半月ぐらい前の夜、日課のジョギングをする為に玉縄児童公園に向いました。すると静まり返った公園の暗闇の中に、怪しくうごめく複数の影を見ました。中心に立ち尽す大きい影、その周りを向い合いながらうごめく影また影。「これは、武術の極秘練習だ。」直感した私は、急きょ予定を変え周囲をランニングしながら、公園内の様子をうかがいました。武術マニアな私は、推手のような影と立禅のような影を見て「これは太極拳か大氣拳ではないか」と思考を廻らせました。「こんな近くで夜な夜な猛者達が秘密特訓をしているなんて…」という驚きと共に「近くで見たい」そして「仲間にくわえて欲しい」という抑えられない感情が沸いて来ました。
しかし、もし秘密特訓だったら…話しかけた瞬間に袋叩きにされるかもしれない。もしかして勢いで入門したら、自分の求めるモノと全然違うモノかもしれない。
モンモンとしながら公園の周りをグルグルと回り、結局声をかけることが出来ず家に帰りました。その後仕事の忙しさもあり、約半月が過ぎました。
そんなある日、截拳道経験者の知り合いと格闘談議に花を咲かせていた時、ふと彼が「そういえば玉縄で大氣拳の天野さんらしき人とすれ違った。あれは間違いなく天野さんだ。」と言いました。
「あっ!」
自分の中で線と点がつながりました。あれは、あの公園の影は、やはり大氣拳だったんだ!しかも大氣拳を代表する高名な先生だったんだ。
次の日の仕事中、何か間接的にアポをとる方法はないかと思いインターネットで検索し、大氣会のホームページを発見!練習場所も公開されている。
「秘密練習でもなんでもなかったんだ。」
勝手な想像を膨らませていた自分を失笑しながらも、簡単に見付かったことに驚き、そしてその驚きの勢いですぐメールで問い合せをしました。次の日、天野先生から直接返信を頂き、「温かい服装で来るように」と見学のお許しを頂きました。
その日の鎌倉はとても寒く、暗い夜道を吐く息を凍らせながら玉縄公園に向いました。すでに先生はいらっしゃっていて、柔軟体操をされていました。
「天野先生ですよね」と声をかけ向い合い挨拶をしました。身長178cm体重88kgの自分よりひとまわり大きい。「寒いけど、とりあえず見てってよ。」笑顔でとても気さくに話される先生に、少し戸惑う私。
先生は広い公園の中心にたたずみ、立禅・ゆり・這いと行ってゆく。動きはだんだんと速くなり、その動作の速さ、瞬発力に驚く私。
1時間近く、先生の動きを目で追っていると、不意に先生が振り向き、私の方に歩いてきました。「なんだろう。」と思ったところで先生が私に何か問いかけました。良く聞き取れなかった私が緊張を笑ってごまかすと、少し離れて行き、公園内の唯一外灯の明りが照らす場所で立止まり私を手招きしました。
「構えて」
「えっ」
「構えて見な。」
おもむろに構える私。
「攻撃して来てみな」
あっけに取られる私に先生は
「なんでもいいから早く。」
言われるまま前蹴りを出す。
「そんなゆっくりな蹴りじゃ反応できないよ」
続けざまにジャブを出す。すると先生は私の視界の左斜め下に瞬間移動し、直後私の視界に縦拳が飛び込んで来た。
「もう1度」
今度はストレートを放つ。すると今度は右下に顔がずれたと同時に、また縦拳が私の視界をふさいた。
「こういう動きをする為に、さっきの遅い動作や練習があるんだよ。」
その後、先生はご自分の武術論をどこの馬の骨かも解らない私に熱く語って下さり、「是非、教えて下さい。お願いします。」と言う私に「こちらこそ」と答えながら笑う先生。その飾らず気さくな笑顔を見て、すっかりファンになってしまった私でした。
その後、立禅を教わり、家に帰ったのは時計の針が9時40分を少し回った後でした。
次の週の火曜日、19:00過ぎに桜木町のガード下に行くとすでに先生は立禅をされていました。
準備体操を終え、前日教えて頂いた立禅を始めると、要所に進言を頂きました。
「足を肩幅に開き、お尻で後に少し持たれかかるように腰を落として」
「あしの間に丸木をそっと挟んで落とさないようにして」
「背中は張らないで、お腹を少しへっこめるように立つ」
「アゴの下に支えがあって、全身を支えるように立つ」
「下半身が下に引っ張られる様にイメージして」
「手を前にかざして、肩を落として」
「そうしたら、少し前後に揺れて見よう」
「後に行くときは、腰を落としながら、かかとが地中に沈んでいくように」
