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会員・会友員のテクスト 富川リュウの太気拳修行記

平成17年・夏だらだら

肩がはまってナイト

 折につけ、関節がハマッタ旨の報告をしてきた。首、腰、股関節、等々・・・。しかし肝心の肩関節にはついては未報告であった。ずっと前に天野先生から聞いたことがある。「人の体の中ではさ、肩関節が一番可動域が広いんだよ。だから肩がいい位置に収まるまでには時間が掛かるんだよな」と。

 いつの頃だったろうか、丹田のあたりに原子炉のようなエネルギー体を感じるようになってきたのは・・・。それが何なのかは分からないし、いまのところは推手にも組手にも役に立っているようには思えないのだが、その感覚は日々極々僅かずつではあるが存在感を増しつつある。そして最近、右肩にも似たような感覚が・・・。これは原子炉のサブタンクか補助エンジンか?私はけっして腕も太くはないし、肩の筋肉もそれほど付いている訳ではない。にもかかわらず最近、右肩に心地良い「じれったさ」を感じている。そう、プロトニウムの強烈な核分裂が生み出す爆発しそうな「じれったさ」である。これが、肩がハマッタということなのか?それともその兆し(キザシ)だけか? いずれにしろ「良い肩の状態」がひとつだけ見つかった。

組手について分かったこと

 この夏、けっしてだらだらと過ごしていた訳ではないのだが、5月の腰痛発生を引きずっていたことや、田舎への里帰りや、仕事関係で出張が増えてきたこと等々で、合同稽古への参加が月2回ペースになっていた。そんな中で、久々に組手をやった。結果は散々・・・。前へ横へ後ろへと足は良く動くのだが、相手を捕らえて打つことができないし、ガラ空きの顔面へ何発ももらってしまった。体が(手が?)全く反応していない。

 組手について分かったこと、その1は、「組手が上手く強くなるためには、組手をするしかない」ということである。一人稽古だけで悦に入っていては、何の役にも立たないし、それで、達人・名人になったような気分になっていたのでは、ただの「気分だけ名人」と嘲笑されるだけである。

 そして組手について分かったこと、その2は、「先生の言うとおりにしているだけではダメ」ということ。誤解をして欲しくないのは、決して天野先生の指導方法やアドバイスが良くないという意味ではない。私の知る限り、天野先生は自身の実力もピカイチで、尚且つ指導者としての最高の資質を併せ持つ稀有な存在である。では、その先生を以ってしても「先生の言うとおりにしているだけではダメ」とは、どう言うことかというと、先生は神様ではない。超能力者でも魔法使いでもない。生身の人間である。そして私も同様、生身の人間。であれば、テレパシーで交信することは叶わず。ましてやチチンプイプイと魔法とかけてもらえるわけでもない。教える方は、自身の頭で考え、自身の体をとおして教えている。そして教えられる身である私にも、自分の頭と自分の体がある。このギャップを埋める必要がある。要は、自分用のオリジナル、オリジナルになるための工夫が必要なのだ。

肩がゆるんでナイト

 組手のあと、頭の中で考えていたことは「自分の組手には気迫が足りないのではないか」ということであった。リラックスすること、緩むことにばかり気をとられていて、打ちに行く気迫、闘うという気概が足りないのではないかと・・・。この旨、帰りの電車の中で天野先生に聞いてみた。「そうだよ、それは必要だよ」とつれない返事。否定はしないもののなにかを言いたげな・・・。「まあそのうち気付くだろう」とでも思っているかのようである。

 さて、「組手が上手く強くなるためには、組手をするしかない」とは言っても、毎日組手ができるわけではないので、自主練をする。あの日の組手を思い浮かべながら軽く動いてみる。練りのような探手のような緩い動き、ゆっくりとした動きで・・・さばいて打つ、よけて打つ。。。っと、肩が固まっている自分に気がついた。こんな肩をしていては、反応しようがないではないか!

 打てるはずもない!立禅で見つけた「良い肩の状態」とは真逆の「固まった肩の状態」になっていた。なんてこったパンナコッタ。「良い肩の状態」とは言い換えると「使える肩の状態」。つまり「固まった肩の状態」とは「使えない肩の状態」ということになる。なんのことはない、組手についてのアドバイスで天野先生が一番強調していたのが、緩むことである。固まらないこと、とも言っていた。自分では緩むことは出来ているつもりでいた。でも違った。違う緩み方があったのだ。

ハマッテ緩んで、緩んでハマッテ

 「使えない肩の状態」にいたことに気付いて、それを払拭するために再度稽古を組み立てていく。とは言っても、やることは同じ「立禅、這い、練り、探手」これだけである。肩の関節がハマル所とユルム所、その狭間を行き来する。禅の中で、這いの中で、練りの中で。そして探手。打ったその直後、固まりやすい。相手の打拳を受けた直後、固まりやすい。傾向がわかれば、対策を練る。練る。練る。練って練って、見えてきたものがある。

