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会員・会友員のテクスト 富川リュウの太気拳修行記

平成19年・新春だべさ

気功法経験者M木先輩

 M木さんは、太気会の中でも、変わった経歴の持ち主である。気功法を何年か修行されていて、気とは何かを探求するために太気拳を始められたという。私より2年ほど先輩になるのだろうか。私が入った当初から老練な推手をされていて、そのジットリとした重い力が、この五十絡みのオッサンの一体どこから出てくるのだろうかと、失礼ながら不思議に思っていたものだ。

 しかし当時は、あまりM木さんのことを快良く思ってはいなかった。確かに推手は強いのだが、当時の私の目には、中心を守る意識が低いように見えていたし、養生班ということで、ほとんど組手をされていなかったからだ。

 そのM木さんが、数年前から組手を始め、あれよあれよという間に強くなっていった。初めは、純粋な驚きとともに、ウソだろ!と思っていたが、年を重ねるごとにその強さに確実性が増してきている。もうすでに五十五歳を過ぎようとしているにもかかわらずだ。

 ここ最近の私の苦悩ぶりは、皆さまご承知のとおりであるが、ちょうど昨年度の冬の章<クリスマスプレゼント>の日、12月23日にお話を聞く機会があった。とは言ってもほとんど毎週のように飲み会では一緒だったので、いつでも話は聞けたはずなのだが、たまたまその日は天野先生が欠席だったことと、今までは自分からM木さんに組手についてのアドバイスを聞こうとはしていなかった、というだけのことである。

 素直に聞く態度を示すと、誰でもが快くアドバイスをくれる。そんな風通しの良さも太気会のいい所かもしれない。

耐える立禅

 今までの自分の立禅は下半身重視でやっていた。ちょっとして肩や腕が疲れてくると、足腰の姿勢、状態はそのままで、腕を下げ、肩をぐるぐる廻したりして、上半身だけの休憩を図っていた。しかしM木先輩のアドバイスでは、そこで耐える、そこで待つ、とにかく待つ。辛い部分が楽になって、辛い部分が平気になってくるまで、そのままの姿勢、そのままの形を保ったままで、待つ。そして一時間ほどは動かずに禅だけで立っている。そういうアドバイスであった。

 さっそく翌日からは、そのアドバイスを参考にして朝の稽古に取り組んでみた。しかし一時間まるまるは、さすがに辛い。それに這いもやりたいし、練りもやりたい。まあそこは自分なりにアレンジして――ということで稽古を組み立てた。

 まずはとにかく、上げた腕を一回も下げないようにしてみようと考えた。そして立禅と這いに長く時間を掛けるように…。言うなれば、上半身、特に腕と肩の重視の立禅である。はじめは長時間もつように、腰はそれほど低くせずにスタートさせた。辛くなって来たら、棒立ちになり、下半身だけを休ませてあげる。腕は絶対に下ろさない。そのまま半禅も時々やりながら、腕と肩の疲労の軽減を促す。そんな感じで35分ほど経った。かなり腕と肩が辛い状況であったが、せっかく35分我慢したのだから、あと5分だけは、と思い頑張った。そうすると不思議なことに腕を下ろしてしまうのが勿体ないような感覚に陥ったのだ。なので、そのまま這いに突入。10分ほど這いをやり、まだまだ手を上げたまま、練りにも突入。両手右廻し、両手左廻し、内廻し、外廻し、と10分ほど行い、最後に探手を5分だけ。もうこんなに腕を休めていないのだから、打拳なんか打てるのかなぁ、と不安に感じていたのだが、意外にもその腕で、ポン、ポンッと、軽々と打ち出すことができて、なんだか朝から得をしたような気分になった。そして、そんな稽古を年末に4日間ほどやって、昨年の自主練習は幕を閉じた。

