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会員・会友員のテクスト 富川リュウの太気拳修行記

第十一部・夏の章

単身赴任、その後

いよいよ仕事の方も忙しくなってきて、計画的な休暇取得が難しくなってきた。ユーザー先の現場に貼り着くことも多くなり、他のユーザーからの突発的な対応にも応えなければならない。このため予定は常に流動的で、帰省のためのフライトの予約をとるにしても、早割や特割り等の安いけれど変更不可のチケットは購入できなくなってきている。

しかし当初の予想に反して、6月以外は7月も8月も9月も、月2回のペースで合同稽古に参加できたのはラッキーだった。それより何より、毎朝の自主練習も含め、自分の身体の進化を日々実感できているのは嬉しいことだ。

まだまだリフォーム

もうすっかり立禅のフォームには安定感があり、自分では「完成形」に近いものと思い込んでいたが、天野先生からは7月4日の稽古でも立禅の姿勢を修正するようにアドバイスをいただいた。それまでは骨盤をしゃくりあげるように尻下がりさせるだけだったが、これだとソケイ部が伸びっぱなしになり、全体のバランスで頭が前に出てしまう。天野先生曰く「膝を曲げて、膝が前に出た分だけソケイ部を引っ込めるんだよ」とのことであった。

尾骨を強打!

同じ7月4日の組手では、大失態をさらしてしまった。まだ入りたての新人君に投げ技をくらってしまったのだ。しかもくるっと一回転、尻からまっさかさまに地面に叩きつけられ、尾骨を強打。「うぅうぅ」と呻きながら、しばらくは立ち上がることができない始末。天野先生からは「姿勢が出来てないから投げられるんだよ」と、言われてしまった。

しかし、さて、トミリュウの快進撃はここから始まる。ここから、と言ってもその日の内に投げられた新人君をボコボコにしたわけではない。次の日からの話である。

翌朝の立禅で、それまで出っ腹・出っ尻体形だったトミリュウの体に変化が起きていた。天野先生のいうとおり「膝を曲げて、膝が前に出た分だけソケイ部を引っ込める」ようにしてみると、頭の位置が今までよりはるかに後ろへ戻ってきた。「後ろへ戻る」とは、いささか変な表現であるが、とにかく今までが前に出すぎていたので、「後ろへ戻る」としか言いようがない。たぶん尾骨を強打したことにより、その部分が数ミリ引っ込んで、全体のバランスが変わり、頭を前に出す必要のない状態に整ったのだろうと思う。新人君に感謝!である

ハラのボトムの締め具合

7月11日の岸根での稽古の際に、推手の対人稽古を古参のI先輩とやっていて、「この不思議な力はI先輩のどこから出ているのだろう」と盗み見て、それが彼のソケイ部のあたりから出ていることを発見した。この瞬間、自分でもそこら辺を締めることで身体の力の質が変わったことが実感できた。

次の日の自主練から、立禅や這いでその感覚を確かめてみたが、自分の言葉でいうと「ソケイ部」というよりは、そこから3cmほど上の「ハラのボトムの2本のライン」この辺を少しだけ締める様にするだけで、体全体のまとまりがまるで違ってきた。

7月11日は推手をしているあいだに、尾骨周りの打撲の痛みが大きくなってきたので、組手は見学のみだったが、それでも大きな収穫を得られた一日だった。

手で包む構え

8月8日の岸根での稽古では、かなり長い時間を棒の稽古に費やした。差し手と払い手を組み合わせた太気拳独特の前腕の使い方で棒に対処するのだが、天野先生からは「払い手であっても差すように使う」ということと「差す前の構えでは、手で包んでいるように」との注意点を強調されていた。

脇腹のび太郎

月曜日の朝練で、いつものように正面の立禅をしはじめると、唐突にわき腹が伸びる感覚が出てきた。8月16日の広島市栄橋公園でのことである。今までは固まる一方でそこが緩むことなどとは夢にも思っていなかった脇腹の背中側の部分が緩んで伸びていた。この感覚を保ったまま半禅と這い、なかなか良い感じだ。探手をしてみると昨日までとは身体の動き方が全然違っている。なんとなく伸びやかに動けているような、そんな感覚だ。

