれ、押し返し、引き返し。
捻られ、捻り返し―――絡み合い、もつれ合い、錯綜した力の混沌に身を置き、そこで上下前後左右に悶える。

直も曲も螺旋も全てがあり、時に無くなる。心は泡立つ―――
練りも形はあるけれど、結局は形を通じて、悶える事を求める―――
格好よく言えば、禅はカオス、混沌・・・。
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抜粋おわり。という訳で、10月3日からの一週間は身悶える立禅の自主練の日々。
立禅で身悶え、這いで身悶える。そして10月9日の組手に臨む。しかし成果はイマイチ。後にわかることなのだが 「身悶える」の捉え方が間違っていた。

文章だけを読んで自分のイメージでたぶんこんなだろう…と勝手に解釈した上で自主練に励んでいたが、 天野先生が伝えたかった「感覚」は別の物だったようだ…。

膝で相手を締める

10月10日からの一週間は自主練の課題を変えた。
①ハラを緩め、腰を振る動作を確認。
②組手での距離を意識し、継ぎ足の稽古。
③薪割りのイメージで、相手の前腕を自分の前腕で割っていく探手。

翌週の一人稽古の終わり際に天野先生からアドバイスをいただいた。「膝を締めるように、とは、自分の 膝を擦り合わせる様に、ということもできるが、膝で相手を挟むようにしてみろ」とのこと。

そしてこの日の組手では、前述の①②③は全く成果が無く、その日、天野先生に言われた「相手を膝で挟む」が 一番成果があった。とくに③は、手の意識が強すぎてNG。
ほとほと自分のオリジナルアイディアには自信を なくしてしまう。そして①も、今のところは成果なし。今はまだ、膝を締めてハラも締めておいた方が良さそうだ。

窓枠フレームから覗け

10月17日からの一週間は自主練の課題を変えた。今回は自分のオリジナルではなく、天野先生と16番先輩の 二人からのアドバイス。トミリュウは腰が高すぎるとのことなので…

① 腰を低く、手を高く、構える
② 手はそれまでの肩の前よりも高く上げ、ほほ骨の高さまで上げる。人差し指と親指のチョウジの90度を窓枠の フレームのように使い、ここから相手を覗き見る。
③ このフォームで這いや練りをやってみるが、肩が狭くなってしまう感じは、ムネの張り具合で調整する。

膝を柔らかく

翌週の稽古は欠席。広島で充実のヒマな休日を過ごす。
ここで再び10月23日の天野先生のブログからの抜粋

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歩法で何がネックになってるのか。普通の歩行や走ることと何処が一番違うのか。
それは膝の柔軟な使い方。歩く走るで慣れきった動きを変える。

デフォルト歩行を歩法に転換しないと動けない。デフォルトだと、推手にしても組み手にしても前に出よう とすると前のめりになる。前のめりになって、相手に体重を預けるような姿勢は一番の下策。つまり一番やってはいけない事。

力は質量の移動と距離、そして時間の関係。そしてその質量の伝達、そして変化。
つまり強さの要素の一つが質量と言う事になる。だから、それを外に求めると体重を増やすとなる。そして その体重を支えるための筋力強化と進む事になる。
これが一般的な思考の順序、進み方。

そんなのはもともと力があって体重があって、バネがある奴にかなうわけない。
質が同じなら体重と腕力になる。だからそうならないように質を変えていく。

その第一歩が姿勢で、次はそれを守っての移動、変化。
その質を守れば前のめりになるはずが無い。
太気拳の稽古をして姿勢が悪いなら、それはつまり稽古してないのと同じ。

と言う事で、今日のセミナーは第一が膝で、次は腹腰の振動。
何処まで進めるかは疑問。求める事が多すぎかも・・・。
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抜粋おわり。という訳で、その日からの一週間は「膝柔らかく…」の模索。
そうは言っても、膝を締めたまま膝を柔らかくというのは、どう考えても矛盾している。確かに膝を 締めることでハラが生きてくる感じはあるし、組手での成果もあった。しかし膝を締めると、膝は柔 らかくはならず逆に硬くなる。月、火、水、木、、、金曜日になって、やっと答えが見つかった。 それは膝を擦り合わせる様に使う。10月2日に天野先生からこの話しを聞いた時には、片足立ちで、 寄せ足から差し出し足に向かう際に、膝をすり合わせる様に使うのだと思っていたが、違っていた。
両足で立っていて、膝でモノを挟むようにして、そして尚且つ柔らかく使おうとすれば、膝を擦り合 わせるように、擦り合わせて廻すような使い方になる。

