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会員・会友員のテクスト 富川リュウの太気拳修行記

平成17年・秋っぽい

糸引く両足

最近、練りが変ってきた。両足の間に膜があるように感じる。というとムササビの飛膜のようなものと想像されるかもしれないが、それとはちょっと違う。水飴のようなネバネバしたものが両足の間に糸を引いているような感覚。それをもっとさわやかにさりげなくしたような感覚。ってとこかな。

手は顔の前、手は相手に向けて、手は肩の前

組手では「どちらか一方の手が必ず自分の顔の前にあるように」とのこと。数年前に言われた。組手では「手のヒラを相手に向けておくように」とのこと。半年前に言われた。そして、やや広めに取っていた立禅のときの両手の幅を「もう少し狭く、肩の前に」と言われた。数ヶ月前に。両手の位置を肩の前のままに這いに移る。練りをする。探手をする。――手は、顔の前?肩の前?どっちだぁ??

腰を伸ばして

あーあ、やれやれ。両手を高く揚げ、伸びをする。書き物稼業によくある仕草だ。そんな風に腰が伸びた。半禅でモトクロスをしていたときのことだ。

天野先生から「下半身はバネのように上半身は一定の高さで」と言われ、強烈なデコボコ路の衝撃をストロークの長いサスペンションで受け止めるモトクロスバイクの動きを思い浮べた。半禅の上体をそのままに下半身だけをちょっと沈めてみる。するとどうでしょう。わき腹が伸び、新たな感覚が。

軸足側のわき腹を伸ばしたまま這いに移る。前側の腰骨を引き上げることも忘れずに。そして次第に引き伸ばしと引き上げを融合させ。渾然一体となった動きをつくっていく。よどみ無く、スムーズに動きだす。腰、肚、そして身体全部が。感動の一瞬だ。

似たようなことが書いてあった。『第六部・春の章上げたら下げる』、そして『梅雨の季節濃ゆい4分30秒』に。一歩一歩、近づいている。未来へ。

二つの条件を満たす

よどみ無くスムーズに動く腰肚を手に入れた時、やっと外廻しの練りがスムーズにできるようになっていた。そして内廻しの練り。腰、腹、胸、肩が、自然によじれた時、手がすっとそこへきた。顔の前にあるけど、肩の前にもある。その手を見て、ビックリ。手が顔の前にあり肩の前にもある。その二つの条件が満たされた瞬間だ。

手の位置を微調整

推手では「自分の空間を守るように」「相手の中心を捕らえる」「力を出せる形を維持して」そして「背中の力を抜いて」と言われ続けて早3ヶ月。それらを融合させるようにと、もがき悶える中で、ある解を見出した。

一人稽古では、いい感じのまとまりのある練りが出来るようになってきている。ところが推手では、そう易々とはいかない。相手がいるからだ。相手もサルモノヒッカクモノという程に、押したり引いたり、スカシたりイナシたりしながら動きまわる。そう相手は動いているのである。動いていると言うことは、状況が刻一刻、刻二刻、刻三刻、と刻々と変化するのだ。では、その変化を如何にして克服するのかということが問題となる。見出した解は、緩んでいること、そして手の位置を常に微調整し続けるということ。これをやっていると自分の一番いい形、自分が一番力を出せる状態を常にキープできる――はずだ。

立ち位置を微調整

――のはずだったのだが、今ひとつである。時々ひっつまってしまうのだ。何がひっつまるのかというと「姿勢が」である。言い換えると「首が、背骨が、全体が」なのだ。要は良い状態には居られなくなる。

色々なメンバーと推手をする。何年も先輩の方々、ほぼ同期の人達、後輩の奴ら、あ~んど天野先生とである。相手のスキルによってやり方を変える。テーマ、課題は同でもやり方は変える。先生からはヒントをもらう。格上の先輩には胸を借りる。同期とも自分の課題を見失わないように。そして後輩には、自分で居つづけることを確認させてもらっている。そして見つけた第二の答えは、立ち位置を微調整するということだ。

この旨、天野先生に尋ねてみた。「先生、立ち位置を微調整する感覚を見つけたんですけど、これでいいんでしょうか?」と。「んー、立ち位置というよりは、姿勢だな。常にいい姿勢を維持するように微調整するんだよ。そしてそのためのセンサーが手。だから手も、もっと緩んでいないとね」とのこと。

