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メールQ&A 天野敏のテクスト

波乗りにおける天野師の重心移動の力強さ、腕力

Q:
はじめまして、
私は武道経験は弓道で2段(高校の3年間)のみで、
現在は波乗り(スキムボード、ファンボード)をやっています。

<<質問>>
先生の重心移動の力強さ、腕力はどこから来るのでしょうか。
波乗りをする上で、パドリングの一掻きや
ターン時の蹴り込みの弱さに悩んでいます。
個人的にはスクワットや腕立てを限界まで毎晩行っていますが、
これを継続して先生のような瞬発力が身につくような気が
しません。

先生の体がプロサーファーの進藤晃さんと同じようにマッチョではないように
見えるので門外漢である私には不思議に見えます。

<<動機>>
私は小学生の頃から継続してトレーニングをしてきて、まだ27歳なのに、トレーニングが役に立たない体に変化している感覚があります。
以前は、腕立てとスクワットが200回できでば試合に勝てるし、体がバスケットボールのように弾む感覚があったのですが、現在は体が重くなるだけで、結果に結びつかなくなってきています。

それに対して、ローカルのサーファーは年齢に関係なく人によってはおなかが出ていても、ショートボードを乗りこなしていますし、先生もビデオの中で鉄の塊が動いているような移動をされていたので老化と筋肉の質に関係は無いのかなと疑問に思いメールにて質問をいたしました。

A:
メール拝見しました。

サーフィンは楽しいですね。
波に乗るのも楽しいし、ボーっと波を待っているのもいいモンです。
私はコンペ志向ではないのでのんびりやってます。
私の近くの海は波が小さい事が多いので、ロングが中心。
たまにファンボードもやりますが、波と相談しながらです。

さて、老化と筋肉の質、という事。
もちろん関係は大有りだと思います。
年とともに筋肉も衰えると思います。
私自身、実感しています。
ただ、拳法という事で考えると、ここ数年で自分が飛躍的に進歩した、と思います。
大事な事は身体のなかに中心を作り上げる事です。
筋トレでできる事は、部分的な筋肉を鍛える事でしかありません。
身体全体を中心に向かってまとめる、と言う一番大事なことができません。
身体に中心があるということを見つけるのがまず必要な事です。
太気拳の大事な事は、中心の感覚を見つけ出し、その感覚を失わずに動いていく事です。

手や足はそういう意味ではおまけのような感じです。
サーフィンやスキーはそんな感じを身につけやすいスポーツだと思います。
私の場合、立禅で自分の中心の感覚を見つけました。
サーフィンをやってみて、その感覚が立禅と似ている事に驚きました。
ちょうど大波でトップターンをした直後、加速するのを待つ瞬間のような感じが立禅です。
そんな瞬間を持続させて、身体の中心を見つけます。
5分でも10分でも良いですから、そんな感じでボードに乗っている感じで腰を落とし、真っ直ぐに立って見てください。
きっとサーフィンにも役立つと思います。

太気会 天野

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立禅と這いの後に正座をして足が動かなくなった

Q:
初めまして。

先生の著書と大気拳挑戦講座のDVDを見ながら現在独学で大気拳を学ばせていただいております。初めてから約1年がすぎ、最近では立禅も10分から15分くらい立てるようになりました。このたびご質問させていただきたいのは先日、立禅と這が終わったあと友人から電話があり、正座をして2分くらい話をして電話終了とともに立ち上がろうとしたら、下半身の力が抜けて立ち上がろうとしても立ち上がれず、(両足が真っ直ぐ伸びて固まったような感覚)このような状態が20秒から30秒くらい続き、どうしようかなと心配になってしまいました。先生の長い修行生活の中でこのようなことはご経験がおありでしょうか?大気拳の練習の影響でなければ一度医者に行こうとも考えています。

先生のご経験の中でお答えをいただければ幸いです。

よろしくお願いいたします。

A:
立禅と這いの後に正座をして、足が動かなくなった、との事。
当然ですが、稽古では筋肉が緊張を強いられます。
その結果として鍛えられていくわけです。
私は医者ではないので、詳しいことは判りませんが、そういった直後に正座をして血行を悪くするのはどちらにしてもいいことだとは思えません。
一般的なスポーツと同じで、稽古の前には柔軟体操が必要だと思いますし、稽古が終わったらやはりクールダウンが必要です。
今回の事の原因が何かはわかりませんが、そのあたりにも気をつけて稽古してください。
太気拳を稽古して強くなる、という事はすなわち健康になる、という事だと思います。
人生にとって本当に大事な事は、毎日を健康で豊かに送ることだと思います。
太気拳はそう言った事ためにもあるものですから。

