組手のできる身体になった
お花見交流会の前、体の調子は上々であった。4週間ほど前から組手稽古も何度かしていたし、いい感じの仕上がり具合である。こう書くと当日は、並み居る敵をバッタバッタとなぎ倒し、アレヨアレヨという間に決勝進出!と思われがちだが、太氣拳の組手はそういうものではない。自分に出来ること、出来ないことをじっくりと確かめるために相手と向き合い、相手の胸を借りて、今後の課題を見つけ、次につなげる組手をする。
前述のいい感じの仕上がり具合――その内状は、自分の体がやっと組手稽古のできる状態になったことを実感できていたということ。これは何も、相手のどんな攻撃に耐えられる超合金ボディが手に入ったわけではなく、太氣らしい、練れた重い身体――それが手に入ったのだ。組手をした後には、必ず何か新しい発見を得られる。そういう状態になっていた。正直なところ、お花見交流会の前、自分の組手のスキルはまだまだお粗末なものだという自覚は充分過ぎる程にあった。だが、一番の思いは「ああこれが始まりなんだな。今やっと組手稽古が始められそうだ」ということだった。
この思いを裏付けてくれる出来事があった。交流会の日、鹿志村先生から「君は体が重いねぇ、かなり稽古しているね。すぐに上手くなるよ」とお褒めの言葉をいただいたのだ。とっても嬉しかった。と同時に「鹿志村先生、私だって、ここまでくるのに5年も掛かったんです・・・」という思いを飲み込んだ。鹿志村先生、天野先生が太氣拳を始められてから、実に20年が経っている。暗中模索の中の20年。それに比べれば、なんと恵まれた環境の5年間だったことだろう。天野先生には、本当に感謝、感謝である。
交流会が終わると気持ちも一段落つき、稽古も一休み、と思いがちである。もちろん嫌な組手もしばらくやらなくて済むし。と思っていたのは去年までの私である。今年からの私は違います。気力充実させてガンガン対人稽古をやります。もちろん組手稽古も毎週やりますよ!
集中と拡散
毎朝の立禅を始めて、もう4年になる。色々な変化と進化があったが、その内の一つは、集中力がついたこと。集中するというと何か眉間にしわを寄せて、しかめっ面をするようなイメージがあるが、それとは全然ちがう、集中と拡散が同時にあるような感覚である。組手で相手と向き合う。相手の中心に集中しながらも風のそよぎを感じている。無邪気に遊んでいる子供の声、犬達の吠え声までもが聞こえている。意識が集中と拡散の状態の中で、身体も収縮と膨張を繰り返す。――はずであったが、相手と手が触れた瞬間、体が固まり、周りの音も聞こえなくなる。天野先生からは、とにかく緩むこと、全てのリキミを完全に外して、脱力しきっていられるようにとアドバイスをもらう。そして鹿志村先生からは、「君はアゴが出るねぇ。打ちに行くときにアゴがでるから打拳に体重がのらないし、第一それじゃあ、貰ったときに効いちゃうよ」と助言をいただいた。
胸を張るとアゴが引ける?
