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天野敏のテクスト 閑話休題

四季

2006年ももう少しで終わり。いつも思うが、年々時間の経つのが速くなってきている気がする。 子どもの頃は一週間が、一月がとても長かった気がする。何時まで経っても一日が終わらず、 何時までも遊んでいられた。一瞬一瞬が濃密だったのかもしれない。これはどうも自分だけの 感覚ではなく、弟子の誰彼に聞いても皆そんな感想を漏らす。「象の時間、ねずみの時間」と 言う本があったが、「大人の時間、子どもの時間」と言うのも確実にあるような気がする。

稽古を外でして居ると季節の変化に敏感になる。桜が一瞬の狂い咲く春。耳を聾する蝉の夏。 今年見事に感じたのは紅葉。いつもの稽古場所に二本のもみじがあることに初めて気がついた。 日当たりの関係もあるのだろう。二本のもみじから何種類もの紅のグラデーション、自然の驚異。 それも次の週に行くと全くその面影もなく、枯れ落ちている。全て一瞬に起こり、その瞬間を逃 すとそんなことが起こったことの痕跡さえなくなってしまう。

そう、大事なのはその瞬間を捉えること、その難しさ、その面白さ。って、何を急にと思うかも しれないが、これは武術のこと。武術で大事なのは人と相対しての一瞬、見逃せばなくなってし まう一瞬を捉えようとする緊張。間、呼吸ともいくらでも言い方はあるのかもしれないが、これ がないのは武術ではない。自分と違う感性の相手がいて、何が起きるかわからないところでの瞬 間の取り合い。やることがあっても、やる瞬間を逃せば意味のないものになってしまう。これが 妙味。それに反応する感性と神経と身体を育てる。それが育てられないと「武術家」とはいえな い。どうなるのかと言うと「武術研究家」や面白いのは「武術稽古研究家」と言うものになるら しい。研究家はいつも武術の外に居る。

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はしっこい奴

小中学生に何か武術を習わせたいのだけれど、と言う相談を受けることがある。どんなものが良いか、と言う質問。 私の答えは簡単、武術なんて習わせない方が良いですよ、と答える。小さい頃はそれこそ球技などで自由に走り回る方が良い。 野球でもサッカーでもバレー・バスケと色々ある。でも武術はやめた方が良いよ、と言う。 いろんな武術の経験者を山ほど見ている私が言うのだから間違いが無い。もしどうしてもやらせたいならせいぜい柔道くらい。 畳の上で跳ね回っていれば良いと思う。小さい頃は身体を自由に動かし、柔軟で豊かな創造力を養っておかなくてはいけない。 武術をやるならそういう最低限のものが出来てからの方が良い。 だいたい年端も行かない子どもに何が悲しくて相手をやっつけるなんていう事を教えなくてはならないか、と思う。 (太気拳は別だと思っているが、それだってある程度からだが育ってからの方が良い。だから私は子どもを教える気は全く無い。) なぜなら、ほとんどの武術と言うのは窮屈で形に拘っていて、逆にそれぞれの自由で創造的なものを摘み取ってしまうからである。 形を決めてそれを守る事を強制する。それぞれの個性を摘み取り、型にはめることが流派の個性だといわんばかりである。 子どもに自由にのびのび育ってもらいたい、と思ったら武術は習わせない方が良い。 子どもの頃からずっと武術をやってきました、と言う弟子も何人かいるが、そういうものほど最初は手がかかる。 何故かと言うと自然にやってよい、という事の意味を理解できないからである。こういう姿勢が良い姿勢と教えられる。 こういう時はこの技をと教えられる。だからそれを守ろうとする。何故かわからないけれど、と言う但し書きつきで何かを守ろうとする。 人に言われた事を守るのではなく、自分がこうしたらどうだろうと工夫するのが創造力である。 ところが大半の武術は最初に技ありきだから、創造的なところが無い。違う事をやるとそれは流儀ではないという。 人の創造力を矯めるのがほとんどの武術である。だから武術をやっている人は本人の思惑とは別にそれほど強くない。 武術を10年、15年やっても、力が強くはしっこい奴には勝てない。殴る蹴るの稽古をいくらやってもこういう手合いにはそうそう勝てるものでは無い。 多分やっている本人もそう感じている。力が強くはしっこい。本当に大事なのはこれである。 「力が強くはしっこい」この言葉の中には武術に必要な力強さや柔軟性、そして創造力が含まれている。 「何をやるかわからない」これが創造力であり、武術で実は一番大事なことなのである。太気拳では有形無形と言う。 形あって形無し。力強く、柔軟、そしてはしっこい、これを形あって形無しと言う。 技術がどうのこうのではなく、太気拳はそうなるための拳法である。様々な武術を経験して太気拳に辿り着く弟子がいる。 そして初めて武術が形や技術で無いことに気づく。こうきたらこう、そんなマニュアルの繰り返しで強くなれるなら誰も苦労しない、そう気づく。 そこが彼の新しいスタート地点になる。

