カテゴリー
メールQ&A 天野敏のテクスト

上下の力について

Q:
はじめてこのコーナーを利用させていただきます。私は海外で生活しているのですが、日本を発つ直前に天野先生の本とビデオを購入し、それを参考に一人でさびしく稽古をしています。日本にいた時は通っていた空手道場で意拳の稽古をする機会がたまにあり、ほとんど進歩せず「こんな感じかな?」という程度でしたが自分なりに考えたり、雑誌の特集などを参考にやっていました。
今は天野先生の説明のわかりやすさにとても感激して新たな気持ちで取り組んでいます。そんな中、それぞれ説明の仕方は違うけれど同じ事を言っているのか、という発見の喜びがある反面、どうしても疑問に思うこともあります。

今までは上下の力とは身体の伸び縮みを繰り返す事であり、攻撃を受ける時は身体を縮め、攻撃をする(突く等)時は身体を伸ばすのだという知識でいたのでそういう練習を繰り返してきました。たとえば試力歩法の時にも腰を中心に伸び縮みを繰り返しながら歩いていました。今回先生のビデオを拝見させていただいて、練り歩きの時や、相手に腕をつかませてコントロールする時に縮んだまま(重い体を作ったまま)前後に動いているというように私なりに理解したのですが、相手に力を伝える時に伸びる等と動作をわけずに、つねに重い体を作ったまま動くようにするべきなのでしょうか。

ビデオのNO.4は購入出来なかったのでもしその中にヒントが隠されていたら申し訳ありませんが、お時間ございましたらアドバイスお願いいたします。

A:
質問の件ですが、まず大きな間違いがあると思います。
それは「上下の力」に関してです。
意拳で言う「上下の力」とは、動きを意味するものではありません。
身体の上下動や攻防の動きを示すものでもありません。
「上下の力」とは、動き以前の身体の質を言います。
技術とか言う以前の質です。
どのような状態を保って動かなければならないかと言う時の質です。
たいていの場合誰でもそうですが、自分の身体をあるがままに受け入れて動いたり、蹴ったり、打ったりしています。
そのような状態では、「拳法にならない」と言うのがまず出発点です。
あるがままの身体の状態でいくら努力をしても、自分より、若く、力がある者をコントロールする事は出来るはずがありません。
当たり前です、何故なら、相手も同じだからです。
質が同じなら、若く、筋力に恵まれ、元気の良い人間に勝てる道理がありません。
ですから、まず身体の質を変えることが必要であり、その一番基本となるのが「上下の力」です。

「上下の力」とは、いってみれば、ヒトの身体全体をキュッとまとめて一つにしているような状態です。
言ってみれば、全身の関節がしっかりと緊結されているような状態です。
もちろんこれは、力を入れているのとも違います。
この状態を見つけ、失わないで、どんな時にも動ききるのが、拳法の最低限の要求であり、目的でもあります。
身体が伸びていても縮んでいても、また打つ時も避ける時もです。
文中に「重い体」とありましたが、この力が失われなければ、伸びていても縮んでいても十分に重い体でいられます。
そういった意味で、この「上下の力」は拳法を拳法たらしめるとも言えます。
拳法では、脚ではなく腹と腰で動く事が必要ですが、「上下の力」がなければその力も生まれません。

残念ながら、これは、「上下の力」のあるヒトに触れることでしか感じられないと思います。
また、逆に触れればすぐに納得できる事だと思います。

質問の答えになっているかどうか分かりませんが、少なくとも言葉で答えられるのはここまでです。
何時か、手を触れられる時が来ればいいのですが。

太気会 天野