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会員・会友員のテクスト 富川リュウの太気拳修行記

富川リュウの太気拳修業記・第2部・番外編

これまでの第一部、第二部では、立禅、這い、歩法、推手という、自分で作った枠組みにこだわりすぎていて、ディフェンス技術や組手やスパーリングに関する記述が、少々こぼれ落ちてしまいました。この番外編では、そのあたりの部分を少々さかのぼって、書き進めてみようと思います。

【 序 】茶帯レベルの実力か?

 私の武歴?については、「プロフィール」の部分で記述しており、部分的に繰り返しとなりますが、もう少しだけ詳しく述べさせてください。

 29才の時に始めた格闘技の経歴は、最初に少林寺拳法を1年ほど、それから極真空手を2年、大道塾、骨法はともに1年未満、その後、キックボクシングを2年ほどやりました。また合気道やボクシングジムにも少しだけ行っていました。太氣会に入会する時点においての私の格闘技歴は、途中のブランクの期間を除くと、「6年と少々」といった所でしょうか。

 大道塾や極真会館では、8級や7級の青帯を取得するにとどまり、その後、合同稽古形式のキックボクシングジムに、週に1回~2回のペースで2年程通っていました。このジムでは、練習が楽しく、自分の実力もずいぶんと伸びたように記憶しています。 このジムを辞める時点における私の実力レベルは、色々な尺度がありますので、一概には言えないのですが、“極真会館の茶帯レベル(2級程度)”と言ったところではないかと思っています。極真会館を例にとり、たいへん恐縮なのですが、フルコン系では最大手であり、競技人口も相当数いらっしゃいますので、「ひとつの尺度として判りやすいかな」と思い、この様な表現をさせていただきました。

 極真会館では、早い人なら2年程で2級の茶帯にまでなれるようですが、この茶帯から、初段(黒帯)までの道のりが、ひじょうに長く、厳しいようです。組手では、黒帯の先輩達にガンガンと鍛えられるし、若手の後輩達もどんどん育ってきて、心理的にも肉体的にもかなりしんどいように見聞きしています。そしてキックを辞める頃の私がまさにそんな状況でした。いつもの練習メンバーの中では、かなり上位の数人に入るのだけれど、もっと上のプロやプロ候補生達とのスパーリングにはついていくことができずに、その辺で辞めてしまったのです。年齢を理由にはしたくないのですが、ケガや故障が直りにくくなり、スタミナもつかずに、2級の茶帯レベルでそのジムを後にした、という形でした。 (この後の太気拳への入門の経緯は、「第一部の(自序2)」の部分をご参照ください)

 さて、太気拳に入門して一年目の私は、ある意味で組手やスパーリング、突き、蹴りといったものを封印していました。(格好良過ぎかな?)それは太気拳の動きが、それまでに慣れ親しんできたものとは、全く異質であると感じていたからです。そして二年目に入ってから、太気拳での初めての組手稽古を経験し、その後は、Kさんとのスパーリング稽古会、夏合宿でのグローブ組手などを経て、現在に至っています。

 次の章からは、私がどのようにしてスパーリングや組手に取組んでいたのかを書いてみようと思います。

【平成12年・夏】網を張って迎え撃て

 一年目の割と早い時期に、ストレート系のパンチに対しての太気拳での防御技術のひとつを天野先生に教えてもらいました。この方法は両腕の手首から肘にかけて、ほぼ正方形の形に網が張ってあるようなイメージをもって、手首がこめかみよりやや高い位置になるようにして構える、というものです。ただ、実際には網はないので、相手のストレートパンチに対しては、“交叉法”を使って、「絡めとる」という感じで防御を行ないます。そして相手のパンチを正面で受けることを避けて、接触した瞬間に絡めとりながら外にずらし、同時に顔面を反対方向へずらすようにするのです。こうする事によって、より的確に相手のパンチを防御することが可能となります。