アゴを引くというと誰しもが、ボクサーのあのクラウチング・スタイルを思いだすだろう。私も何かそのような形をイメージしていたのかもしれない。しかし得られた状態は全く違っていた。鹿志村先生から助言をいただいた翌日、月曜日、立禅の中でそれを探ってみた。答えが無い。這いの中でも練りの中でも探ってみた。やはり答えがない。あきらめずに、探手の中でもそれを探ってみた。アゴを自然に引ける状態をさぐりながら、打って、サバいて、力を抜いて体に任せるように動いてみる――。すっとアゴが引けたそのとき、意外にも胸を張った姿勢であった。この状態が一番自然にアゴを引いていられたのだ。アゴの位置が変わるということは、首の状態が変わるということだ。火曜日、その首の位置を馴染ませるような感覚で、立禅、這い、練りを行った。水曜日、同じようにそれを繰り返しているうちに、今度は尻の股関節あたりに違和感が・・・。木曜日、初めは違和感だった尻の股関節が充実感に変ってきた。新しい良い位置に股関節がハマりそうなのだ。そして金曜日、股関節が完全にハマッタのだ。
んんっとこれは、どこかで聞いたようなフレーズだ。思い起こせば2年前、H15年・初夏の章を振り返ってみると、そこには関節のハマッタ記念日が記されている。腰がハマッタ記念日、4月18日。首がハマッタ記念日、5月9日。股関節がハマッタ記念日、5月28日と。そしてそれに追記せねばなるまい、股関節がもう一度ハマッタ記念日をH17年4月8日と。
リストラされる骨達
リストラというと「首切り」「人減らし」などのイメージがつきまとうが、本来の意味は、英語のリ・ストラクチャリング。「再構築・再構成」などという意味だ。
今回、アゴを引くために胸を張って姿勢を変えた。そしてこの新しい首の位置とのバランスを取るために、尻の股関節のあたり所が、ちょいとズレたに違いない。つまり首の骨達がより良い位置に並び替えられ、それに伴って、尻の股関節の位置が微妙にズレ、より良い位置にハマッタのだ。これぞまさしく骨達のリ・ストラクチャリング。再構成である。
動体視力の向上
さて、骨達がリストラされると何か良いことがあるのだろうか。アゴが引けて首が伸び、姿勢がよくなると、実に身長が5cmから10cmほど伸びたように感じられたのだ。まあ、これはあくまでも感覚的なものなので、実際には3mmかもしれないし、0.3mmかもしれない、あるいは全々伸びてはいないのかもしれない。それともう一つは、視界が開けたこと。これはちょっと表現しにくいのだが、なんとなく今までよりも眺めが良いのだ。そして動体視力の向上。いつもの公園で朝練している時に、またしてもカラスが頭上をかすめる。思わず低く姿勢を取り、カラスの横顔を見て取ると、その眼つき顔つきまでもが良く見えたのだ。
そういえば天野先生は視力が低い。その低い視力でありながら、相手の動きはよく見えている。実は動体視力というのは、通常の視力とは異質のものなのではないだろうか。まあこの辺は、実際の組手において相手の動きや打拳が見えるようになったときに報告したいと思う。だってカラスの横顔が見えるって自慢げに言ったって、屁のツッパリにもなりませんから。
グレーゾーンを極める
差し手からの引っ掛け、これは以前に天野先生から習ったことがある。でもしかし、今回、鹿志村先生から直々に手をとりながら教えていただいた時には、新しい着目点が見つかった。この動きを簡単に説明すると、上にある腕がグーを握って前に出て行き、同時に下にある腕がパーで手元に引かれてくる。これを交互に繰り返すのだ。始めは手元に戻ってきた手をグーに握り直し、前まで行ったらパーに切り替えるだけでも大変で、その内に逆の動作をしてしまったりする。握りのコントロールが上手く利かないのだ。でも繰り返し練習してコツをつかんでくると、グーの手とパーの手を間違わずに出来るようになってくる。
ではここで何に気付いたのかというと、グーからパーに切り替えるその刹那に極意が潜んでいるということ。太氣拳の力は流れる、流れながら途切れない。強くなり弱くなり、螺旋を描いてうねっていく。グーからパーに切り替わるその瞬間、それが陰(黒)から陽(白)に切り替わるターニングポイント。その刹那、行って戻るだけではなく、重要な何かがある。このグレーゾーンを極めたい。
グーチョキバーで半拳ポン
