カテゴリー
会員・会友員のテクスト 富川リュウの太気拳修行記

平成14年・春の章

通勤立禅電車

 ガタンガタ~ン、ガタンガタ~ン、ガタンガタ~ン・・・今日も朝のJR東海道線の上り電車は混み合っています。以前は、電車通勤することがとてもイヤで、「なんとか車通勤に替わりたいものだなぁ」と、いつもいつも考えていました。でも太気拳を始めてからは、そんな電車通勤もあまり苦にならなくなって、かえって今となっては「車通勤はもういいや、電車の方が楽しいんだよね」とさえ思っています。それは電車の中では毎日が立禅三昧だからです・・・といってしまうと少々大袈裟ですが、手の形や立ち方にはそれほどこだわらなくても、立禅の雰囲気は十分に味わえるものです。 

 たとえば吊革に片手でつかまっている時でも、足裏の重心の位置や腰の位置、首の角度と背骨がスッと伸びている感じなどを意識してみるだけでも、いい練習になります。また、混み合ってきて人から圧されたりした時には、軸の上下の力と胸肩の開合の力で、ぐっと踏ん張ってみます。ただ、これをあまりやりすぎると他人の迷惑になりますので、やりすぎには注意しましょう。 

 ところで皆さんはいつどこで立禅をしていますか。朝の公園、夜の公園、夜寝る前に自宅で、仕事をサボって会社のトイレで、などなど様々だと思いますが、私はやはり屋外で、緑の多い公園でやるのが一番気持ちが良くて好きなのです。特に朝は空気もすがすがしく、とてもリフレッシュできます。それから時間のある時には、夜の公園でもたまに練習します。太氣会で私と同期のО津さんは、電車の待ち時間にホームの端で立禅をするそうです。私にはそれほどの勇気は無いのですが、電車が比較的すいている時や新幹線で出張に出かけた時などには、電車の中で立禅をしたくなります。あの揺れ方がバランスを取る稽古をするのに、なかなか具合が良さそうだとは思いませんか?О津さんに勇気をちょっと分けてもらえたら、私もこんど試してみようと思っています。 

三連打拳の表裏のかえし

 昨年の秋口ぐらいから三連打拳の稽古を始めていた。左足が前で「順突き・逆突き・順突き」の三連打を繰り返し行ない、翻って今度は右足が前で「順突き・逆突き・順突き」の三連打を行なっていく。このときに難しいのは、順突きから逆突きに移る際の体の向きの入れ替えです。左足が前の場合には、順突きで上体が右を向いている所を逆突きの際には上体を左へ向けなければならない。天野先生の表現では、「体が右を向いたり左を向いたりする時には、紙の表と裏がピッピッと180度反転する感じ」とのこと。そしてそのために「逆突きに移る前の左足の踏み出しにコツがある」とのことでした。つまり「踏み出す足の足先の向きと足裏のあおりが、この体の表裏を180度ピッピッと反転させる為のスイッチングの役目を果たしている」と言うのです。 

レール歩きのナンバ打拳

 第二部・冬の章に書いた「なんば歩きで綱渡り」の稽古の次には、「なんば打拳」を習いました。同じように一直線上を進みながら半拳で綱をたぐるようにして進んでいきます。このときには、引き手を禅の形にすることと、上体の反転を意識することがポイントとなる。そしてこれがある程度私の体に馴染んできた頃を見計らって、天野先生は次のステップの稽古方法を教示されました。名付けて「レール歩きのナンバ打拳」。 

 それまでは、一直線上を進んでいた稽古方法から一転して、「外へステップしながらこれをやりなさい」とのことである。左へステップして右足を前へ送り、右の打拳を出す。右へステップして左足を前へ送り、左の打拳を出す。まるで電車のレールを交互に踏んでいくような感じです。 

