空間の意識
10月28日、大船での稽古が終わった後、「だいぶ自分の空間が出来てきたよね」と天野先生から言われた。正直なところまだ「自分の空間」という感覚はなかったのだが、確かに推手で相手をコントロールするイメージはできつつある。
翌朝の自主練でのこと――。この公園は通りに面していて、その向こうには運河が横たわり、運河の向こうには、遊歩道とそれに沿ってビル群がある。ちょうど自分の目の前に7本のラインが横たわっているような位置関係だ。公園の一番奥まった位置に立つと、目の前に5メートル程のスペースがある。その先に公園の茂みに沿って木々が横一列に並んでいて、その先が歩道、車道、そしてまた歩道、そして運河、遊歩道、ビル群…といった具合だ。
いつものように禅を組む。手が肩の前、そして顔の前にある半禅だ。遠くのビル群の隙間に車が行き交う。遊歩道を犬を連れて歩いている老夫婦。運河には時折、作業船や大学生が漕ぐボードが通る。車道を勢い良く走り抜けるバイクや自転車。歩道には出勤途中のOL、小学生達…。いつもの風景だ。ただひとつだけ、いつもの風景との違いを見つけてしまった。それは自分の手――。その瞬間、全ての空間が手中に収まった。
見えていたのは「Here,There,Overthere」「こことあそこともっと向こう」である。そして「ここ」とは、つまり「我」である。「我、彼、あれ」これをもっと細分化すると「我、我の手、彼、それ、あれ」となる。そしてこの時初めて「ああ、この手までが『我』なんだな」と感じられ、「自分の空間」という感覚に目覚めたのです。
「つみあげ」と「ねじり」
ちょうど一年前の秋、這いの中に「つみあげ」と「ねじり」の状態を発見した。簡単に説明すると、右足を軸にして立ち、左足を前に出している状態では、右の腰骨がやや下がり、大たい骨が股関節に刺さり、蝶骨が仙蝶関節にはまり、そこから脊椎が上へ伸びていく状態を見ることができる。腹の感覚で言うと、ボディのセンターを引き上げるとともにヘソが軸足側にシフトしている状態。これが私の言うところの「つみあげ」である。つぎに上体を次第に左足の上に移して行って完全に左足の上まで移動し終わると、右足が後方に残された姿勢となる。このとき腰、肩が自然に捩じれ、上体が左足の上にまとまってのっかっている。これが私の言うところの「ねじり」である。
初心者の頃は、「つみあげ」の位置を見つけるまでに時間が掛かり、「ねじり」では良い感じにまとまっているように思っていた。しばらく経つと逆に「つみあげ」はしっくりとくるのだが、「ねじり」の状態に「フワッと感」と見出すのが難しいことに気付く。
逆ねじりの這い
10月23日のセミナーにおいて、天野先生から新しい体の使い方を教わった。半禅の状態で身体を逆に捩じり、ナンバで順突きを出すというものだ。
要領としてはだいたいこんな感じ。まず右足を軸にして立つ。右斜め前を向いている上体を左回転にひねる。この時に前足のソケイ部を吸い込むように使うのがポイント。次に前足の上に上体を移動させながら左手で順突きを出す。
翌朝の自主トレで、この感覚を確かめながら這いをやってみて発見したことがある。普通の這いと逆の動きでも、それが成立してしまうのだ。どう言うことかというと、まず右軸足のままで、左前足の付け根を引寄せるようにしながら、上体を左回転に捩じって「ねじり」の形になる。この時にリラックスして形がまとまっていることが大事。そして顔の前にきた右手前腕と顔との間には、30cm程の空間が保たれ、相手の打拳を受けられる状態にあることも大事。手の平は相手に向けておいた方が感覚をつかみやすい。次に上体を開きながら前足に移動していって「つみあげ」となる。ここまでで一区切り。そしてそこから、後ろ足を引き寄せながら「ねじり」に切り替えていく。そしてまた前足に移動しながら「つみあげ」へ。
四種類の這い
逆捩じりの這いを参考に、4種類の這いが出来上がる。簡単に記号で示そう。
重心が後ろ足にある状態をAとして、重心が前足にある状態をBとする。