太気会 天野

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立禅以外の練習もすべきか

Q:
天野先生、初めてメールさせて頂きます。
私は、福岡の博多でカラテをやっております、33歳の男です。
天野先生や太気拳の先生方のビデオや著書を拝見させて頂き、立禅を2年半程続けております。
最近では、出来るだけ踵を上げて30分程、出来る様になりました。
以前では恥ずかしながら、キレ易い性格というか、気に入らない事があると物に当たる癖があったのですが、最近では仕事でもカラテでも落ち着いて対処出来る様になり、立禅に出会えた事、太気拳に出会えた事に感謝しております。
さて、質問なんですが技という物は、太気拳において、『立禅』『這い』『練り』等…全ての要素が一つになった物だと読んだ事があり、そう解釈しました…
と言いつつ、立禅しかやれて無いのが現状である私が聞ける立場では無いのですが、組手においてカウンターを稽古するには、やはり全ての事をやった方が良いのでしょうか?
ぶしつけな質問で申し訳ありませんがヒントを頂きたいと思いメールを書きました。
どうか宜しくお願いします。

A:
立禅と言うのは不思議なものだな、と思います。
何かをやって何かがわかる、というのは判る気がします。
ところが、何もやらずにいることでわかることがある、というのが立禅。
のんびり立っていることで、身体の方が教えてくれるような気がします。
焦りは無用。
焦って判ろうとしても、何をわかればいいのかが判らないものです。
だから、身体がいつか教えてくれるまでのんびり立つしかないんです。
そんな立禅がひょっとすると切れやすい?せいかくをかえつつあるのかもしれませんね。

さて、稽古に関してですが、これはもちろん立禅だけでなくほかの稽古も必要です。
立禅は静的なところで様々なことに気付かせてくれます。
それはじっと立っているから身体も安定し、気持ちも安定しているからです。
言ってみれば静的だからこそ感じられることです。
そして武術として大事な事は、動いてもそのいい状態を失わない、と言うことです。
最初は静的なところでしか保てなかったものを動きながらも失わずにいられるようになること。
そして次には対人というストレスの中でも保ち続けること。
そうなって初めて立禅が武術に活きはじめるのだと思います。
特にカウンターがどうと言う訳ではなく、どのように動いても身体が安定していれば、想うとおりに動けるものだと思います。
言ってみれば、立禅はそれぞれのレベルでの理想的な状態。
その理想を、動いてもあるいは対人練習でも失わない事。
だから立禅のみでなく、他の稽古もやってみてください。
2年半続けているとの事、きっとこれから新しいことがいっぱい見えてくると想います。

がんばってください。

何時の日か、一緒に稽古できると良いですね。

太気会 天野

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大腰筋を鍛える練習とは

Q:
天野先生の著作「太気拳の扉」の中で能楽師の安田登氏と対談をされていましたが、その中で天野先生の動きは大腰筋が使われている。とありましたが太気拳の練習方法の中で大腰筋を鍛える練習はどれになるのでしょうか?? 個人的には立禅、這いの練習で大腰筋が使われる様になるのではないかと思っているのですが。
A:
メール拝見しました。 最近大腰筋とか深層筋とかそう言った形で武術を理解しようと言う人が多いようです。しかし、そのような方法で理解しようとするとますます武術から遠ざかってしまうと思います。 何故と言って武術は理解ではないからです。もし理解と言う言葉が出てくるとすれば、それはなにものかを自分の中に作り上げた時に初めて出てくるものだと思います。ただし、その時も決して部分ではなく自分という存在の把握と言う感じだと思います。部分の筋肉をどう使う、等ではなく身体全体をどのようにして一つにしていくか、という事が先ず一番の基本にあるからです。 質問にある大腰筋に関してもそうです。大腰筋はどの稽古でも必要です。いや、稽古の時に使わない筋肉などはないでしょう。この稽古でここを鍛えてなどと言うものではありません。全てを満遍なく使うという事が身体全体を使うという事ですから。日常生活で人は十分に身体を調和させて使う事が出来ないのが普通です。だから質問のように部分をどう使うか、と言う疑問が出てくるのだと思います。しかし、太気拳の稽古はそう言った普通から脱却するためのものです。何故と言って、普通の感性からは普通の強さしか出てこないからです。多分ある程度太気をやった人間は部分をどうするかと言った発想はなくなっていると思います。部分にこだわるのではなく、身体全体を大きな一つのものとして把握することを要求されているのが太気拳だからです。

