Q:
天野先生、「中年から始める本物の中国拳法」大変参考になりました。私のように地方に住むものにとっては、DVD等の資料は、貴重な学習元となります。
「体力がなくなったからこそ、気付く強さというものがある」という言葉は、目から鱗が落ちるとともに、大変勇気づけられる言葉でありました。現在学んでいる太氣拳の稽古を振り返り、今後も、一つ一つ考えながら進みたいと思います。
さて、そこで質問があります。
それは、稽古の順番のことです。
太氣拳の稽古は、立禅→揺→這→練という順番に進んでいくと教えられ、現在基本的には、その順番で励んでいます。
しかし、仕事の都合により時間がなかなかとれず、この通りに進めることができないことがあります。体を緩める、自分の体に気付くということが大切だということは分かってきました。そのための稽古の順番でもあると思います。ですが、時間によっては、這のみ、練のみの稽古日ということがあっても構わないものなのでしょうか?
また、稽古の時間帯としては、夜よりはやはり早朝の方がよいものでしょうか?
はじめて2か月程の初心者ですので、本質を分かっていない稚拙な質問であるとは思います。
ですが、どんなに仕事が忙しくとも、生活の中に、自分なりにできるだけ正しく、質の良い稽古を取り入れ、積み重ねていきたいと思っております。
お答いただければうれしいです。
質問者 S
A:メール拝見しました。
私もこのようなメールを頂くと、書いた甲斐があったと勇気付けられます。
頑張って稽古を続けてください。
稽古は裏切りません。
さて、質問にある稽古の順番です。
基本的にはやはり立禅から始まって順序だててやるのが一番だと思います。
何故か、というとそれにも理由があります。
立禅のように静的な稽古が一番身体を整えやすいからです。
稽古で一番大事なのは自分と向き合うこと。
では自分と向き合うと言葉で言うのは簡単ですが、一体どういう自分と向き合うのか。
それは普通の生活では見えてこない自分です。
これも別に難しいことではありません。
例えばの話し、自分の見えない部分ということで背中を例にとっても良いです。
皆さんは自分の背中の動きを感じ取れるでしょうか。
多分、背中を意識することは殆どないのが実際の生活だと思います。
何故なら見えないからです。
人は見えないものは無いものとして生活します。
だから生活の中で背中の変化や動きを感じ取れない。
試しに肩甲骨を動かせる人が、一体何人いるでしょうか。
あるいは肩甲骨を動かす、という発想すら持てないのが普通かもしれません。
ところが静的なところで身体が整える、つまり自分の身体と向かい合うということですが。
そうすると普段見えないところが感じられる。
ここでいえば肩甲骨とその周囲の神経や筋肉の動きが感じられる。
だから骨格として肩甲骨も操れる、ということになります。
まあ、肩甲骨は例ですから、これが動かせれば良いとかそういうことではありませんが・・・。
つまり、ここで言いたいのは静的な稽古で感じられたことが大事という事。
そして今度は動的な稽古、揺りや這い、練りといった稽古でもその感じられたことを失わずに動けるか、ということが課題になるということです。
動けば身体が受け取る情報量は飛躍的に増えます。
その中でも、ただ立っているときのように自分と向き合って、同じことを感じ取りながら動けるようにする。
つまり、静的な質を動的な稽古でも失わないように稽古する。
だから稽古の最初には、やはり立禅から始めるのが一番。
とまあ、これは話としては筋道は通っていますが、そう行かないのが普段の生活。
稽古の為に生きているわけではないですから、そんな杓子定規なことを言っても始まりません。
大事なことは、そのときその場でできる稽古をするといことです。
私自身、稽古で途中を飛ばしたりはしょったりします、あるいは立禅しか組まなかったりと色々です。
稽古を続けていればその時その時で課題が違ってきます。
そういうものです。
結論です。
基本は基本、立禅から始めるのが最良。
でも、ケース・バイ・ケースでも別に問題ありません。
できる時にできる物を、これで良いと思います。
太気拳の稽古は、どの稽古もみんな一つの方向を向いています。
それを見つけるのも面白いものです。
太気会 天野