「つみあげ(ナンバ)」を1番として、「捩じり」を2番とする。
(イ) A1→B2→A1→B2 これが普通の這い
(ロ) A2→B1→A2→B1 これは逆ねじりの這い
(ハ) A1→B1→A1→B1 これはバレエっぽい動きになる。
(二) A2→B2→A2→B2 これはかなり太気拳っぽい動きになる。
一年前の秋の章中で、「つみあげ」の中にも「ねじり」があり、「ねじり」の中にも「つみあげ」がある状態と書いた。今になってやっと、その感覚がつかめた。
肩を外す這い
肩がハマル位置が見つかると、今度はそれを「いつどこでどのように外すのか」ということが気になり始める。まずは這い。軸足にのっていくときに外側の肩を緩めて外す。肩というよりは肩甲骨といった方が分かりやすいかもしれない。前足にのってそのまま上体が外側へ流れていく感じだ。3日程これをやって飽きたので今度は反対をやってみた。内側の肩甲骨を緩めてやる。前へ流れていく感じで。そしてこれも3日程で飽きたので両方の肩甲骨を緩めてみた。自分の両腕で抱えた空間をホワッと相手に差し出すように。次第に腕先の動きを小さくしていって、前腕はほとんど動かさずに肩甲骨だけでこれをやる。背中がホワッと緩む感じだ。
骨盤を緩める這い
11月19日、土曜日の稽古にて天野先生から指摘される。「立禅はずいぶんと良くなったけど、這いはまだまだだな。硬すぎるよ」と言われた。そして「頭と足の間に腰を捻じ込むように」とのこと。確かに肩と背中の上のほうは緩んでいたが、腰周りにはまだまだ緊張が残っていた。「頭と足の間に腰を捻じ込む」ようにもやってはみたが、余計にリキミが出てしまう。困ったものだ。あわてないあわてない一休み一休み。とんち坊主、一休さんの登場だ。ならば蝶骨を外そうではないか!
骨盤には大きく分けて3つの骨がある。真中にあるのが仙骨。両脇にあるのが蝶骨である。そしてそのつなぎ目が、仙蝶関節。西洋医学の世界ではこの関節は動かないというのが定説であるが、少数派の学者の中には、わずかだがそれは動いているという者もいる。ちなみに頭蓋骨に割れ目があるのは周知のとおりだが、これが動いていることを知らない人は多いようである――。
とりあえず、それが動くのか動かないのか、ということは置いておく。要はイメージである。肩甲骨を緩めた要領で、はじめは外側の仙蝶関節を緩めて動きを作る。身体に馴染んできたところで、今度は逆。内側の仙蝶関節を緩める。次は骨盤全体を拡げるような感じで。次第に動きを身体に馴染ませていく。
この這いのあと、練りをやってみたら、さあ大変。「頭と足の間に腰を捻じ込む感じ」になっていたではあ~りませんか!
ソケイ部で吸い込む這い
「頭と足の間に腰を捻じ込む感じ」を這いの中でも感じられないものかと、ちょっと工夫をしてみました。軸足に乗っていって最後、グンっとオケツを前へ突き出して、文字どおり捻じ込んでみたのです。このとき軸足のソケイ部は伸びきっていて真っ直ぐ。でもなんだか尻が収まるべき所に収まったようで気持ちがいい。それでもう一工夫。ここでソケイ部が伸びているということは。次は吸い込めばいい。吸い込んで、伸ばす。吸い込んで、伸ばす。これは言わずと知れた太気の原理原則、上げたら下げるのココロじゃ。
動きを身体に馴染ませる
身体に馴染むっていうのはすごいことなんだなあ、と思ったのです。「ソケイ部で吸い込む這い」を何日間かやっていたときのことです。
これって最初は、軸足のソケイ部を思いっきり吸い込むと、顔と上体が外側を向いてしまうんだけど、少し身体に馴染んできてから、今度は顔は正面のままでやるようにしていたんです。はじめの頃は、ちょっと無理があったんだけど、何日か経つと、ふっと力が抜けて顔が正面を通り越して内側まで向くようになったんです。それがあまりにも自然にできたもんだから、天野先生の言う「身体に任せるんだよ」ってこういうことなんだなって、プチ感動でした。
這いはただのエクササイズ?