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写真というものは面白い

写真というものは面白いものだと思う。当たり前だが静止している。静止しているが動きのある写真と動きの無い写真がある。 止まっているのに動きを感じる。紙の上に印刷された粒子の集合から視覚が何かを感じ取る。改めてなんでこんなことを感じた かと言うと、自分が海で遊んでいる写真を見つけたからである。サーフィンを始めて2年。自慢ではないがヘボである。なかなか 上手くならない。ただそれなりに遊べるようにはなった。で、インターネットでサーフィン関連のサイトを検索していて自分の サーフィンしている写真が載っているサイトを見つけたのである。近所の写真屋さんが運営するサイトで、近場のポイントでの サーフィンの写真を公開している。もちろん気に入ったのがあればプリントもお願いできる。たまたまそこに何葉かの写真を見 つけたわけである。写しているのは台風などで波のサイズが上がった時。だからほとんどは上級者の写真である。いつも顔をあ わせる顔なじみの写真もいくつかある。皆なかなか格好よい。サーフィンをしている写真だから、当然のごとく動きがある。 当たり前、と思ったら動きの無い写真がある。誰だ、と思ったら自分の写真だったのである。おいおい、と思わず悲しくなった。 見た目でこんなに違いがあるものか。上手と下手が写真でこんなにもはっきりと判るのか、である。写している瞬間は実にいい瞬間である。 太陽に波がきらめいて崩れかかる。そこをサーファーが滑り抜けようとする。そんな一瞬を切り取った写真のはずが、ヘボのおかげで台無し。 まるで躍動感の無い写真になってしまっている。どこがそんなに違うのか、なぜ上手い人のには動きが感じられて、私のにはそれが感じられないか。 見るのではなく、今度はじっくりと観察する。判った。視線が違う。私の写真(ということは私のサーフィンと言うことになるが・・・) は視線が足元を向いている。上手い人は皆視線が次のあるいはその次のアクションのためのゲレンデを見ている。遠くを見ている分だけ 長いスパンのイメージを作ることができ、変化に幅が出来てくる。有体に言えば、眼の前しか見ていないのが私、だからイメージが貧困で 変化の幅が無い。未来を見据えているのが上手い人で、イメージが豊富な分変化にも柔軟に対応する。その違いが動きのある写真とそうで ないものを分けている。現在の動きを身体が表現し、視線が未来を暗示するとでも言うか、そこに動きを感じ取るわけである。背景が波と言う、 変化の権化みたいな自然だから余計に動きのなさが際立つわけである。まあ、眼の前ばっかり見ないで、きちんと将来のことを考えなさいよ、 なんて昔誰かにいわれたような気がする(将来のことばかり夢見ないで、きちんと足元を見なさい、なんてことを言われた記憶もあるが)。 どうも三つ子の魂百まで、いまだに変わっていないらしい。サーフィンだから、遊びだからこれでもいいが、ことが拳法になると困ったことになる。 長いスパンで遠くをしっかり見つめながら、同時に地に脚がついた稽古を今出来ているか。弟子に言うより自分に言い聞かせないといけない。