 「おぉ!これはビックリおもしろい!」初めてこれをやった時の私の感想です。何がそんなにビックリだったのかというと、天野先生が常々言っていた「紙の表と裏がピッピッとなる」という感じが実感できたのです。「外へステップする時の足先の向きと足裏のあおり。そしてこれに乗じて上体がピッと反転する感じ」がはじめてわかりました。さらに元に戻って一直線上を進むなんば打拳を行なってみると、またまた体の中にさっきまでとは違う何かが・・・体は正に進化を感じています。 

エアベアリングの立禅

 「半禅の姿勢から前足に体重を移してごらん。そうするとどうなる」「今度は後ろ足に体重を移して・・・」この時に天野先生は、「体重の載っている足のつま先の方へ、上体が自然に向いていく」という体の反射を説明したかったようでした。ところが、私の体は最初、そうは動いてくれなかったのです。何か心にわだかまりがあるからなのでしょうか。ひねくれ者の私は、気持ちが素直でないから、体も素直ではないのでしょうか。「ふぅー」と深呼吸して、心と体のわだかまりを捨て、素直に自分の体の動きを見つめ、味わうようにしてみます。半禅の姿勢で体の軸だけを保ちながら、できるだけ足の筋肉や股関節をゆるゆるにしてみます。

 大型の産業用機械に使われる「エアベアリング」という部品があります。「ベアリング」とは軸受けのことで、シャフト(軸)が回転する際にその抵抗を減らす役目をします。通常は小さな玉が沢山入っていて、その玉が転がることよって摩擦抵抗を減らす、という原理になっています。そしてこの摩擦抵抗を極限まで小さくしたのがエアベアリングと言われる物で、ゲームセンターにあるエアーホッケーを思い浮かべていただくと、わかりやすいかと思います。エアーの噴出しで荷重を支えることで、回転抵抗を極小にしているのです。

 それはまるで尾底骨のあたりに「エアベアリング」があるような感じでした。左足が前の半禅の姿勢から、重心を右足に移していくと、右足先の向いている方向へ上体が「すぅー」と回って行きます。そして左足の方へ重心を移していくと、今度は上体が左足先の向いている方向に回って行くのです。まったく力はいりません。第二部・秋の章の「立禅の中の左右の力」で経験していたことも、本来は、力ではなくこの反射から導きだされるべきものだったようです。

 さてここで、私の中に積み上げられてきた感覚の中で、天野先生が数ヶ月前から言っていた「紙の表と裏がピッピッとなる感じ」ということに話がつながります。それは「足先の向き」と「足裏のあおり」がスイッチとなり、体に「エアベアリングの素直さ」があれば、体はそう動きたがっているのだから、あとはそっと筋力で後押ししてやれば、少ないエネルギーで素速く力強く動くことができる、ということです。そしてこの感覚をさらに積み上げていくことで、年を取って少々衰えても、筋力に頼らずに動ける体が手に入るのではないでしょうか。

コマ送りの這い

 腰を痛めてから、推手のときにいつも天野先生に注意される点は姿勢です。私の腰を気遣ってくれているようなのですが、とにかく姿勢にさえ気をつけていれば太気の練習で腰を痛めることはないようなのです。それはただまっすぐに立つことと天野先生は言います。前傾せずに、かといって胸を張りすぎず、腰を反らせない。首はまっすぐに・・・要するにこれは「立禅の姿勢」なのです。

 この感覚を体に覚えこませるには「這いの稽古」が役立ちました。第二部・夏の章で書いた「這いの完成形」の頃からは、バランスと力を抜くことに重点を置いていましたが、その天野先生のアドバイスと島田先生の腰がゆったり立禅がヒントになり、秘技!「コマ送りの這い」を編み出しました。(必殺技ではありません)

