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会員・会友員のテクスト 富川リュウの太気拳修行記

平成15年・初夏のたわむれ

謎の指差し歩き

 「できることをやっていてもしょうがないんだよ!」師の叱責がとぶ。“なんば歩きで綱渡り”をやっていたときのことだ。師の言葉がつづく。「できてることを何十回、何百回やったって意味がないんだよ。自分に足りないものは何かということをよく考えて、それをしっかりと見つめて、それを乗り越えていくことが、太気拳の稽古なんだって、俺は思うんだけどな」と。どうも人間とは弱いもので、できるようになったことに固執しがちだ。それを繰り返す事で悦に入ってしまう。しかして師はその甘えをいっさい許さない。できるようになったことを褒める前に次の課題を示される。そして次はこれをやりなさいと、“謎の指差し歩き”を指示された。

 “謎の指差し歩き”なるものは、それまで一度も見たことのない動きだった。だまってやってはみたものの、それが何を意図しているのかがさっぱりわからない。だから私にとっては“謎の”〇○○なのだ。何もわからないまま見よう見まねでそれをやっていると、そこかしこで「肩をしっかり返して!」「もっと指で中心を差すように!」「最短距離を三角に動かして!」「もっと腰を落として!」とアドバイスがあった。そして時には速く、またある時にはゆっくりとやるように、と言われた。

 果たしていったいこれは何なのか?

 どうも動きがぎこちなく体に馴染まない。しかし答えを探す事も稽古のうち。それが太気拳の稽古というものだ。「動きがぎこちなく体に馴染まない」と感じているのであれば、「身体に馴染んでスムーズに動けること」をテーマにして反復練習すればいいのだ。

立禅レボリューション~関節ハマッテますか?~

 稽古のあとの雑談の合間に、「こう、だんだんやってるとさ、肩の関節がハマッテくるんだよな。まあ肩と言わず何処といわず、指や手首や肘、膝、全部の関節がハマッテくるんだよ……」師のそんな話を一年ほど前から小耳にはさんでいた。「ああた(あんた)関節ってもんはね、脱臼でもしてない限りはハマッテて当然じゃないのさ!」と耳元で常識の小悪魔が囁く。しかして師の言いたかった事は何なのだろうか……富リュウのこの身の上に、はたして関節のハマル日が訪れるのだろうか。「先生、僕でもいつかは関節ハマルんでしょうか?」「んー。富川はもうすぐだよ、あと3ヶ月くらいかな。ちゃんとハマルよ」そ、そ、そんなことを言われてしばらくして……ハ、ハマッタのです。腰が、首が、股関節が……。

 腰のハマッタ記念日:4月18日金曜日、大船にて。
 腰のハマッタ状況:這いの稽古をしているとき、左足への重心移動の際に腰が後ろに残り気味だった模様。その際、先生がサポートしてくださって、腰をそっと押してくれたその瞬間、ハマッタ。

 首のハマッタ記念日:5月9日金曜日、都内某所にて。
 首のハマッタ状況:立禅のあと揺りをしていると、どうも首の具合が悪く、どうしたものかと色々と工夫していて後輩の話しを思い出す。その後輩は、以前ある意拳の先生から「背骨が圧縮される感じ」と言われたけど意味がわかんなかったとのこと。頚椎を圧縮してみる。そしてハマッタ。

 股関節のハマッタ記念日:5月28日水曜日、朝の出勤時。
 股関節のハマッタ状況:朝の出勤時、歩道を歩いていると、尻の股関節あたりに違和感が……。歩きながら少々調整してみると、ハマッタ。

 さて、関節がハマルと何かいいことがあるのでしょうか。一言でいうと楽になります。腰がはまった時から、腰に負担がなく疲れない這いができるようになりました。立禅でハマッタ首の感覚を這いにも使ってみると、視点がよく定まって、なおかつ視界が広がったようにように感じました。またその中で、意識が目標物に絡みつくような感覚も出てきています。股関節がハマッテからは、半禅の際に足裏の真上に骨盤が乗るようになり、また背が伸びたようにも感じました。そして日常生活の中でも立っていることや歩いている時にとっても楽になりました。