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体育祭

先日中学生の娘の体育祭を見に行った。普通は土曜日か日曜にやる、そうすると私は稽古があるので見にいけない。 たまたま雨のために延びたおかげで行くことが出来たわけである。特に何を見たいと思っていたわけではない。 しかし、行ってみるとこれが結構面白い。雨上がりの朝、子どもたちが精一杯に頑張って走る、走る。 一年生くらいはまだそれほどでもないが、2年3年と上がっていくに従って、迫力が出てくる。 リレーや短距離走はそれこそ地響きを立てて走ってくる。部活で運動をしている子も、あるいはそうで無い子も皆等しく力強く軽快、まさに翔ぶが如く躍動。 若いということが輝き、生命が光る。がり勉の子もちょっと悪ぶっている子も流す汗は同じように光り、まっすぐに笑い悔しがる。 育っていって欲しい、まっすぐに育って言って欲しいとそう思う。自分が今までしたどんな苦労も悔しさも、 あるいは悲しさも何一つ知ることなく彼らが育っていったらどんなに素晴らしいか。もちろんそんなことが出来るわけも無いけれど、 親の気持ちは大体そんなところだろう。彼らから感じるのは生命の勢いもあるけれど、もう一つ感心するのは自由さである。 もちろん日常の中で色々規則に縛られて、と彼らは言うに違いない。ところがあの場、あの瞬間にはそんな束縛は何処かに消えてなくなり、 彼らに一瞬光り輝く自由が宿る。この伸びやかさが貴重なものだとまだ彼らは気がつかない。自らの瞬間を楽しむ自由。 この歓びを彼らに失って欲しくない。それを失う時に彼らは同時に創造力も失う。社会に出て生活をしていくということは、同時に束縛に絡め取られていくことでもある。 しかし、そんな中でも創造的でさえあれば、自分を失わずにすむかもしれないと思う。自由の、そして創造力の宿るような人に育てよ、と心底思う。

しかし、地響きを立てて走り回る子どもを見て、もうこの子には腕力では勝てないなと思ったお父さんも結構居たはず。 人生上り坂の子どもたち、片やそろそろ停滞あるいは下り坂のお父さん・お母さん。 5月にも関わらず強い日差しの中、ビデオ片手に笑顔で声援を送りながら結構感慨にふけってる人も居たんじゃあないでしょうか。

