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天野敏のテクスト 閑話休題

猿の惑星

日曜日に台風4号が関東に接近。上陸は避けられたものの、沿岸をかすめて通過。その日は朝から雨。稽古を始めてからしばらく は雨と風がけっこう激しかったが、そのうちに雨が止む。雨があがると同時に、風が北よりに変わる。「あ、台風が東に抜けたな」と、 頭の中で天気図を思い描く。天気のせいか何時もより人が少なかったが、軽く組み手をやって稽古を終わる。 稽古終了後、家に帰ってから海を見に行く。海岸にでた途端に凄まじい波の勢いに圧倒される。海鳴りが襲い掛かるように響く、肌があ わ立つ。台風の風に引き起こされたうねりが海岸に近づく。浅瀬に乗り上げたうねりは力の行き場を失い、盛り上がり、波頭を切り立て て海岸に押し寄せる。7メートルから8メートルに達した波が一気に崩れ落ちる。その質量、そのエネルギーが何度も何度も崩落、激突、 飛散。飛沫は風にあおられ、光をひいて舞い上がり、飛び散る。海が煙る。
自然の圧倒的な力を眼の前にすると、人の力のなんと無力なことか。人は自然の中に生きてきた。でも、自然は人の為にのみあるわけではない。
環境破壊は進む。人の歴史は自然を破壊してきた歴史。文明は全てエネルギーとしての森林を切り開くことから始まった。ヨーロッパも そうだし、メソポタミアで発見された最古の叙事詩、ギルガメッシュも森の神との戦いの物語だ。日本人の中にある原風景としての里山も、 何の事はない森林を切り開いて作り上げたものだ。
しかし、自然は強靭。海の汚染も、オゾン層も、人の尺度で考えるから深刻。だが果たして地球の尺度からするとどうなるのか。40億年、 50億年と言う地球の尺度から見ると、案外なんて事のない汚染なのかもしれない。

人が滅び、建物が崩壊して地球上から文明の一切の痕跡がなくなっても、太陽は輝き、海はうねり、風は吹き渡る。そしていつか再び、 未知の生き物が文明を起こし、太陽の恵みを受け、海鳴りや風を聞きながら生きていくのかもしれない。

う~ん、どうも台風の話から猿の惑星っぽくなってきた。

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自然の恵みと脅威

母方の実家の祖母が茨城県の六郷の出身、今の取手市になる。利根川流域の稲作で有名な水郷地帯の一角だ。 小さい頃に遊びに行った記憶がある。典型的な米作農家で、ヤギを飼っていた。この時、生まれて初めてヤギの 乳を飲んだ。母屋の脇を用水を兼ねた川が流れ、子ども達がうなぎを取る仕掛けを川に沈めてくれた。勿論用水 は利根川から取水。トイレが母屋とは別にあり、夜中に眼が覚めて母についてきてもらった覚えがある。外は月 明かり以外には何の頼りもなく、都会では知ることの無い夜の暗さに驚いた。朝になって用水から仕掛けを引き 上げたが、残念ながら収穫は無し。不思議に思ったのは納屋の梁から船がぶら下がっていたこと。今考えると洪 水のときの足替わり、と言うことだろう。
川の氾濫は、逆に言うと上流からの恵みともとれる。治水は人々の望みだったに違いないが、氾濫が無くなれば、 豊かな恵みも無くなるという事になる。中国の黄河や揚子江が氾濫によって土地を肥沃にしていたように、ある いはエジプトのナイル川がそうであったように。
山を削り、護岸工事を繰り返し、河をコンクリートで囲うことによって確かに氾濫を押さえ込んだように見えて、 逆に土地をやせ衰えさせ、化学肥料に頼らざるを得なくさせているのかもしれない。ダムを作って水害を防止す れば上流からの恵みを多く含んだ土砂はダムに溜まるだけで、下流を潤す事はない。ただ上澄みだけか流れてい く川が豊かなはずは無い。森が海の母といわれるが、こうなると母ではいられなくなるのかも知れない。
大型の台風が上陸しそうだ。
台風被害は勿論ないほうがいい。
しかし、台風があるおかげで、深い入り江の多い日本の沿岸は水が入れ替わる。
台風でもなければ流れの無い入り江の深いところでは、水が死ぬ。
自然は別に人のためにだけあるわけではない。
その自然に手を入れるということの難しさ。