禅に立ち戻る。いい姿勢とは何か。緩んでいて、いい姿勢とはどんな感じなのか。ちょっと揺れてみる。揺らいでみる。ほわっとしてしっかりしている感覚。雲の上にいるような、在って無いような、在るんだけど消えているような感覚。新しい気持ちで立禅と向き合ってみる。

お腹ぶるぶる発力

天野先生から新しい発力の方法を教わった。立禅の状態から両手をつかまれる。お腹をブルブルと振るわせて、この両腕を振りほどく、というか振り切るといった感じだ。相手の手はいとも簡単にはずれる。次に相手なしでやってみる。これが意外と難しい。相手につかんでもらっているときには、それを振りほどく動きがたやすいのに、何もないところでこれをやろうとすると出来ないのだ。何度か試してみたが無理だ。隣にいるM島先輩も先生にこれを教わって試していたが、やっぱり出来ないようだ。

いい考えが浮かんだ。試してみる価値はある。どうせダメ元なんだし。腕で囲んだ領域にある白いモヤ。ソケイ部からも渦のように出ている白いモヤ、膝までの領域を包み込んでいる。この空間に満ちている白いモヤを一瞬にしてリンゴ位のおおきさにギュッと圧縮する感覚で身体を震わせてみる。フンッ!――できた。お腹の贅肉がブルンっと一瞬にして左右に震えた。毎日、節制せずにビールを飲みつづけていた甲斐がある。贅肉バンザイ!贅肉さまさまである。

お腹が痛い

「先生、おなかが痛いんですけど・・・」授業中、手を挙げてそんなことを言いだす子がいると、「おっ、便所行ってこい、便所」って、出すものを出せば腹痛は治るという安易な考えがまかり通っていたようだ。昔は。

「先生、僕もおなか痛いんですけど」前述の『お腹ぶるぶる発力』をするとお腹の中の内臓がよじれて痛くなってしまうのだ。「んーそうか。俺は痛くないよ」先生の答えは最近そっけない。「まあ自分で工夫してなんとかせぃ」ということなんだと思う。

翌朝、禅、這い、練り、推手のシャドー、と一通りのメニューを平らげた後、「お腹ぶるぶる発力」をやる。やはりお腹が痛い。ならどうする。体を緩める。腹を緩める。そして、よじれを全体に分散させる。お腹をブルブルさせるときに各部が少しずつよじれるようにしてみる。なんかいい感じだ。

太気拳の打ち方・その1

ここである仮説が思い浮かんだ。順序だてて説明しよう!

①正面を向いている立禅の姿勢から腕の形をそのままに、上体だけを左右に振る。肘打ちを繰り出すように。力を入れれば入れるほどスピードが出ず、疲れるだけなのがお解かりいただけるだろうか。
②次に、同じ動きを上体がclockの時に同時に、足裏をズッてclock-uの方向に動かす。この上半身と下半身が逆方向に回転するツイストの動きを小刻みに数回繰り返してみる。前述の①の動きよりもリキまずに速く動かせたのではないだろうか。ただし力が相殺されてしまうので、肘打ちの威力はあまりなさそうである。
③さて次はなかなか難しぃぞなもし。上体がclockの時に、お腹がclock-uで、下半身がclockの方向に動かす。出来たかな?そして次第にブルブルの動きを小さな振動に変えていく。お腹が左右に微動する小刻みな動きを肘打ちや打拳に繋げていく。これが富リュウの考える『太気拳の打ち方・その1』であります。

太気拳の打ち方・その2

ずっと前に天野先生に聞いたことがある。前方発力の際に「一瞬だけ『こうしちゃいけないよ』っていう形になるんだよ」って。禅、這い、練り、全てを通して、太気拳ではまとまっている体、まとまったまま動ける体を創っていく。そして前述の『こうしちゃいけないよ』の意味は、この逆。まとまっていない状態のことである。

探手で打ちに行く。打っている瞬間、体がまとまっていない。何かが違う。そこが一番大事なのに。相手に当たった瞬間に体がまとまっていないと軽い打拳しか打てないのに。前方発力の説明をされていた天野先生の姿を思い出す。『こうしちゃいけないよ』の形は、発力の直前にあった。ならば、打ちに出る直前がこの状態であるはずだ。そして打っている瞬間に『まとまっている』の形をもってくればいい。

ゆっくりと練をする。外廻しの練りだ。次第に探手になっていく。相手を見立てて…。組手のシャドー。ふっと肩甲骨をハズす。右の肩。それをハメルと同時に打つ。パンッ!『太気拳の打ち方・その2』の完成です。