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記念写真

学生時代の友人が引越しをした。近くと言っても電車で15分ほど。早速引っ越し祝いに一升瓶片手に訪問。 引越しから2週間であらかた片付いている様子。なんと言ってもその友人は引越しが趣味のようなもの、手際がよい。 知っているだけでも二桁の記憶がある。毎年住所録を書き換えないと出した手紙が戻ってくる。引越しの理由は良く判らない。 だから趣味と言うのだ、と友人の奥さんは言う。何かよんどころない事情があって(例えば仕事の関係とか)と言うわけではない。 住む町が気に入らないと言うわけでもない。ほとんど同じ町内と言える範囲で引越しをする。 引越しだって只ではない、引越し貧乏と言う言葉があるくらいだから費用も当然かかる、なのに引っ越す。 確かに新しい住まいに移る、ということは何かワクワクするが、引越しという大仕事の労力を考えると普通は二の足を踏む。 近所付き合いだってある。そこら辺を酒を飲みながら話していると、要は物を溜め込みたくないのだと言う。 だったら引越しをしなくても大掃除でいいじゃないか、と思うがどうもそう言うものでもないらしい。 「新しい酒には新しい酒袋を」とか何とかいいながら結局「趣味だからね」。しかし、考えて見るとどうも人には二種類いるような気がする。 物を捨てられる人と、ものを捨てられない人。件の彼は、捨てられない性格なのに、敢て捨てよう溜め込まないでいよう、と言う事なのかもしれない。 何か執念じみたものを感じる。私はどちらかと言うと捨てる方に属する、と言うか物にあまり固執しない。自分のものは布団と茶碗があればいい。 いろいろな記念品にもあまり執着はない。どこそこに行った記念の品とか、あるいは写真もそう。 よく観光地で写真やビデオを撮りためる人がいるが、私はせいぜい2.3枚。現地に行ったアリバイ程度にしか撮らない。 いいところなら記憶に残せばいい。忘れるならそれでいい。写真を撮っているとそっちに気持ちがいってせっかくの気分が台無しになる気がする。 大事なのはそこに行って何かを感じたという経験であって、行ったという記録ではないはず。 あっと、これを書いていて今沢井先生の写真嫌いを思い出した。 外国から武術を習いに来てすぐ記念写真を撮りたがるのを嫌がったのは案外これと同じ気持ちなのかもしれない。 武術で大事なのは記念写真という記録ではなくて、その時その場で何かを身体に感じ・経験し・刻印すること。 それが稽古という事。日常生活だって土台記憶に残るあるいは残したい事などそうそうある訳ではない。 今までの人生を振り返ってみれば確かに様々なことの積み重ねには違いないが、明確に記憶に残っていることなどほんの僅かでしかない。 大部分の記憶から欠落してしまっている経験から今の自分が作られている。多分記録を残すっていうのは、そこに何かの達成感があるからだと思う。 だけど達成感と言うものはほんの一瞬でその瞬間はもう過去だからいいんじゃない、次行こう次へという性格なのかも知れない。 これは格好よく言えば無常感。無常というのは別の言葉にすると過程。生きていくと言うことは要は過程を生きていくと言うこと。 武術もおんなじで名人とか何とか言うのは周りだけで、稽古と言う過程にしか武術はないのかもしれない。 あっと、これも沢井先生の言葉を借りれば「昔強かったなんていうのは何にもならない」か・・・。 「昔強かった」って言う記念写真はやっぱり捨てたほうが良さそうだ。

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誕生日 たったの55歳

誕生日を祝ってくれた家人が寝た後、グラスに氷、ウイスキーを注ぐ。

電気を消しガラス戸をあけて濡れ縁へ座る。まだ肌寒い新月の春の宵、空に星がいくつか、庭の隅にほの白く鈴蘭。 グラスの氷がピシ、キュッと音を立てる。氷に閉じ込められた空気がグラスから漂いだす。鈴蘭の上を漂い空に消えていく。 星までの距離は何光年かあるいは何万光年か。グラスに浮かぶ氷に閉じ込められていたのは南極の空気。 一万年前の雪に閉じ込められ、潰され封印された空気。地上のどんな騒ぎも何ひとつ知る事なく眠る空気。 ウイスキーの冷たい熱がその氷を溶かし、一万年前の空気が遠い旅を終えた星の光の粒子を浴びて広がっていく。 白く浮かぶ鈴蘭の根の下にはゴカイから進化したミミズ。気の遠くなる時間の集積が当たり前のように自分の周りを取り囲む。 人の先祖が海から上がろうと決心したのも、今日のような新月、大潮の日かも知れない。地球が46億歳、ミミズが4億5千万歳、 海が9千万歳、ヒトが5百万歳。今日の誕生日で私はたったの55歳。グラスの氷が笑うように音を立てる、ピシッ、キュッ。