グーで殴るのか、パーで殴るのか。これは私にとって実に悩ましい問題であった。太氣の組手には「顔面は開掌、ボディは拳も可」という暗黙のルールがある。ところがこれが曲者で、顔面をパーで叩くとグーに握るまでに時間が掛かるし、グーでホディを殴った直後、顔面を攻撃するためにパーに切り替えるという作業が実に面倒というか、スムーズにできないのだ。ところが天野先生は、この辺のところを実に器用にやってのける。とても不思議に思っていた。それが今回、鹿志村先生からヒントをもらったことでスッキリしたのだ。
鹿志村先生は、特別講習の中でこんな説明をされていた。「太氣拳の半拳は、意拳のそれよりも開き気味になる。テニスボールをもっているときくらいの手の形でほとんど握らない」とのこと。これでは指をいためそうだと誰しもが思うだろう。私も始めはそう思った。まだ説明の途中であったが、こっそりと後輩に耳打ちし、ちょっと叩いてみてもいい?ってこの手の形でそいつの背中や腹を打ってみた。嫌な先輩である。でも軽く打っても、効くという。オゥ、マィ、ガッ。マカロニ!さてさてこの後のことは、鹿志村先生の説明だったのか、自分で気がついたことなのか、記憶が定かではない。それくらい自然に、当たり前なことに思えるのである。開掌を使う際には手をパーに開ききるのではなく、バレーボールを持つくらいの形にする。
この特別講習の直後、2、3人と組手をしたが、残念ながら私は、今聞いた話をすぐに実行できるほどの器用さを持ち合わせてはいなかったので、その確認作業は翌朝の自主練に持ち越された。この手の形で探手をする。手のひらはバレーボールからテニスボールまでの大きさで行き来する。実にいい感じだ。力の途切れを感じさせない。そしてそのまま開手で打ち、半拳で打つ!ドン・ピシャリであった。
思うに、以前から天野先生からも同じような事は何度も言われていた。それを今回のことに当てはめてみるとこういうことになる。「グーを握るとさ、終わっちゃうんだよ。次に開くのにエネルギーが要るだろ。エネルギーが要るってことは、違う言い方をすると時間が掛かるんだよ。パーもおんなじ。開ききっちゃうと終わりなんだよ。開ききったものを緩めるのにまた時間が掛かる。だからバレーボールからテニスボールなんだよ」って。こう書いていて、このことも、もしかしたら天野先生から聞いた話なのか、自分で気付いたことなのかがあいまいに思えてくる。それくらい自然に、当たり前なことに思えるのである。
けどよくあるよね。聞いた方も覚えていないけど、言った方も覚えてない事って、そうそう酔いどれ太氣拳。天野先生とお酒を飲むといい話をいっぱい聞けるんです。大抵は忘れちゃうんですけどね。でも潜在意識の中、奥深くにそれが眠っているのかもしれないよなぁ。あぁもったいないもったいない。。。
極意!忍者あるき
昨年の冬の章で、這いの稽古で寄せ足に収縮を感じたと書いた。より正確に表現しようとすれば、腹の収縮感に寄せ足が吸い込まれると言ったところか。では差し出し足はどうなる?と考えてみた。答えは這いの動きから練りの動きへの変わり目、グレーゾーンから見出された。
這いの差し出し足からの動き。
①軸足とその上にのっている上体はそのままで差し出し足だけを出して行き、
適当な歩幅の位置で留める。この状態での荷重比率は10:0。
②上体を差し出し足の着地点に向けて移動させていく。半分まで行くと荷重比比
率は5:5となる。
③上体は完全に差し出し足の上まで移動しきってる。しかしまだ、先程まで軸軸
足だった足が後方に伸びている状態にある。このときの荷重比率は0:10。
とここまでが這いの基本形。仮にこの方式をスタイルAとしておく。
スタイルBでは、①→③の動きを行う。この動きに②は存在しない。ポイントは「第三部・夏の章・第三の歩法」を参照のこと。
スタイルCでは、①も②もない。延々と③だけが繰り返される。つまり前足を差し出しながらそれが着地したときには、もうすでに上体がそこに乗っているのである。ポイントは「第五部・春の章・謎のトコトコ歩き」を参照くだされ。
スタイルCの動きは、這いと言うよりも、もはや練りである。そしてこの体の使い方ができるようになってくると、実に理にかなっていることに気づかされる。それは、天野先生のいうところのジャンプした後の着地する時の姿勢だ。着地する時には、体全体をバネの様に使い、衝撃を和らげている。これを片足ずつでやってみると、まるで泥棒が「抜き足・差し足・忍び足・・・」と歩いているかのようになる。でも「泥棒あるき」じゃあなんかパッとしないんだよなぁ。そうだ仮面の忍者赤影!
手裏剣、シュッシュッ・シュッシュッシュッ、赤影が行く~♪というわけで命名、これを「忍者あるき」と名づけよう!