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茅ヶ崎の蛇 荒崎の亀

自宅を出た道路の片隅になにやら見かけないものがある。道路より一段高くなったお向かいさんの低い塀のすぐ下。 よく見ると蛇だ。私の親指よりちょっと太め、長さは1メートルくらい。8の字にとぐろを巻いて鎌首をもたげている。 口をカッと開き、虚空に向かって威嚇するようにじっとしている。

子どもの頃はそこらじゅうに空き地があった。そんな空き地でよく蛇を捕まえては遊んだ。尻尾を掴んで振り回した り、怖がる女の子に投げつけたりした。小さな穴を掘り、蛇を投げ込んでみんなで小便を引っ掛けたりした。しかし、 アスファルトで舗装された道路の上の蛇は、場違いで悲しい。そっと手を出して頭に触れる。相変わらず蛇は虚空をに らんで動かない。死んでいた。今にも躍りかかりそうな姿で死んでいたのだ。

ふっと数年前に見た海亀を思い出した。夏のある日、三浦半島の荒崎の友人宅に子どもをつれて遊びに行った時だ。 荒崎はその名の通り、荒々しいリアス式の海岸の景観で有名。車を駐車場に入れ、さっそくみんなで海岸に散歩に出た。 すぐ眼の前が漁港。港の脇の船揚場を抜けて岬の突端に行こうとした時のことだ。子どもが「あ、亀だ!」と叫んだ。 成る程亀がいる。アカウミガメ。甲羅の大きさは一抱えほどある。その亀が昂然と首をもたげ、辺りを睥睨している。 しかし、動かない。そこだけ時間が止まっているようにその亀も死んでいた。船のスクリューにでも傷つけられたのか、 甲羅の後ろに大きな傷があり、わずかに血が流れた跡があった。腐臭もしないことから死んで間もないことが判る。 傷ついた身体で陸に上がり、水際から20メートルほどで力尽きたに違いない。何を思って20メートルの距離を歩ん だのかは、勿論判らない。しかし、死んでもなお昂然と首をもたげた姿からは、自然に生きるものの気高さが迫ってくる。 生きる意志を強く訴えてくる。

蛇にしても亀にしても、何故そのような格好で死んでいったのかはわからない。全ての蛇や亀がこのように死ぬわけで もないだろう。しかし、その姿は、ぬくぬくと生きている人間に、何かを叩きつけているようだ。生きて生きて、最後の瞬 間まで生きて、ついに生きたまま時間が止まる。生きているように死ぬ。死んだように生きるな、そう言っているのかもしれない。

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最近の若いモンは

夜中に息子が居間のパソコンの前でヘッドセットをつけて何かぼそぼそ話している。インターネット電話という奴。深刻そうな感じなのでほって置いて寝た(電話代もタダだし)。翌朝その話をすると、

「うん、結構深刻だったんだよね。」
「何が深刻だったんだ。」
「友達が死の恐怖に取り付かれてね」
「病気かなんかにかかってるのか?」
「そうじゃなくて、自分が死んだ後の世界を考えると頭がおかしくなりそうだってさ。」

高2だったら当たり前に悩む内容だ。自分が生きていることに気がついて、今度は死ぬことに気がつく。
自分の死後も世界があるということに愕然とする。
人生の意味について考える。

私にも記憶がある。
ある日学校の校庭に立つ大きなヒマラヤ杉を見上げる。
風が吹き抜ける。
自分が生まれる前からこの樹は此処で生きていた、当たり前にそう感じた。
不意に、自分が死んでもこのヒマラヤ杉が変わらずにそびえ、風が吹き抜けていくんだ。
そう感じた瞬間に震えるように死に対する恐怖を感じた。
過去と現在と未来が一辺に自分の中に流れ込んできた訳だ。

今までは自分が世界だったのに、自分と世界が別にあると気がつく。
この頃に気がつかないと気がつくときが無い、それで悩む。
なんで自分がここにいるのか、死んだらどうなるのか、何のために生きるのか。

「そりゃ深刻だよな、実を言うとお父さんも、それをずっと考えていまだに答えが出ない」
「へえ、そうなんだ。」

どうも息子の返事は軽い。

「大変だな・・・。」
「うん、大変。なんか精神科に行こうかって言ってた」
「・・・???」

どうもよく判らない。精神科がなんでこういう問題に出てくる。
どうも話がここら辺から繋がらない。
人生の意味や自分の存在や死・時間・世界・宇宙、なんでそう言う問題に精神科の出番があるんだ。