 両手を前に向けて掲げ、左足一本で立ち、右足を斜め前にそっと置きます。このときの重心はまだ10:0です。そしてちょっとだけ右足に重心を移し9:1とします。ここで自分を確認します。姿勢は真っ直ぐか、力んではいないか。そしてその確認のために、頭の位置はそのままでちょっと腰を揺すってみます。こうすることにより、余計な力みが抜けて、頭の真下に腰がなかった場合にはその修正もできます。これを重心が移動していく8:2、6:4、4:6、2:8と1:9の各ポジションで行なっていくのです。楽に行なうこと、姿勢を保つこと、この這いの目的はこの2点にあります。もちろんこの練習方法は、最終的には断続的なコマ送りではなく、連続的・継続的に姿勢とバランスを保ち続けることが理想形となります。

「こわばり」をはずして「ゆらぎ」をつくる

 この方法で這いを行なっているときに、幾つか気づいた点がありました。それまでの私は、片足でまっすぐに立ってバランスを取るのに、筋力を使って姿勢を保とうとしていて、体に「こわばり」がありました。そうしながらも、力みを抜いて抜いて・・・と、もがいていたように思います。

 「コマ送りの這い」で気がついたことは「コマ送り」する事が重要なのではなく、腰を揺すってみたことによって、「ゆらぎ」の中に姿勢を保ちバランスを取るコツを観たことにあります。きっと運動神経やバランス感覚が優れている方々は、当たり前にこれができているのではないかと思います。運動神経の鈍い私は、やっと今になって気づきました。でも天野先生に太気拳を習っていたからこそ、このことに気がつけたのだと思います。

揺りにはどんな意味が・・・

 「揺り」と呼ばれる動作には、どういう意味がこめられているのでしょうか。ただゆったりと、ゆらゆらと腕を動かしているだけなのでしょうか。私もはじめは「これは禅でこわばった体をほぐす為にやっているのかな」くらいにしか考えていませんでしたが、時々先生に「腕をただ動かしているだけじゃだめなんだよ」とか「もっと抵抗を感じて動かしてごらん」とか「水あめをこねるような感じで」とか言われていました。

 代表的な揺りの形を幾つかご紹介しましょう。全て半禅の姿勢で行ないます。

 1.両手のひら下向きにして腕を前方へ伸ばしていき、両手の平を下向きのまま腕を引い
   てくるように動かす。前腕が三角に動くイメージ。

 2.両手のひら下向きにして腕を前方へ伸ばしていき、両手の平を向かい合わせにして
   腕を引いてくるように動かす。指先は常に前方を指しているようにする。

 3.両腕を体側において、手のひらで前方へあおぐように動かす。ここでは全て手の動き
   のみを紹介しましたが、揺りを行なう際には、どの場合であっても、手だけではなく、
   足や体全体で開合の動きを作ることが要求されます。

 ある日の事、禅を組むときの手の形を工夫して、手のひらをくぼませてみたところ、「あっ!」と驚いた。禅の大木を抱えるような腕の形は、肘を張っていて、各関節が角張っているような形なのだが、なぜだか急に腕全体がまあるく感じられたのです。「うぅ~ん、こ、これは腕が、腕の感覚に何か異変が・・・」そう思いつつも、揺りの動作をはじめてみた。「あれっ!これが揺りや練りの腕使いなのかな!?」腕全体がしなるように、ゆったりと動いている様に感じられる。天野先生が言っていた「水あめをこねている感じ」「力んではいないけれど、いつでも力が出せるような感覚」とはこの事なのではないだろうか・・・。

練りは立禅の連続

 左右の腕を交互に廻す練りと呼ばれる動作があります。内廻しと外廻しがあり、はじめはその場で行い、徐々に歩法も合わせて行なうようにします。手のひらのクボミ、立禅のときの腕がまあるい感じから、揺りの感覚がわかってくると、練りがいかに難しく、その反面とても面白いということに気づかされます。以前、先輩の大関さんから「練りの動作は、禅の連続なんだよ」と聴いたことが思い出されました。たとえば内廻しの腕使いをしながら歩を進めているときに、「右手が上で左手が下」「右手が前で左手が手元」「左手が上で右手が下」どの局面においても、立禅の姿勢、争力、腕の張りなどなどが常に保たれていることが要求されます。