詰め将棋のような組手
さて、組手における課題である。まずは春の章(その1)で書いた『ワンインチパス』の用法の実現。しかしこれは鹿志村先生が繰り返し言われていた「自分の中心を守って、相手の中心を攻める」という太氣拳の原理原則とは相反しているように思われる。なので、この辺を実際の組手をとおして検証していこうというのが第一の課題である。また打拳に関しては鹿志村先生の言う所の「相手に合わせる打拳」。ただやみくもに自分のペースで打つのではなく相手の状態に合わせて打つ。自分としては、それは何か「タイムラグ的」な要素を含んでのではないかと思っている。
そう言えば天野先生は「組手っていうのはさ、詰め将棋のようにやるんだよ」とよく言われていた。三手四手先まで読んでいて無駄なく駒をすすめる。一手一手が必然で動く。そして、一挙手一挙動がそのまま攻防になっているような組手。そんな組手を実現させることが目標である。
気分は上々
日曜の午後、岸根公園へ稽古に行っていた。激しい推手の稽古が終わると、もう体は、くたくたに疲れきっている。そしてあれも出来ないこれも出来てないと反省点ばかりが頭の中を駆け巡り、気分が落ち込んでいた。大体いつもそんな感じだった。
「こんなんで俺ってほんとに強くなれるんだろうか」そんな逡巡とした思いをいだきながらも、もう頼るべき所は太氣しかないと喰らい付いていた。挫折の連続だった自分の人生には、もう後がない――。そんな執念のような思いが今の自分を作ってくれたのかもしれない。いつの頃だったろうか、稽古がそれほど辛くなくなったのは。4年目だったか5年目なのか。激しい推手をしても、それほど息も上がらないし、疲労感もほとんどない。そんな稽古ができるようになっていた。そしてここ最近特に思う事は、稽古の前も稽古の後も、実に気分が良いということだ。つまりは一日中、毎日が上機嫌なのだ。
自分の稽古に確信が持てるようになってきている。今はまだ出来ていないことがあっても、この道を、師の照らす灯りのある道を歩いて行けば、確実にそこへ辿り着くことができるという確信である。だから、推手の稽古、組手の稽古をとおして新しい気づき、新しい発見があっただけで、楽しくてワクワクしてしまう。「またいい物見つけちゃったよ」と宝探しゲームを楽しむかのようだ。
思い起こせば3年前、第三部、夏の章に書いた『メンタル・スランプ』頃は、軽いうつ病だったのかもしれない。その夏でスランプをやり過ごしたような書き方をしたが、実際の所は、その年の暮れ頃までは、その症状を引きずっていた。それはまるで自分が、先の見えない長く暗いトンネルの真っ只中に迷い込んでしまったような気分だった。
人生、良い時もあれば悪い時もある。稽古をやっていると体も色々になるんだよ。腰を痛めて稽古を長期間休んでしまうと、天野先生はいつもそんな言葉で見舞ってくれた。寒かったら着る。疲れたら休む。それでいいじゃないか。そんな言葉も思い出される。人に与えられている才覚は、平等ではない。ある者は体力がありスポーツ万能。ある者は頭がいい。その両方を兼ね備える者もいるし、なにも無い様に感じでいる者もいる。だが与えられた人生、与えられた自分という素材をどう料理するかの選択肢は、おのおのに平等に与えられているのではないだろうか。
訂正・前寄り荷重の笹カマボコにささる膝
前回の「春うらら」をリリースした翌週に、岸根公園の稽古に参加した時のことだ。天野先生から唐突に言われた。富リュウはさ、立禅のときの重心の置き方を勘違いしているようだね。体重はつま先よりに乗っててもさ、体全体の重心はカカトにあるんだよ。踵っていうのは、足に重いって漢字なの知ってるか?おまえは重心もつま先寄りにあから、そんな変な姿勢なんだよ。
OH,MYGOD!
なんてこったパンナコッタ。そ、そ、そんな重大な間違いを冒していたとは・・・。と言う訳で、皆さま大変失礼いたしました。正しくは、前より加重の笹かまぼこはそのままに、カカトに重心を落としてください。
この日、それをやってみて一番に感じたことは、師である天野先生のフォームに似てきたな、ということだ。そして、なんとなくフワフワしていた自分の体がズンッと重くなると同時に、今まで取ろうとしてもなかなか取れなかった下半身と腹のリキミが取れてきたようである。