「そう言う悩みは精神科の先生が治せるわけ?」
「どうだかね」

こういう患者が増えると精神科の先生も大変だ。

「お前、そう言うのは医者に行くより本を読めば少しは考え方の糸口ってのが見えることがあるんだぞ」
「そんなことが本に書いてあるの」
「当たり前だ、そう言うことが書いてあるのが本だ」
「どんな本」
「うん、一口には言えんけど、まあ、古典て言われてるヤツだな、大体は。むかし書かれて、今も残ってるやつは大概そうだ」

と、ここまで話して息子は話が長くなりそうだと判断したのか、自分の部屋に行った。
ここで「例えばどんな本」等と話を継げばどうなるのかを経験上知っているようだ。
しかし、精神科って言うのが出てくるのは、こういう悩みを本人は気の迷いだ、と感じてると言うことなのか。
人生最大の悩みだと思うんだが。
これを悩まないで、他に一体何を悩めって言うんだ、何を本気で考えろっていうんだ。
――――――――――――
おしえてください
私は時折苦しみについて考えます
誰もが等しく抱いた悲しみについて
生きる苦しみと
老いてゆく悲しみと
病いの苦しみと
死にゆく悲しみと
現在の自分と
――――――――――――
なんて歌を本気で歌ってるオジサンもいるくらいなのに・・・。

・・・最近の若いモンはよく判らん。

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二人合わせて百十歳

別に夫婦合わせての年齢ではないが、十分にフルムーンに値する。
ある弟子と組み手をしたときの二人の年齢の合計だ。
曰く、百十歳組み手。
五年前には二人して「百歳組み手だね」と笑った。

私が五十六歳で、弟子が五十四歳。
これが結構強い、小柄で普通の叔父さんだが老獪な組み手をする。
勿論私とだけでなく、二十代三十代の兄弟弟子とも同じように組み手をする。
結構若手の壁のようになっている。
組み手だけでなく、推手は組み手以上に目標のようになっている。

私を除いて五十代が三人いて、彼らも勿論組み手もするし、推手もする。
新しい弟子が入ってくると、五十歳でも組み手するんですか、と驚く。
それがだんだん当たり前に見えてくる。
当たり前どころではない、自分が五十代に勝てないことがわかってくる。

経験は伊達ではない、と言うのは、経験は体力や身体能力を凌ぐことがあるという事だ。
勿論それを凌げる経験の蓄積が無ければ話にはならないのはあたりまえ。
体力を凌ぐ経験が無ければやられる、それだけ。
(本当を言うと、体力だってそんなに落ちるモンではない、と思っている。)
経験とは組み手の積み重ね。
多くの組み手を経験して、工夫する。
それは私だって同じ事、そういった蓄積の上に工夫が成り立つ。
体力では負けても経験と洞察力、そして組み手の工夫では負けない。
二十代での経験と工夫は勿論必要だ。
しかし、五十代の経験と工夫は、その内容の厚みが違う(と信じたい)。

なんで年齢に関わらず組み手を当たり前にやるか、と言うと体力的なことだけが理由ではない。
簡単に言えば、大事な事は五十代になっても彼らが権威を背負って無いからだ。
何段だとか、そう言う権威を持っていたら彼らも気軽に組み手が出来ない。
負けたら権威が失墜する。
ところがそんなものは何処にも無い、余分な権威が無い。
権威なんて所詮他人が作り出したもの、そんなものに絡め取られる必要はない。
だから自由に組み手が出来る、誰に負けても恥ずかしくない。
此処にいる俺とお前が組み手する、それだけ。
負けて失う権威なんて無い。
それが良い。

私だって、自分が権威だなんて思った事はない。

勿論打たれれば悔しい。
でも素直に悔しいだけで、そこに背負っているものは無い。
あるとすれば、それは自分の矜持、それがあるから悔しい。
もし失ったら努力して取り戻せばいいだけ。
悔しいって言うのは楽しみの一つだ、バネになって力になる。
それ以外に失うものが無いって言うのは自由だ。
だから自由に組み手が出来る、自由だから楽しい。

