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会員・会友員のテクスト 富川リュウの太気拳修行記

平成16年・秋ってさ

仮定、検討、結果検証フィードバック

 「テーマをもって稽古をしなさい」入門当時に天野先生からよく言われた言葉である。今日のあなたの稽古のテーマは何ですか?

 そんなことは聞かれなくてもちゃんとある。当たり前のいつもの習慣だ。時にはそれが「前腕の脱力」だったり、またある時には「ソケイ部の吸い込み」だったりする。もし「前腕の脱力」がテーマなら、「前腕の脱力」で禅を組み、「前腕の脱力」を意識して這いを行い、「前腕の脱力」だけを考えて練りをする。そして「前腕の脱力」で探手。

 この「修業記」を書いていて、いつも不安に思っていた事がある。それは「これでいいのだろうか?」という不安だ。「○○をやって○○になった。これはきっと○○にちがいない――」等ということを幾度となく書いてきた。果たして本当にそうなのだろうか?

 緒先輩や先生の目から見ると「それは逆だよ!」「それは勘違いなんじゃあないのぉ」っていうこともあるのではないだろうか。

 土曜の稽古の後、天野先生からとってもいい話があった。「毎日稽古するんだけどさ、結局稽古っていうのは、仮定して、検討して、結果を検証してフィードバックするってことなんだよな」って言うじゃない。つまりこういうことだ。テーマが「前腕の脱力」だったとする。自主練で、禅、這い、練り、と「前腕の脱力」を自分なりにやってみる。そして土曜日の対人稽古で、推手の中で使ってみる。そしてその中で「前腕の脱力」が生かされていれば、オーケー!ただし100点満点の正解はありえないので、問題点は自主練の中にフィードバックする。

 あるいはこういうことだ。テーマが「ソケイ部の吸い込み」だったとする。「ソケイ部の吸い込み」とは何なのかを、自主錬の禅、這い、練り、の中で探ってみる。そして土曜日の対人稽古で、推手の中で試してみる。その中で「体がなんだかバラバラだぁ」となったならば、残念!不正解です・・・で、フィードバックする。

 「あー良かった。間違いではなかったんだぁ」自分の今までの稽古のやり方に自信が沸いてきた。出てきた結果が正解/不正解ということには関係なく、稽古に対してそういう取り組み方をするっていう、そういうアプローチの仕方が大事なんだってこと。だからこの修業記に書いてきた事が、正解なのか不正解なのかが問題なのではなく、疑問を持って、取り組んで、結果を検証して、またそれでやってみると――それが大事ってことで、富リュウは偉い!誰もほめてくれないから、自分でほめちゃおっと。

「つみあげ」

 『第5部・夏なのだ』の章の<後ろ足もツッカエ棒>で、大腿骨→腸骨→仙骨→背骨が一列に繋ながって、股関節→仙蝶関節がいい感じでハマッタぞ!って書いたけど、この感覚の延長で半禅を行っていた。後ろ足の上に腰があり、腰の上に上体が乗り、そこに頭が乗っている。各関節がちょうどいい具合にはまり、それぞれの骨達が達磨落としのように積みあがっている感じだ。素直な感想は「曲がってて真っ直ぐ」だ。外から見ると、膝が曲がり、ソケイ部も引っ込んでいる。背中もわずかにS字を描いて湾曲している。どう見ても「曲がって」いる。でも自分の体の中の感覚としては、それがとっても「真っ直ぐ」な感じなのだ。これがいわゆる「軸」なのだろうか?

「つみあげ」と「ねじり」

 今、右足後ろの半禅の状態にいるとする。ここから這いがスタートする。右の腰骨がやや下がり、右足の上に全部の骨が積みあがっている。上体を左足(前足)の上に移動していく。左足に全体重が載る。この時点では左の腰骨はまだ上がったままなので、ちょっと振らついてしまう。どのタイミングで左の腰骨は下がってくれるのか?