思わずくしゃみが出る。何処かで誰かがネリリし、キリリし、ハララしている証拠かもしれない。

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何もしない、と言うこと

何もしない、ということは実はとても難しい。何かしていないと間が持たない。気詰まりになる。で、結局やらなくてもいいことをやってしまう。 タバコなんかはその際たるもののような気がする。仕事をしながら吸う、一区切りついたらまた吸う。本を読みながら吸い、読み終わったといってまた吸う。 さあ、遊ぼうと思って吸い、終わったと思って吸う。私も18歳くらいから吸った。受験生の時は「試験にでる英単語」をタバコ片手に暗記した。 よく通った横浜の名画座「かもめ座」では、煙を吐きながら3本立てを見た(何故か怒られなかった)。 素潜りに夢中の時も、やめたほうが息が続く、と判っていて「上がった時のこの一服がね」などと言いながら吸っていた。 太気拳を始めて神宮に通い始めた時も同じ。「体力で組み手をやってもしょうがないから」などと言い訳がましく、やはりやめなかった。 漁師をやっている時も、陸に上がって仕事についてからも同じ。タバコを吸わないほうが身体にいいのは重々判っていた。 だからやめようとした事は何回かあるが、結局吸い始めた。特に酒を飲むといつも禁煙に失敗する。なんとなく間が持たない気がするからである。 居心地が悪く感じるのである。で、結局悪習に戻る。ところが、20年以上続いた喫煙の習慣が、あっという間に無くなった。11年前の春の出来事である。 11年前と言うのは何の事は無い、阪神淡路大震災の直後だったからわかるのである。毎年報道番組で、私がタバコをやめて何周年かを教えてくれる。 この地震のおかげで何年たってもこの日に一体何をしていたか、を明確に思い出せる人も多いと思う。私自身この日は仕事の関係で東京の神楽坂にいた。 昼食時のニュースで地震が起こったことを知った。最初の報道とその後の被害報道の違いに驚きながら事務所のテレビはつけっぱなしだった。 仕事は繁忙期を迎え、何とかやり繰りして日曜日の稽古の時間を捻出。無論稽古の後に仕事に行くという日もあった。 地震の報道から数日後の日曜日の朝、布団の中で目覚める。何かおかしい、と気付く。ストレスで飲みすぎ、二日酔いである。 しかし、どこかおかしい、いつもの二日酔いと違う。じっと布団の中で何がおかしいのか探る。わかった、何がおかしいのか判った。 心臓が動いていないのである!いやいや動いていないのでは無論ない。動いているのは動いている、しかしきちんと動いてくれていないのである。 途中で止まる。心臓はきちんと規則的に動いてくれないと困る。それが途中で止まる。パスする。ああ、死ぬのかな、と思った。 心臓が鼓動をパスする瞬間、身体全体が喪失感に打ちひしがれるようである。いわゆる不整脈と言うやつ。 人間こういう事態になると、日頃どんな無反省人間でも己の行状を反省する。無論私もした。酒の無茶飲み、タバコの吸い過ぎ、ついでに妻には優しく。 いままで、病気などと言うものに縁が無かったせいで、節制と言う言葉は辞典に載っている熟語、知識でしかなかった。 ああ、特にタバコはよくない、つくづく布団の中でそう思った。何とか起き出し、かろうじて稽古に顔を出す。 その日一日、無論酒・タバコなし。夜になってもまだ生きていた。 普通に生活をしていて、1日にセブンスターくらいのタバコを二箱40本、酒を飲むと4箱80本くらいは吸っていた。 その付けがその朝についに来た訳である。 で、次の朝もまだ生きていたので仕事に行く。多少心臓は聴き訳がよくなって入るものの、タバコを吸う元気は無い。 もっとも、自分で吸わなくても回りが吸ってくれるから同じようなものである。それでもそうこうするうちに三日ほど経つ。 あ、三日もタバコを吸っていないのは20年ぶり、ひょっとしたらこれを機会にやめられるか・・・。 本気で死ぬかも、と布団の中で思ってから三日、やっと建設的な考えが出てくるにしては遅い。 まあ、何事にしても改めるのに遅いという事はない、と小学校のときに教わった記憶があるのでよしとして禁煙スタートである。 以来タバコを吸っていない。何年禁煙しているかは前述の通り地震報道のテレビが教えてくれる。禁煙から一年はそれでも夢を見た。 タバコを吸いたい、と言う夢ではない。不思議と吸いたいとは思わなかった。よく見たのは吸ってしまった夢である。 何の気なしにタバコを吸う、ハッと気がついて、しまった!!である。5.6回あったろうか。 夢の中で吸って、夢の中でしまった、と思うのだから話としては完結している。 本人は余り真面目に禁煙に取り組んだつもりは無いが、それでも夢に出てくるのだから結構タブー意識はあったのだろう。 タバコをやめてよかった事はあるがいまだに不都合な事は無い。タバコを吸わないと間が持たない、とよく言う。 間が持たないときにどうすればいいか。何もしなければいいだけである。誰も間を持ってクレなどとは頼んではいないのである。 勝手に間が持たない、と思っているだけである。だったら間と向かい合っていれば良いだけである。ただ間と向かい合う。 そう、これはひょっとすると「極意」かもしれない。やる必要の無い事はやらない。ただ何もせずやり過ごす。 なんと言っても、武術と言うのは、間と向かい合うのが仕事だからである。  しかし、タバコを吸っていた頃は肺がんが心配だった。この時はタバコをやめただけで、酒をやめようとは少しも思わなかった。 だから酒は相変わらずよく飲む。当然肝臓がちょっと気にかかる。しかし、やめようとは思わない。 なぜって?酒をやめて肝臓の心配をしなくなったら、次は一体何を心配するのか、が心配だからである。

