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会員・会友員のテクスト 富川リュウの太気拳修行記

平成18年・夏でごわす

力が弱く、どんくさ

 富リュウは、スポーツが大の苦手・・・今年の春の章にそう書いた。スポーツが苦手とは、いったいどういうことかというと「力が弱く、どんくさい」ということ。高校生の頃、毎年のように体力測定が行なわれていたが、富リュウは、これが大嫌いであった。それは、何をやってもビリケツだから。まあビリケツは大袈裟にしても、クラス40人の内、30位以下40位までには必ず入っていた。走ったら遅い、飛んだら低い、反復横飛びはトロイ、踏み台昇降は心臓バコバコ。

 しかし何故か、今43歳の自分には妙な自信がある。それは、たぶん間違いなく高校生の頃より今の方が、体力測定データは良好であるということ――。走れば脱兎の如く、飛べばトランポリンの如く、反復横飛びはシャラポアを凌駕、踏み台昇降は馬の如し。

 しかーし「力があって、すばしっこい」とまではいかない。何故か。それは稽古が足りないからである。

 武道・武術の秘伝に迫る月刊誌「秘伝」の9月号によれば、太氣拳をすると運動神経が発達し「力があって、すばしっこい」状態となる、と書いてある。師である天野敏氏の記事である。あのー、それって聞いてないんですけど・・・ていうか、今初めて聞いたんですけどぉ・・・。なにを言いたいのかというと、あっ、これは騙されたなっていうこと。だって7年前にそれを聞いていたら、コンプレックスの固まりの富リュウは、絶対に太氣拳に入門しようとは思わなかったはず。そもそもが運動の苦手の人間に、これをやれば運動神経が良くなりますよって言われても、疑心暗鬼、魏志倭人伝ですから。

 さて、改めて天野先生に感謝。騙してくれてアリガトウ。お蔭様でここまで来れました!

まとまってる状態、動ける状態

 武道・武術の世界には「居着く」という言葉がある。これは、いつでもすばしっこく動けるためには、そこに「居着く」ことがあってはいけないよ、という戒めの言葉である。そこで「居着いている」というのがどういう状態なのか「居着いていない」というのがどういう状態なのか、を感じ取ることが必要となる。

 武道・武術の秘伝に迫る月刊誌「秘伝」8月号の99ページには、富リュウの勇姿ならぬ愚姿が出ている。写真にとると良く判るよな。天野先生が言う。自分でも良く判った。どの写真を見ても、そんな姿勢でいては、全く以って動き様がないではないか、といったありさまで、完全に居着いてしまっている。打たれた後の写真(D-03)は、特にひどい。まるで背中が固まっていて、そこから変化のしようがない。蹴ろうとしている時の写真(C-01)は、少しはマシ。そうだやればできるじゃないか、といった感じだ。

 立禅では自分のまとまっている状態を見つけて染み込ませる。但し、まとまっているだけでは使い物にならない。まとまっている状態で、尚且つ動ける状態、これを手に入れるための日々の精進である。

お腹ポッコリ、背中ぽってり、首やわらかく

 「内臓を楽にしておきなさい」天野先生から言われた。立禅のときの注意点だ。もう半年以上前のことだと思う・・・と今年の春の章に書いた。その時には、腹を楽にして力を抜いておく、と言われても、先生、力を抜くって(力を抜くと)お腹は、出るんですか引っ込むんですか? そんなの出るに決まってるだろ! と言われる始末・・・。そしてやっと最近になって、というか前述のあまりにひどい自分の写真を見せられて一念発起、フォームの改革に乗り出す。そしてあれやこれやの工夫の末、やっとこさ、時々だけど、お腹の楽な感じができそうな頃、また天野先生に言われた。「下っ腹をさ、ポコッと出すんだよ」あー出しちゃっていいんですか~。これには、居酒屋拳法談義(※)でも賛否両論。「中国拳法の達人はみんな下腹がポッコリとでている」「いやいやあれはカッコ悪い、ああいう風にだけはなりたくない」「下腹でなくてミゾオチのあたりを出しても同じ効果があるそうだ」等など・・・話は延々と続く。(※参加者は、太氣会2名、太氣拳S先生の弟子1名、太極拳I先生の弟子1名の計4名。不定期開催)

