一番と二番
天野先生はもう忘れてしまっているかもしれないが、自分がはじめに習った立禅と這いには2種類あった。それは立禅、半禅、に関わらず、どういう揺らぎ、どういう微動が求められているのか、という点である。自分では、それを一番と二番と呼んでいる。
しかしこう書いて再考してみると、先生に教えていただいた禅に求められる「質」には何十種類もあって、自分で勝手に一番と二番に分類していたのかもしれない。それでも4年、5年とやっているうちに「一番の中にも二番の要素があり、二番の中にも一番の要素があるように」という理解に変遷してきたので、あながち的外れではないと思っている。
一体化の微動
一番の状態を自分なりに言葉にすると「全体性を継続させる為の一体化」ということになる。具体的に一例をあげると、立禅に構えた腕で囲った空間を崩さないように持ち運んでいく。膝と腰、腰と肩、腰と頭が繋がって一体となり、そのまま動いていく。
この稽古のデメリットは、リキみ易く、特に運動やスポーツが得意でない人たちは、少しの稽古で背中や腰の筋肉がパンパンになってしまうという点だ。しかしこれをリキみなく達成することが出来たなら、その時点で太気拳の基本の大部分は完成とも言えるので、一番の稽古を怠ってはいけないと思う。
入れ替わりの揺らぎ
二番の状態を自分なりに言葉にすると「入れ替えの動きから揺らぎを見出す」ということになる。具体的に一例をあげると、這いで前に差し出した手で空間をつかんで、その手を動かさずに身体を前に運んでいく。ちょっとパントマイムに似たような動きになる。
この稽古のデメリットは、ちょっとその動きが出来るようになると、シャカシャカと早く動いてしまい、その中に潜む一番的な要素を無視してしまう、という点にある。しかし、リキみがちな身体をほぐし、動きにくい身体を動きやすい身体に変容させてくれる、というメリットもある。
Twin Tornadoの失態
昨年末、第十一部・冬の章にて<Twin Tornado>というお題の項目に、二つの螺旋の説明を書いた。今年一月に入って、推手の際にこの動きを確認する機会を得られたが、天野先生からは完全なダメ出しを喰らってしまった。要はヒョコヒョコするような動きになっていて、全くチカラが出ていないとのこと。二番の動きの欠点をみごとに体現したトルネードがそこにあった。
単推手で腰痛
1月に入って、9日と16日の稽古に参加できた。今年のはじめは、単推手に重きを置いてやっていくとの天野先生の方針から、我々十年選手も不慣れな単推手が毎回行われるようになった。単推手は、足をその場に留めたままで行われるので、ごまかしが効かない。腕の接触点から相手へ伝えるべきチカラが、ちゃんと膝から腰、腰から肩、そして腰から頭へと一体となり、伝えられているかどうかが問われる。これはまさに一番の動きの質が問われる稽古である。その一方で要領を得ないトミリュウは、左の背中がパンパンになってしまった。次の週に他のメンバーにも尋ねてみたが、誰一人として、そんな人はいなかった。つくづく自分のセンスの無さにいやになる。それでも、一人稽古の中で単推手のシャドーを繰り返すうちに、背中を固めずにお腹をタップン、タップンと柔らかく使いながら腰骨をぶつけていくような感覚がでてきた。これが正解であることを祈っている。
センターズレとオフセット値
前述の背中が張ってしまうこともそうだが、腰が痛くなる時には必ず左の骨盤の脇辺りに凝りや張りが出る。ここへ来て、頭、胸、腹、腰、の前後の位置の精度が上がってきたことにより、仙蝶関節を中心とした左右のちょっとしたアンバランスさが顕在化してきたようだ。最近の正面の立禅では、無意識に自然に立つと、右足が後ろの方に置かれている。
正面の立木などの中心を目印にして、そこへ鼻先を向ける。目線を向ける、ノドを向ける。ヘソを向ける。そうすると、自然に右足が左足よりも3cm程後ろにある。これがこの2年ほどのトミリュウの立禅スタイルだ。ためしに両方の足位置を揃えてみると、今度は鼻、ノド、ヘソがやや左を向いてしまう。左の腰痛に悩まされたことをキッカケに、これをそろそろ見直そうと思い立ったのが、今年の1月27日だ。
右の蝶骨と左の蝶骨を逆回転にトルネードさせ、鼻、ノド、ヘソがやや右を向くように調整してみた。これを3日ほど続けて、どうすれば両方の足位置を揃えたままで、具合よく正面に向けるかを模索するうちに、中心軸の意識を右に3cm程ずらしておけばよいことに気が付いた。丹田が右に3cmオフセット、ノドの意識も右に3cmオフセット、そして右目の奥が中心軸だと意識する。
2月に入って、13日と20日の稽古に参加できた。そろそろ推手も以前のように両手を使って歩きながら行われるようになってきた。右に3cmほどオフセットした中心軸を使うことにより、左右の切り返しにキレが出てきているように感じている。早くこれを組手稽古で試してみたいと期待が膨らんでいる。