肩のタメ

10月30日、二週間ぶりに稽古参加。一人稽古の立禅を始めてすぐに天野先生からアドバイスをいただく。 「脇胸を出しながら、肩のタメから戻ってくる。これをどんどん小さくして行って、悶える感じを作る」これ でやっと、10月3日にやっていた「間違った身悶える」が「正しい身悶える」になった。

そしてこの日の組手では、「正しい身悶える」の成果が出ていい感じだった。しかし「腰低く、手高く」 は間違いではなかったにしろ、成果はイマイチ。

<手はそれまでの肩の前よりも高く上げ、ほほ骨の高さまで上げる。人差し指と親指のチョウジの90度 を窓枠のフレームのように使い、ここから相手を覗き見る>というテーマでやっていたが、天野先生からは的 確なアドバイスが。「目で見て相手を捕えるだけでなく、体の一部でも相手を捕えているように」とのこと。

この日の天野先生からの組手でのアドバイスは二つ「体の一部でも相手を捕えているように」「手が伸び て行って相手の顔に当たるイメージで」あとは稽古後の世間話しの中で「反射神経とか運動神経を良くするわ けじゃないんだよな…」という様な話がでた。

正しく身悶える立禅

10月31日からの一週間の自主練の課題は、まず「正しく身悶える立禅」から始め、これをどう組手に 繋げて行くのかを模索した。天野先生からの「体の一部でも相手を捕えているように」と「手が伸びて行って相手の顔に当たるイメージで」は却下(失礼!)というか保留。

「正しく身悶える立禅」を始めて間もなく、相手に張り付くような感覚が出てきた。そして、数年前に 16番先輩に言われた「自分の頭と相手の頭、自分の肩と相手の肩、自分の腰と相手の腰、自分の膝と相手の膝、 が繋がっているようなイメージ」が見えてきた。

脇胸を生かす

11月6日の稽古。一人稽古の立禅を始めてすぐに天野先生からアドバイスをいただく。脇胸を指さして 「ここを生かすように」と一言。特にそこを出す、とか引っ込めるではなく「生かす」、そう一言だけ行って 去って行った。しかしそれだけのことで、身体の中に「自分の体の一部が相手を捕えている感覚」が出来てきた。

この日は「感覚と気分」を重視して組手に臨んだ。そして、相手と繋がっているイメージ、相手に張り付いて いるイメージ、体の一部が相手を捕えているような感覚、の全てが成果を出し、なかなか良い感じの組手が出来た。

手を捨てる、脚も捨てる?

膝で挟んで尚且つ膝を柔らかく使うことで、ハラが生き、これによって手のチカラを抜くことができた。 しかし、脚も捨てろとはどういう訳か…。これは組手で接近した際に、立ち位置をちょっとずらしなさいと、 足で踏ん張ってしまうから動けないんだよと、言われた時のアドバイスだ。この辺が翌日からの自主練の課題となった。

探手で組手のイメージを思い浮かべながら、接触した刹那に立ち位置を替えてみる。しかしどっち方向に、 どれくらいの距離を動けばよいのかが良く分からない。加えて、腕の接触が、両方上の場合、両方下の場合、 そして左右で逆になった場合など、どう対処すれば良いのか…。しかし簡単なことに気がつく。「左右で逆に なった場合」それって推手を一緒じゃん!では、組手でも推手しちゃえばいいってことか?!

ここでタイミング良く11月9日の天野先生のブログにヒントが…

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振動とは、二つの壁の間を力が撥ね返ること。
立禅ではこの二つの壁をはっきりさせる。

この壁は左右の力感。力感を感じ取り、そこで跳ね返る。
その繰り返しが振動になる。

右に行こうとして行けず、左に行こうとして行けない。
しかし、この壁を感じ取る事だけでは不十分だ。

禅ではこの力感を感じ取るが、練りではこの力感を運ぶ。
力に触り、失わないように力を運ぶ。

禅で感じ取った力感を延長する。延長して初めて静が動に移行する。
推手はその力感の延長をお互いにぶつけ合う。
力を抜いても力感が失われず、力の源泉を探る。
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抜粋おわり。しかし「立禅で感じた力感を運ぶ」「立禅で感じ取った力感を延長する」とはいったいどういう 感覚なのか。その感覚が、謎だ…。

エアー推手で、挑む!

11月13日の稽古。推手の間合いで手が接触するよりも、もっと離れた位置にいても、手が伸びて行って 相手と接触するイメージで組手に臨んだが、イメージが中途半端な分、組手も中途半端になった感じだった。 また前述の「立禅で感じた力感を運ぶ」「立禅で感じ取った力感を延長する」という謎を抱えたままだったことも、 組手が中途半端になった原因なのかもしれない。