気の柱を抱えて

 正月休みの間は太気の稽古もなく、暇だったので、武道・武術の秘伝に迫る月刊誌「秘伝」の古い記事などを読み返していた。そのなかで目に付いたのはやはり、ありき日の澤井先生のお姿。その立禅の姿勢、這いのフォームから、感銘を受け、今まで上に挙げていた手を前に出してみようと思いたった。耐える立禅で、やや上に挙げていた手を前に伸ばし、円く何かを抱えるようにしてみる。昨年末の交流会での島田先生の説明も思い出した。各関節の角々がなくなるように円くなっているイメージで両腕を差し出すように、という解説だった。

 ふと、太い樹を抱えているような感覚が出てきた。それは今まで本や何かで立禅の説明をされるときに良く見聞きしていたものだが、初めての体験だった、しかし自分の感覚で言うと、樹を抱えているというよりは、気の柱、何か透明な円筒状のものを抱えているような感覚であった。しかし残念な事に、次の日になるとその感覚は小さくなり、その次の日にはもうほとんど無くなってしまっていた。それが戻ってくる日がいつかくるのだろうか…と少々心細くなった。

あからさまな駄目出し

 金曜の夜の稽古に参加した時の事。禅、這いをやって、そのまま腕を下げずに練りに移る。両手右廻し、両手左廻し、内廻し、外廻し、それから探手。ワイパーの手のまま、ズンズンと歩いていき、時折、打拳を放ってみる。そう悪くはない感じだったが、つかつかと歩み寄る黒い影が。「そんな練りじゃ駄目なんだよ。そんな状態じゃ、速く打てないだろ!爆発するように打てなきゃ駄目なんだ。爆発するためには緩んでなきゃ駄目なんだよ!」あーあ、少しは褒めてくれてもいいじゃないか。ここ一、二週間の間に、ずいぶんと進化していると思うんだけどな…と心の中で独り言をつぶやいた。

出っ腹出っ尻体型

 トミリュウは、出っ腹出っ尻体型。痩せ型なのだが下腹部が出ていて、背中の下のほうが反っていて、骨盤の角度がきつい。そして這いや推手の時に、その背中の下の方を「ここを緩めろ」と何度も先生に注意されていた。たぶんこの頃は、立禅では、そこそこ良い姿勢を作れているのだろうが、いざ動く段階になると、どうしても元々の自分の悪い癖に戻ってしまうようだ。

 前述の金曜の稽古の翌日、ダンススタジオの鏡に映る自分の姿に愕然とした。もっとカッコイイと思っていたのだが、かなりカッコ悪かった。腹が出ていて背中が反っている。もともと腹を緩めるようにしていたつもりだったので、腹が出ていること自体にはそれ程抵抗は無かったのだが、問題はそこが全く動いていなかった、ということ。腹を緩めているつもりでいて、その実、膨らんでいるだけで動きがない、つまり固まって、居着いている状態だったのだ。あーあ、これじゃあ意味がない。腹が動いてくれなきゃ何をやっても意味がない。ショック!ショック!ショック!鏡に映る自分の姿にトリプル・ショック!だった。

お腹主導で動く

 月曜からの朝稽古で腹をよじって使ってみた。まずは立禅、そして半禅で。次第に脇腹のアバラの下と骨盤の間が引き剥がされるように動いてくる。そしてミゾオチのすぐ脇辺りも動き出した。これで這いも行なう。お腹を折って使うような感覚が出てきた。

 火曜になると、お腹を引っ込める事で、骨盤の角度を緩くできることに気づいた。そして、その姿勢で立禅をすると、腕の中に気の柱の感覚が戻ってきた。水、木、金と、それを馴染ませるように稽古していたが、探手では、腹で沈むようにすると、打拳が速く出せることに気づいた。ヒザで沈んで、手を打ち出すのではなく、初めに腹がキュッと動いて、それにつられてヒザが沈み、手が打ち出されていく感覚だ。

