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会員・会友員のテクスト 富川リュウの太気拳修行記

平成15年・暖冬みたい

組手は怖いか楽しいか?

 今年はずいぶんと暖冬のような気がする。それでも11月も下旬にさしかかるとやっと冬らしく冷え込んできた。こうなってくると世間はもう年末商戦の雰囲気だ。デパートや商店街では早くもクリスマスソングが流れ、あわただしさにいっそうの拍車をかける。年末の喧騒の中にワサワサと飲み込まれていく人々。そんなことはどこ吹く風と、ひとり静かに禅を組む。心がゆったりと落ち着いて、身体が静かに整ってくる。これで二日酔いさえなければ最高なのだが・・・。昨日は飲みすぎてしまった。いかんいかん。

 忘年会組み手に向け、ふだんは推手が対人稽古のメインとなるが、ここのところ何回かは組み手の稽古も行われている。以前ほどに怖さは感じなくなっているが、どうも身体の動きが鈍い。馴れ、といえば馴れなのだろうけれども、威圧感のある相手には踏み込んで入っていくことができないし、格下の相手には、相手のどこを打てばよいのかが判らない。先生、前に出て行けないんですけど・・・私が情けない質問をする。

 師からのアドバイスは、頭を沈めてうねるようにジグザグに入っていく。もうひとつは膝の角度。これが深く取れていれば、一歩の踏み込みが大きく出せるとのこと。そして禅のときのように、腕も脚も、身体全体をリラックスした状態に保っておくこと。これが一番大事。あとは来たら避ければいいし、空いていれば打てばいい。――そうは言っても、言うは易く、行うは難し。

 それでもだんだんと足が動くようになってきた。あとはそれにどう気持ちを載せていくのかが問題である。あと一歩前に出る勇気、それさえあれば・・・。「勇気?そんなものは要らないよ。俺だって怖いよ、そんなもん。正面から突っ込んでいくなんてさ。怖くてそんなことできないよ。だから横へ廻ってさ、いい所から攻撃するんだよ。5分と5分じゃあ、やらない。8/2か、悪くても7/3くらいでやらないとね」んーなるほど。勇気・・・じゃないんだ・・・。組手のたびに、目尻に青タンを作り、頭にコブを作っている。それでも組み手は楽しいと思えるようになってきた。禅も這いも推手も、そのためにやっているのだから。

徹夜のお仕事

 装置が壊れた。私のお仕事は、産業用の装置の修理。今回の故障はやっかいだった。一箇所が直ると、また別の所が壊れる。こんなことを延々と10日間もやっていた。そして後半には、徹夜作業を2回もした。装置が止まってしまうと製品が流れなくなってしまうので、工場の担当者も必死だ。火曜日に徹夜、朝方1時間だけ会議室のソファーで仮眠を取り、水曜日はそのまま夜11時まで仕事。終夜で検査ランニングをすることになり、なんとか帰宅を許される。ランニングの結果がNGで、木曜日も朝9時から仕事。そしてまたまた徹夜。金曜の朝になって、なんとか生産できる状態になり、午前中の打合わせのあと、やっと開放された。午後は帰宅して爆睡――。

 修理が始まって第二週目、なんでこんなに辛い目に逢うんだろうと、恨み節のひとつも出そうになったけど、頭を切り替えて「これも拳法の修行のうちだ」と考えてみた。R田先輩の言葉を思い出す。一晩中でもやっていられるような組手が理想なんだよね・・・。師の言葉も脳裏をかすめる。やれることをやればいいんだよ。やれないことをしようとするから、無理が出る――。そうか、組手やってるつもりで仕事しよう。そう思い立ち、実行した。嫌なことや不安な気持ち打ち消して、無心になり、肩の力を抜いて、目の前のやるべきことをひとつずつ淡々とこなしていった。――それから数日後、2度の徹夜をくぐり抜け、不思議とそれほど疲れてなかった。以前の自分には考えられないことだ。体力に自信がなく、神経質で几帳面。ハンで捺したような規則正しい毎日が好きな自分。それでも今は、こんな状況にも耐えられるようになった。体力面でも、精神面でも、ずいぶん大きく成長したと思う。太気拳のおかげだ。

 そしてこの試練から得られたものも大きかった。力を抜くこと、手は抜かないで、もっと力を抜くこと。それが脱力の極意。どんな作業も公園の散歩と思い。気を煩わせないこと。気は使うけど、気を煩わせない。ココロ晴れやかに朗らかに、無心になること。よし、明日からの探手、組手は、こんな感じでやってみよっと。

