何もしない、ということは実はとても難しい。何かしていないと間が持たない。気詰まりになる。で、結局やらなくてもいいことをやってしまう。 タバコなんかはその際たるもののような気がする。仕事をしながら吸う、一区切りついたらまた吸う。本を読みながら吸い、読み終わったといってまた吸う。 さあ、遊ぼうと思って吸い、終わったと思って吸う。私も18歳くらいから吸った。受験生の時は「試験にでる英単語」をタバコ片手に暗記した。 よく通った横浜の名画座「かもめ座」では、煙を吐きながら3本立てを見た(何故か怒られなかった)。 素潜りに夢中の時も、やめたほうが息が続く、と判っていて「上がった時のこの一服がね」などと言いながら吸っていた。 太気拳を始めて神宮に通い始めた時も同じ。「体力で組み手をやってもしょうがないから」などと言い訳がましく、やはりやめなかった。 漁師をやっている時も、陸に上がって仕事についてからも同じ。タバコを吸わないほうが身体にいいのは重々判っていた。 だからやめようとした事は何回かあるが、結局吸い始めた。特に酒を飲むといつも禁煙に失敗する。なんとなく間が持たない気がするからである。 居心地が悪く感じるのである。で、結局悪習に戻る。ところが、20年以上続いた喫煙の習慣が、あっという間に無くなった。11年前の春の出来事である。 11年前と言うのは何の事は無い、阪神淡路大震災の直後だったからわかるのである。毎年報道番組で、私がタバコをやめて何周年かを教えてくれる。 この地震のおかげで何年たってもこの日に一体何をしていたか、を明確に思い出せる人も多いと思う。私自身この日は仕事の関係で東京の神楽坂にいた。 昼食時のニュースで地震が起こったことを知った。最初の報道とその後の被害報道の違いに驚きながら事務所のテレビはつけっぱなしだった。 仕事は繁忙期を迎え、何とかやり繰りして日曜日の稽古の時間を捻出。無論稽古の後に仕事に行くという日もあった。 地震の報道から数日後の日曜日の朝、布団の中で目覚める。何かおかしい、と気付く。ストレスで飲みすぎ、二日酔いである。 しかし、どこかおかしい、いつもの二日酔いと違う。じっと布団の中で何がおかしいのか探る。わかった、何がおかしいのか判った。 心臓が動いていないのである!いやいや動いていないのでは無論ない。動いているのは動いている、しかしきちんと動いてくれていないのである。 途中で止まる。心臓はきちんと規則的に動いてくれないと困る。それが途中で止まる。パスする。ああ、死ぬのかな、と思った。 心臓が鼓動をパスする瞬間、身体全体が喪失感に打ちひしがれるようである。いわゆる不整脈と言うやつ。 人間こういう事態になると、日頃どんな無反省人間でも己の行状を反省する。無論私もした。酒の無茶飲み、タバコの吸い過ぎ、ついでに妻には優しく。 いままで、病気などと言うものに縁が無かったせいで、節制と言う言葉は辞典に載っている熟語、知識でしかなかった。 ああ、特にタバコはよくない、つくづく布団の中でそう思った。何とか起き出し、かろうじて稽古に顔を出す。 その日一日、無論酒・タバコなし。夜になってもまだ生きていた。 普通に生活をしていて、1日にセブンスターくらいのタバコを二箱40本、酒を飲むと4箱80本くらいは吸っていた。 その付けがその朝についに来た訳である。 で、次の朝もまだ生きていたので仕事に行く。多少心臓は聴き訳がよくなって入るものの、タバコを吸う元気は無い。 もっとも、自分で吸わなくても回りが吸ってくれるから同じようなものである。それでもそうこうするうちに三日ほど経つ。 あ、三日もタバコを吸っていないのは20年ぶり、ひょっとしたらこれを機会にやめられるか・・・。 本気で死ぬかも、と布団の中で思ってから三日、やっと建設的な考えが出てくるにしては遅い。 まあ、何事にしても改めるのに遅いという事はない、と小学校のときに教わった記憶があるのでよしとして禁煙スタートである。 以来タバコを吸っていない。何年禁煙しているかは前述の通り地震報道のテレビが教えてくれる。禁煙から一年はそれでも夢を見た。 タバコを吸いたい、と言う夢ではない。不思議と吸いたいとは思わなかった。よく見たのは吸ってしまった夢である。 何の気なしにタバコを吸う、ハッと気がついて、しまった!!である。5.6回あったろうか。 夢の中で吸って、夢の中でしまった、と思うのだから話としては完結している。 本人は余り真面目に禁煙に取り組んだつもりは無いが、それでも夢に出てくるのだから結構タブー意識はあったのだろう。 タバコをやめてよかった事はあるがいまだに不都合な事は無い。タバコを吸わないと間が持たない、とよく言う。 間が持たないときにどうすればいいか。何もしなければいいだけである。誰も間を持ってクレなどとは頼んではいないのである。 勝手に間が持たない、と思っているだけである。だったら間と向かい合っていれば良いだけである。ただ間と向かい合う。 そう、これはひょっとすると「極意」かもしれない。やる必要の無い事はやらない。ただ何もせずやり過ごす。 なんと言っても、武術と言うのは、間と向かい合うのが仕事だからである。 しかし、タバコを吸っていた頃は肺がんが心配だった。この時はタバコをやめただけで、酒をやめようとは少しも思わなかった。 だから酒は相変わらずよく飲む。当然肝臓がちょっと気にかかる。しかし、やめようとは思わない。 なぜって?酒をやめて肝臓の心配をしなくなったら、次は一体何を心配するのか、が心配だからである。
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