 それまでは、はじめの頃にやっていた揺りと同様に、練りの稽古も、ただ単に腕をぐるぐる廻しながら、なんとなく体をほぐすような感じでやっていたのですが、この時になってやっと「練りらしく」なってきたようでした。色々な腕使いを試してみると、どの形にあるときにも、常に禅の感覚を保っていられるようになるまでには、まだまだ時間が掛かりそうです。そうです。この時になって私は、やっとスタートラインにまで辿り着けたのです。そしてスタートラインに立った今、あとは前進あるのみです。

凹面鏡の意識で照準を合わせろ

 探手の稽古をしていた時に、天野先生からひとつアドバイスがあった。「自分の意識の照準を常に相手の中心に合わせておくように。相手の体の一部に目標を定め、その一点に向けて、左右の手の意識、左右の足の意識、そして頭部や腹部などの全身の意識が、その一点に集まっていくような気持ちでやってごらん」とのことであった。それはさながら、自分が大きな凹面鏡になったような気分でした。

 稽古の際には、まず目標物となりそうな木や鉄柱などを見つけ、適当な高さの所に黄色いビニールテープで印をつけた。そしてこれを相手に見立てて、そこへ全身の意識を向けながら、揺りや這いや練を行ないました。また推手の時にも、相手のノドを目標に定めて、自分から出る時にはそこを狙って発力し、相手が変化した時にもこの一点をのがさないように意識して行なうことが、当面の私のテーマとなりました。

のけぞりスウェイバック立禅

 いつもいいことばかりが続くとはかぎらない。落ち込んだり、やる気がしなかったり、憂鬱になったりすることもあるものです。立禅をすれば、カラスに威嚇され、子供には指差され、女子高生にはクスクス笑いをされてしまう。革靴を砂埃で白く汚しながら、ダブルにあつらえたズボンのすそに砂屑をため、卸したてのYシャツをクシャクシャにしながら打拳を打ち込み探手をやる。

 そして汗まみれのほてった顔で出勤すれば、同僚にはいぶかしがられる。「朝っぱらからこんな事をやっていて、いったい何になるんだろう・・・。何で俺はこんな事をやっているのか・・・」そんなふうに考えてしまう日もあるものです。

 そんな気分のまま立禅をすると、前かがみのうなだれた姿勢になってしまい、首がスッと立ちません。「ああそうだ。天野先生は確か『目の前の風景を抱え込んでしまうように』と言っていたな・・・」そう思い、スッとまっすぐに立ってみる。なかなかいい感じ――と思ったのもつかの間、またすぐにうなだれてしまう。やはり落ち込んでいる時には、なかなか立禅の気分には入っていけないものだ。「えぇい!ままよ!もう、まっすぐをとうり越して、のけぞってしまえ!」っとその時「おっっと、この感じは・・・んん・・新しい発見が!」それはまるで天野先生が組手のときにやるスウェイバックのフォームのようだったのです!この感じで半禅を組む、這いをやる、探手をやる。「楽しい!嬉しい!」さっきまでの憂鬱は何処へやら。「あぁそうか、俺は楽しいから立禅をやっていたんだ。太気拳が好きだから毎朝練習していたんだ!」そんな当たり前のことに気が付いたのでした。

 自分の体の中に新しいつながりを発見したときには、とてもワクワクします。今まで出来なかったことが出来るようになる――私はこの感覚が大好きなのです。まるで押入れの奥にしまってあった本の間から1万円札を見つけたような驚き。ジグソーパズルで行き詰まっていた時に、新しく見つけたひとつのピースをきっかけに、その一画がどんどん埋め尽くされていく気持ち良さ――そんな感動が大好きです。「他人は他人。私が楽しいと感じていることをいちいち解ってもらう必要は無い。自分は自分であれば良い」そんな思いが頭をよぎる、春うららかな雨のち晴れの日の出来事でした。