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百年の孤独

拳法に限らないが、面白いというのはどこから来るのか、と考えて見てわかった事がある。それは思いもしない事とめぐり合うから。 つい先日もそんな事があった。思いもしない事、とは昔の自分。先日、あるきっかけで昔読んだ本を読み返そう、という気になった。 本の名前は「百年の孤独」、作者はガルシア・マルケス。確か学生のときに読んだ記憶はあったが、細かくは覚えていない。 何故この本を読んだのかさえ覚えてはいなかった。本は確か実家においてある気がしたが、とりあえず図書館に行って借りる事にした。 開放書架には置いてなく、司書の方にお願いして、地下の書庫から出してもらう。 司書の方から本を受け取るとき、ハッとなった。覚えている、この装丁、色・大きさそして段組み。 思わず手にとってページを開き、本の匂いを嗅いだ。本を手に取り、ページを開いた瞬間、本の内容とは無縁に30数年前の自分を思い出した。 何故、「百年の孤独」を買いに行ったか、本屋への道すがらの照り返す陽射し、そのときの自分の考えていた事、感じていた事。 自分がこれからどうなるのか、どう生きていくのか、頼りなさとともに傲慢であった時代。 そう、この本を買いに走った頃、頭の中にこだましていた言葉、「本を捨てよ街に出よ」。 故寺山修二のシャイでありながら不遜な風貌とともにこの言葉に心を射抜かれていた。 その寺山修二がこの本に触発されて製作したフィルムがあり、それを見た直後に本を買いに走ったのだ。 どこで見たのか、どんな内容であったのかさえ定かではない。 ただ、本屋へ急ぐ時の照りつける陽射しと共に、あやふやでありながら何かを見つけようとあせっていた自分を思い出す。 その数年前にはやはり「見る前に跳べ」の言葉に頭の芯は熱を持っていたあの頃。 そんな自分の姿が「百年の孤独」の装丁・手触りとともによみがえってきたのである。 時間の経過と共にいつの間にか鈍磨して埋もれてしまっていた記憶。 それは出会った事すら忘れていた学生時代の恋人と街で偶然出会ったような気分。 時代は1960年代後半から70年初頭。成田では、空港反対運動がますます先鋭化していた。 新宿での街頭闘争は一時的に解放区を現出させ、学生街はフランスのカルチェ・ラタンを髣髴とさせていた。 中国では、後衛兵が「造反有理」を叫び、既存の文化の否定は嵐のごとくであったと聞く。そんな時代だった。 一冊の本が、変な話だが、その内容とはまるで関係なく昔の自分との出会いを引き寄せる。 面白いとはこういうことを言うのだろう。 予定して、あらかじめその結果を予見して何かをやっていると、それ以外には目を向ける事ができなくなってしまう。 これは太気拳でもおんなじ。この稽古はこのためにやっている、なんて考えると新しい発見を見落としてしまう。 人生が面白いのは、思ったとおりに行かないからで、思ったとおりに行かないからこそ、思いもしなかった事に遭遇する。 昔の恋人との出会いなど、そうあることではないが、それでも結構人生は面白い。