なぜ唐突に、わき腹が伸びる様になったのか、理由はよくわからない。土曜日にタイ式マッサージに行ったからか、日曜日にヒップホップのダンスのレッスンで、普段はあまりしないような色んな角度からの強めのストレッチを行ったためか、あるいは立禅の累積立ち続け時間が1200時間を超えたからか? でもしかし、自分の身体とはいえ不思議でしょうがない。次から次へと未知の物が出てくる。いったい後いくつの玉手箱が隠されているのだろうか。

あれっ、もしかしたら一ヵ月ほど前に、お腹のどの辺にどれ位の力を入れたら良いのかが解かったから、背中の力が抜けたってことなのかも…。

代々木にて

8月21日の代々木での稽古でも、かなり長い時間を棒の稽古に費やした。早く組手がやりたくてウズウズしてきている。しかしこの日も、天野先生から立禅の姿勢についてちょっとしたアドバイスがあり、自分の首がもうちょっと伸びた感じになった。これは大きな収穫だった。

お腹シメ太郎

土曜日の朝練で、いつものように正面の立禅をしはじめると不思議なことが起きた。 8月28日の広島市栄橋公園でのことである。つい先日8月16日に<脇腹のび太郎>になったばかりだというのに、今度は<お腹シメ太郎>になったのだ。

この週は疲労が溜まっていた。太ももの裏(ハムストリングス)と背中全体に張りがあり、いつもの腰痛の核となる左の骨盤の脇あたりに、ギックリ腰の前兆になりそうな感覚があった。今までならちょっと稽古を自粛し、マッサージに行っている所なのだが、そういう疲労感や腰痛に対しての恐怖感と言うか、過剰な心配症を払拭するためにも、安易にマッサージへ行くことを自粛し、自分のありのままの疲労感と向き合ってみようと、最近ちょっと考え方を変えたのだ。

朝食後、公園までの道すがら歩きながら考えた。「今日はどういう風に立禅しようか…。モモと背中に張りがあるから少し力を抜いて…、リラックスして…。それにしても、どこに余計な力が入っているのかな…。このまえ天野先生に聴いてみた時は、「自分だって、いっぱい稽古すれば足腰の張りは出るけど、わざわざお金かけてマッサージに行くほどの不快感や疲労感はないよ――」って言ってたしな…。ってことはお金があればマッサージにも行くってことか――。まぁそれは無いか…無いな…。で、結局この日は、頭で考えたことは置いといて、身体に任せてみることにした。疲れた身体のままフッと立禅に臨む、あとは身体が何をするのかは出た所勝負ということで。

そうしてみると不思議なことに、腹全体が引き伸ばされて、張りを作るようになった。伸ばしているんだけど、張っている感じ。そして締まっている感じ。今まで生きてきた中で、まったく未経験の未知の感覚だった。今日は少し力を抜いて、リラックスして立禅かな…と考えていた安易な思考とは裏腹に、全く正反対の答えを身体が出した。お腹シメ太郎、恐るべしっ。感覚に身を委ねるとはこういうことだったのか…。

この経験から判ったのは「どこかに余計な力が入っていた訳ではなく、力を入れるべき所に入っていなかった為、筋力バランスが偏り、疲れやすい体質に陥っていた」ということです。

岸根にて

9月5日の岸根での稽古でも、かなり長い時間を棒の稽古に費やした。この日も厳しい残暑の日差しが熱く照りつけ、組手稽古は無さそうな雰囲気だったので、2、3人の方にお願いして、マススパーの相手をしていただいた。マススパーに挑んでみると、身体の仕上がりは上々のはずなのだが、何故か接近すると両手が絡んで相手に頭突きで突進するような展開となってしまう…。何か、自分の組手に工夫を凝らさなければ…。以前、天野先生が言っていた「基礎研究で結果がでたら、次は商品化する工夫が必要」という言葉を思い出した。

組手に対してのアプローチ

9月6日から9月17日にかけての毎朝の自主練習では、組手に対してのアプローチを工夫してみた。

・ハスに構えて打つのではなく、自分の正中線で打つ。このためには立ち位置をずらす

・相手の正中線の脇をかすめる(2センチ・2度の感覚で)。相手の両手は避ける物で、相手の顔は的であるという考え方を止め、相手の正中線の向きとベクトルを見定める

・正中線のキワに沿って入る。あるいは線の脇に割って入って行く。そして一気に行くのではなく、トンネルを掘るように断続的に少しずつ距離を伸ばしていくように

・まず意があり、初動は腹から。腹の初動が背中に伝わり、手を動かす。この為には、立禅で、腹の初動で背中が自在に動くように。つまり背中が腕であるかように身体を整えていく。