自宅を出た道路の片隅になにやら見かけないものがある。道路より一段高くなったお向かいさんの低い塀のすぐ下。 よく見ると蛇だ。私の親指よりちょっと太め、長さは1メートルくらい。8の字にとぐろを巻いて鎌首をもたげている。 口をカッと開き、虚空に向かって威嚇するようにじっとしている。
子どもの頃はそこらじゅうに空き地があった。そんな空き地でよく蛇を捕まえては遊んだ。尻尾を掴んで振り回した り、怖がる女の子に投げつけたりした。小さな穴を掘り、蛇を投げ込んでみんなで小便を引っ掛けたりした。しかし、 アスファルトで舗装された道路の上の蛇は、場違いで悲しい。そっと手を出して頭に触れる。相変わらず蛇は虚空をに らんで動かない。死んでいた。今にも躍りかかりそうな姿で死んでいたのだ。
ふっと数年前に見た海亀を思い出した。夏のある日、三浦半島の荒崎の友人宅に子どもをつれて遊びに行った時だ。 荒崎はその名の通り、荒々しいリアス式の海岸の景観で有名。車を駐車場に入れ、さっそくみんなで海岸に散歩に出た。 すぐ眼の前が漁港。港の脇の船揚場を抜けて岬の突端に行こうとした時のことだ。子どもが「あ、亀だ!」と叫んだ。 成る程亀がいる。アカウミガメ。甲羅の大きさは一抱えほどある。その亀が昂然と首をもたげ、辺りを睥睨している。 しかし、動かない。そこだけ時間が止まっているようにその亀も死んでいた。船のスクリューにでも傷つけられたのか、 甲羅の後ろに大きな傷があり、わずかに血が流れた跡があった。腐臭もしないことから死んで間もないことが判る。 傷ついた身体で陸に上がり、水際から20メートルほどで力尽きたに違いない。何を思って20メートルの距離を歩ん だのかは、勿論判らない。しかし、死んでもなお昂然と首をもたげた姿からは、自然に生きるものの気高さが迫ってくる。 生きる意志を強く訴えてくる。
蛇にしても亀にしても、何故そのような格好で死んでいったのかはわからない。全ての蛇や亀がこのように死ぬわけで もないだろう。しかし、その姿は、ぬくぬくと生きている人間に、何かを叩きつけているようだ。生きて生きて、最後の瞬 間まで生きて、ついに生きたまま時間が止まる。生きているように死ぬ。死んだように生きるな、そう言っているのかもしれない。