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会員・会友員のテクスト 富川リュウの太気拳修行記

平成17年・梅雨の季節

推論・腰痛の原因は何?

 東京にも大地震が来る日が近いと言う。地震が起こるメカニズムは、マントルに引き込まれ続けている地盤が、あるときピキっと元に戻るからだと言われている。

 私はまた腰痛になった。私の腰痛のメカニズムは、なんだかこれに似ているように思えてならない。治癒の過程において、痛む部分がだんだんと拡散して行って、それで、いい感じに回復してくるからだ。

 私の推論はこうである。私の場合、腰のある部分が動いていない。にもかかわらず毎日運動するもんだから、周りのあれやこれやが無理をしてそれを補おうとする。だからそこに疲労が溜まる。そしてそれが限界に来たときにピキっとなる。

 ――ということはだ。動かない部分をなくせば良いのだよ、キミぃ!と天の声が教えてくれた。

差出し足の謎~1分30秒~

 この日の指導は2分30秒。始めは這いについての1分30秒である。「こうだろ。この足が必ずここを通って、こういう向きに出て行く。鎌で草を刈るようにな。そうそう。足で動かない。腰で足を運ぶんだよ(以下、身振り手振り省略)」

 ここの所、這いや練りでの後ろ足の動きに重きを置いて稽古をしていた。半禅の足使いとは逆の形。軸足にのって後ろに片足が残っている形。島田先生が組手のときによく見せるフォームだ。この虚になりがちな後ろ足に意識が入るようになると、今度は差出し足の方が、みょーに寂しーい、悲しーい、虚しーい感じなのに気づく。ただ足だけを出しているのである。充実感が無い。

 鎌で草を刈るように差出し足を出す――これは入門当初から教えられていた。もう5年も前の話だ。いまさらジローである。しかしことあるごとに天野先生は、これを言ってくれる。自分でもそれは謎であった。天野先生が澤井先生の動きについて説明する時、狭い歩幅でトコトコトコっとした感じに動いて見せてくれる。この動きを指導され、稽古していた時期もあった。しかしこのトコトコ歩きはそれほど寄せ足をしていない。その辺に矛盾を感じていたのだ。

ヨコ方向の力が無い~1分00秒~

 そして引き続いては、練りについての1分00秒。練りの極意は忍者歩きと見つけたり!とご満悦に内廻し練り励んでいた富リュウに近づく怪しい影。「だめだよ。それじゃ。ヨコの力が何も無いじゃないか!こうだろ。こっちの手がこう。肘がこうなるんだよ。違う違う。お前のそれじゃ、ここが何もないじゃないか。うんぬんかんぬん・・・(以下、身振り手振り省略)」

 確かに、忍者歩きはタテ方向の動きのみを強調しすぎている。これはこれで間違いではないのだろうが、次の段階として、ヨコ方向の力も必要だということだろうか。イヤ、待てよ。タテがあって、ヨコも必要だと言うことは、全部要るってことだよな。つまりどの方向に対しても腰肚を使って動けるようになれよと、そういうことでしょ。天才は忘れた頃に十を知る。間違いない!

5種の練りを織り交ぜて~2分00秒~

 その日の指導は実技が2分00秒、講義が4時間と?分。始めは練りについての2分00秒である。5種の練りを混ぜこぜにする。「こうだろ。これがこうなって、こうだろ。それがこうだから、これがこうなって、こうなるんだよ。な!」

 (注記)この「な!」とは「これの練習をしなさい」という意味である。それはそうと、これだけでは内容が意味不明なので解説しよう!先生が言われた5種の練りとは、両手交互に内回し、両手交互に外回し、両手同時に右回し、両手同時に左回し、そして差し手からの引っ掛けの動きである。この5種類をつぎつぎと継なげながら前述の説明をされたのだ。先生が言いたかったことは、これら5種の練りをよどみなくスムーズに紡ぐようにつなげてやってみなさいよと、そしてどれも質的には同じなんだということを身を以って感じられるようになりなさいよと、そういう意図だと受け取った。

講義――YRTにおいて

 場所をYRTに代え、講義が始まる。お疲れのカンパイの後、あれやこれやの楽しいお話。終わりの頃はあまり記憶が定かでないので、講義時間は4時間?分である。特筆すべきは、天野先生の言われたゲシュタルト崩壊の話、カエルは動くものしか見えないという話、等々。ふむふむ、これは役に立ちそうである。

 ゲシュタルト崩壊とは、既存の定義づけが崩れてしまうことをいう。例えば、ひらがなの「つ」という字を見ていて、普段はなにげなく「ツ」と読むための文字なんだなと認識しているが、ふとしたときに「つ」という形態が奇妙な、ただの線に思えてきて、何故それを「ツ」と読むのか、そもそも誰がこれを「ツ」であると定義づけしたのだろうか。などなどと、考えてしまうこと。これがゲシュタルト崩壊である。

 「立禅をしてるとさ、時々そうなるんだよな。木とか草とか建物とか。なんかフッと不思議にそれらが何でもないものに思えてくる瞬間ってあるじゃない」って言うじゃない!確かに自分もそうかもしれない。ふむふむなるほど・・・とその時は思ったのだが、一晩空けてシラフになると、で、それがいったい何の役に立つっていうのさ!突っ込みを入れるタイミングを逸していた自分にがっかりんこである。

超濃ゆい4分30秒

 「差出し足の謎」「ヨコ方向の力が無い」「5種の練りを織り交ぜて」のトータル・アドバイスタイムは合計で4分30秒である。たったの4分30秒。しかし超濃ゆい4分30秒であった。

 きっかけが何だったのかは覚えていない。朝の自主練で半禅から這いに移ろうとしていたときのことだ。半禅の軸足側の腰を真逆に上げてみたくなった。なんだかそうするとまだ完治しているとはいえない腰の違和感にストレッチ的な気持ちよさが得られると思ったからだ。いつもは軸足側にやや下がっている骨盤、それをぎゅううっと引き上げてみた。もう45度も傾いているぞと言わんばかりに・・・。そして這いに移る。腹がよじれる。腹のよじれで、差し出し足が自然に差し出された。コレダ!

