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会員・会友員のテクスト 富川リュウの太気拳修行記

平成17年・残暑お見舞い

左肩もはまってナイト

 前回、肩がハマッタ旨の報告をした。しかし実は、それって右の肩だけだったのです。そして右肩のハマリ具合は、なにかじんわりと、少しずつ少しずつやってきたのですが、今回、左の肩がハマッタのです。それが唐突に!記念日は平成17年8月12日。広島県H市S町の駅前公園での早朝の立禅のときでありました。

夏のセミ

 H市S町の駅前公園には木がいっぱいあって、そこにセミがわんさかいる。たまに自分の手の届く高さにいる奴もいるので、そっと捕まえようとしてみる。ぶぶぶぶ!突然暴れ出したセミにビックリして手を離してしまう。今度はそっと一本の指だけで、木に押し付けるようにしながら抑え付け、動けない様にしてから二本の指でセミの体を挟んでみた。おみごと!セミは富リュウの手中に納まる。手を離してやるとぶぶぶぶ~と、また元気に飛んで行った。

 ふと見ると別のセミが電灯の鉄塔にゴンッゴンッっと何度も何度も激突している。たぶん目が利かないので、体当たりしながら確かめるように、キラキラしているこれは何かと、留まってやろうか否かと思案中なのだろう。しばらくして諦めたらしく、すぐ脇にある樹木に留まった。今度は一度で留まった。キラキラはなくても馴染みの木肌はゴツゴツしていてつかまりやすかったのだろう。

 夏合宿でのM島先輩の組手を思い出す。さざ波のように押し寄せる両腕。岩間に寄せてはかえす水しぶきのような軽ろやかな打拳。両腕はセンサーであり、触覚のような物と以前、天野先生から聞いたことがある。そうか、初めから綺麗に極めようとしなくてもいいんだ・・・。と言うよりは、初めから綺麗に極めようとはせずに、攻めながら守りながら様子を見て感触を確かめて、ずっとずっとそれをやり続けて、打てる時がきたら打てばいいのか――。

首のはじまり

 先生は何を基準にアドバイスをくれるのだろうか。「首はこう」と言われてから、首の位置と全体のバランスがすっきりと良くなったので聞いてみた。だってそんなに大変身しちゃうようなアドバイスだったら1年前か2年前にしてくれよって思うでしょ。先生の答えは単純。「ん、首の具合が悪そうにしてたからね」ってただそれだけ。

肘ぢから腕ぢから

 肩がハマッテしまうと腕に自信がつく。推手の時にその角度、その位置のままで相手を持っていくことができる。肘に力が出るポイントが判ってきたからこそ出来る芸当である。ところが先生からの評価はNG。腕の力で押し込んでいたんじゃダメだよって。「腕はただの接点にすぎないから、そこに全体の力を載せるようにしないと」なんて、難しいことをおっしゃるのだ。ハマッタ肩を生かすには今ひとつ工夫が要りそうである。

腕に中に入る体

 朝練のなかで昨日の先生の言葉を思い起こす。肩はハマッタ。後はどうする――。内廻しの練りから少し推手のイメージでゆっくりと動いてみる。ハマル方向、ユルム方向。前へ前へと前進して相手を押し込んで行く。腕の力ではなく、全体の力を・・と考えながら。ふと腕の中に体がグッと入り込んだ。おっーーーと、これは動く人間油圧シリンダーのようだ!

 その感覚がわかって、また立禅に戻ってみた。腕の中に体をぶつけるようにして少しだけ身体を揺すってみる。んんんっこれだなー。先生の伝えたかったことは!この感覚で這いと練りも試してみた。ヨッシャ!開眼じゃ!

変わった推手

 推手での、もうひとつのアドバイスは、力のまとまった所を探すということ。力がまとまって出せる形、体の状態。それを見つけて、それが常に途切れないようにしていなさいとのことである。腕の力を抜いてゆったりと練りの気持ちで推手をする。相手がどう出ようがお構いなしだ。前腕がすっといい位置にくる。リキミが無く自然な状態だ。ちょっと前まではこんなことは出来なかった。相手の力の方向が逸れていたので、よくアドバイスしたものだ。そして天野先生に叱られた。「人のことはいいんだから。自分の事をしなさい」と。

 今になってようやくその意図がわかる。相手が上手くやってくれて自分も上手く出来るうちは初心者と何も変わりはしない。相手がどうであれ、自分のいい位置に持ってこられるようにならないと、本当の意味で出来ているとは言えないのだ。

 このほんの僅かな違い。この僅かな塩梅のさじ加減が解るのに、随分と永い時間を費やしたものだ。それくらいツカミどころのない、それくらいさりげない進化である。

 「今はまだ過渡期なんだから大事に大事に推手をしなさい」最後にそんなことを言われた。――まだ過渡期か。だいぶ良くなってきていると思ったのに・・・。いつになれば円熟期と言われるのだろうか。5年先なのか10年先なのか?まだまだ若い富川リュウ。42才と8ヶ月の青春の時である。