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会員・会友員のテクスト 富川リュウの太気拳修行記

平成15年・秋桜の季節

いつも答えはやってくる

 答えが見つかった時、いつも思うことがある。だったら先生、このことを初めから言ってくれればいいのに……その方が楽だし、その方が早いじゃない。でもこうも思う。そのプロセスに意義があるのかな、とも。

 人は安易に解答を求めすぎる。そしてそれは、たったひとつだと信じている。でもきっとそれは違うんだと思う。聞いてすぐに解ったことは、本当には理解できていない。しかもそれは、たくさんある答え中のひとつに過ぎない。その人にとっては正しい答えであっても、それがそのまま自分に当てはまる訳ではない。もちろん当てはまる場合も、たまにはあるんだけど。

 先生からは色々言われる。動き方を指示されることもある。こういうのをやりなさい。抽象的なアドバイスを受ける場合もある。雲の上を歩くようにしなさい。何を信じて太気拳をやっているのだろうか。以前はぼんやりとしていたものが、今ははっきりとわかっている。それはいつも答えは自分の中に在るということ。ときに搾り出すように。ときに滲み出すように。ときに湧き出すように。必ず答えはやってくる。培うこと、それが私の太気拳だ。

一本の線が見えてくる

 体の中に一本の線が見えてくる。それは立つための軸であり、動くための方向。そんなことを言っていた。そしてそれをずっと探していた。立禅のなかで、這いのなかで、探手のなかで、推手のなかで……。おぼろげに、それらしきものが体の中に育ってきている。養育費はただ。

肚のもやもや

 鼠径部で吸込むようにするとさ、肚のあたりにもやもやするものができてね、それが脚とかわき腹とか体を動かしてくれるんだよね。そいで、あとこれ(指差し歩きのフォーム)これができてればそうそうやられないよ。そんなことを先生が言う。早く私も、そう言えるようになりたいものだ。低い姿勢の立禅や這いをすると、足腰が張ってくる。そこで、もっと力を抜いてやってみる。鼠径部で吸い込むように立ち、肚は出っ張るでもなく、引っ込めるでもなく。しかしヒクヒクする感じ……。これって何?

頭で手を抑える

 首で肩を作る。頭から肘までが一体となる感じ。頭で手を抑える。手に頭が乗っていく。立禅と這いと練りと探手でこれをやる。動きが大きく早くなるほどにリキミが出てくる。肚は常に軟らかくヒクヒクさせておく。リラックスして一瞬の緊張を引き出す。打拳に頭を乗せる。上体が流れる、いかんいかん。足の踏み位置を重視。足が踏んでそこに頭が載っていてそれを打拳につなげる。ってことは自分のまわりだけに手を置いておくってことかしら? タン、ハツ、カシラ、レバーはたれで。

レクチャー

肚のもやもや?上半身と下半身を継なげる?脚の力を手に伝える?9月と10月は、わき腹、肚、内もも、このへんの連携を重点的に稽古していた。それはざっとこんな感じだ。

 立禅と半禅において、
 頭を突き上げて肘を引き落とす。
 咽のゴックンの感じを肚の真上に持ってくる。
 右上腕の内側(脇の下)と右わき腹(A)の充足感を味わう
 左上腕の内側(脇の下)と左わき腹(B)の充足感を味わう
 右の内ももの意識=C
 左の内ももの意識=D
 肚をカスガイとしてAとDを継ないでいく
 肚をカスガイとしてBとCを継ないでいく
 肚をカスガイとしてAとCを継ないでいく
 肚をカスガイとしてBとDを継ないでいく

這いでも同じようにやる。
 肚をカスガイとしてAとDが継ながっていて、BとCが継ながっている感じで這いをする。
 次は、 
 肚をカスガイとしてAとCが継ながっていて、BとDが継ながっている感じで這いをする。

練りも同じようにやってみる。
 肚をカスガイとしてAとDが継ながっていて、BとCが継ながっている感じで練りをする。
 次は、
 肚をカスガイとしてAとCが継ながっていて、BとDが継ながっている感じで練りをする。
 最後には、
 咽と肚だけ意識しておくと、肚を中心として自然にABCDが連携して動いてくれるように
 していく。

まあ、文章にすると長ったらしくなっちゃうけど、絵に描いてみると意外と単純。自分の身体でやってみると、そんなに難しい事ではない。やっぱり型(やり方)が重要なのではなくて、要はそのとき自分の体がどう感じているかってこと。あとは、継ながる感覚を自分の中から滲み出させるための工夫を皆さんもやってみてください。おわり。

毎日違う自分になる

最近では毎日新しい発見がある。毎日違う自分になっている。外見の変化は目に見えないかもしれない。まわりの人には気づかれないことかもしれない。でも自分の中は確かに変化している。これってとっても素敵なことだと思う。