太気会 天野

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練と防御

Q:
前に太気拳と意拳の這いの違いについて質問したものです。この前は分かりやすい回答有り難うございました。
今回も質問があるのですが、お願い致します。それは「練り」についてなんですが、練りによって攻撃や防御が自由に出来ると言う事ですが、それは練りと言った普遍的な動作の中に武術的な動作が含まれている事から、それによって防御しようと体が動いた時には、例えば今まで習ったことの無い防御方法でも自然に武術的な動作が出来ており対処できている、と言う事で間違い無いのでしょうか?単純な質問で申し訳ありません。

A:
練りについての質問ですが、まあ練りに限らずいろいろな意味があると思いますので、一つの見方という事で答えてみたいと思います。

まず、練の一番大事な部分に身体をまとめると言うことがあります。
身体をまとめるという意味がある、と言うことはその前提にみんな身体がまとまっていないと言う認識があります。
実はこれはとても大事なことです。
みんな自分の体がまとまっていないと言う認識がないからです。
太気会に新しい人が入ってくる時、まず自分の身体がまとまっていないということに気がついてもらうことが一番大事だと思っています。
そこから全てが始まります。
歩くと言うことも含めて身体がばらばらなのが普通です。
そこで練りを通じてまとまりのあるからだの動きを作っていくわけです。
つまり動いていく時の「動力定型」とも言うべきものです。
言ってみれば、身体の動きの手順整備とも言うべきものです。
上半身と下半身の協調は言うに及ばず、右手と左手あるいは右足と左足といったものさえ十分でなのが普通です。
それを練りを通じて整備していくわけです。
体がまとまるということは動きがスムースにいくということも含め、動きの中に力があると言うことです。
これができれば、速さは別にして動けば技になるものです。
いろいろな武術の型を見たりすることもありますが、還元すれば太気拳の練りに大体収まってしまう気がします。
動きの質を変えていくと言う作業が練りの一番大事な部分です。

練りの動きが身についてきたら、次に必要なことはその動きに意味を与えてやることです。
それは推手や組み手で発見することもあるし、私が教えることもあります。
そのように意味を与えられた動きが、「技」と一般に言われているものになるわけです。
与えられる意味はそれが必要とされる状況によって違ってきます。
だから時には拳法に、また時には剣に、あるいは武術の枠組みを離れて、様々なスポーツにも生きていくものだと思います。
私も運動好きで、いろいろなスポーツをやってきましたが「もし昔から太気拳を知っていたら、もっとスポーツが上手くなったのに」と思うことがあります。

質問の中に「防御方法」と言う言葉がありますが、どんな方法もその前提になる身体のまとまりがなければ、やはりそれは「絵に描いた餅」になってしまうのでは、と思います。
あせらず、じっくりと自分の動きを作り出すことができるようにがんばってください。

太気会 天野

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立禅で気持よくなる

Q:
先日は、大変わかりやすい、そして明確なご回答を頂きまして、ありがとうございます。
「両手が繋がって感じられたら、それを引き伸ばしたり捻ったりして身体のほかの部分との関係を探るのです。是非いろいろ工夫してみてください。」という先生のお言葉をもとに立禅中に、両手を左右や斜めに引き伸ばしたりしてみました。手と手はゴムを引き伸ばすような感触があるのですが、同時に膝も腕と同じように動きます。
練りの動作と共通するものを感じました。

ところで、最近立禅を長くしていると、最初は足が痛かったり腕の付け根が痛かったりするのですが、時々気持ちがいいというか、そのような気分になり、立禅を終えた後、すっきりした気分になることがあります。これも、一般的なことなのでしょうか。

A:
メールから一生懸命に稽古している感じが伝わってきます。
メールでは言葉だけでしか使うことができませんが、それでも稽古で感触が変わってきているのが伝わってきて、とてもうれしいと思います。

さて、「腕の動きにつれて膝が動く」とありますが、その通りです。腕が動けば膝が動きます。
勿論膝だけでなくほかのところも動きたがります。
それが身体の繋がり、と言うものです。
身体全部がそれぞれに関連を持って動く。
どこも単独に動くのではなく、身体全体が一つの動きに呼応していく。
太気拳の動きはそういうものだと思います。
それが進んでいけば、気持ちが動けば身体が動き、身体が動けば気持ちが動く、と言うふうになるものです。
ますますがんばってください。

それから立禅のあとにすっきりとした気持ちになる、とありますが、そうです、その通りだと思います。
禅を組んでいる時は足が痛かったり、腕が痛かったりすることもありますが、それを乗り越えると実にすっきりとした気持ちになるものです。
禅の楽しみでもあります。
武術の稽古、と言うだけでなく、楽しみとしての立禅も良いと思います。

