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太気会の稽古に参加して 会友員H.O 2004/07/02

 私が太気拳というものを知ったのは、だいたい3年くらい前のことだったと思います。当時、少林寺拳法をやっていましたが、たまに稽古に参加する程度で、それほど熱心といえるほどではありませんでした。そのころは、父が病気で亡くなったことことや自分の体調不良など、健康というものに対しての感心が非常に強くなっていた時期でした。自分の体調不良の原因がシックハウスで有名な化学物質過敏症という病気であることがわかり、自律神経失調症の症状が出て、いろんな化学物質に反応して体調がおかしくなったり、かなり精神的につらい状況でした。この病気は薬で治すということができず、ゆっくり時間をかけて体から化学物質を排出していくしかないというものです。たまたま雑誌などで、意拳・太気拳という武道が健康に非常によい効果をもたらす効果があり、なおかつ壮絶な強さをもつ武道である事を知り、とてもやってみたいという気持ちになりました。

 ところが、やはり自分の地元は田舎で、意拳も太気拳も支部があるところは非常に遠く、ビデオを購入して自分なりにやってみることにしました。みようみまねで始めた意拳の站椿は、最初は想像以上につらく、10分もやっとでしたが、こういうものは長い時間かけて効果がでるものと信じて暫く続けてみようと思い、半年くらいはビデオだけでやっておりました。それから、東京に出る用事があるときに、道場などで数度教えてもらいましたが、地方の人間が年に数回参加する制度が整備されているわけではなかったので、入会することはあまり現実的ではありませんでした。それでも一人で站椿だけは続けるようにしておりましたが、3年弱くらいたったとき、太気会のホームページに出会い、会友員制度があることを知りました。非常に制度体系が、私のような遠隔地の人間には現実的な有難い制度でしたので、見た瞬間『これだ!』と思いました。そして先生の執筆された『太気拳の扉』を購入して読んでみると、内容が曖昧なものではなくて、とても具体的な内容であり、太気拳の稽古体系を、文字を通して伝えるための努力と誠意を感じられるものであり、天野先生のご指導を仰ぎたいという気持ちは衝動のようなものになってしまいました。初めて送信させて頂いたメールで、『見学させてください』とではなく、いきなり『入会させてください』と送信してしまうほどでした。先生のメールの返信では、快く入会を承諾してくださり、また、地方に支部が無いことを自身の力不足と表現されており、そのことでは非常に感動を覚えずにはいられませんでした。そして平成16年2月、稽古に初めて参加させて頂くことになりました。

 2月の稽古は、土曜日は午前と午後、日曜日は午後と計3回となりました。このとき教えて頂いた内容は、立禅、揺り、這い、練り、後方発力でした。まさか発力まで稽古が進むとは思ってなかったので驚きました。先生のご指導は、本当に理解しやすいもので、教えて頂いてやってみると、本当に体がそのとうりの反応を示したりするので、非常に驚きでもあり、楽しいものでした。先生に触れて頂いて負荷をかけられた状態で揺りなどをすると、とてもよく感覚がわかり、なによりもひとり稽古では得られない貴重な体験でした。会友員という形での稽古への参加は、他の武道よりも、一人稽古に割く時間が多いため、意義があることではないかという自分の考えは、確信に変わりました。それには、やはり、先生のご指導の順番は、稽古の相互の関連性を意識したもので、非常に理解しやすい工夫がされていたことも、その確信を強めてくれました。

 2月の稽古から、一人稽古が以前より遥かに楽しいものとなり、毎日1~2時間は立禅、這い、練りなどに時間を割くようにしました。意拳式の站椿から太気拳式の立禅に変わったこともあるのでしょうか?多分、それ以上に稽古への向かい方がより明確になったこともあり、立っている感覚が以前より心地よくなりました。また、そのせいか体調もかなり改善されて、日常生活もほぼ健康状態に戻りつつありました。そして1年程前から始めたブラジリアン柔術もサークルへの参加という形で並行してやっておりますが、技術を覚えるのにあまり時間を費やさなくなったのも、太気拳の稽古をすることによって、体の使い方が合理的になってきたことや手足の感覚が鋭くなったことのおかげであると自分では強く感じております。今では、太気拳はひとつの武道というカテゴリーではおさまりきらない、身体操作のシステム、ないしはそれ以上のものなのでは無いでしょうか?

 3月にも稽古に参加できる予定でしたが、残念ながら流れてしまい、6月を待たなければならなくなってしまいました。梅雨に入って雨で稽古が中止になるのを恐れてたところ、当日は2日とも天気がよく、稽古日和でした。先生はよく自分のことを覚えていてくださり、たくさんのお弟子さんがいらっしゃるでしょうに、本当に感激のきわみでした。先生の気さくな御人柄も本当に太気会の魅力の1つであることは間違いないと思います。
 稽古が始まり、前回教えて頂いた内容で出来ていないところが幾つかあり、それを指摘して頂いたことで、また課題がはっきり致しました。立禅のとき手が縮こまること、半禅のときの前足の角度などです。今回新しく教えて頂いたものも、また新たな課題としてクリアして次回はもっと高度なことを教えていただくように努力して行きたいです。
 そして初めて太気拳の組手を拝見させていただく事ができましたが、あまりにも動きが早く目がついていくことが出来ませんでした。壮絶な組手をこなしていく先輩たちには尊敬の一言でした。

 稽古の合間の昼の移動の時も先生にいろいろお話を聞くことができる貴重な時間です。そのときに午前の稽古で、自分の立禅の仕方が良くなったこと、つまり一人稽古をしっかりやっていたことを見抜いて頂いたことは本当に嬉しいことでした。また、先生が外で稽古をやりなさいと仰られたのですが、その理由が先生らしい風流なもので、非常に侘びさびを感じるものでとても心に残りました。何か人生の極意を教えて頂いた心境で、やはり太気拳は単なる武道にあらず!と感じずにはいられませんでした。

 稽古に参加してみて、太気拳の稽古はやはり生涯続けて行きたいと思いました。(組手に参加する度胸はいまのところありませんが。)
 それは、やはり年齢を重ねてもどんどん積み重ねて行くことが出来る魅力を感じたからです。一箇所にとどまらず、昨日より今日、今日より明日、常に自分が進歩して行けるなんて、こんなに素晴らしいことはありません。