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会員・会友員のテクスト 富川リュウの太気拳修行記

平成14年・秋の章

Chapter SAT -おかあちゃんのためなら-

 川崎市中原区にあるその公園へは、私鉄電車で向かっていた。稽古は午後の2時からだというのに、もう2時30分だった。時間どおりに行こうと思いながらも、大抵こんな時間になってしまう。駅のホームで虫除けスプレーを振る。特に足首と襟首回りを念入りに。もうとっくに秋らしい陽気だというのに、今年はまだまだやぶ蚊が多くて参ってしまう。

 公園に着くと数人が立禅をしている。荷物を置いて、靴を履き替え、準備体操をする。それが終わって、皆のいる方へ歩み寄り、目礼する。師はいつものように軽く「おうっ」という感じでうなずいてくれる。

 正面を向いて立禅を始める。一月ほど前に師から与えられた課題は、踵重心と爪先重心の使い分けだ。爪先に重心があるときには、体全体が伸び上がろうとする。その力を確かめながら、体の中での力の拮抗を感じてみる。踵に重心があるときには、沈み込もうとする力がある。その力に諍いながら、体の中での力のせめぎ合いを味わう。しばらくそれをやったら、今度は左右でこれをやる。右は踵荷重で左は爪先荷重とする。こうすると腰から上が回転しようとする図太いトルクが感じられる。師はこれを柔道の投げ技に見立てて説明してくれた。同じことなのに、左が踵荷重で右が爪先荷重としてみると、今にも右のフックが爆発しそうな気配があるのが不思議だ。

 頃合いを見計らって半禅に移る。左右それぞれ色々なパターンでやってみる。爪先荷重、踵荷重。開く力、閉じる力、捩じる力。ひとり練習のときにの立禅は、大抵が20分くらい、長くても30分くらいしかやらない。でも皆と一緒だとそれが励みとなり、40分から60分位はできてしまう。もっとも師の目が光っているという緊張感が、一番のモチベーションであることは否めないが…。

 揺りをはじめる。近頃の揺りは何かが変だ。体がうねるじれったさが、何ともいえずもどかしい。これは一体何だと言うのか。じれったいけどもっとやっていたい。もどかしいからまだまだ続けたい――。そのうち時間があるときに、揺りだけを1時間くらいやってみたいものだ。

 這い。一本足を意識して行なう。師から首の角度を指摘され、もっと力を抜いてとアドバイスをもらう。ふと見ると、まだ一年目の弟子に、這いの足使いでの力を出す方向を説明している。自分が入会した頃の懐かしい思い出がよみがえる。はじめは上体を正面に向けたままで行なう。よじれようとする腰をそのままに、タメを意識しての這いだ。次には上体を自然によじらせながら、且つそこに行く力と戻る力を感じながら。

 ちょっとトイレ休憩。うがいもして気分を変える。次は歩法。今日はどの歩法をやろうか・・・やはり踵の返しか。ナンバ歩きから入る。綱をたぐって一直線に。次は、左右のレールにステップする。また綱をたぐって一直線にもどる。かなり腰や肩の動きにキレが出てきていて、ささやかな喜びを感じる。そして今日のテーマは、爪先荷重と踵荷重の使い分け。腰から上の捩じる力でフックを打つ。歩法と打拳が一体となる、はずなのだが、まだまだそんなに上手くはできない。

 三連打拳から五連打拳へ。これはかなり体に馴染んできている。ずいぶんとスムーズに繰り出せるので気分がいい。息が切れ、汗がしたたり落ちる。ちょっと一息。体を軽くほぐす。腕をぐるぐる廻し、屈伸をして腰を伸ばし、しばしの立禅・・・。次は何をやろうかと考えている。時計を見やると4時40分。大抵いつも5時頃には推手がはじまる。もう時間がない。よし、探手をやるぞ!

 とりあえず、手のオフェンス・ディフェンスは置いといて、足使いのレパートリィを確認する。電灯の鉄塔を相手に見立て、それに対峙する。斜めから入る方法はふたとおり。ひとつは、前足を外へずらして入るやり方。前輪駆動を意識して飛び込む。もうひとつは、後ろ足から動くやり方。横に動いてから順足で差す。そして後ろ足のスイッチを使って、相手を翻弄するつもりになって動いてみる。まだまだそこかしこに、ぎこちなさが残っている。

 よし、推手やろうか!師の号令が掛かる。事前に水分を補給する者、汗を拭く者、拳サポを着ける者。中にはすぐさま相手を見つけて、もう推手を始める者もいる。今日の課題は肘の張り、そして前腕で囲った空間を死守すること。丁寧に丁寧に推手を行なう。力をとぎらせないように、常に前腕の接触点で相手を抑えていること。雑な推手をする相手には、付き合わないように。手を伸ばし過ぎず、接触点の維持よりも空間の維持を優先させる。こうしておくと何処からどんな風に相手がきても、手がそれに反応してくれるし、姿勢も崩れない。だいぶ肘の張りを失わずにいられるようになってきた。今日は、まずまずの出来か。

 以前、師が言っていた言葉を思い出す。あんまり細かいことは、書いてもしようがないじゃないかと。確かに自分もそう思う。体で感じるということ、自らが体験するということ、そのときの自分の気持ち、それを文章にしたところで、一体どれほどその中身が伝わるというのか。書けば書くほどに、言葉で表現するということの、文章を駆使するということの、限界を思い知らされる。