太気会 天野

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立禅における偏差で統合失調症になるのか

Q:
HPをありがたく拝見させていただきました。ありがとうございます。
ここで質問なのですが。
立禅をすると偏差が危険だと伺いましたが。立禅のやり方を間違えますと。統合失調症になってしまうものなのですか?出来ればお返事おいただけると光栄です。

A:
メール拝見しました。
ええ、どういう風に答えていいのか戸惑います。
偏差が出る、とはどういう意味か解りません。
また、統合失調症になる、と言うことも聞いたことがありません。
たぶん、こういう事を言った人は立禅を何か神秘じみたことにしておきたい人でしょう。
禅を神秘化することで、それをやっている自分を権威じみたものにしていく。
何かとても貧しい発想です。

禅は自分と向かい合う一つの方法です。
自分自身と向かい合うことで、統合失調症になったり、おかしくなるなんて言うことがあるんでしょうか。
自分と向かい合うことができないほうが不健康なのでは、と思います。

心配しないで、じっくりと立禅を組んでください。

太気会 天野

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立禅における手の感覚、雑念、意念の必要性

Q:
久しぶりにメールします。以前も私の疑問に丁寧に答えていただき、今も一日15分は立禅、その後這いや練りを15分くらいずつを毎日続けております。最近、立禅の際、手と手のもわーとしたものでつながったような感触があることがあります。これも,先生がHPで以前ご説明されていた「神経が別のつながり方をするように」なり始めたということなのでしょうか。

また、長く立っていると雑念のようなものがいろいろ起こります。これではいけないのだろうけれども、意識はどういう状態がいいのだろうと思いいろいろな本を読んでみました。意拳では、様々なイメージを持つことが大切だと書かれたものがありました。一方で、韓氏意拳では意念を用いない、その形で立つまでの過程が大切と書いたものもあり、さらには気を回す感覚(周天)が大切、と書いたものもあり、結局わからなくなりました。

意念はやはり必要なのでしょうか? それとも「禅」という名のままに無念無想を目指すべきなのでしょうか? また、立禅→這い、練り→組み手と発展していく中で、意識というものはどのような状態であることが大切なのでしょうか。
お時間のおありの時に、お教え頂けないでしょうか。

A:
ご無沙汰しています。
立禅などがんばっているようですね。

>手と手のもわーとしたものでつながったような感触が

とありますが、だんだんそうなってくるものです。
身体のまとまりが出来てきつつある、と言うことだと思います。
意拳等で、意念などを言いますが、それは繋がりをつけるための補助的なものということで考えていいと思います。
太気拳でも、沢井先生から「樹を抱くように」と言われましたが、身体が繋がってくると本当に樹を抱いているような感じになってきます。
「樹を抱くように」禅を組む、ではなく、禅を組んでいるとそのうち「樹を抱くよう」な感じになってくる、と言うことだと思います。
意念というのはそのような誘導に過ぎません。
一般的には「意念」の言葉が独り歩きしているようです。
だから身体が繋がり、また形が整ってきたら結果的ににそういった感じになる、と理解していいと思います。
また、つながりが感じられてきたら、今度はそのつながりを弄ぶようにしてみるとまた別のつながりも見えてきます。
両手が繋がって感じられたら、それを引き伸ばしたり捻ったりして身体のほかの部分との関係を探るのです。
是非いろいろ工夫してみてください。

>また,長く立っていると雑念のようなものがいろいろ

雑念は人の証拠、無念無想などは言葉の上のことです。
人は生きている限り「無」にはなれません。
何故なら、他との関係を探って生きていくのが生き物だからです。
無になってしまったら、世界との関係が切れてしまします。
逆に大事なのは、身体を緩めて身体全体の感覚器官を開くようにすること。
見て聞いて身体全体で気配を探るようにすることです。
無念無想と言う言葉から連想される「無くす」ではなく逆に「全て」です。
いってみれば全ての感覚器官を開くことで、はじめて「無」が出てくるのかもしれません。

>立禅→這い,練り→組み手と発展していく中で、意識というものはどのような状態であることが

意識は、上に書いたような感じを守ります。
禅の感覚を失わずに練り・這い・組手をやればいいだけです。
と言ってもこれがなかなかですが。
意識や体の状態を含めてどんな風にすればいいのか、を探すための立禅です。
だから立禅で見つかったものがあったら、それを失わずにどうすれば這いが出来るか。
またどうすればその感触を失わずに練りや対人練習が出来るか、です。
いって見れば、立禅はマスターモデルです。
禅を生かす、とはその感覚を失わずにいる工夫をすることです。
動くと感覚が逃げてしまいがちですが、それを如何に逃がさないかが稽古です。