菜々子とお花見

 「春は桜がきれいね」耳元で菜々子が囁く。「うん、そうだね」と僕・・・ふと目が覚めた。「夢か・・・」傍らで妻のY子が寝息をたてていた。「あぁ、これが松嶋菜々子だったらなぁ」そんな思いで床を抜け出す。今日は太氣会の花見と組手のある日だ。菜々子の言うとうり、春は桜の花が美しい。今年は例年になく開花が早く、4月の第一日曜にはもう葉桜となっていた。それでも花見は楽しいものだ。ただその前に組手がある。

 太気拳の組手は、素手素面で行われることで有名だが、あまり一般的ではないこのスタイルは、鼻血が出たり、口の中が切れたりで、凄惨で、非人道的な印象を持つ方々も少なからずいるようだ。でもしかし、天野先生に言わせると「グローブやスーパーセーフをつけてやる組手っていうのは、野蛮な行為だよな」ということになる。つまりグローブでもスーパーセーフでも、打撃をもらうと脳や首に直接ダメージがくると言うのだ。それに引替え、素手素面であれば、顔面がある程度の衝撃を吸収するので、切傷などの外傷はあっても、脳や首にはほとんどダメージはないとのことである。

 さて、太氣会でも組手はいつも素手素面で行なわれる。この場合に問題となるのが、平手の掌打を使うのか、拳で殴ってもよいのか、ということである。まず第一に、打つ側が打ちやすいかどうかということがある。私の理解では、フック系は掌打、ストレート系は拳を使うのがやり易いかなと思っていたのだが、大関さんが言うには、遠間の距離では掌打、近間では拳のほうが打ちやすいとのことである。

 そして相手側への配慮もある程度は必要だ。「拳を使う場合には、相手へのダメージを減らすために強く握らずに、半握りもしくは半拳の様にして、威力を加減するように」とのこと。また、「掌打にしても蹴りを使う場合にしてもそうであるが、組手というのは潰し合いをしている訳ではなく、あくまで日頃の研鑚の成果を検証する場であるということを忘れないように」とのことであった。

緊張の面持ちで・・・

 朝まで降り続いていた雨も上がり、太気拳士たちが三々五々と集まってくる。皆それぞれに準備体操をして、立禅や這いなどの個人練習に入っていく。いつもの稽古風景だ。ただ、心なしか皆一様にそわそわしているように見受けられる。やはり組手となると緊張するものだ。もちろん私もその内の一人だ。家を出て、バスに乗った時から、急に心臓がバクバクしてきていた。立禅をし始めると少しは落ち着いてきたが、それでもまだ緊張している。

 自分は今回の組手稽古に臨んで、三つのテーマを考えていた。1.正しい姿勢を常に維持しておくこと。2.目付けは広角レンズのように、体の意識は凹面鏡のようにして相手を捕えておくこと。3.スウェイバックの動作を試してみること。ただ、この緊張した面持ちでは、普段どうりに動くことすらままならない。3月のKさんとのスパーのときのような、ぜんぜん体が動かないことだけは、何としても避けたい。メインのテーマは、急きょ変更!とにかく、おおらかに気持ちをもって、大きく、伸びやかに、そしてこまめに動くこと。姿勢だけは保っておいて・・・。

 歩法の稽古の後、探手をしながらこの気持ちを作っていく。体を大きく使って、伸びやかに、動いていく・・・。

 しばらくすると、いつものように推手がはじまった。皆それぞれに相手を見つけ、二人一組となる。そして少々早めに推手は終了。10分ほどの休憩タイムをはさんで、いよいよ組手稽古がスタートです。

いよいよ組手の始まりだ!

