Q:
天野先生
先日はご指導頂き本当にありがとうございました。 自分は天野先生の「中年からはじめる本物の中国武術」のDVDを見て立禅を始めました。ひざを緩める、全身を緩めるとあったので、 立禅を組むと足が震え、体制がつまづいたように前に崩れる、足で耐えようとして気持ちが、足ばかりに行ってしまい、五感を開くという 気持ちの余裕、リラックスが出来ていないので、これでいいのだろうか?と思い質問させて頂きましたが、痛くない立ち方を見つけるまで よけいな事は考えずに続けてがんばろうと思います。
ここでまた質問させて頂きたいのですが、大氣拳とは体力に頼らない方法なんだなと解釈しましたが、稽古の一環としてランニングや空手の様に拳を鍛えたり、上半身の筋トレはいっさい行わないのでしょうか?
今は立禅しかわからないので教えて頂けないでしょうか?
北海道 YS
A:
確かに稽古をする時に体力に頼った稽古をしてもしょうがないと思います。
体力に頼った稽古は、当たり前ですが体力が衰えればそれでおしまい。
面白くもなんともありません。
しかし、体力に頼らないということと体力がなくても良い、ということとは別の問題です。
よく中国拳法に対する憧れに、体力がなくても強くなれそうだから、と言うパターンがありそうですが、 非力な人間が非力なまま強くなると言うのは、単なる幻想です。
そうあって欲しいと言うことと、そうであることとは別です。
何をやるにしても、それを支える体力は必要です。
僕は昔から筋肉トレーニングをやったことはありませんが、もし質問のYS君が非力な方ならやっても良いと思います。
「中年からはじめる本物の中国武術」で立禅については結構細かく書いてあるので分かると思いますが、 立禅を組むにしても、きちんと組めばそれこそ最初は5分立つのがやっとのはず。
それが続けることにより、徐々に足裏やふくらはぎ、腰や背中、肩の筋肉等もついてきます。
またそういった見える筋肉だけではなく、普段感じられない部分も鍛えられていきます。
無論筋肉が鍛えられればそれで十分と言うことではないですが、そういった効果も無視できません。
体力のある人間が体力に頼らない稽古をするのと、体力のない人間が体力に頼らない稽古をするのとどちらがいいか。
答えは自明でしょう。
ただし重いものを持ち上げればいいと言うのではなく、自分の身体を柔軟に動かせるような体力の育成を心がければいいと思います。
そういう意味ではランニングなどはいいと思います。
それから拳を鍛えることですが、コレはあまり意味ありません。
拳の強さを言うなら拳ダコを自慢するより、握力の方が大事ですから。
太気会 天野