稽古をしていると、判らない事が洪水のようにやってきます。
判らないことだらけです。
判らないことの面白さは、傍から見て訳知り顔の人間にはそれこそ判らない世界です。
もっともっと判らないことを探してください、そうして少しでも先に進んで行きましょう。

太気会 天野

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独学でも上達できるか

Q:
初めてメールさせて頂きます。私は、先生に太気拳の扉を読ませてもらい、独学で立禅と這をやっている者です。
それで日々、練習をするたびに独学でやっても立禅など上達できるのだろうか?などと考えています。
独学でやっても効果は表れるのでしょうか?お答え頂ければ幸いです、よろしくお願いします。

A:
メール拝見しました。

立禅や這いは、自分自身を探るためのものです。
あるいは探るための手がかりです。
禅や這いを通して自分の中にあるもうひとつのものを見つけていきます。
そういう意味では、私と一緒に稽古している弟子たちも、独習です。
立禅でも、こういう立ち方でいいんだろうか?這いの時はこれでいいんだろうか?と悩むものです。
悩まないものには答えは現れてきません。
そのときそのときに、答えは出てくるものです。
その積み重ねが稽古です。
立禅をやったことの無い人間は、立つことが難しいとすら思いません。
ですから疑問が出てきたら、それが進歩です。
疑問が無いところに前進はありません。

具体的に疑問が出てきたらまたメールいただければ、と思います。

太気会 天野

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内家拳では筋肉をつけてはいけないのか

Q:
はじめてメールさせて頂きます。
私は腹部の手術を受けた後、医者に腹筋を鍛えるようにいわれたのですが、内家拳では筋肉をつけてはいけないのは本当なのですか?
腹圧が下がってしまい 特に這いが大変辛いです。
太気拳を続けていきたいので天野老師のアドバイスをよろしくお願いします。

A:
お腹にメスを入れたとの事。
とても大変でしたね。

さて文中に
>内家拳では筋肉をつけてはいけないのでは・・・
とありますが、正直そんな話は聞いた事がありません。

なんと言っても人は骨格を筋肉・腱等を利用して動かす事で活動します。
だから同じ動きなら筋繊維や腱が強靭な方が良いに決まっています。
太気拳でもそうですが、稽古は結構きついものです(勿論、楽にやろうとすれば幾らでも出来ますが)。
身体が虚弱な人間は別にして、普通であれば稽古の中で必要な筋肉などをつけていくものです。
また、それが一番合理的で調和の取れる身体の育て方だとおもます。
ただ、もともと虚弱であればある程度の筋肉トレーニングは必要かもしれません。
また、質問にあるように手術の後などで、明確に筋肉が落ちているのであれば、ある程度の筋肉トレーニングは当然必要だと思います。
特に腹筋が落ちるという事は、腹筋だけでなく当然背筋等の体幹部を保持する力が落ちているわけですし、当然肺活量など基本的なものが落ちている可能性もあります。
太気拳では腹・腰の安定した力はとても重要です。
と言う事で、ある程度の筋肉トレーニングは必要だと思います。

ここからは蛇足ですが、質問にあった「筋肉をつけてはいけない」というような誤解は何処から来るのでしょう。
多分それは、練習のときに「身体を緩める事が大事だ」という事を素人考えで考え違いしているのだと思います。
身体をなぜ緩めるのか?・・・それは必要とされる一瞬に(打つであれ逃げるであれ)、身体全体を調和のうちに爆発的に緊張させるためです。
緩んでいるからこそ一瞬の緊張が引き出せるのです。
つまり爆発的な緊張の為にこそ緩めるのです。
緩んでいる状態から瞬間的なテンションの転換、それが変化であり、速度であり。力です。
爆発的な緊張とは、神経・筋肉を含めたものです。
当然その時には筋繊維が強いほうがいいのは言うまでもありません。
ただ、一般的に考えられるように、腕や胸・肩などを鍛えても特に爆発力が上がる、と言うものではありません。
重いものを持ち上げるのなら、これで良いのですが武術の力とはそう言うものではないからです。
これは一度体験してみればすぐ判ります。
という事であまり筋肉トレーニングは勧めないのです。
また多くの場合筋肉トレーニングは、身体全体の調和とは逆の方向を向き、部分を専門的に鍛えると言う事が多いからです。

ちょっと蛇足が長くなりましたが(だから蛇足ですけど)、そういう訳ですから、素人考えに惑わされず、補助的に身体を鍛えながら太気拳の稽古をがんばってください。

太気会 天野