「目線先の目標と後訪頭部がゴムチューブで結ばれていて、それをゆっくり引っ張るのだけれども倒れようとする体を支えてくれる。」
「そのゴムが戻ろうとする力で前に傾く」
「頭の上に天井があり、ゆっくりそれを押し上げ突き破るイメージ」
「カカトが抜けて、指先に体重が移って行く。しかし、かかとは地面から離れまいとする」
「その離れまいとする反動でまた後ろに傾くぞ」
「そしたら今度は、かざしてある手と手の指の間にゴムがついていて、それを引き伸ばして見よう」
「そして腰まで水面に浸かっていて、後ろに下がるとお腹の中心に水が流れ込んでくるように」
「足の指は、地面を掴み、地面から離れまいとする。その力を意識しながら前に傾く」
「前に行くときに脱力する様に」
一言ずつ、そして体が覚えやすいタイミングで言葉が投げかけられるので、とてもスムーズに体が行動を起こします。
今まで、体に初めての体験をさせると必ず違和感を覚えたのですが、先生の立禅は、とても素直に体がが受け入れます。こんな体験は生まれてはじめてです。(小中高校の勉強でもなかったし、10年やった空手でも、剣道でも無かった)
立禅で感じた事は、パチンコ(玉をゴムで飛ばす玩具)でした。パチンコの玉を斜め下に「ググッ」っと引っ張り、斜め上に「フッ」っと放つイメージを感じました。
地面を足の指で掴もうとしたのですが、靴底のアーチが邪魔をして上手行かず、靴を脱ごうかと真剣に考えました。
「前に机があって、その上に腕を置いてごらん。」
「その机を上から抑えつけるようにして」
「そうしたら、後に倒れながら、止まる時に腕を引く。前に倒れて止まる時に腕を前に出す」
「腕を引くことで後ろに傾く体が止まり、出す動作で前に出る体が止まる。」
「抑えつけながら、ゆっくりと」
「肘で机ごと引っ張り込むように、前に出すときは、机を押し出す様に」
「今度は、手のひらを内側に開いて、手首で相手の手首を引っ掛けるように引いてくる。前に出すときは、相手の胸に指を指し込むように出す。引くときは、心臓を掴み出す様に」
「引くときは広げながら、前に出すよきは、指先が集まって行く様に」
立禅を過ぎたあたりから、とにかく先生の教えを忘れまいとすることで精一杯な私。
「前足を前に出して、同じ動作をしてみな」
「ほとんど後ろ足に体重をかける。後に行く時に骨盤を引き上げる様に。前に行く時、前足の骨盤を引き上げる様に。」
「前の膝は、動かさない様にして、前に出るとき内側に力を入れて、後ろ足が引き付かれて行くように。」
先生は私の前に立ち「思いっきり俺を押してみな」と仰っしゃった。
私は、先生の胸に手を置き、力いっぱい押した。しかし、先生はビクともしない。
「骨盤の上下の力を使うんだよ。」
といいながら、先生は壁の前で私に踏ん張る様に言った。空手でいうところの前屈立ちに構えると、先生は私の胸に手をかざした。
次の瞬間「フッ」先生の短い息の音とともに、私は後方に吹っ飛び、両足が宙に浮いた状態で、後のアスファルトに打ちつけられた。その打ち付けられた勢いで、また先生の目の前に立ち戻った。
「全然違うだろ」
間違い無く、宙に浮いた。しかも後に壁が無かったら、5メートルは吹っ飛んでいたか・・・・
「じゃあ這いをやってみよう」
「這いはただやるのは辛いんだ。コツがあるんだよ。下半身の鍛錬だとか言う人がいるけど、あれは間違い。」
「軸足に体重を乗せるときに、骨盤を引き上げる。そうすることにより、大腿にかかる体重がお尻に乗るようになるんだ。今度は前に出した足側の骨盤を引き上げながら体重を前足に移して行く。」
「その時に足の裏側に釘があって足に貫通しないようにそおっと足を引き上げる様に踏みながら体重を移して行く。」
「足の甲になにかを載せていて、それを落とさない様に足首をキープしながら、ゆっくりと内側に弧を描きながら進んで行く。前に足を下ろす時は、探る様にゆっくりと。」
「左の骨盤を引き上げると、上体が自然と回転して、右肩が左に開く。手は前にかざし、楽な位置を探る様にする。」
以前、有名な先生に「這い」を習った事がある。
その時は、「地球を支える様に」「背骨を縮める」「背骨を伸ばす」というようなイメージを終始教えられ、全く消化できなかった覚えがあった。天野先生は具体的に細かく教えて下さるので、以前丸一日やって解らなかった事が、10分前後の短い時間で、自分なりに消化でき、その先生の論理を少しでも理解できた自分に驚いた。
