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メールQ&A 天野敏のテクスト

肩甲骨の感覚

Q:
Ebook「中年から始める~」を購入したHです。
本当にわかりやすいDVDで大変満足しています。
毎日やっていて最近ではそれなりにそれっぽくなってきたかな~?と思ったりもします^^;

一ヶ月位で体質が変わってきたのかそれまで朝目が覚めると腰がイテテテとか言いながら起床していたのですが朝目が覚めて腰が痛いのがなくなってきました^^

さて質問なのですが
自分は肩、というか肩甲骨の感覚に疑問を感じています。
確かDVDでは肩は上がらないで、自然な感じにストンと落ちているような感覚だったと思いますが、どうも自分はしっくりこないような感じがして上ではなく、肩甲骨を前方に出すというか左右に広げるような感覚で立っています。
こっちの方が自然に腹式呼吸になるし、具合がいいと思ってやっておりますが、間違っていますでしょうか?

感じとか感覚とかイマイチ具体的な質問でなくてすみません

自分が飽きずに取り組めているのはなにより天野先生が音声特典でおっしゃっていた
「みんな何か正解があってそれをしなくてはいけないと思っているみたいだけど、そうでなくてそれぞれの感覚で正解(の様なもの)を見つけていく過程が修行なのです(うろ覚えです^^;)」
という言葉があったからです。

質問者 H

A:
H様
メール拝見しました。

立禅を組んで体質が変わってきたとの事。
良かったですね。
私としては、現在何の失調も無く健康でいるのはやはり立禅を含む稽古のせいだと思っています。
ただ、正直言って、何かが治ったと言うのではなく、健康を維持できているということは、
逆に言えば何もしなくても同じだったんじゃないの、と突っ込まれても何も言えないのが辛いところです。

しかし、弟子に聞いても、肩こりや頭痛が治ったりアレルギーが治ったりしているようです。
私は医者ではないので、こう言った効能があるなどとは言えません。
でも、身体が整うと言うのは実感ですから、そのせいで回復力が大きくなるのかもしれません。

さて肩、特に肩甲骨辺りに関しての質問。
ここら辺は言葉でなかなか言い表せないところですが、多分良いんじゃないかと思います。
確かに肩甲骨を左右に広げている感じです。
もうちょっとすると肩甲骨の下側が外に張り出すようになるかもしれません。
まあ、そうなれば今度は肩の上にくぼみができます。
そうすると肩が身体と繋がる、と言うか肩がきっちりとはまります。
そうなると今度は肘を上から抑えても、或いは下から押し上げようとしても動かなくなります。

肩が決まる、と言う事は首がきっちりとする、と言う事でもあります。
肩関節は頚骨と相対的な位置関係にあるからです。
つまり上体の姿勢が決まる、と言う事になります。

また自然に腹式になる、と言う事ですから背中の緊張も取れ、緩んできているのだと思います。
そのせいで腰痛が治まったのではないかと思います。
ここら辺は稽古のとき以外にも、日常生活でも気がついたら緩めると良い結果が出ると思います。

質問に対する答えで、私は「正しい」とは書けません。
何故なら、私自身「正しい」を探している最中ですから。

でも、Hさんは以前より「より良くなっている」と言えると思います。
これからももっと「より良く」なる様に稽古してください。

武術は正直言って言葉で表現できない事を伝えようとしているわけです。
だからどうしても感じとか感覚に頼ります。
でも、大事なのはそんな自分の感性を信じていけるようになることだと思います。
だって、人の言葉を「理解」したと思うのも自分の感性しかないからです。

答えになっていないかもしれませんが、間違った方向に行っている、と言う事はないと思います。
また疑問ができたらメールしてください。
楽しみにしています。

太気会 天野

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立禅における足指について

Q:
天野先生の今度のDVDはとても分かりやすく個人で稽古する身の励みになります。

私の勉強不足かも知れませんが、以前より疑問に思っていた事が有りました。
立禅をするときの踵についてですが、今回テニスボールを・・・という解説が有ってようやく何とか(頭でですが)イメージ出来るように成りました。
昔、日貿出版を読んだり色んな雑誌の記事を読んだ時は踵を上げてと書いて有りましたが、天野先生のビデオでは踵を上げろとは言われてなかったので、その辺のところがいま一つ疑問でした。

今回のDVDで自分が今まで踵をまるで靴底のごとく踏んでいるだけだったと気付かされました。
そして今度は単に踵を上げているよりは難しいです。未だ足へのストレスが感覚の大部分を占めてしまっていてなかなか先へ行きません。

そこで一つ質問させて頂きたく思います。
足指で地面を掴む感覚についてですが、そうしようとすると気持ち小指側が浮く感じに成ります
小指側もしっかり掴もうとするとどうしても、膝が開いて来て蟹股に成る感じがします。
そこでいつもは足の親指と人差し指のラインがメインに成って立つ感じで小指側は紙一重触る程度の感じです。また此の方が地面から立ち上がっていく感じがするのですが、これで良いでしょうか?

