カテゴリー
天野敏のテクスト 閑話休題

体育祭

先日中学生の娘の体育祭を見に行った。普通は土曜日か日曜にやる、そうすると私は稽古があるので見にいけない。 たまたま雨のために延びたおかげで行くことが出来たわけである。特に何を見たいと思っていたわけではない。 しかし、行ってみるとこれが結構面白い。雨上がりの朝、子どもたちが精一杯に頑張って走る、走る。 一年生くらいはまだそれほどでもないが、2年3年と上がっていくに従って、迫力が出てくる。 リレーや短距離走はそれこそ地響きを立てて走ってくる。部活で運動をしている子も、あるいはそうで無い子も皆等しく力強く軽快、まさに翔ぶが如く躍動。 若いということが輝き、生命が光る。がり勉の子もちょっと悪ぶっている子も流す汗は同じように光り、まっすぐに笑い悔しがる。 育っていって欲しい、まっすぐに育って言って欲しいとそう思う。自分が今までしたどんな苦労も悔しさも、 あるいは悲しさも何一つ知ることなく彼らが育っていったらどんなに素晴らしいか。もちろんそんなことが出来るわけも無いけれど、 親の気持ちは大体そんなところだろう。彼らから感じるのは生命の勢いもあるけれど、もう一つ感心するのは自由さである。 もちろん日常の中で色々規則に縛られて、と彼らは言うに違いない。ところがあの場、あの瞬間にはそんな束縛は何処かに消えてなくなり、 彼らに一瞬光り輝く自由が宿る。この伸びやかさが貴重なものだとまだ彼らは気がつかない。自らの瞬間を楽しむ自由。 この歓びを彼らに失って欲しくない。それを失う時に彼らは同時に創造力も失う。社会に出て生活をしていくということは、同時に束縛に絡め取られていくことでもある。 しかし、そんな中でも創造的でさえあれば、自分を失わずにすむかもしれないと思う。自由の、そして創造力の宿るような人に育てよ、と心底思う。

しかし、地響きを立てて走り回る子どもを見て、もうこの子には腕力では勝てないなと思ったお父さんも結構居たはず。 人生上り坂の子どもたち、片やそろそろ停滞あるいは下り坂のお父さん・お母さん。 5月にも関わらず強い日差しの中、ビデオ片手に笑顔で声援を送りながら結構感慨にふけってる人も居たんじゃあないでしょうか。