 今回は太気気功会の島田先生は仕事の都合で遅れていらしたのですが、お弟子さんのBさんとM井さんがきていました。天野先生が指名する形で組手の組み合わせが決められましたが、私は、気功会のBさん、M井さん、そして同期のО津さん、後輩のN津君、そして天野先生と、合計5回の組手をやりました。

 Bさんとは、昨年12月の忘年会組手のときに初対面でしたが、その時にどんな組手をするのかを見ていたし「これ位なら私の方が・・・」と失礼ながら少々軽く考えていたのですが、いざ始まってみると、ほとんど私の方が一方的にやられっぱなしでした。そんな中でも、自分が何発か頭部に打撃をもらったときに、姿勢を崩すことなく、ひるまずにいられた事が、唯一良かった点かもしれません。

 第二部・番外編において、グローブ打撃サークルのKさんをご紹介しましたが、実はM井さんはこのKさんと、1年程前にワンマッチ形式の試合で当たったことがあって、その時に判定勝ちをしているのです。また、M井さんはN拳の経験者で、太気拳歴はそれほど長くはないのですが、忘年会組手の時に見たとうり、かなりの強豪であることは承知の上でした。そして思ったとうり、私の方が軽くあしらわれてしまったといった感じの組手でした。とくにN拳特有の一発一発の重い前蹴りや打拳が印象的でした。

 同期のО津さんとは、普段から推手でも手を合わせる機会が少なからずあり、その感触からもこちらの方に分があると思っていたのですが、先制で左眼に一発くらってしまい、涙目になって片眼が半分見えないままでの組手となってしまいました。ただ、片眼が不自由になっても、おじけづくことなく、気迫で相手に挑んでいけたことが、自分でも少しは自信につながったと思います。

 N津君はまだ入ったばかりの後輩です。もちろん私の方が優位に立って当然で、こちらが一方的に打拳を当てて行けました。ただ、終わってから考えたことは、「足を留めて打ち合わないこと。歩きながら進みながら打てるようにすること。そのためには、ただ打拳を当てるだけではなく、相手の体勢を崩してから打拳を入れる工夫や、足腰の重さを突進力としてつなげることが、今後の課題だな」と思いました。

 天野先生との組手は短い時間でしたが、先生の懐(ふところ)の中で遊ばれているようで、私が打とうと思った瞬間、もうそこにはいないといった感じで、最後はボディへ一発くらってお終いでしたが、その打拳の突進力とまっすぐ入ってくる速さには、尋常でないものを感じました。

 先輩達の組手の中で、とりわけ参考になったのは、R先輩とK崎先輩の組手でした。私の目標は、R先輩のように突進力があって、重みのある組手が出来るようになることです。K崎先輩に対して一方的に、押し込んで行き、相手を崩してしまう。崩してしまった後は、もう打拳を打ち込まずとも、優劣がはっきりしているような状況ができている。それくらいのレベルにまでは登りつめていきたいと思っています。

 そのためには何が必要なのだろうか。まっすぐに入って行く速さと突進力のためには、足腰の粘りを這いで作り、体の変化を歩法で探る、そして発力練習。そしてもうひとつ、これが一番難しいと言うか、まだぼんやりとしたイメージでしかないのですが、ただやみくもにまっすぐ入って行くのではなく、R先輩のように相手を崩してから入っていく、あるいは天野先生のように、相手の崩れる一瞬を見逃さずに変化しながら入っていく。この辺の感触をつかまえたいのです。

 最近、天野先生によく言われることがあります。それは、「推手の時に自分の禅の姿勢を保っておくこと。また禅の力が常にそこにあること。そして意識を途切れさせずに、果たしてその瞬間の姿勢は、禅であると言えるのか否か。禅であるとは言えない姿勢になっていることがないのかどうか。そのフィードバックを繊細に、こまめに行なっていくように」というような言葉です。

 組手上達へのヒントは、たぶんこの言葉の中に隠されているのではないか、と思うのです・・・。