或いはこれはまだ自分の足が固いからで、五本の指全部着いた上で膝を閉じて行くようにした方が良いのでしょうか?

質問者 A

A:
メール拝見しました。

立禅のときの足指についての質問、これはとっても大事なところです。

結論から言うと、Aさんのやっているような感じでいいと思います。
体重は親指の内側とその付け根に一番かかります。
小指の方はわずかに指で掴む感覚を失うことはありませんが、接地するかしないか、と言うくらいです。
そして土踏まずと足首が適度に緊張し、膝から下が弾力を持っているような感じです。
もちろん蟹股はいただけません。

普通の立ち方だと、このような重心の置き方だとどうしてもお尻が後ろにいってしまいがちです。
つまり腰が引きがちになり、その分肩や頭が前に出る、と言った具合です。
そうならないように気をつけて立ってください。
よく言われることですが「天井からぶら下がっているような」感じをつかめるように工夫してください。
場合によっては、骨盤を前に押し出すくらいの方がまっすぐに立てることもあります。

立禅をしている時は、ちょっとした重心の変化でも大冒険をしているような感覚です。
自分の身体ですから、いくら大冒険をしてみてください。
膝曲げる深さ、骨盤の傾斜角度、背骨の緩め方、或いは肩の調整。
いろいろな要素がありますから、立禅は組んでいて本当に飽きない稽古です。

それから、時には呼吸についても注意を払ってみてください。
いわゆる呼吸法という奴です。
ちょっと蛇足ですが、これについて書いておきます。

腹式呼吸をしろ、とかそういう事ではありません。
ジッと立っている時に、何処が動いて呼吸しているのかを探ってみてください。

姿勢が定まると、呼吸も定まってくるものです。
そうするとお腹が緩やかに動いて呼吸するのがわかります。
呼吸は姿勢を知る時のひとつの大きな目安になります。

いろいろ呼吸法と言うのがあります。
腹式呼吸が良いとか、地面を吸い上げるようにとか言うやつです。
それはそれで良いですが、だいたいは皆意識的に呼吸する方法です。
そうではなく、呼吸は姿勢によって変わってくるものです。

つまり呼吸は姿勢の結果です。

良い姿勢になれば自然に緩やかな腹式呼吸になってきます。
肩や胸がくつろいで、お腹が緩やかに呼吸する。
そうすると、心臓が力強く鼓動しているのが感じられます。
そういうところにも気を配れると、立禅の楽しみが増えると思います。

なかなか立禅というのは一筋縄ではいきませんが、だから面白いのかもしれません。
正解に行き着けるかどうか判りませんが、少なくともより良い立禅が組めるように、一緒に禅を組んでいきましょう。

太気会 天野

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這いは踵からかつま先からか

Q:
始めまして質問があります。這いの際の踏み出す足の踵は太極拳のように、踵から入るのでしょうか?佐藤嘉道先生のセミナーでの雑誌の特集では、この部分が大切と言われていましたが、島田道男先生、廬山師範、天野先生のDVDでは、つま先から進むように写っていますがどちらが正しいのでしょうか?教えて頂ければ幸いです。

愛媛県 K 

A:
メール拝見しました。

這い、つまり歩法ですね。
這いの稽古をする時に最初に床に着くのは爪先か踵のどちらが先に着くのが正しいのか、と言う質問。
本当を言うと、それを考えるのが稽古です。
まあ、そう言ってしまうと実も蓋もありませんが・・・。

でも、本当の答えはこの実も蓋もないのが答えだし、稽古と言う事です。
稽古ってどういうことか、と言うと何でこんな稽古をさせられるのか、これに何の意味があるのか。
この稽古は本当に役に立つのか、を常に自分に問いかけ続けることを言います。
これが正しいやり方です、ともし僕が言ったら、そうかそうだったのか、と納得するのでしょうか。
それで簡単に納得するのだったら、多分稽古はあまり進みません。

先生はこう言ったけど、ホントだろうか。
先生だって間違うことだってあるし、いつも正しいわけじゃない、
そう考えながら、自分で答えを探していくのが稽古です。
いやいや、そうじゃなく「正しい」答えってのは本当にあるんだろうか。
なんていうことを自問自答するからこそ、答えが見つかったと思った時に嬉しいんです。
疑問に思うって事は「府に落ちない」って言う事。
それが稽古を続けてると「腑に落ちる」瞬間がある。
「ああ、そうだったんだ」と、これが面白い。
これがあるから、私も今まで続けて来れたんだと思います。
稽古に方法に疑問を持つ、これが稽古の第一歩。
K君、これからが始まりです。

とまあ、ここまで書いたのは本当にそう思ってるんですが、これではせっかくメールを書いた甲斐がない。
と言う事で、這いに関して書いておきます。

這いは何の稽古か、と言うと歩法の稽古です。
勿論それだけにとどまりません、他にもいろいろな見方で語る事は出来ます。
でもそうなると、太気拳の稽古全般について話す事になるので、此処では歩法ということに絞って書きます。