 右足を後方から引き寄せる、軸足の脇をかすめる。軸足のくるぶしを右のくるぶしが追い越したその瞬間、左の腰骨がやっと下がってくれた。

 では、右足が後方にあって、左足で立っている時に、どうすれば振らつかないでいられるのだろうか。答えは「上体の捩じり」だった。上体を捩じっておくことで、腹筋、背筋、深層筋群がある種の内部応力を発生させ、全体を安定させてくれる。

 這いで移動していく時には、自分の体の中で「つみあげ」→「ねじり」→「つみあげ」→「ねじり」と意識的に変化を作っていくことが必要だ。つまり、ある時には「つみあげ」により体を安定させ、また別の時には「ねじり」によって体を安定させるのだ。

「つみあげ」と「つみあげ」?

 日常のさりげない会話の中から、とっても重要なヒントが得られる時もある。妻は若い頃、クラシックバレエを10年ほどやっていたそうだ。今ではもうその面影はないのだが・・・。それはともかく、妻が言うにはバレエでは普通に歩くという事はなく、股関節も開いて使うらしい。そしてとりたてて特徴的なことは、ボディのスクエアな面を常に保ったまま動くことを重視するのだという。だから片足で立っていて、跳んで、もう片方の足でポンッと立つ時には、その瞬間にもう安定していられるって話だ。

 ――ちょっと待てよ。ってことは俺が今やっている這い、「つみあげ」から「つみあげ」に行こうとすれば行けるんじゃないだろうか・・・。

 という訳で次の日からやっちゃいました。「つみあげ」から「つみあげ」の這いを。ポイントは、右足が後ろにある状態で左足に荷重が移っていくときに、左の骨盤が下がってくれるのかどうかってことです。そしてその答えは「やればできた」でした。どうってことなく、そうしようと思ったらそう出来ちゃいました。でもまだまだ話の続きがあるのです。「つみあげ」から「つみあげ」の這いになったら、「ねじり」は要らなくなったのかというと、そういう訳ではないのです。

 はじめる時には右足軸で「つみあげ8割、ねじり2割」、右足後方で左足に載った時には「つみあげ6割、ねじり4割」ってとこでしょうか?あるいは違う言い方をすると、どの態勢にあっても常に「つみあげ」の状態にしておいて、体の有り様に応じて「ねじり」のさじ加減が自動配分されるっていう感じかな。

「つみあげ」と「ねじり」と「踏み締め」

 新しい体の使い方を手に入れて、とってもゴキゲン気分でいた。足腰に負担がなく、スッと曲がってて真っ直ぐでいられる。そんな完璧な這いができている――はずでした。あの人に言われるまでは・・・。天野先生の登場である。「それじゃダメだよ!お前の這いは、こっちに立って(右)、こっちに立って(左)、ただ乗っかってるだけじゃないか!それじゃヤジロベエと一緒だよ!」

 ヤジロベエか・・・せめて竹トンボくらいにはなっていたかったのに・・・。「ちょっと考え違いをしていたみたいだな――。もっとちゃんと踏み締める!自分の足と腰で、地面をしっかりと踏み締める」先生からは、これ以外にも新しいアドバイスを幾つかいただいた。這いで進もうとする時に、禅の状態を維持しつつ進むのだが、それは禅の形を維持しようとするのではなく、禅の質を維持するようにとのこと。つまり上体が捩れていくときに、社交ダンスのように肘を張ったままなのではなく、上体の捩じりに伴って自然に腕の形も変化する。形は変化するんだけれども質はそのままってことみたい。

組手シーズン到来!

 さて、秋も深まりそろそろ組手シーズンの到来です。12月には、どんな組手が展開されるのでしょうか。今これを書いているのは10月末なのですが、実は先週の土曜日に、ちょっくら組手の稽古もあったのです。推手の時間を少し削って。そして富リュウの組手の出来栄えはと言うと、ムフフ・・・って。この話は、次回冬の章でのお楽しみってことで取っておきましょうね。これから12月に向け、たぶん毎週のように組手が行われることと思います。それがちょっと楽しみな今日この頃なのです。