 かくしてこれが富川流、拳法/仕事/拳法の3段活用フードバッグ技法である。拳法やって、仕事も拳法のつもりでやって、そこで得られたことをまた拳法に生かすだ。

 あーあ、その真剣さが仕事にも生かされればねぇ・・・。妻が嘆く。

本番前日

 組手という非常事態の中でいかに正気を保つか。無心に「ボワン」となって師に挑む。すうっと師の半拳が僕の鼻先に当たる。「先生、全然見えなかったんですけど・・・何が悪いんでしょう?」「意識の切り替えが出来てないな」と一言。あっそっか。「ボワン」があって「カッ!」があって、その両方を使い分ければいいのかな・・・。あるいは「カッ!」の状態でリラックスしているような・・・。

島田道男先生の教え

 代々木公園に集まって、組手に入る前に通常の稽古が行われる。気功会のメンバーもあちこちに見られ、それぞれに禅を組んだり、這いをやったり、ひさびさの再会に立ち話に興じる者もいる。島田先生が来た。練りをやっていると。「ダメだよ!そんなんじゃ」とゲキを飛ばされた。この先生は見た目も怖いが、指導も怖い。それでも色々とアドバイスをいただいた。「押されても動かないようなどっしりとした禅じゃないとダメだ」「肩を前に出すな」「手の力を抜いて」。最近、肚が出来てきてるなと思っていた僕に「肚が全然出来てないよ。(自分の肚を指して)ココが全然ない!」と言われたのは、かなりショックだった。ううっ・・・禅と練り、またやり直しだ・・・。と思った矢先、天野先生の「あと10分したら始めま~す!」の掛け声。年の瀬の日曜日、公園の片隅で殴り合う変な大人達。きっとまわりの人達には、そう見えたに違いない。

 今回の組手は、気功会のM井さんとキー坊(鉄拳タフ)の気合の入りようが凄かった。なんでも気功会に殴りこみに行くっていうレスが2チャンネルにあったそうで、島田先生も楽しみにしていたそうだけど、結局、誰も来なかったようで・・・。その気合の矛先が太氣会のメンバーに向けられちゃったってこと?

 気功会M井さんと太氣会のR田さんの組手では、「何やってんだお前ら!」と天野先生に頭をはたかれ、島田先生にも「そんな力んでちゃあ、ダメだよ。力を抜け!」とたしなめられてた。力と技がぶつかり合う壮絶な組手に見えたけど、島田先生に言わせると「ダメだ、そんな力はいってるんじゃ、ハイ、終わり」って。組手が終わってからM井さんに「お疲れ様です。今日は気合が入ってましたねー」と声をかけると、「いやー全然疲れてないんですよ。ちょっと気合が入りすぎて、空回りしちゃったな・・・」なんて言ってました。

 そしてそんな上級者達の組手とは裏腹に僕の組手はしょぼかった・・・。なんか僕って、ちゃんとした組手が出来るようになるんだろうか・・・。島田先生の一言で落ち込んで、またまた組手で落ち込んで、んーこれはもう、酒を浴びるほど飲むしかない!っと忘年会に突入したのでありました。

どこでもドアはどこにある?

 それにしてもみんな強くなっていてびっくりです。O津さんも、K屋さんも、K木くんも、K屋くんも・・・みんなKだな。とにかくその上達振りは目を見張るばかりです。毎朝立禅組んでる富リュウが落ち込むのもわかってもらえるでしょ。もう後輩にケツ叩かれて、イヤーンばかぁ!と言いたくなっちゃいますよ。

 一週間後、稽古の後の飲み会で天野先生の話を聞く機会があって、O津さんやK屋くんのことをずいぶんと褒めてました。「K屋なんかはさ、前の日まではすぐ横向いちゃってたんだけど、本番当日はちゃんとやってたよ。あいつの中で扉をひとつ開けちゃったんだよな。その扉を開けるとさ、新しい世界に入っちゃうんだよね。太気拳は」「せ、先生、やっぱり僕の組手って、しょぼかったですよね・・・」「富リュウも良かったよ。とりあえず自分の持てるもんは出せてたじゃない。それができれば十分でさ、あとは次の日から足りないものを補っていくような稽古をすればいいんだから・・・」と思いがけずのお褒めのお言葉・・・。ウルウルと嬉し涙にむせび泣く富リュウ。はてさて僕の扉はどこにある?

 ドラえもんにたのんでみようかどこでもドア

 未来の自分が見えるかも。←これって短歌になってます?

 そういえば、前から不思議に思っていたんだけど、天野先生の本、タイトルが「太氣拳の扉」――つまりそういう意味だったのね。