問題は爪先が先か踵が先か、という形や格好の問題ではありません。
何で歩法の稽古なんてやるのか、という事から考えはじめないと間違えます。
だって、歩くのは子供の頃から歩いてるんだから、何で今更稽古なんてするのか、です。
日常の歩くと違う歩法って言うのはどんなものかを考えるところからはじめます。
太気拳でどういう動きをしようと思うのか、です。

まず大事なのは、瞬間的に歩法を変化させて身体を転換できること。
そして、動きに力が満ちて力強い事、つまり脚ではなく腰の力が生きている事。
三つ目はバランスが崩れない事。

大まかに言って、この三つが歩法には求められるということです。
この三つを兼ね備えた形が良い、ということになります。
この三つを満たした動きは別に太気拳の専売特許という訳ではありません。
すぐ身近にあります。
ひょっとすると、K君も経験してるかもしれません。

それは何かって言うと、スケートです。
スケートの体重移動、脚を置く位置、腰の力強さは這いと非常によく似ていると思います。
勿論、姿勢やその他競技の性格があるから違うところはいっぱいありますが・・・。

スケートでは、両足では滑りません、常に左右の脚が入れ替わって常に片足です。
体重を支えるのは勿論脚ですが、それ以上に腰で全体重を支えます。
そして常に両足が自分の中心にあってバランスが保たれています。
つまりイメージとしては、スケートを滑る感覚で這いをやります。

そうすると、すぐわかります。
スケートでは、ブレードが着くのは踵からでも爪先からでもありません。
ブレード全体が着氷しないと転びます。
そしてブレードが着氷した瞬間に重心が左から右に、或いは逆に転換します。
脚の踏み出す方向と、身体の方向も勿論一致します。
それにつれて身体の、つまり肩の方向も自然に変化します。

ということで、答えとしては踵と爪先が同時に着くような感じです。
そうすれば自ずと腰の高さも定まってきますし、歩幅も一定になってくるものです。
身体の変化の基となる体重移動も瞬時に出来ます。
勿論実際に組み手などをすれば、様々に変化しますが、基本的には爪先踵の両方が同時につくようにして体重を腰・お尻でしっかりと受け止める。
決して両足で踏ん張ることなく、左足と右足の間を重心が素早く転換できるようにする事。

ここら辺が大事なところだと思います。
稽古にはいろいろな形があります。
ですが形に意味があるのではありません。
形を通して形を生み出した目的や質を見つけるためです。
それを見つけるのは、単に機械的に繰り返しても効果は十分ではありません。
考える、一人稽古をしながら考える、終わってから考える。
組み手などの対人稽古をして試してみる、何で上手くいかなかったか、何で上手くいったか、を考える。
それを何回も繰り返して変わっていく。

稽古は繰り返しではなく、そのつど新しい経験を積み重ねていくものです。
生きている稽古って言うのは、新しい体験がいつもあります。
疑問があって、工夫があって、答えがあって、そしてまたそれが疑問の種になって新しい工夫になっていく。
その経験の積み重ねが少しずつ成長を促します。

生きていくって言う事が、経験を重ねていくって言う事だ、と言うのと同じだと思います。
「腑に落ちない」をどんどん見つけて、考えて、工夫して頑張ってください。

太気会 天野

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動くとしっくりこない

Q:
天野先生、以前は「稽古の順番」のことについて、丁寧にお答えいただき、ありがとうございました。
その後、メールにも励まされ、先生の書籍、DVDなどを参考にしながら、毎日の生活の中に太気拳を取り入れて過ごしております。

立禅をしていて、腰を滑らせる感じがつかめてきたのか、上体の力を緩めることが依然よりはできるようになってきました。這の時にもこの感覚を取り入れることで、歩幅が狭くとも、足にじっくりと力を乗せることができてきたように思います。
ですが、練に取り入れようとすると、特にゆっくりと動こうとすると、腰の前後の動きが目立つようになり、どこかしっくりきません。まだ、半年足らずの経験しかないので、「腰を滑らす」ということの捉え自体が間違っているのかな…と疑問もあります。
腰を低くするなどの動きと絡めるとなおさらです。
腰の動き自体に着目し、固執してしまうことは、全体的なバランスを考える上でいかがなものなのでしょうか?
すごく、漠然とした質問になってしまいましたが、お答いただければありがたいです。

質問者S

A:
なかなか答えにくい質問ですね。

でも、これを立禅がなんとなくしっくり立てるようになってきたけれど、動くとおかしくなる、っていう風に考えると良く判る気がします。
立禅で立つ事は、文字通り立つだけ。
だから気持ちもここにいる。
ところが動こうとすると、気持ちも動く。
当たり前だけど、前に行こうとすると気持ちも前に行く。
気持ちが前に行こうとすると、実は頭や顔が一番先に前に行こうとして前傾になる。
これは自分でもわからないくらいの変化だけれど、その瞬間に立禅の時のバランスが崩れる。
みんなこうなるようです。

でも、ここに注意しなければいけません。
動いても立禅のときのバランスを崩さずに動く。
ここが大事です。
立禅の感じを失わずに這いや練りをやれるようにする。
そうすると今度は同じように対人練習の時に前傾になる。
その時にもそれを立禅の状態の戻すように修復する。
その繰り返しで少しずつ姿勢が整うようになってきます。