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お花見交流会

今年(2006年)のお花見交流会が終了。
いつも相手をしていただいている島田先生(気功会)、佐藤聖二先生(拳学研究会)のお弟子さんに加え、今年は初めて鹿志村先生 (中道会)のお弟子さんも参加してくれました。人数が多かったせいで、もっと他の道場生と組手交流をしたかった人もいたと思いますが、 自分が組手をしなくても人の組手をじっくりと見る機会が持てたのは大きな収穫だったと思います。私も2時間に及ぶみんなの組手を見て、 自分の指導に何が足りないか、それをどう埋めていくか、と言うことを考えさせられました。各道場のお弟子さんの個性と太気会道場生の 個性の違いはやはりあります。それは指導している私の個性でもあります。それでも「やはり太気拳の組手だな」と思って見ていました。 もしここに他の流派がまぎれてくると、その違いはきっと際立ってくるものだと思います。単に強い弱いと言うことで無しに、皆が当たり 前にやっていることは、そう簡単にできることではないと言うのが正直な感想。やらなくてはけないこと、守らなくてはいけないことを 各先生がきちっと指導しているのが良く見て取れました。沢井先生の拳法に対する姿勢が皆の組手にしっかりと伝わりつつあると言うことです。 勿論自分を含め足りない事だらけですが、三先生が交流の相手をしてくれていると言うことは、交流に足る道場だと思ってくれているからです。 その事に誇りを持ち、それをさらに推し進め、目標になるような太気拳の道場になっていければ良いな、と思います。 交流組手の後は慣例のお花見。自称「天下の晴れ男」を名乗る私の神通力を頼みに雨の予想をおしての強行。最後はさすがに雨がぱらついて きましたが、無事に終了に漕ぎ着けました。交流組手の緊張感とその後のお花見は格別だったと思います。普段聞けない話を各先生から聞いたり、 他道場生と稽古の情報交換をしたりと得がたい機会だったと思います。ちょっと気が早いですが、参加人数の増加に伴い年末の忘年交流会や 来年のお花見交流会は、時間や場所を少し考えなくてはいけないかな、等と考えています。まあ、それはともかくとして、三先生、そしてそれぞれ の道場生の方々、これからもよろしくお付き合い願います、本当にありがとうございました。
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月刊「秘伝」の連載内容について

