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メールQ&A 天野敏のテクスト

「空間」を意識した時に推手で気をつけなければならないことは何か

Q:
早速の丁寧なご回答、ありがとうございます。
その後、先生のお返事を元によく考えて、その結果を稽古で試してみました。

相手と接触した後前に出ると、剣道の場合には間が詰まり過ぎ、つばぜり合いからの技か返し胴のような形でなければ打てないように思われます。むしろ、技を出し合う前の剣先での攻め合いの方が「空間を奪う」という状態に近いように感じられました。これまで、剣先の争いは、「中心を取る」という感覚が中心で、私は「点」や「線」のようにイメージしていました。
「相手の竹刀を中心から押し出して、自分の竹刀が中心を取る」「相手の竹刀が強ければ、反対から中心を取る」というような感覚です。相手も同じことを意図しているので、なかなか簡単には取れず、無理をすると崩れてしまって、逆に打たれるという事態も起こります。
しかし、先生のお話を元に「作業スペース」という感覚を意識すると、新しい展開が期待できるように思われます。今はよくわかりませんが、研究したいと思います。

一方、剣先での空間の奪い合いの状態は、太気拳の推手の状態に近いようにも感じられます。「空間」を意識した時に、推手で気をつけなければならないことは何なのでしょうか。
お教え頂ければ、幸いです。

福岡 N

A:
「相手と接触した後前に出ると、剣道の場合には間が詰まり過ぎ」とあります。
そうです、組み手でも同様のことが起こります。

まず、これは当たり前のことだと思ってください。
これを嫌がってはいけません。
もし人が嫌がるのなら、これこそ一番工夫し甲斐のあるところかもしれません。
前回も書きましたが、私の打つ間合いは非常に近い。
いや、私が近いのではなく、皆遠いところで打つことしか知らないのだと思います。
相手の中に入ったところ、実は此処が一番安全なのを皆知らないのです。
一番よいところを知らないのではと思います。

自分が前に出る、相手が下がれば良いですがそうでなければ間合いがつまり、空間がせばまる。
これを恐れてはいけないと思います。
その時に前に出る力がものをいいます。
組み手でも、鍔迫り合いのようになりますが、大事なのはその時に触れ合ったまま相手の重心を奪えるかどうかです。
相手も崩れていいない、こちらも同じ。
触れ合った瞬間にそうなっては五分五分です。
そこで五分になっては前に出る意味がありません。
触れ合った瞬間に相手に圧力が自分より上かそれとも下か、それを感じ取ることが大事です。
これはくり返し相手とぶつかって身体で覚えるよりありません。
太気ではそれを推手や組み手でやります。
そして相手をそれこそ力で押しつぶせると感じたら、腰を思い切りぶつける様にして相手の空間を潰します。
力で潰せるときに、技なんていりません。

否、それを瞬間に判断できる出来ないが、それこそ技と言うものの本質と言うものです。

相手が前を向いていられないようなくらいにして始末を付けます。相手の力によって、その時にそのままか、あるいは相手の中心をちょっと左右に振ってから前の出ます。
もし、相手の圧力が強くて力でいけないとその瞬間に判断したら、引くかあるいは左右に変化します。
これも真っ直ぐに引いたりしてはやられます。
その加減は言葉では無理です。
くり返し言いますが、それを判断できる出来ないが技です。
技は形ではありません。

しかし、どちらにしても自分の力がしっかりと前に出ていることが大事です。

良く中国拳法と名乗る人が推手をやっているのを見ることがありますが、殆どはただ手を合わせているだけ。
大事なのは自分の力(腕力だけではありません)が相手に対して真っ直ぐに向かっていることが第一番です。
それがない推手は何の意味もありません。
接点を通じて相手の中心に迫る力を探す。
それが大事です。
相手を押しつぶす力が基本にあってこその変化です。

剣道は良くわかりませんが、良くテレビで見ると鍔迫り合いからどちらかが引き際に胴や面をとるようです。
つまり下がれば圧力から逃れられるのでしょうか。

推手では相手が圧力に負けて下がればそのまま、それこそ相撲の押し出しのように壁まで間髪入れずに持って行きます。
相手を打つのはその後でも十分間に合います。
こちらに圧力があれば、下がって竹刀を振るう暇は無いように思えるのですが。
相手が接点から力を抜いて変化しようとした瞬間こそ狙い目です。
接点は推手では腕、鍔迫り合いでは竹刀。
でも相手にしているのは腕でも竹刀でもなく、相手の中心です。
接点を維持するのは技術ですが、それを支えるのは腹と腰が腕を押し出す力です。
推手の注意点は接点がどう変化しても、圧力が変化しないことです。
つまり、接点が動いているように見えます、
しかし実は接点は動いてはいますが変化してはいません。
そのために身体全体が変化するのです。
常に接点を腹と腰で支えるわけです。
それを十分に身体に沁みこませます。
形ではなく、その感覚がしみこんで初めて腕に力が滲み出ます。

触れてからの変化、これが実は一番稽古し甲斐のあることだと思っています。
離れているところからの打ち合いは、体格・体力や年齢に左右されがちです。
ですが、触れてからの変化は稽古したものの勝ちです。
工夫したものの勝ちです。

鍔迫り合いからの変化、力、これをしっかりやると違う局面が見えてくるかもしれませんね。

私の先生の沢井健一氏も随分剣の修行はされたようです。
剣は手の延長だ、とよく言われていました。
私は剣は疎いですが、何かの役に立てばと思います。

太気会 天野

天野敏先生

ご回答ありがとうございます。

先生のご回答の中に剣道の高段の先生がおっしゃることと共通するものがたくさんあることに驚きました。作業スペースをつぶすお話も「相手の剣を殺し、技を殺し、気を殺す」という三殺法の教えを連想させます。極めた人のお話には共通点があるものなのですね。

最近、練りが気持ちよくでき、それに連れて体が軽く感じるようになってきました。先生がいつか書かれていた「立禅をすると鼻がなぜか通る」というお話はその時は「そんなものなのかな」と思って読んでおりましたが、最近時々実感できます。

早速、鍔迫り合いも含めて、研究していきたいと思います。ありがとうございました。

質問者 N