どうしても人は気持ちが前にいくと前傾してしまうもの。
頭が先にいって腰が遅れ前傾になる。
そういうものです。
だからこそ立禅で整った状態を知る必要があるのではないかと思います。

動く時には、腰が少し先に行き過ぎ、と思うくらいでちょうどいいくらいです。
最初は少し後傾してるんじゃないか、という位でちょうど良いかもしれません。
腰を落とせば落とすほど、前傾しがちですがそこで姿勢を崩さないように注意が必要。

腰を落とす時に、腰を折らずに臍をへこませるような感じで立つ。これが大事です。
お尻を突き出さないで、骨盤を後傾させる感じです。
そうすることで、下腹に力が入ります。
その上で、胸をわずかに張る感じで姿勢を工夫しください。

ここら辺はとても微妙なところですが、大事なところです。
動く時には、常に腰が先に行く感じです。
そうすると、動いている自分を客観的に観察できるような気分になります。
姿勢が気分を作ってくれます。

なんとなく当たり前のように普段の姿勢になりがちですが、それでは稽古した甲斐がありません。
ちょっとした姿勢の変化で、気持ちががらっと変化してしまうものです。
そこを探して見るのが稽古です。

姿勢で大事な事は二つです。
臍のあたりをを棒で突かれたような感じでへこます。
これがひとつ。
次にお尻の筋肉、大臀筋をきゅっと締められるようにすること。
これらを守れる姿勢を保つ事。
これらを動いても守りきること。

よく武術の本などで、姿勢について丹田を守る、とか肛門を引き上げるように立つ、とか何とかの一つ覚えのように書いてあります。
他に書きようが無いのか、と思いますが、多分書いている本人もわからないからどこかからの孫引きで書いているのでしょう。
でも、今書いた二つが、これがその要領です。
下腹にぐっと力が入るような姿勢を、この二つの注意点に留意して工夫してください。

正しい姿勢を探る、求める。
これは本当に大事な事です。
ひょっとすると、太気拳はここに尽きるかも知れません。

頑張ってください。

太気会 天野

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立禅が続かない

Q:
久しぶりにメールします。立禅を始めて約半年になりますが、持続時間が伸びなくて、悩んでいます。長く出来る方は2時間・3時間と出来ると聞いてます。
自分は連続で2分しか続きません。自分で探す・中年からはじめる本物の中国武術のDVDを何度も見直して立禅をやっていますが時々違う感覚になります。
長く持続できなければ効果は薄いのでしょうか? また、足首の力で物を挟むようにするを続けていると、足の小指の拳骨付近が痛くなってきました。
時間が続かない理由は前方に傾いてバランスを崩してしまうのと、足首のアキレス腱が痛くてやばい!と思って中断してしまう事です。天野先生はいつも同じ感覚で立禅を組めていますか?また、アキレス腱は痛くなりますか?・・・
天野先生は愚直に稽古すれば裏切らないとおっしゃりましたが不安になってきたのでまた我慢出来ずに質問させて頂く事をお許しください。
私は天野先生のもとに行きたくても行けない身分なのでこれからもくだらない・小さな事を質問をさせてよろしいでしょうか?

北海道YS

A:
さて、立禅が続かないとのこと。

いろいろ理由はあると思いますが、足の小指が痛くなるなら、痛くならないように力の具合を工夫する。
またアキレス腱が痛くなってやばいと書いてありますが、痛くなってなんかやばい事ががあるんでしょうか。
それから前方に傾いてバランスを崩してしまうのならそうならないようにする。
そういう工夫が稽古です。

立禅を組むと最初は痛いところだらけ。
何故なら立つことと向かい合ったことがないから、立ち方が判らない。
だから各所が痛む。

身体が痛いという信号を発して、今の立ち方が不十分だと知らせてくれてるわけです。
なら、その信号が出てこないような工夫をする。
だから徐々に痛くない立ち方を見つけるし、その繰り返しで身体が整う。
必要な筋肉もできてくる。

大事なのは形を守って工夫することです。

まずは痛くても、ヤバイと思っても5分立つ事を目標にしてください。
晩御飯のことでも考えていれば、5分なんてあっという間です。

太気会 天野

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稽古の順番、時間帯

Q:
天野先生、「中年から始める本物の中国拳法」大変参考になりました。私のように地方に住むものにとっては、DVD等の資料は、貴重な学習元となります。
「体力がなくなったからこそ、気付く強さというものがある」という言葉は、目から鱗が落ちるとともに、大変勇気づけられる言葉でありました。現在学んでいる太氣拳の稽古を振り返り、今後も、一つ一つ考えながら進みたいと思います。