 そうは言っても背水の陣の富川リュウ。前門のトラ、肛門のイボ痔、もう時間がない。とりあえず師の言うとおりにやってみるまでの事である。

 そして、次第に変わっていった富リュウの立禅。下っ腹を出した分だけ、背中の下のほうを後へ押し出すようにする。首を柔らかくしておいて、変化に対応できるだけのマージンを確保。体のまわりの空気に身を任せるように。地球の大気層の一気圧の圧力を感じて、それに身を委ねるように・・・その勇姿は、武道・武術の秘伝に迫る月刊誌「秘伝」X月号にて、見られるかもしれません。

白いヘッドギヤ

 夏合宿を前に白いヘッドギヤを購入した。いつもは先生が持参してきてくださるものを着用しているのだが、ちゃんとした自分用のものを準備した方がいいと思ったからだ。東京の水道橋に買いに行ったのだが、なかなか顔にフィットするいいものが見つからない。唯一いいものがあったが、それはとても高価だったため躊躇していた。

 このヘッドギヤは亀田選手が練習の時に使っているのと同じ物。ボクシング用のフルフェイスだ。これなら目の辺りも保護できそうだし、視界もまずまずである。まぁ十年使えば一ヶ月あたり310円だからと思って購入を決めた。

 K公園での練習の際におニューのヘッドギヤを持参した。使用感を確かめるため、後輩のY君を捕まえて殴ってもらった。初めはノーガード、ノーディフェンスで殴らせる。衝撃と視界の確認のためだ。次はヘッドスリップだけで避けてみる。まだ足はあまり使わない。その次は、少しだけ足を使って手も使ってディフェンスする。こちらからの攻撃は無しである。

 この頃は、首をかなり柔らかく使えるようになっていたので、一発目の攻撃は避けられるようになっていた。しかし連打されると、二打目、三打目は貰ってしまう。まあ避けると同時に、こちらが打つようにすれば、そう打たれることはないだろうと、その時はタカをくくっていた。それが憂いをみる羽目になろうとは、つゆ知らずに・・・。

悔しい・悔しい・悔しい

 夏合宿での組手では、普段あまり顔を合わせることのない二人と対戦した。出来は散々。二人とも後輩なのに動きが格段に良くなっている。一方で自分はと言うと、悪くなっているはずはないのだが、まったくもってキレがない。落ち込む。

 終わってから、他の人達の組手を見る。見ているうちに悔しさが込み上げてくる。なんで俺は・・・。

 先生とも組手をした。何もできない自分にがっくし。先生と他の人達の組手を見る。先生はいつも全員の相手をされる。ここでふと気づく。体力もない、運動神経も鈍く格闘技センスもない自分にできることは何か。それは良く見ること。観察すること。見て盗むこと。よし、先生の姿を目に焼き付けよう!

 そこに神気を見た。芸術的な動きというよりも、それ自身がまさに芸術。そして自由さ。自分を解放しているような奔放さ。足の角度。前に行こうとしている時には、足裏が後ろの空気を蹴るような角度になる。背中の状態。常にやわらかく、躍動感がある。

 悔しい・悔しい・悔しい・・・この悔しさをバネに・・・跳躍だ!

夏の甲子園

 野球はあまり見ない。妻がテレビをつけていたのでたまたま見ていただけのこと。捕手の仕事はたいへんだ。飛んできた球を捕らなければならないだけでなく、それを的確な所へ投げなければならない。そして投げるべき場所は状況により変化する。もちろんピッチャーもキャッチャーもバッターもたいへん。やるべきことがいっぱいある。みんな運動神経がいいよなぁー。当たり前か。

 早稲田の斎藤佑樹投手。とても優秀なピッチャーだ。なんであんなに速い球を正確にストライクゾーンに投げられるのだろうか、不思議でならない。ふと昨日の悔しさが込み上げてくる。そこにアップになった斎藤投手の投球シーンが。思いっきり振りかぶって首がのけぞり、そのまま頭から落ちて行って、投げきる直前に首が元に戻っていた。この首の戻るスピードがピカイチである。ハンカチ王子よ、ありがとう。素敵なプレゼントを。