「人間は、解らないままに自分の体を動かしている。パソコンの様に取扱説明書がある訳では無い。大氣拳は、その人間の取扱説明書のようなもんだな。」
「よく空手でも腰を切るというだろ。じゃあ、腰を切るってどういう事なんだ。解らないだろ。大氣拳的に言うと骨盤を上げ下げする事なんだよ。人間は、骨盤で動いてるんだ。」
「肩幅に立ってみな。そしたら骨盤を左右に上げ下げしてみな。」
「右の骨盤を上げたら、右足に体重がのるだろ。それを左右に連続して行う。骨盤が下がった方の足は、地面から話す様にして。」
「そうしたら、手を前にかざして、指先を前にして、両手を大きく回す。」
「お腹からオデコの当りまで、円を描く様に。」
「左手は、自分の中心よりも右に行かないようにして、右手は左に行かないように。」
「手のひらは、常に地面と平行にするようにして、全身が水あめの中に動いているイメージを持つ。」
「水あめの抵抗があるから、手だけでは回らない。体重移動しながら、上体で腕を先導する様に体全体で水あめを手でかき混ぜるようにする。ゆっくりと水あめの圧力を感じながら。」
「そうしたら、それを行いながら、前に歩いて見よう。」
「前足の大腿を内側に絞めて、後ろ足をひきつける様に」
「下がる時は、少し内股になる様に」
「その中でもしっかりと骨盤の上下を忘れない。」
「体重移動をする事で、上体も左右に若干ゆれる。」
「そうしたら、今度は回す手を交互に回して見よう。」
上体がずれる事で、相手の中心から体をずらす事が出来、回す手は、攻守一体となっている。そして、水あめの中を全身で動いている意識が、体全身で前進後進をする意識を作るというような説明を頂く。
20分ぐらいこの動作をおこなった。手を意識すると、腰の動作が上手く行かず、腰を意識すると手がおろそかになる。ホンの瞬間に「あっ」というような全身の一体感を感じるのですが、どうすればそれが得られるのかわからず、持続しない。
「立禅を行っているときも、左右の骨盤の上げ下げはあるんだよ。それが物凄いスピードで行われていて、コマのようなモノかタービンンのようにお腹の中心で「ギュンギュン」と回っているようなイメージだな。」
「大氣拳は気の拳法だと言われている。しかし、気というのは忘れてもらっていい。澤井先生のころは良く気の話しをされたけど、気という抽象的な表現は使いたくない。脱力した状態から全身で瞬時に引く「力」が「気」と言われているものと考えて欲しい。うちでは「後方発力」というんだよ。」
先生は、立禅のような上体から、瞬時に沈身し腕を引きひいた。(その間0.1秒ぐらい)
「フンッ」という発声がガード下にこだまし、1mぐらいの距離で見ていた私の前の空気が震えたようなに感じた。
「全身で引き込み、その瞬間にその緊張を開放してやる。これをどんな状態でも、何度でも行えるようにするのが立禅なんだよ。」
「立禅をしている時は、どの瞬間でも四方八方に力をこの力を発っせるように意識して行うんだ。」
自分も先生の真似をして、後方発力を行った。
「脱力した状態から、かかとを上げて、そのかかとを地面に打ちつけるようにして瞬時に斜め下後方に沈み込み、腕を引き込む。」
「すぐにその緊張を開放してやる」
感覚は柔道の選手が組み合って、技をかける瞬間に相手を崩す為に自分の前に引き込む動作に類似している。
何度も何度も繰り返す。
最初は、上手く上体と腕が一致しなかったが、繰り返すうちに緊張と緩和のバランスが何となく、掴めてきた。全身緊張と全身開放というような表現だろうか。
「ほら、出来た」
「澤井先生は教えてくれなかったから、これを出来るようになるまで10年かかったよ。」
ああ、そうか!
立禅の前後の動作は、この後方発力の動作をゆっくりと行っているのか!動作的には共通する。
「じゃあ、終わり!」
先生のかけ声と共に稽古が終わった。
単純な「前に出る」「後ろに下がる」といった今まで無意識に行っていた動作を、骨盤を中心に全身を連動させる事により、とても迅速にそして合理的に動けるという事が、稽古と通して、そして先生の速さを目の当たりにして理解する事が出来ました。10年間何万回と繰り返してきた空手の動作の中でそれに気が付かなかった事への悔やみと、大氣拳と天野先生に出会わなければ多分それに気がつかなかったであろうという恐怖心と、そして出会えた自分の幸運に感謝しながら、自宅への帰路へとつきました。
「教えられると簡単だろ」という先生の言葉が、とても印象的でした。