さて、そこで質問があります。

それは、稽古の順番のことです。
太氣拳の稽古は、立禅→揺→這→練という順番に進んでいくと教えられ、現在基本的には、その順番で励んでいます。
しかし、仕事の都合により時間がなかなかとれず、この通りに進めることができないことがあります。体を緩める、自分の体に気付くということが大切だということは分かってきました。そのための稽古の順番でもあると思います。ですが、時間によっては、這のみ、練のみの稽古日ということがあっても構わないものなのでしょうか?
また、稽古の時間帯としては、夜よりはやはり早朝の方がよいものでしょうか?
はじめて2か月程の初心者ですので、本質を分かっていない稚拙な質問であるとは思います。
ですが、どんなに仕事が忙しくとも、生活の中に、自分なりにできるだけ正しく、質の良い稽古を取り入れ、積み重ねていきたいと思っております。
お答いただければうれしいです。

質問者 S

A:メール拝見しました。
私もこのようなメールを頂くと、書いた甲斐があったと勇気付けられます。
頑張って稽古を続けてください。
稽古は裏切りません。

さて、質問にある稽古の順番です。
基本的にはやはり立禅から始まって順序だててやるのが一番だと思います。

何故か、というとそれにも理由があります。
立禅のように静的な稽古が一番身体を整えやすいからです。
稽古で一番大事なのは自分と向き合うこと。

では自分と向き合うと言葉で言うのは簡単ですが、一体どういう自分と向き合うのか。

それは普通の生活では見えてこない自分です。
これも別に難しいことではありません。

例えばの話し、自分の見えない部分ということで背中を例にとっても良いです。
皆さんは自分の背中の動きを感じ取れるでしょうか。
多分、背中を意識することは殆どないのが実際の生活だと思います。
何故なら見えないからです。
人は見えないものは無いものとして生活します。
だから生活の中で背中の変化や動きを感じ取れない。
試しに肩甲骨を動かせる人が、一体何人いるでしょうか。
あるいは肩甲骨を動かす、という発想すら持てないのが普通かもしれません。

ところが静的なところで身体が整える、つまり自分の身体と向かい合うということですが。
そうすると普段見えないところが感じられる。
ここでいえば肩甲骨とその周囲の神経や筋肉の動きが感じられる。
だから骨格として肩甲骨も操れる、ということになります。
まあ、肩甲骨は例ですから、これが動かせれば良いとかそういうことではありませんが・・・。

つまり、ここで言いたいのは静的な稽古で感じられたことが大事という事。
そして今度は動的な稽古、揺りや這い、練りといった稽古でもその感じられたことを失わずに動けるか、ということが課題になるということです。

動けば身体が受け取る情報量は飛躍的に増えます。
その中でも、ただ立っているときのように自分と向き合って、同じことを感じ取りながら動けるようにする。
 
つまり、静的な質を動的な稽古でも失わないように稽古する。
だから稽古の最初には、やはり立禅から始めるのが一番。

とまあ、これは話としては筋道は通っていますが、そう行かないのが普段の生活。
稽古の為に生きているわけではないですから、そんな杓子定規なことを言っても始まりません。
大事なことは、そのときその場でできる稽古をするといことです。

私自身、稽古で途中を飛ばしたりはしょったりします、あるいは立禅しか組まなかったりと色々です。
稽古を続けていればその時その時で課題が違ってきます。
そういうものです。

結論です。
基本は基本、立禅から始めるのが最良。
でも、ケース・バイ・ケースでも別に問題ありません。

できる時にできる物を、これで良いと思います。
太気拳の稽古は、どの稽古もみんな一つの方向を向いています。

それを見つけるのも面白いものです。

太気会 天野

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「空間」を意識した時に推手で気をつけなければならないことは何か

Q:
早速の丁寧なご回答、ありがとうございます。
その後、先生のお返事を元によく考えて、その結果を稽古で試してみました。

相手と接触した後前に出ると、剣道の場合には間が詰まり過ぎ、つばぜり合いからの技か返し胴のような形でなければ打てないように思われます。むしろ、技を出し合う前の剣先での攻め合いの方が「空間を奪う」という状態に近いように感じられました。これまで、剣先の争いは、「中心を取る」という感覚が中心で、私は「点」や「線」のようにイメージしていました。
「相手の竹刀を中心から押し出して、自分の竹刀が中心を取る」「相手の竹刀が強ければ、反対から中心を取る」というような感覚です。相手も同じことを意図しているので、なかなか簡単には取れず、無理をすると崩れてしまって、逆に打たれるという事態も起こります。
しかし、先生のお話を元に「作業スペース」という感覚を意識すると、新しい展開が期待できるように思われます。今はよくわかりませんが、研究したいと思います。

一方、剣先での空間の奪い合いの状態は、太気拳の推手の状態に近いようにも感じられます。「空間」を意識した時に、推手で気をつけなければならないことは何なのでしょうか。
お教え頂ければ、幸いです。

福岡 N

A:
「相手と接触した後前に出ると、剣道の場合には間が詰まり過ぎ」とあります。
そうです、組み手でも同様のことが起こります。

まず、これは当たり前のことだと思ってください。
これを嫌がってはいけません。
もし人が嫌がるのなら、これこそ一番工夫し甲斐のあるところかもしれません。
前回も書きましたが、私の打つ間合いは非常に近い。
いや、私が近いのではなく、皆遠いところで打つことしか知らないのだと思います。
相手の中に入ったところ、実は此処が一番安全なのを皆知らないのです。
一番よいところを知らないのではと思います。