発展途上

 今年1月の第一週目は、雨で稽古ができなかった。そして、二週目の組手の出来は3点。この時にケガをしたので、三週目は推手のみで、組手は無し。四週目の1月27日の土曜日、これが1月最後の対人稽古の日で、15点の組手ができた。何を基準に、と聞かれても困るのだが、まあ自己基準・自己採点ということでご了承いただきたい。

 この日の天野先生からのアドバイスは「ヒジに力を」ということ。ハンド、前腕には力を入れないで、力はヒジにあるように、ということを這いの稽古の時に注意された。また、後ろ足のヒザを緩めて、そのヒザで相手に狙いをつけているように、とのこと。そしてもうひとつ、目の焦点の合っていない所に、神経を集中させておく、注意を向けておく、ということも言われた。

 稽古の後の飲み会の席では、またM木先輩から良いヒントをいただいた。腹を使うことは間違いではないのだけれども、それを故意に使ってはだめで、それすらも委ねて、身体に任せて、ということだった。

鏡の中の自分

 翌日、自宅にて、風呂上りに自分の下腹部を見て、あら、ここの部分も動いてないじゃないか、と気づいた。上腹部のあたりは、だいぶ良く動くようになってきていたが、下腹部のあたりがまるで動いていなかった。動かないということは、使えていないということ。まだ体の中にこんな部分があったなんて、そんな勿体ないことをしていたなんて、と自分の身体のことながら新鮮な不思議さを感じていた。

贅沢なメニュー

 翌月曜からのメニューは、盛りだくさん。まるで和洋折衷のバイキング料理のようだ。まずは「ヒジに力を」そして「下腹部を使って、なんだけども、故意には使わない」また「目の焦点の合っていない所に、神経を集中させておく」ということ。これはその他のことをやりながら同時進行で取り組めそうだ。あとは「後ろ足のヒザの向きとそれを緩めておくということ。あまりにメニューが多いので、これは後回しにするしかないか。テンコ盛りにお皿に料理を取りすぎて残してしまうのは、あまり上品とは言えないからね。

 初めに正面の立禅で、ヒジから脇、脇から胸の辺りの感覚を強めるために、腕で囲んだ円い空間の手前側の濃度をあげるように意識してみた。そして反対に、ヒジから先、前腕から手首、手首からハンドまでの感覚を消していく。半禅でも同じようにして、それから揺りを少々。揺りでは、下腹部を吸い込むように使ってみる。初めは故意にギュギュッと動かして、いい感じに動き始めた所で、次第に身体に任せるようにしてみる。足の付け根のソケイ部から約3cm上、下腹部の脇の辺りが、新たな胎動を始めた。

ワイパーではいかんのだ!カーテンを操れ

 火曜、水曜と、日が経つにつれ、這いや練りに大きな変化があった。ヒジまでの意識を強めると、明らかにハンドと前腕の感覚が良くなる。そして元のやり方に戻ってしまったときには、逆にハンドと前腕の感覚が鈍くなる。特に両手廻しの練りをしていると、この違いがよくわかる。今までのやり方だと、前腕はただの棒にすぎず、ワイパーのように虚しく往復運動を繰り返しているだけで、雨だれは顔に当たってしまっている。しかし、ヒジまでの意識を強めると、二本の前腕の周りに幕ができ、まるでそこに見えないカーテンが引かれていて、自分の顔には雨だれが届かない感覚になる。

ヒトデ人間

 ヒトデは英語でスターフィッシュという。☆の形をしているからだそうだ。前述の状態は、自分がヒトデ人間になったような錯覚を生む。☆の両脇が自分のヒジまでで、その外に前腕とハンドがちょんとオマケで着いている。☆の下二本は自分のヒザまでで、その端にスネとフットが着いている。そして☆全体、つまりはヒジ、ヒザまでが、ヒトデのような一体の柔らかい固まりで、それがうねるように動き、力を出し、変化を作り出す。