普段の生活の中は不自由だらけ、しがらみってヤツだ。
武術をやっているときくらいは、そんな不自由から開放されたって良い。

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ホクレア号

年間を通じて毎週19時から同じ場所で稽古する。不思議なもので、立つ場所もほとんど変わらない。近くに小さな山があって、 見上げると夜空の一角にその山の影が迫ってくる。一年間いつも同じ角度から空を見ていることになる。そうすると、山との位置 関係で星の位置が少しずつ変わっていくのがよく判る。星の位置が変わるのと同じように、月の出る時間が変わり、場所が変わり、 満ち欠けが変わる。そうしていると飛行機の航路までわかってくる。いつも同じ時間に同じ辺りを同じ方向に飛行機が飛んでいく。 私のいる場所も変わらず、山の位置も変わらず、飛行機の航路も変わらないが、星と月の位置が刻々と変化していく。

月に何回かは、日の出を海に浮かんで迎える。同じ日の出でも時間は季節によって違う。冬は遅いし、夏は早い。太陽の上る位 置が海に入るごとに違ってくる。遠くに江ノ島が見える。冬は江ノ島の南側から陽が昇る。それが徐々に北にずれていく。今の季節 は江ノ島を完全に外れて、市街地の方から陽が昇ってくる。勿論光の手触りも違ってくる。陽に照らされて所在無さげな月の位置も 変わってくる。

天動説でも地動説でもどちらでも良いが(天動説はさすがにちと古いか)、宇宙を考えると何かとてつもなく大きなものの中に 自分が今いると言うことに、今更ながら驚いたりする。いや、驚きというより恐怖、あるいは畏怖と言った方が正しいかもしれない。 神様を信じるような素直な性格ではない。それでも、この宇宙という集合離散・生成消滅の永遠のくり返しの中で、この今という時 間に自分が此処にいると言う奇跡。今此処に生きていると言う奇跡、この事に素直に驚いてしまう。

ハワイからホクレア号が横浜に到着。ホクレア号は全長約19メートルのハワイの双胴外洋カヌー。近代的な機材を使わず、星の 位置と風の力で外洋を走る。昔ながらのポリネシアの誇りと航法を守り太洋を乗り切ってきた。ハワイというと、日本から飛行機で 行けばあっという間、パック旅行で行けば下手をすれば熱海にいくより安いかもしれない。しかし、その距離を星を頼りに太洋の真っ 只中でポツンと航海する、と考えると恐ろしい気さえする。そういう時、人は多分自分の存在の奇跡を向かい合う。夜空の星・月・ 風・波。それらが時に恐怖の対象になったり、希望になったりする。生きることと、生かされることの狭間に人はいる。

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子育て

40日間というのが長いのか短いのかは判らない。40日間どうしていたかと言うと、娘と口をきかなかった。 いやきかなかったのではなく、口をきいてもらえなかった。理由は勿論親子喧嘩。

夜出かけるというので、こんな時間に外出なんて、と中三の娘と口論。思わず手が出た(ご心配なく、勿論あて止め)。 次の日から朝起きて、「おはよう」の返事がない。「いってきます」「ただいま」もない(連れ合いや兄弟には普通にしているが)。 それが40日間というのは結構きつい。家族の中で口をきかない人間がいるというのは結構なプレッシャー。結構気詰まりなものだ 。まあ、娘がこんなに頑固・強情だとは知らなかった。表面は知らん顔をしているが、なかなかどうしてしんどい。 冷戦の終結は、何の事はない、お小遣い。修学旅行に持っていくお小遣いと、自由行動の際の私服のおねだり。 さすがに娘も色々計算したと見えて、和解が成立。しっかりとお土産に「生八橋」を買ってきた。 一件落着だが、これから先が思いやられる。

しかし、稽古で「思ったときには手が出るように」と指導しているが、まさかそれがこんなところで出るとは、 これを稽古の成果と見るかどうか。考えてみれば、思わず手が出て、と言うのは十数年ぶり。以前ある夏のこと 、身重の連れ合いと夜の公園を散歩。ちょうど夏休みで近所の中高生が10人ほどたむろして花火をやっている。 その打ち上げ花火を彼らが横に向けて発射。それが目の前に飛んできてカッとなった。そこまでは記憶にあって 、次に気がつくと、既に数人の高校生に対して手を上げていて、そこで我に返った。それほどカッと来る性格だとも思わないが、 どうも事が家族と関わるとそうでもないらしい。子育てと言うのは、弟子を育てるより厄介なことなのかもしれない。