自分が前に出る、相手が下がれば良いですがそうでなければ間合いがつまり、空間がせばまる。
これを恐れてはいけないと思います。
その時に前に出る力がものをいいます。
組み手でも、鍔迫り合いのようになりますが、大事なのはその時に触れ合ったまま相手の重心を奪えるかどうかです。
相手も崩れていいない、こちらも同じ。
触れ合った瞬間にそうなっては五分五分です。
そこで五分になっては前に出る意味がありません。
触れ合った瞬間に相手に圧力が自分より上かそれとも下か、それを感じ取ることが大事です。
これはくり返し相手とぶつかって身体で覚えるよりありません。
太気ではそれを推手や組み手でやります。
そして相手をそれこそ力で押しつぶせると感じたら、腰を思い切りぶつける様にして相手の空間を潰します。
力で潰せるときに、技なんていりません。

否、それを瞬間に判断できる出来ないが、それこそ技と言うものの本質と言うものです。

相手が前を向いていられないようなくらいにして始末を付けます。相手の力によって、その時にそのままか、あるいは相手の中心をちょっと左右に振ってから前の出ます。
もし、相手の圧力が強くて力でいけないとその瞬間に判断したら、引くかあるいは左右に変化します。
これも真っ直ぐに引いたりしてはやられます。
その加減は言葉では無理です。
くり返し言いますが、それを判断できる出来ないが技です。
技は形ではありません。

しかし、どちらにしても自分の力がしっかりと前に出ていることが大事です。

良く中国拳法と名乗る人が推手をやっているのを見ることがありますが、殆どはただ手を合わせているだけ。
大事なのは自分の力(腕力だけではありません)が相手に対して真っ直ぐに向かっていることが第一番です。
それがない推手は何の意味もありません。
接点を通じて相手の中心に迫る力を探す。
それが大事です。
相手を押しつぶす力が基本にあってこその変化です。

剣道は良くわかりませんが、良くテレビで見ると鍔迫り合いからどちらかが引き際に胴や面をとるようです。
つまり下がれば圧力から逃れられるのでしょうか。

推手では相手が圧力に負けて下がればそのまま、それこそ相撲の押し出しのように壁まで間髪入れずに持って行きます。
相手を打つのはその後でも十分間に合います。
こちらに圧力があれば、下がって竹刀を振るう暇は無いように思えるのですが。
相手が接点から力を抜いて変化しようとした瞬間こそ狙い目です。
接点は推手では腕、鍔迫り合いでは竹刀。
でも相手にしているのは腕でも竹刀でもなく、相手の中心です。
接点を維持するのは技術ですが、それを支えるのは腹と腰が腕を押し出す力です。
推手の注意点は接点がどう変化しても、圧力が変化しないことです。
つまり、接点が動いているように見えます、
しかし実は接点は動いてはいますが変化してはいません。
そのために身体全体が変化するのです。
常に接点を腹と腰で支えるわけです。
それを十分に身体に沁みこませます。
形ではなく、その感覚がしみこんで初めて腕に力が滲み出ます。

触れてからの変化、これが実は一番稽古し甲斐のあることだと思っています。
離れているところからの打ち合いは、体格・体力や年齢に左右されがちです。
ですが、触れてからの変化は稽古したものの勝ちです。
工夫したものの勝ちです。

鍔迫り合いからの変化、力、これをしっかりやると違う局面が見えてくるかもしれませんね。

私の先生の沢井健一氏も随分剣の修行はされたようです。
剣は手の延長だ、とよく言われていました。
私は剣は疎いですが、何かの役に立てばと思います。

太気会 天野

天野敏先生

ご回答ありがとうございます。

先生のご回答の中に剣道の高段の先生がおっしゃることと共通するものがたくさんあることに驚きました。作業スペースをつぶすお話も「相手の剣を殺し、技を殺し、気を殺す」という三殺法の教えを連想させます。極めた人のお話には共通点があるものなのですね。

最近、練りが気持ちよくでき、それに連れて体が軽く感じるようになってきました。先生がいつか書かれていた「立禅をすると鼻がなぜか通る」というお話はその時は「そんなものなのかな」と思って読んでおりましたが、最近時々実感できます。

早速、鍔迫り合いも含めて、研究していきたいと思います。ありがとうございました。

質問者 N

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太気拳における「空間」の意味とは何なのか

Q:
先生の『組手再入門』、興味深く読ませて頂きました。
いつもながら、実体験に基づく具体的でわかりやすい内容で、むさぼ るように 読んでしまいました。

その中で、「空間で蹴りを抑える」という写真があり(p 69)、この「空間」 というものについて、おうかがいしたく、メールさせて頂きました。

私は剣道を学んでいます。いつも先生のお話は、剣道書と共通する内容が多く、 しかも禅用語などの剣道書に多い難しい言葉が少ないので、ありがたく 拝読して おります。

『組手再入門』を読んで、地稽古の際に『空間』を意識してみまし た。竹刀を突きつけられると、なかなか平常心ではいられないのですが、相手の竹刀が自分 を打つ時には必ず通らねばならない空間があり、その空間を意識すると少し気持ちが楽になります。「ここに入ってきたものだけはじき出せば、打たれない」と いう感覚です。しかし、これは守りの感覚で、結局最後には打たれてし まいます。