「ソケイ部で吸い込む這い」をしていると、「これってかなり深層筋群を使ってるんだろうな」っていう感覚があるのです。深層筋群っていうのは内臓達と一緒で、意識してコントロールできないものだから、アクセスが大変。リキまないで手ごたえが無いくらいが正解みたい。
話は変わるけど、這いの完成形ってあるんでしょうか? 最近思ったのは、這いは、ただのエクササイズの一種なのではないかということ。「ソケイ部で吸い込む這い」をしていると、どうしてもそれが組手に直結しているとは思えない。そもそもが動きがのろいし、カッコも良くない。だけれどもこのあと、練りをすると明らかに動きが違っているんです。腹がニョロニョロと左右に動いて、手や足が、腹から動かされているという感覚が毎日更新されているのです。
這いがすなわち打拳なのだ
前述の記載とは、真逆のこと。這いの形がまとまってくると、それがそのまま打拳なんだなって思うこともある。軸足に乗りながら後手が前へ伸びていくと、スピードは無いが体重の乗った重い打拳になっている。さてさてどちらが真実なのやら、それが問題です。
手を立てて顔も立てる
組手についてのアドバイスをもらった。「両手の掌を常に相手に向けておくように」とのこと。「掌を立てておくことで首も立っているようになるから、そうすれば顔も下を向かないようになる」って。
まず取り組んだのは立禅での手の状態の確認。それまでは、自分の方に向けていた開掌を相手に向けて立ててみる。なんだか肩のあたりに重苦しいストレスが。これを次第に取り払っていく作業が数週間続く。
手を抜く
組手本番の当日、その日も新しい発見があった。「両手の掌を相手に向けておく立禅」していて、ふと気が付いたのは、腕をぐるぐる廻してリキミを無くすのではなく、関節が伸びる方向にリキミを外すということ。ついこの間、自分で書いたことなのに、もう忘れていた。危ない危ない。
幽体離脱をしたことはないけれど、そんな感じで自分の指先からほわーと中身が抜けていくような感じ。そして次第にそれを手掌まで、前腕まで、肘まで、肩まで・・・と拡げていく。自分の指先からもう一人の自分の腕が抜けていくような感じで。
肘位置が違ってた?
島田先生が何種類かの練りの指導をされたときに、私の背後にいた天野先生から、肘の位置を直された。もっと真横だったみたい。そして胸を窪ませないようにとのこと。そういえば以前、天野先生が言ってたっけ。「人間の腕は横についているんだよって」そんなこと言われなくても、自分だって人間なんだから分かってるはずなんだけど、立禅のときや組手構えのときって、何だか妙に肘を前に持っていきたくなるんだよね。なんでだろ?
年忘れ・組手大会
さてさて組手です。気功会との交流組手です。自分も3名ほどと組手をやりましたが、全く以っていいとこ無しでした。ここ一ヶ月くらいで3回くらいは組手の稽古もやってたし、その中で3回とも少しずつは良くなってきてたんだけど、今回はいいとこ無しでした。
出来ていないことは、良く見ること・反応すること・弾けるように動くこと、等など・・・挙げればきりがありません。まあ、強いて良かった点を挙げれば、リラックスしていたことと恐怖心を感じなかったこと・・・くらいかな。
忘年会
忘年会でのトピックスは、気功会からの参加者の中に富リュウの読者がいたということ。KさんはT山県に住んでいる。そして、月に一度は指導を受けるため長距離バスに乗って上京するというなかなかの努力家でいらっしゃる。
はてさて、T山県といえば私も出張でたびたび訪れたことがある。そして、なんという奇遇なのでしょうか。Kさんの勤め先は、私がお邪魔していたユーザー先だったのです!
しかも同じ工場内の同じエリア、すぐ目と鼻の先で仕事をしていたというのです。これは偶然なのか必然なのか、二人で顔を見合わせビックリでした。
それはそうとKさん、立禅や這いのやり方で悩んだときには、何かいいヒントはないものかと、富リュウの修業記を読んでみるとのこと。なんとも嬉しいことを言ってくださるじゃあないですか。そんなこと言ってもらうと、この修業記を書いていて良かったなと私もとっても励みになるのです。
次へのアプローチ
組手についての反省点で頭がいっぱいだ。「何が何でも自分の組手を上達させねば」とか「○○さんのようにするには、どうしたいいのだろうか」という、支離滅裂思考夢想を繰返す。しかし一晩明けて、たどり着いた結論は「まあ、やりたいことがあるって、それだけですばらしいことじゃないか」ということである。
サラリーマン稼業も楽ではない。給与のためとはいえ、自分のエネルギー、自分の時間のほとんどを会社のために費やしている。日々の家庭生活も大変だ。色々な煩わしいことがたくさんある。やらなくてはならないこと。片付けや世話。義理や義務、等々・・・。
それに引き換え、この課題はいったい何か? なんと楽しい課題なのか。乗り越えるべき壁がある。出来ないことが出来るようになるという喜び。こんな遊びを生活の一部としてもっている自分を誇らしく思っても良いのではないか。
そう腹をくくると、いいアイデアも浮かんでくる。次へのアプローチ。自分の個性、資質、性格を踏まえた上での組手スタイルの構築。「あれをこうして、これをああして、あれがこうだからこうこうこう」と、いっぱいいっぱい良いアイデアが浮かんでくる。ああ早く練習がしたい。身体がムズムズしている富川リュウ。もうすぐ43歳の冬でございます。