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春の交流会

毎年慣例の春の交流会が終了。勿論季節柄お花見とセットでやってきた。太気会と改称する前の横浜太気拳研究会からの慣例。 最初は自分たちだけで稽古の後にお花見、と言う感じで始まった。そこに佐藤先生率いる拳学研究会のメンバーが参加してくれる事となり、 一気に交流と言う感じになった。どうしても自分たちだけでやっていると、井の中の蛙という感じになりがちなので有難かった。 そして次に島田先生の気功会が参加してくれるようになってからもう5年ほどになるかもしれない。この3年ほどは鹿志村先生の中道会も参加、 太気会を含めて4団体での交流・お花見会となった。

交流会の内容は、その時その時に応じて各先生にミニ講習をお願いしたりして、その後はもちろん組み手。 いつものメンバーと違う相手との組み手は緊張もするが良い経験になる。また自分が組み手をしなくても、他会の人同士の組み手を見るのもなかなか勉強になる。 ただ強いとか弱いとか言うのではなく、何処が自分と同じで何処が違うか、を見るのも稽古のうち。太気拳というのはどうもなかなか間口の広い拳法で、 稽古の中から何を引き出し、どう料理するか、がポイント。それが上手く出来ないとただ漫然と禅を組んで組み手、という事になってしまう。 稽古で何をつかみ、それをどう組み手に生かすかが勝負。そしてそれを身をもって示し、指導するのが自分に課されていることとなる。 要するにビジョンを提示するということかな。この所、自分の中でいろいろな部分が繋がり、あるいは分離できてきた。 そのおかげで身体が振動するといった感じが出てきたので、今回はその感覚を通して組み手を見ることが出来た。

全体としては組み手に無駄が多いというのが印象。無理やり打ちに行ったり、無駄に動き回ったりが多い。 まあ、全部がそうという訳ではないが、組み手で自分の何を引き出そうとするのか、をよく掴まないままやっていると言う感じが多い。 稽古の組み手は言ってみれば実験、だから何を実験するのかわからないままに組み手をしてもしょうがない。 まあ言ってみれば、稽古不足で課題のない組み手をやっても時間の無駄という事と同じ。 頭を使ってビジョンを持って組み手をしよう、という事。ただ殴り合って強くなるのは、最初の半年・一年。 そこら辺を明確にする事をして行かなければいけないな、と反省、これからの指導に生かさなくては、と思った。

しかし、今年はお花見の準備で異変。交流会の日は本当にお花見日和で人出も多い。それは良いんだけど、スーパーに買いだしに行ったら、 肉が品薄。近所の二件のスーパーでステーキ肉を買い占めてもまだ足りない。あせった。なにせ、 鹿志村先生からバーベキューの肉を楽しみに来ました、とまで言われてしまっている。最後は途中参加の連れ合いに携帯で連絡、 買出しを頼む始末。ともあれ、昨年は確かお花見の最中に雨が降り出して大騒ぎをした記憶がある、それに比べれば上々の首尾。 暖かな春の日、たいした怪我人もなく好天のまま終了。