月刊「秘伝」に連載中の内容を変更、組手中心の内容にすることにしました。急に変更することにしたので、担当の編集者には 申し訳ないことになりました(ご迷惑をおかけします)。しかし、どうしても書いておかなくては、という気になったのです。 雑誌にも書きましたが、きっかけはある試合。防具つきで顔面あり、というルール。組手の際の危険防止のために防具をつけたり、 あるいは寸止めにすると言うのは納得できます。武術の稽古をして強くなろう、と言うのに強くなる前に怪我をしてしまっては元も 子もないからです。うち(太気会)でも時にはヘッドギアーをつけたりもする。でも、見ていると安全のための防具があるから、 その防具に頼った組手になっている。防具をつけているから顔を殴られても大丈夫、だから顔面ノーガード。寸止めで顔面の心配が ないからやっぱり顔面ノーガード。その結果見ていると顔面にパンチが入る、入る。いくら防具をつけているからと言って、まあ、 あんなに殴られたら首が壊れる、と他人事ながら心配になってしまいます。当たるのは当たり前で、全員が顔面がら空き。 またルールで顔面なしの組手になると今度は自分に顔があるのを忘れたような様相になってしまう。もちろんこちらも顔面がら空き。 要はルールが決まるとルールに沿った稽古になり、試合になる。それだけのこと、と言ってしまっては元も子もないけれど 、感じたのはそこから見えてくる指導の有様。たぶん武術の指導と言いながら、教えているのは型と打ち方やよけ方の形。型をやって、 正拳突きやいろいろなパターンの稽古をして移動をやって、後の組手はそれぞれのやりたい様にやりなさい、と言う指導なんだろうなと思う。 だけどそれは「武術」を教えてるんではなく、「技術」を教えてるだけだと思う。組手が即実戦的というわけではないけれど、それでも 避けて通れないのは当たり前。だからこそ組手でどんなことに注意して、何をするべきなのかを教えなければ行けないはず。なのにその 一番大事なことを教えていない。あるいは知らない人間が指導している。一番大事なこととは、別にどう打つとかどう受けるなんていう ことではないと思う。そんなことよりもっと基本的なこと。組手でやらなければいけない事とやってはいけない事。それをまずはっきり とした上で組手をやらせないと、いくら痛い思いをしても一向に強くなれない。強くなるのは元々身体能力の高いものだけ、と言うこと になってしまう。連載の最初にも書いておいたけれど、一例を挙げれば、構えのこと。どんな試合を見てもみんなどういう訳か顔面がら空き。 お互いに顔面がら空きで、お互いに顔面を狙っているのだからお互い様と言えばお互い様。みんな痛い思いをしているはずなのにそこに何の 工夫も無いようだ。少しは顔を守る工夫をしたら、と思うんだけど。(まあ、自分の顔が大事じゃない人は良いけれど)では、どうすれば いいかと言えば簡単、手を顔の前に持ってくれば良いだけ。たったそれだけの事で顔面が守れるのにそれすら工夫しない。だからみんな顔面に パンチが入る。当たり前。空いているから入る。空いてなければ入らない。コレも当たり前だと思うんだけど。打つことは出来ても守れない。 守る事が出来ずに打つ稽古ばかりと言うのでは、まるでもぐらたたきと同じ、もぐらたたきの叩き合い。お互いに的をさらしての叩きあいです。 武術と言うものは戦いに勝つための術であるけれど、戦うのは自分を守るためのはず。守る必要がなければ戦う必要もないはず。それなのに その自分を守る、自己保存と言う一番の基本を忘れて、攻める事ばかりやるのは本末転倒もはなはだしいと思うね。それでは自分自身が消耗品に なってしまう。武術は使い捨ての兵士を育てるためのものではないはず。と、まあ、気張っている訳ではないけれど、思った。そこで考えてみたら、 こう来たらこう打つとか言う技術的なことに関してはいろんな本にも書いてあるけれど、実際の組手のやり方、について書いてあるものがない。 経験で覚えなさい、と言うことなのだろう。でも、どうも先に書いた顔面のように、経験しても覚えないようなので、自分の経験と沢井先生に 注意された事を合わせて書いておこうと言うわけです。組手の関していろんな人がいろんなことを言ってますが、なかには本当に無茶なことを 言っているのもあります。あるいは無茶なことが常識になっているのもあります。そういった事を、違うのは違う、ダメはダメと言っていこう と思います。先程武術は戦いに勝つための技術と書いたけれど、組手は技術ではなくて、言って見れば「芸」。人と向かい合っての即興芸とも 言えるかもしれない。そう考えると前述した大会で見たのは「芸」の無い組手ということになる。で、これからの連載は「芸談」と言うことに なるのかもしれません。
この「閑話休題」、ほんとは太気拳や武術と関係ない事をいろいろ書いていこうと思ったのですが、やはり最初はこんな内容になってしまいました。 次からは脱武術で行こうと思っていますが、さて、太気拳しか取り柄がないのに、ほんとに書けるかな、とも思っています。