 今週末もちゃんと稽古に参加できて幸せだった。明日の日曜は妻を誘って映画でも見に行こうか。あれやこれやの家族サービスも大切。妻の理解があるからこそ、拳法にも取り組めるというものだ。♪おかあちゃんのためなら、エーンヤ・コーラ。♪もひとつおまけに、エーンヤ・コーラ。なんだか急にコーラが飲みたくなってきた・・・。(おわり)

 炭酸は体に悪いから飲むなよ! 浅N先輩(怒)

Chapter SUN -縄のれん-

 今日は横浜市営地下鉄に乗って岸根公園へ向かっている。稽古は2時から始まりだというのに、もうすでに2時になってしまっている。またちょっと遅れてしまいそうだ。今日は虫除けスプレーはいらないだろう。ずいぶんと涼しい陽気になったものだ。それより長袖を着なくても大丈夫だろうか寒くはないだろうかと、心配性な僕なので臆病風に吹かれてしまう。

 公園に着くと数人が立禅している。荷物を置いて、靴を履き替え、軽く準備体操を。皆のいる方へ歩み寄り、軽く目礼する。師はいつものように、軽く「おうっ」という感じでうなずいてくれる。

 正面を向いて立禅を始める。ここの公園は緑が多く、すがすがしい気分になる。しばし無心に禅を組む。考える事も必要だが、ときには何も考えず、無念夢想の立禅をしよう・・・はたしてどれほどの時間が経ったのであろうか・・・ふと気がつくともう夕暮れ時だ―――というくらいに没頭して禅を組めるといいのに・・・。腕時計を覗いてみる。まだ10分しか経ってない。トホホ、である。

 揺りをはじめる。自分が水あめのプールにどっぷりと浸かっているように錯覚するほど、体の中に充実感がある。練に移る。師の指摘を思い出し、いつもそこかしこに力が継続してあることを認知させる。

 這い。今日は風が強いから、帆を張り前進と言った感じか。向かい風を感じてゆったりと歩み、ゆったりと後退する。自然の恵みに感謝。ふと傍らを見やると、師が探手をしている。ここのところ、師の進化には目覚しいものがある。以前とは、とっても何かが違っている。日進月歩に変わってきている。動きがダイナミックになり、それでいて繊細で緻密。溜めから一気に爆発。切れのある動き。軸にブレがない。一瞬の変化。停まっているように見えて居着かず、だからすぐに動き出せる。達人技か神技か。その旨、尋ねた事がある。なんか最近変わりましたね。上手くなっているというか、進化している感じですね。そうか、お前にも見えるようになったか。そうなんだよ。俺はいまでも進化してるんだよ。師は、おごらず気負わず、さらりと言ってのける。壮年期といえる年齢でありながら、それでも進化しつづけているという事。その師の背中を見つめ、あとに続く弟子達。いつの日か、師の実力に追いすがるのではなく、己の中に真価の玉を見つけられる。そんな日が来るのだろうか。

 ちょっとトイレ休憩。うがいもして気分を変え、屈伸をして腰を伸ばし、暫し佇む。次は何をやろうかと考えている。そうだ、セミナーの時の復習をやらなきゃ。

 まずは、差し手を絡めての順突き。逆手の差し手から入ってその手で相手の腕を絡めて引き寄せ、崩れた相手を順手で決める。これを歩を進めながら交互に行なっていく。差し手は全身が一本になっているように。絡めて引き寄せるときには、体勢が崩れないように。頭を足先へ載せること、肘の張りを意識することがコツ。

 それから虎歩を行なう。これもセミナーで教えてもらった。差し手を打ちながら、狭いスタンスでジグザグに歩を進めていく。踏み出す足でポッと踏み、寄せ足でコッと踏む。ポッコッポッコッポッコッポッコッ、ポッコッポッコッポッコッポッコッ・・・虎というよりはニワトリのようだ。見た目は悪くとも、歩を踏む力を全身に伝える意図がうかがえる。しばらくこれで毎日通勤しよかとも考えてみたが、変人扱いされると妻が可哀相なので止めておこう。

 よし、推手やろうか!師の号令が掛かる。いつもより少し時間が早いように感じつる。まだ4時半だ。もう少し虎歩の練習をしたかったが、時間切れとなってしまった。だったらもっと早く来いよ、と妖精が耳もとでささやく。気のせいか、木の精か。

 推手が始まった。今日の課題は立ち位置。常に一本で立っているか、ひざを閉じてから歩を進めているか、歩幅は広すぎないか、力を出す方向は、足先の向いている方向と一致しているか・・・。圧力のある先輩とがっぷりと組む時には、とにかく禅のフォームを維持することに専念する。これさえできていれば、体勢が崩れることはないし、手も効いてくれる。格下の者とあたる時には、足位置をいろいろと工夫してみる。正しく踏み変えが出来ると、力を入れなくても、相手が崩れるのがわかる。ただ、ときどき自分のスタンスが広すぎる場合があるので、これは改めねばと反省する。スタンスは狭く、自分の重心のある範囲にだけ置いておく。そんな師の言葉が思い起こされる。

 人影もまばらとなった夕暮れ時の公園に、たたずむ七人のサムライ達。上気した男達の裸体が揺れる。どの体も引き締まって美しい。師のがっしりとした体躯が、ひときわ存在感のあるオーラを放っている。どの顔も、誰かが何かを言ってくれるのを待っている。「ちょっと一杯、軽く行きませんか」と口火を切るN田君。いい出しっぺはいつもこいつだ。誰もやりたがらない役回りをいつも一手に引き受けてくれる。

 夕闇に そぞろに歩みて 縄のれん 今日はくぐるか くぐらんか。

いわずもがな、一杯で終わることなく盛り上がる酒宴。サムライ達の束の間の休息・・・。(おわり)