最後に、参加してくださった各先生・道場生のみんなに感謝。またよろしくお願いいたします。

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最近はあまり映画を見ない

最近はあまり映画館で映画を見ない。せいぜい娘にせがまれて連れて行くくらい。それよりもレンタル でDVDなどを借りてきて一人で見ることが多い。 それも新しいものは特に見たいと思わない。昔見てもう一度見たいと思うものを借りてくる。何時頃の ものかと言うと60年や70年代のものがほとんど。 人間歳は取りたくないものである、ひょっとするともう懐古趣味に陥っているのかもしれない。しかし 、無理に新しいものを見ることもないと思っている。 そうして借りているうちに中には買っていつでも見たいと思うものがいくつか出てくる。借りていると、 何時までに返さなくては、と言う思いが先にたって、無理見していると思うときがあるからである。 で、ここの所幾つかのDVDを買った。最初に買ったのが「第三の男」なんと5百円。内容はいまさら言うまでもない。 この映画について話し始めれば止まらない、と言う友人が何人もいる。映像的にも、内容的にも、そし て音楽的にも、ついでに勿論俳優についてもついついマニアックになる映画。 もう一つおまけに作家論にも発展するので、小説であること忘れる訳にはいかない。著作権の問題かわか らないが、とにかくこのDVDは安い。 続いて買ったのが「男と女」。これも今更何も言う事はありません。主人公アンヌの亡夫役のピエール・ バルーが格好良い。 あんな風に人生を心底楽しんで生き、そして死ねたら本望と言う感じ。何回か劇場で見た記憶があるが、 ひょっとするとピエール・バルーを見に行っていたのかもしれないと今になって思う。 しかし、アンヌ役のアヌーク・エーメな妖怪的(誤植に非ず)な美貌、この印象は30年たった今も変らない 。そして、「ビッグウエンズデー」。 主人公のマットと同年代の頃見たせいか、心に残っている作品。いわゆるサーフィンを題材にした青春映画と いうヤツ。 この頃は海といってもダイビングにはまっていたのでサーフィンのシーンには特に印象はなかったが、今見る と大きな波に挑むと言うことの恐怖心が少しは判るせいか少し違った印象がある。 波は怖い、新米サーファーとしては自分の身長を超える波に乗るのは「度胸」・「肝っ玉」。自分自身沖で恐 怖心に震えながら波を待つという不思議な事をする(怖ければやめればいいのに)。 サーフィン関係で買ったものがその極めつけ「ライディング・ジャイアンツ」、これだけは新作の部類に入る。 とにかく大きな波に挑むサーファーの映画。六階建てのビルくらいの波に乗るというもの。 ジェリー・ロペスと言う伝説的なサーファー、彼が大波に挑戦した時の気持ちを語った言葉 「It’s a good day to die(今日は死に日和かも知れない)」。 挑戦をやめて帰りたい、しかしやめて帰ったら一生自分を許せないだろう、だから行く。自分 自身の中に基準を持つと言うことの大切さを教えてくれる。 他人の評価ではなく、あくまで自分自身を許せるかどうか、が判断の基準。出来ない事に挑む、 というのが人の病気だということが良くわかる。 これは海でも山でも、あるいは他の世界でも共通。自分の何かを越えたい、と言う気持ちが人を 変えていくのはスポーツだろうと武術だろうと全く同じだろう。 人の基準に合わせた稽古をするのではなく、自分の基準を見つけ出す。太気でもやっぱり同じことだと思う。

とは言っても、映画はやはり映画館がいいか・・・。

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四季

2006年ももう少しで終わり。いつも思うが、年々時間の経つのが速くなってきている気がする。 子どもの頃は一週間が、一月がとても長かった気がする。何時まで経っても一日が終わらず、 何時までも遊んでいられた。一瞬一瞬が濃密だったのかもしれない。これはどうも自分だけの 感覚ではなく、弟子の誰彼に聞いても皆そんな感想を漏らす。「象の時間、ねずみの時間」と 言う本があったが、「大人の時間、子どもの時間」と言うのも確実にあるような気がする。

稽古を外でして居ると季節の変化に敏感になる。桜が一瞬の狂い咲く春。耳を聾する蝉の夏。 今年見事に感じたのは紅葉。いつもの稽古場所に二本のもみじがあることに初めて気がついた。 日当たりの関係もあるのだろう。二本のもみじから何種類もの紅のグラデーション、自然の驚異。 それも次の週に行くと全くその面影もなく、枯れ落ちている。全て一瞬に起こり、その瞬間を逃 すとそんなことが起こったことの痕跡さえなくなってしまう。

そう、大事なのはその瞬間を捉えること、その難しさ、その面白さ。って、何を急にと思うかも しれないが、これは武術のこと。武術で大事なのは人と相対しての一瞬、見逃せばなくなってし まう一瞬を捉えようとする緊張。間、呼吸ともいくらでも言い方はあるのかもしれないが、これ がないのは武術ではない。自分と違う感性の相手がいて、何が起きるかわからないところでの瞬 間の取り合い。やることがあっても、やる瞬間を逃せば意味のないものになってしまう。これが 妙味。それに反応する感性と神経と身体を育てる。それが育てられないと「武術家」とはいえな い。どうなるのかと言うと「武術研究家」や面白いのは「武術稽古研究家」と言うものになるら しい。研究家はいつも武術の外に居る。