太気拳における「空間」の意味とは何なのか。もう少し詳しくお教え頂けない でしょうか。よろしく、お願い致します。

福 岡 N

A:
質問から剣道への情熱や工夫が感じられます。本当に稽古で苦心しているものにしか分からない疑問だと思います。

空間に関することを言葉で表現するのは非常に厄介です。
しかし、文中に「相手の竹 刀が自分を打つ時には必ず通らねばならない空間があり・・・」とあります。
これを感じられているのなら話せそうな気がします。
この感覚は非常に大切で、これを稽古の中でN君が見つけたとしたら、その苦労は大変なことだと思います。

多くの人は、ただ守ろうとか、こうきたらこうとか漫然と相手を見がちです。しかし、相手が人間であり、自分と同じように手足がある以上、また手足の置き場所(構え)がある以上そこから始まり自分のところに攻撃が届くには無限の可能性があるように思えても、実際はそうではありません。

そこには通らなくてはならない道があります。
v つまり自分という陣地に相手が攻めてくるにはいくつかのルートを通らざるを得ない、だからその道を塞ぐことが大事だということになります。ちょっとしたこの発想が大きな違いに育ちます。
つまり相手の攻撃を防ぐというのではなく、その道筋を塞ぐということです。
攻撃を避けるということと、攻撃の道筋・ルートを潰すというのは一見すると同じように見えますが、内容は天地の差ほどの違いがあります。

大事なのは此処です。

此処が見えるか見えないかが分かれ目と言えるくらい大事なところです。そして此処からの工夫が更なる分かれ目ともなります。

「ここに入ってきたものだけはじき出せば、打たれない」とあるのは空間を守る感覚が芽生えてきているからですが、更に一歩進むためにもう一つ工夫してみてください。

それは「相手の空間を潰す」ということです。

相手の攻撃をはじき出した瞬間に相手の空間を潰すにはどうすれば良いか、です。僕の場合はその瞬間にほんの僅か、それが10センチかあるいは数センチ、ひょっとすると数ミリくらいかもしれませんが前に出ます。
その瞬間に相手とのあいだに新しい空間が立ち現れます。相手の攻撃を受けるのは身体のやることで、どう受けるかなんていうことは考える暇もないし必要もありません。身体が勝手に動くようにするには稽古するのみです。

だから心がけるのは、相手が此処に居ると思っている自分の場所からほんの僅かでも前に出ること。それによって相手の空間を奪い、同時に自分の新しい空間を作り出すこと。

昨年末に組み手のビデオを出しました。それを見てもらえると分かるかもしれませんが、僕が相手を打つ位置は非常に近いんです。つまり手を伸ばせば、相手の後頭部を打てるくらいの距離で打ちます。

組み手をすればお互いに手を出す距離や瞬間は見えてくるものです。殆どの人はそこしかないと思っています。だから同じところでどちらが速いとか、どちらが効いたとか言うところでやっています。その瞬間の奪い合いしかやりません。

そんなのはいくらやっても頭打ち。成功もあれば失敗もあるといったところです。

そうではなく、その瞬間に空間を奪うことが出来れば、正直言って相手を打つ必要もないくらいです。
もっともそこで打たないと打たれることもあります、だからしょうがないから打ちますが・・・(笑)。

空間というのは言ってみれば作業スペースです。お互いに離れていればそのスペースは確保できますが、接近すればするほどその奪い合いになります。接触した際の変化はその奪い合いです。
自分が相手を打った瞬間、あるいは相手の攻撃をはじいた瞬間、その瞬間にどう変化するかです。
その時に相手のスペースを奪い、同時に自分のスペースを確保できれば「自分は打てても打たれない」という実に都合の良い瞬間が生まれます。
打つのはそれからで十分間に合います。だから大事なのはその変化を研究することだと思います。

一番大事なのは距離や速さではなく、空間の感覚と瞬間の変化です。頑張って稽古してください。この文章が役に立つことを祈っています。

太気会 天野

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ランニングや筋トレは行わないのか

Q:
天野先生
先日はご指導頂き本当にありがとうございました。 自分は天野先生の「中年からはじめる本物の中国武術」のDVDを見て立禅を始めました。ひざを緩める、全身を緩めるとあったので、 立禅を組むと足が震え、体制がつまづいたように前に崩れる、足で耐えようとして気持ちが、足ばかりに行ってしまい、五感を開くという 気持ちの余裕、リラックスが出来ていないので、これでいいのだろうか?と思い質問させて頂きましたが、痛くない立ち方を見つけるまで よけいな事は考えずに続けてがんばろうと思います。

ここでまた質問させて頂きたいのですが、大氣拳とは体力に頼らない方法なんだなと解釈しましたが、稽古の一環としてランニングや空手の様に拳を鍛えたり、上半身の筋トレはいっさい行わないのでしょうか?
今は立禅しかわからないので教えて頂けないでしょうか?