進化する這い~面がよじれる~

 春先から天野先生に指導されている這いは、捩じる力で軸を保つ、自然な螺旋のねじれで姿勢を維持することがポイントです。左足一本で立つときに、左の肩と腰を自然に引いて、右の肩と腰がやや前へ出て行きます。しかしこれは楽ではあるのだけれど、どうも力が感じられない。そしてときに振らついてしまうのです。這いの極意はただ真直ぐに安定して立っていればよいのではなく、どの局面を切り取っても、そこから瞬時に前へ、あるいは後ろへ、素早く動ける状態であるはず。さればどうすればよいのだろうか。「先生、なんかふらついちゃうんですけど…」「もっと腰を落として、股関節の正面側(鼠径部)で吸い込むようにしてごらん」とのこと。なるほど確かに安定感がある。しかし何かが足りない…何かが…。そこで引いている左肩の付け根、つまり脇胸のあたりでも吸い込むようにしてみた。ってことは脇胸を引き込んでも肩はやや前にあるように。んーこれはいい感じだ。そこそこ安定感が出てきたぞ。

 そして一ヵ月後、それでも這いがいまいち安定しない。ふと「ヘソか?」という思いが脳裏をかすめる。左足で立つときに左腰を引いてヘソも左を向いていた。これを左腰(わき腹)を引きつつもヘソの意識だけを中心の目標物に向けておく。うん、これでバッチリ。なかなか安定感がある。

 ここでちょっとおさらい。左足一本で立つときに、左の肩と腰を自然に引いて、右の肩と腰がやや前へ出て行く姿勢が基本。だけど肩とヘソだけちょっと残す。つまり左のわき胸を引きつつも肩をやや前に残す。そして左の脇腹を引きつつもヘソの意識を中央に残す、という具合になる。

 この感覚がわかってくると体の面の使い方に応用が利くようになってきた。面というのは両肩から胸、腹、腰骨までの大きなスクエアな面のこと。この面をよじって使うことを覚えると、自分の身体の使い方に新しい可能性が見えてくる。

 私が思うに、これまでの稽古では、肩腰の一致を第一段階のテーマとしてやってきていた。腰と肩が一致して動くことで出る力を感じること。そのために肩と腰のつながりをしっかりと造り上げること。そして第二段階ではこの面をよじって使う。各部の繋がり合いがあることを前提に、各部の連携を感じながらそのスクエアな面をよじって使う。そういうことなんじゃないかな、と思う今日この頃なのです。

 ここへきて自分の体を不思議に思う事があります。太気拳をやっていて、初めは動かない稽古やゆっくりと動く稽古ばかりなんだけど、ある日ある時、急に速く動けるようになるのです。そのきっかけは、自分の軸が感じられた時だったり、関節がハマッタ時だったりします。「先生、なんかこうピタッとハマッて、固定された感じが得られた後に、速く動けたりするのって、なんか矛盾してるんてすけど、出来ちゃってるのって何でですか?

 自分でもなんか不思議なんですけど」「それはね、禅や這いでハマルってのは、好い所がわかるってことなんだよ。好い所ってのは、自分の姿勢の中心の好い所、そして自分の軸の好い所。だからそれが身につけば、動くって言うのは、打拳を打つにしても歩法で動くにしても一番効率のよい無駄のない動きが可能になるのさ。だから位置が固定されたと感じたあとに、すごくよく動けるようになってる自分を発見したりするんだよね」とのこと。なるほど・ザ・太気拳ワールド、である。

指差し歩きから打拳へ

 ボディの面をよじって使うことを覚えると、指差し歩きにある種のまとまりができてきた。そしてその意図する所が見えてきた。これはつまり打拳を打つ方向に身体全体のベクトルを調整していくものなのではないだろうか。右左右左と一歩一歩しっかりと重心移動させながら、指で中心を差す動作ができてくると、足の踏む力、前へ移動する力が指先に乗ってくる。そしてもうひとつ、一歩一歩の重心移動の際に肩から肘までをしっかりと返すこと。これができないことには打拳に重さがでてこない。つまり指差し歩きの意図する事は、一つには指先を使って力を出す方向をしっかりを身につけること。もう一つは身体の返しをキチンと肘まで伝えること。この二点なのではないだろうか。

 人の身体というものは、末端の方がよく動かせるようにできているらしい。いちばん器用に動かせるのは指と手(掌)。次は前腕、肘、二の腕、肩という順番だ。そして身体の基幹部である、胸、わき腹、腹、背中などに至っては、中々思うようには動かせないものだ。

 打拳を打つ師の姿を後ろから見ていると、肩甲骨や背中の細かい筋肉までもが小躍りするようにピクピク動いている。そして推手をしているときの師の脇腹や脇胸は、ダイナミックに躍動し、力強く動いている。ほほぉ~これは新発見じゃあ!そうとわかれば富リュウもこうしている場合じゃあない。さっそくそれを目指さねば。でもなんか、やっとスタート地点に立てたように感じる。いや待てよ、これは元に戻ったという意味じゃあない。これは新たなステージのスタート時点なのだ。「先生!第一ステージクリアしたので、第二ステージに入りまーす!」。