 腰の傾きは見た目の結果であって、それを創り出しているものは腹のよじれ。腹をよじって使うことで骨盤の傾きを引き出し、それによって差出し足が動かされる。あるいは引き戻される。

 「5種の練りを織り交ぜて」の稽古に移る。内回しの練りでは、腹のよじれも馴染んできて、いい感じに仕上がってきた。しかし外回しの練りには何故か充実感が無い。そして疑問符のついたまま推手のシャドーに移る。あの時の○○さんはこう動いていたよなぁ。あの時、先生にはこう言われたんだよなぁ。あいつのあの動きはムカツクんだよな!等々とシミュレーションしながら動き回り、ムカツク相手に向かって、発力の動きを試してみる。そうそうこの発力の動きが中途半端だから、あいつを納得させることが出来ないんだよ。試行錯誤しながら色々な動きを試してみる。そしてここで素敵なプレゼントがひとつ。新しいオモチャを自分で見つけてしまった。それは、内回しの練りで手の動きを逆に使ってみるというものだ。通常の内回しの練りでは右足が出るときに右手の方が出て行く。これを逆に右足が出るときに左手の方を出してみるのだ。まったく体に馴染まないこの体の使い方。ただこのオモチャを遊びきった時に、新たな世界が拓けるという確信に似た予感がしているのだ・・・。

ゲシュタルト崩壊

 剣道には「遠山目付け」という言葉があるらしい。目のつけ処が遠山の金さんのようだ。極真空手を習っていた頃、ローキックの対処法として似たような目付けを習った。相手をボワンと見る。あるいはもう一人後ろに居る誰かを想定してそこに目の焦点を合わせる。そうすることによって相手の肩口の辺りと足先の動きの両方を同時に視野の中に捕えて見ることが出来るようになる。2週間ほど練習すれば、誰でも簡単にできるようになることだ。

 さて、先生の言われた立禅においてのゲシュタルト崩壊である。いつもの朝練の立禅でボワンとした気分で景色を眺めてみる。なるほどこれがゲシュタルト崩壊か・・・と。こんなもんか。翌日、朝練の公園へ向かう道すがら、歩道にタムロする小さな羽虫の群れが目に入りそうになる。それを避け、頭を右に左に振る。ふと3日前の記憶がよみがえる。カエルは動くものしか見えないという話だ。葉にハエが止まっている。それが飛び立とうとしたその刹那、かたわらにじっとたたずんでいた蛙の口から飛び出してきた舌がハエを捕らえる。コンマ何秒の早業。というような話だったと思う。ピコン!頭の上の裸電球が光った!

 立禅をはじめる。左右に行き交う車、バイク、歩く人、自転車に乗った人、時折り飛び交うカラス、揺れる柳の枝葉、風になびく雑草たち・・・。動くものだけが見える。まるでスクリーンの中の風景のように。意味を持たず。存在の気配さえ感じさせずに。ただ右手から左手へ。左手から右手へ。そしてあちらからこちらへ・・・。不思議と奥行きはあまり感じさせない。それは一枚の絵のようだからか。奥から手前に移動してくるもの。それはただの上下左右の動きに置き換えられている。

 朝練を終え会社へ向かう道すがら、すれ違う人達を観察する。いや、その人達を観察するのではなく、自分がその人達をどう見ていたのかということの検証である。結果、実に多くの身勝手な、思考、判断、想像に満ち溢れていたことを発見した。自分はこんなにも色々なことを考えていたのか・・・という驚愕。主には人の表情、容姿に関することが多い。ああこの人は今日も眠そうだなとか。こいつはバカそうだなとか。結構かわいいんだからもっと綺麗なスカートはけばいいのに・・・等々。思考は尽きることが無い。

 そういえば組手のときも色々と考えている。ああきたらこうとか。こうきたらああとか・・・。こいつは強そうだとか、怖そうだとか。色々色々・・・。それって必要なんだろうか。そんなことを考えながら会社へ向かった。

抑える必要のある手、抑える必要の無い手

 さてここからは、このゲシュタルト崩壊をどのように組手に生かすのかということの推論である。ということなどを書いてみようと思ってはみたが、最近あまり、というかほとんど対人稽古をしていない。季節は梅雨。当然、雨の日が多い。また腰の状態も本調子とは言えず、だましだましといった感じだ。こんなテイタラクなのに、組手とは○○である、等々と口先太氣拳を気取ったところで、シラケ鳥が南の空へ飛んで行くだけである。やめておこう。

 キーワードは「抑える必要のある手と抑える必要の無い手」あとは「相手の手に自分の手を合わせていく」ということだ。これだけをここに記しておく。

 さて、それではレンタルビデオ屋へいって「マトリックス」を借りてきて、イメージトレーニングに励むとするか!あ、明日は妻が外出・・・。ということは、○ッチビデオもついでに借りちゃおうかなー。戦うことに疲れた戦士には、たまには息抜きも必要だし・・・。「何ニヤケてんのよ!またエッチなこと考えてるんでしょ」と突っ込みを入れる妻に驚愕。おまえはサトリかサトエリか!