Q:
天野先生
立禅をはじめてから2週間ぐらいたとうとしていますが筋肉はついたのですが、体が熱くなるなどの変化はまだありません。
立禅のやり方が間違ってるのでしょうか?体に感じる感覚のままを受け入れればいいとQ&Aで読んだのでイメージの風船を抱くような イメージなどが出来ていないせいでしょうか?立禅の時間も足ががくがくして5分も連続で出来ていない状況です。時間が短いせいでしょうか? 体勢もくずれてもすぐに直して続ければいいのでしょうか? どうかアドバイスお願いします。
北海道YS
A:
さて、どういう風に答えればいいかちょっと迷います。
立禅を何故やるのか、その答えは光の当てかたによっていくらでもでてくると思います。
しかし、その全部には答えられませんから、的を絞って話します。
以前、5分も禅を組むと足が痛くなって筋肉痛になるという質問がありました。
これは当たり前のことです。腰を落とせば足に負担がある。なれないうちは筋肉もついていないから痛くなる。
では筋肉がついたら楽になるかと言うとそうでもない。
肩が痛くなったり、腰が痛くなったり、背中が張ったりする。ぜんぜん楽にならない。楽に組むと口で言うのは簡単だが、そうはいかない。
そうです、楽に組めない。ここが大事です。
それでも頑張って組む。一時間でも組んでみる。それを繰り返すことで身体が勝手に、つまり自分の思惑とは別に身体が楽を見つけようとする。
これが大事です。
頭が考えるより、身体が考えます。
そのために痛くても退屈でも我慢して組む。
痛いから痛くない立ち方を身体が見つけます。
手先足先の力ではなく、いわゆる体幹の力を見つけてくれます。
退屈だから退屈しない気持ちの置き方を見つけてくれます。
つまり今自分が知らないものを身体が見つけるということです。
稽古はまだ自分で見えないことを見ようとすること。
だから今の自分の考えなんていうのは、言ってみれば泳げない人が泳ぎかたを想像してるようなもの。
愚直と言う言葉がありますが、わからなくても愚直に稽古することしか先に進む道はないということです。
そしていつか泳げるようになったとき、ああ、あの時は何もわかってなかったな、と気が付くものです。
それから、身体が熱くなるとありますが、そんなことに拘ることは全く必要ありません。
また風船のイメージもよく言われますが、それは何年もすれば自然に感じられるもの。
感じられた時に、ああこれか、と思えばいいだけです。結果としてそう感じるものだ、と思っていればそれで十分です。
立禅を組み始めて2週間とのこと。
立禅を組むなんて簡単なことだ、とみんな思います。
でもたった2週間で、どう立って良いのか分からなくなるほど、立つということは難しいという事。
僕もこんな感じで立てばいいのかな、と思い始めたのはつい最近。
結果をあわてて求めすぎない事。
誰でもすぐ分かることなら、やっても大した価値はないって言うこともあるから、のんびり長いスパンでものを考えて稽古していってください。
自分と向き合う稽古をすれば、稽古は裏切ることはないから。
太気会 天野