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天野敏のテクスト 閑話休題

ホクレア号

年間を通じて毎週19時から同じ場所で稽古する。不思議なもので、立つ場所もほとんど変わらない。近くに小さな山があって、 見上げると夜空の一角にその山の影が迫ってくる。一年間いつも同じ角度から空を見ていることになる。そうすると、山との位置 関係で星の位置が少しずつ変わっていくのがよく判る。星の位置が変わるのと同じように、月の出る時間が変わり、場所が変わり、 満ち欠けが変わる。そうしていると飛行機の航路までわかってくる。いつも同じ時間に同じ辺りを同じ方向に飛行機が飛んでいく。 私のいる場所も変わらず、山の位置も変わらず、飛行機の航路も変わらないが、星と月の位置が刻々と変化していく。

月に何回かは、日の出を海に浮かんで迎える。同じ日の出でも時間は季節によって違う。冬は遅いし、夏は早い。太陽の上る位 置が海に入るごとに違ってくる。遠くに江ノ島が見える。冬は江ノ島の南側から陽が昇る。それが徐々に北にずれていく。今の季節 は江ノ島を完全に外れて、市街地の方から陽が昇ってくる。勿論光の手触りも違ってくる。陽に照らされて所在無さげな月の位置も 変わってくる。

天動説でも地動説でもどちらでも良いが(天動説はさすがにちと古いか)、宇宙を考えると何かとてつもなく大きなものの中に 自分が今いると言うことに、今更ながら驚いたりする。いや、驚きというより恐怖、あるいは畏怖と言った方が正しいかもしれない。 神様を信じるような素直な性格ではない。それでも、この宇宙という集合離散・生成消滅の永遠のくり返しの中で、この今という時 間に自分が此処にいると言う奇跡。今此処に生きていると言う奇跡、この事に素直に驚いてしまう。

ハワイからホクレア号が横浜に到着。ホクレア号は全長約19メートルのハワイの双胴外洋カヌー。近代的な機材を使わず、星の 位置と風の力で外洋を走る。昔ながらのポリネシアの誇りと航法を守り太洋を乗り切ってきた。ハワイというと、日本から飛行機で 行けばあっという間、パック旅行で行けば下手をすれば熱海にいくより安いかもしれない。しかし、その距離を星を頼りに太洋の真っ 只中でポツンと航海する、と考えると恐ろしい気さえする。そういう時、人は多分自分の存在の奇跡を向かい合う。夜空の星・月・ 風・波。それらが時に恐怖の対象になったり、希望になったりする。生きることと、生かされることの狭間に人はいる。