北海道 YS

A:
確かに稽古をする時に体力に頼った稽古をしてもしょうがないと思います。
体力に頼った稽古は、当たり前ですが体力が衰えればそれでおしまい。
面白くもなんともありません。
しかし、体力に頼らないということと体力がなくても良い、ということとは別の問題です。
よく中国拳法に対する憧れに、体力がなくても強くなれそうだから、と言うパターンがありそうですが、 非力な人間が非力なまま強くなると言うのは、単なる幻想です。
そうあって欲しいと言うことと、そうであることとは別です。
何をやるにしても、それを支える体力は必要です。
僕は昔から筋肉トレーニングをやったことはありませんが、もし質問のYS君が非力な方ならやっても良いと思います。

「中年からはじめる本物の中国武術」で立禅については結構細かく書いてあるので分かると思いますが、 立禅を組むにしても、きちんと組めばそれこそ最初は5分立つのがやっとのはず。
それが続けることにより、徐々に足裏やふくらはぎ、腰や背中、肩の筋肉等もついてきます。
またそういった見える筋肉だけではなく、普段感じられない部分も鍛えられていきます。

無論筋肉が鍛えられればそれで十分と言うことではないですが、そういった効果も無視できません。

体力のある人間が体力に頼らない稽古をするのと、体力のない人間が体力に頼らない稽古をするのとどちらがいいか。
答えは自明でしょう。

ただし重いものを持ち上げればいいと言うのではなく、自分の身体を柔軟に動かせるような体力の育成を心がければいいと思います。
そういう意味ではランニングなどはいいと思います。
それから拳を鍛えることですが、コレはあまり意味ありません。
拳の強さを言うなら拳ダコを自慢するより、握力の方が大事ですから。

太気会 天野

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足ががくがくして立禅が5分も出来ない

Q:
天野先生
立禅をはじめてから2週間ぐらいたとうとしていますが筋肉はついたのですが、体が熱くなるなどの変化はまだありません。

立禅のやり方が間違ってるのでしょうか?体に感じる感覚のままを受け入れればいいとQ&Aで読んだのでイメージの風船を抱くような イメージなどが出来ていないせいでしょうか?立禅の時間も足ががくがくして5分も連続で出来ていない状況です。時間が短いせいでしょうか? 体勢もくずれてもすぐに直して続ければいいのでしょうか? どうかアドバイスお願いします。

北海道YS

A:
さて、どういう風に答えればいいかちょっと迷います。
立禅を何故やるのか、その答えは光の当てかたによっていくらでもでてくると思います。
しかし、その全部には答えられませんから、的を絞って話します。

以前、5分も禅を組むと足が痛くなって筋肉痛になるという質問がありました。
これは当たり前のことです。腰を落とせば足に負担がある。なれないうちは筋肉もついていないから痛くなる。

では筋肉がついたら楽になるかと言うとそうでもない。
肩が痛くなったり、腰が痛くなったり、背中が張ったりする。ぜんぜん楽にならない。楽に組むと口で言うのは簡単だが、そうはいかない。

そうです、楽に組めない。ここが大事です。

それでも頑張って組む。一時間でも組んでみる。それを繰り返すことで身体が勝手に、つまり自分の思惑とは別に身体が楽を見つけようとする。
これが大事です。
頭が考えるより、身体が考えます。
そのために痛くても退屈でも我慢して組む。

痛いから痛くない立ち方を身体が見つけます。
手先足先の力ではなく、いわゆる体幹の力を見つけてくれます。
退屈だから退屈しない気持ちの置き方を見つけてくれます。
つまり今自分が知らないものを身体が見つけるということです。

稽古はまだ自分で見えないことを見ようとすること。
だから今の自分の考えなんていうのは、言ってみれば泳げない人が泳ぎかたを想像してるようなもの。
愚直と言う言葉がありますが、わからなくても愚直に稽古することしか先に進む道はないということです。
そしていつか泳げるようになったとき、ああ、あの時は何もわかってなかったな、と気が付くものです。

それから、身体が熱くなるとありますが、そんなことに拘ることは全く必要ありません。
また風船のイメージもよく言われますが、それは何年もすれば自然に感じられるもの。
感じられた時に、ああこれか、と思えばいいだけです。結果としてそう感じるものだ、と思っていればそれで十分です。

立禅を組み始めて2週間とのこと。
立禅を組むなんて簡単なことだ、とみんな思います。
でもたった2週間で、どう立って良いのか分からなくなるほど、立つということは難しいという事。
僕もこんな感じで立てばいいのかな、と思い始めたのはつい最近。
結果をあわてて求めすぎない事。
誰でもすぐ分かることなら、やっても大した価値はないって言うこともあるから、のんびり長いスパンでものを考えて稽古していってください。

自分と向き合う稽古をすれば、稽古は裏切ることはないから。

太気会 天野