モヤっとした手応え

 一週間の自主練で、よっしゃ!とグッとくる手応えがあったときには、たいてい土曜日の推手や組手で先生から駄目だしを喰らう。逆に、モヤっとした手応えのときの方が、その成果が報われることが多い。何度も何度も試行錯誤を繰り返し、蓄積された7年間分のデータ。そのデータから得られた結論だ。

組手が怖い

 相手が強い先輩でも、それほど怖いとは思わない。ケガをするのは嫌だけど、それも怖いとは思わない。組手で息があがって疲れてしまうのも、それほど怖いとは思わない。それでは組手の何が怖いのかというと「成果が出ていないこと」これに尽きる。

 一週間の自主練で、確実に身体は変化している。明らかに、それまでとは違う身体になっている。しかし、それが組手に活きてこない。それが、組手に活かされない稽古だったと突きつけられるほど辛いものはない。だから先生が「じゃ組手!」と言って、「じゃ次、君!」と言われたときには、もう怖くて怖くてしかたがない。何も進化していなかったらどうしよう。全然成果が上がってなかったらどうしよう。そんなことばかりを考えてしまう。

 火曜の夜の稽古のあと、そんな気持ちを打ち明けると、先生はあっけらかんとこう言った。それをフィードバックしてさ、組手の役に立つ自主練を組み立てりゃいいじゃん。あとさ、身体を練ってさ、できた素材を活かす方法を見つけるんだね。いくら良い発明をしても、商品化させないと、投資した研究費用を回収できないじゃん、それと一緒だよ、って。

 とりあえずこれからは、毎週金曜の朝の自主練の最後に、次の日の組手のテーマを決めることにした。2月2日の金曜日、決めたテーマは「ヒジまでの空間を守る」ということ。明日はこれで組手をやろう!

 そして翌日。2月の第一週目の組手の出来は、20点。まずまずの成果であったが、商品化には、まだまだ時間が掛かりそうだ。

ミクロコスモス

 妻の古い友人にM田さんという山男がいる。彼は山歩きが大好きで、世界中を旅してきた。ヨーロッパはもとより、アフリカ、インド、パキスタン、等など。そして山好き高じてカナダに住み着き、ペンション経営の傍ら、トレッキングガイドをしている。地元カナダでのガイドもするし、時にはエベレストやキリマンジャロへも足を伸ばす。その彼があるとき、こんなことを言ったそうだ。「自分のお気に入りの場所や、自分を癒してくれるような町、あるいは自分がいつもワクワクしていられるような所が、世界中を旅していれば、どこかに見つかるだろうと思っていたけれど、そんな所はどこにもなくて、結局はどこに居ても、自分の心づもりひとつなんだなって最近気付いたんだよね」と。そしてその時、子供のように微笑んだ彼は、もう50歳を過ぎていたそうだ。

 みんなどこかに幸せを捜し求めている。ある者はファッションに、ある者はグルメに、そしてある者は世界のどこかに。そして宇宙の果てまで行きさえすれば、夢のような世界があるのではないか、と夢想したりもする。

 人の体は、小宇宙に例えられることがある。太陽の周りに惑星が集まり太陽系を形作り、それらがいくつか集まって銀河系を形作っている。そしてそんな銀河が他にもいっぱいあるという。その構造は、核の周りに電子をもつ原子の構造にも似ている。人の体も生命体であり、構造物である。その神秘の全容は、現代科学を以ってしても未だに解明されていない。

 さて、トミリュウは毎日旅に出ている。こう言ってしまうと、まるで毎日、会社に遊び行っているように聞こえてしまうが、そうではない。毎朝の出勤前の1時間だけ、自分の体の中の小宇宙を旅しているのだ。未知との遭遇。まさにその言葉がしっくりくる。毎日が発見の連続で、アハ!という感動や、ピコンッ!という閃きがある。時にモヤモヤ感が残ったり、すっきりしゃっきりしないことがあったりするが、それも旅の楽しみのうちだ。永遠の旅人。その名は、富川リュウ。そして明日の旅人は…、あなたかもしれません。