 「リラックスして緩んでいるように」そう言われて、いつも肩をぐるぐるまわしていた。動きに柔らかさが出るように意識して・・・。でも練って練って出てきた答えは違っていた。緩むのは、廻す方向にではなく伸ばす方向になのだ。これは、肩関節がハマル方向を見つけた人にしか理解不能なことだけれども、このハマル方向とは真逆に伸ばすのだ。これが緩む方向。やっと「緩む」の意味がわかりました。そして何故、澤井先生の首が亀のように引っ込んだのかの秘密も・・・。これでやっと枕を高くして寝られます。なんせ、頚椎が緩んでいないことには枕を高くはできませんから。

ミミズ拳法

 「ひとつの真理に気が付くと、それが全てに応用可能なことに気付く。そして真理の方から近づいてくる。いずれ、全ての真理が明らかになるであろう(by富川リュウ)」。

 はっはっはっ。調子に乗って格言などを作ってしまいました。

 肩関節のハマル緩むが分かってくると、それを全身の関節に応用してみたくなる。
 足首、膝、股関節、腰椎、脊椎、頚椎。
 全部をハメル、全部を緩める、そしてまた全部をハメル。
 部分だけをハメル、部分だけを緩める、そしてまた部分だけをハメル。
 下の方だけハメ、上の方は緩めておく、そして上の方をハメ、下の方を緩める。
 下から上へ、そして上から下へ。使い方は自由自在。
 ハメ具合は、デジタル的と言うよりは、アナログ的な方が良さそうだ。ハマリ具合と緩み具合がグラデーションをつけながら行き来する。イメージ的にはミミズのような動きだ。名付けて、ミミズ拳法!しかしこの拳法、名前が弱そうなところが難点である。(笑)

太もも探手

 半年ほど前に天野先生から前蹴りを受ける際の姿勢について教わった。太ももに両手をつける。この腰の高さ、この懐の深さがあれば、前蹴りはもらわないとのことだ。それを思い出し、その姿勢で探手のように動いてみる。天野先生の組手をイメージしながら相手の打拳をヘッドスリップでかわす。こう動きながら「哺乳類は背骨の方向にしか力を出せないんだよ」という天野先生の言葉も思い出した。蛇のように頭をくねらせながら前へ前へと動いていく。相手の拳に巻きついていくような感覚で。木の枝を相手の腕に見立てて、その脇に頭を突っ込んで、また引き抜くという動きも試してみた。なかなかいい感じだ。腹がよくよじれて体全体のまとまりも言うことなしだ。ヨシ、これで次回の組手はやってみよう!めちゃめちゃイケてる俺を見せてやるぜぃ!

夏合宿

 メンバーは、そのほとんどが20代、30代のサラリーマン達。仕事の疲れもたまっているだろうに。夏バテぎみの人もいるだろうに。所帯をもって妻子ある身の者もいるだろうに。はてさて何を好き好んで、この暑い最中に小学校の体育館に集まって拳法の稽古なんかをするんでしょうか?

 浜辺には、目にも眩しいビキニ姿のオネ―チャン達が楽しそうに戯れているというのに。太気拳に対する熱意、信念、情熱、そんな言葉が脳裏をかすめる。でも、ただ単に他にすることが無い人や、ただ単においしいビールを飲みたいだけっていう人もいるかもしれない。でもまあいいじゃないですか、それもありってことで。ちなみに私の場合は、これまでの朝練の成果を組手で実証するために参加しています。もちろん強くなった暁には太ももむちむちオネ―チャン達にモテモテになるっていう下心はありありですが。

 浜辺のオネ―チャン達の太ももはさておき、自分の太もも探手の成果は如何に?結果は・・・無残な屍。海の藻屑。もずくの酢の物。A先輩からは「お前だけだよ、前回より悪い組手になっているのは」と言われる始末。「頭を振って入るのはいいんだけどな、頭を下げちゃうと足が動かなくなるんだよ。ヘッドスリップは手が間に合わなかったときの保険で使うくらいなつもりじゃないとね」とのアドバイス。その後、天野先生と組手をしていただいて、ちょっとだけいい感覚が戻ってきた。以前意識していた「自分の手で相手の出を抑える」ということを思い出したのだ。自分なりの工夫が裏目に出て、やっぱり先生が教えてくれたことが正しかったということだ。正直な話「先生の言うとおりにしているだけではダメ」なのか「先生の言うとおりにしているだけで良い」のかが分からなくなってきた――富川リュウ、悩める42才の夏である。