 キックボクシングをやっていた頃、元はフルコン空手を習っていた経緯から、蹴り技に頼りがちとなり、顔面パンチの防御が、最後まで苦手なままでした。フック系のパンチに対しては、アームブロックを教わって、「少しは出来るかな」という感じだったのですが、ストレート系のパンチに対しては、パリングや片手を前方へ伸ばしてもう一方の手でブロックするやり方や、スウェーの技術なども教わってはいたのですが、そのジムを辞める頃にもまだ、ストレート系のパンチは捌ききれないというか、恐怖心が拭いきれずにいました。しかしこれは、パンチのみのスパーリングの回数をもっと増やして、ある程度ボコボコに殴られながら、痛い思いもして、殴られることに慣れていくという経験も必要だったのではないかと、後になって考えたりもするのです。

 さて、前述の“網を張って迎え撃つ”防御のやり方ですが、実際にこれは、ストレート系のパンチに対してひじょうに有効でした。この方法だけで、ほとんどのストレート系のパンチを捌けてしまうので、かなり気持ちに余裕ができたように思いました。

 しかしこのままでは、フック系のパンチに対しては対応出来ないようで、今度はフック恐怖症になってしまう、という逆転現象が起こり、またそれまではさほどもらったことの無かったミドルキック等にも苦しめられるようになってしまったのです。

 太気拳では、パンチや蹴りの防御のためにブロックをするという思想を持ち合わせていません。だとしたら、どのようにしてフック系のパンチや、廻し蹴りや、ローキックを防御しようと言うのでしょうか。私自身、この辺のところが一番苦労した点でもありました。何せ、それまで培ってきたブロック技術を、全て否定しなければならなかったのですから・・・・。

【平成13年・春・その1】太気の構えはボディがら空き?

 太気拳に入門する以前に、雑誌や書籍において、太気拳や意拳の組手の構えを見たときに、「こんなに脇が空いていて良いいのだろうか?」と不思議に思っていました。メジャーな現代格闘技である空手やキックをべ―スにして考えると、そういう構えでは、アゴやテンプルのガードが甘いし、ミドルキックも入りやすいのではないだろうかと、疑念を抱いていました。

 私が見た本にどういう写真が載っていたかというと、それはまさに半禅と同じフォームで、手だけが拳に握られていました。また拳にグローブを着けている写真もあったように記憶しています。

 そして私が太気拳に入門後、先生に教わり、身につけた構えも、ほぼそれと同じフォームでした。但しひとつの局面を切り取れば――という条件付きとなります。なぜなら太気拳の構えは、同じ形でそのままでいることは無く、常に手足をぐるぐると、あるいはゆらゆらと動かし続けているからです。そして脇が空いているように見える、その肘と腰骨の間には、見えない意識という糸が幾重にも張り巡らされていて、「脇が空いているように見えても、実際には空いていない」――というのです。

 そうは言っても、それは言葉の綾かもしれないし、本当にそうなのかもしれませんが、要は、相手のミドルキックを全くもらうことが無ければ、それで良し。もらってしまえば、意識の糸もへったくれもないのです。

【平成13年・春・その2】防具付き組手練習会

 二年目の春の花見のときに行なわれた、私にとっては初めての太気拳での組手稽古のあと、インターネットのホームページを通じて、横浜近くで打撃系格闘技のサークル活動をしているKさんという人と知り合いになり、そのサークルの方へ月に一回程度の割合で、参加するようになりました。

 Kさんは、30代の会社員ですが、幼少の頃から剣道等に親しみ、高校、大学時代は少林寺拳法部に所属し、卒業後は会社勤めの傍ら、キックボクシングのジムにも通いづめ、新空手の黒帯を持ち、多種多様な試合・大会での経験も豊富な実力者です。

 彼の活動は、他流派への出稽古や他の空手サークルへも波及し、スポーツチャンバラ等もかじっていて、自称「単なる武道オタク」とのことなのですが、私の印象では「闘うサラリーマン格闘家」という風貌に見受けられるのです。

 この打撃系格闘技のサークルでのスパーリングは、フルコンルールでやったり、ヘッドギヤとグローブを着けての顔面有りもやる、という感じで行なわれているのですが、私がKさんと初めてお会いして、その練習会に参加させていただいたのは、確か5月の連休の時ではなかったかと記憶しています。

【平成13年・春・その3】防具の死角

 さて、そんなKさんとのスパーリングですが、ほんとうに私の方が胸を借りるという感じで、結構やられっぱなしでした。最初は、素面で16オンスのグローブを着けてスパーをしていたのですが、Kさんが野球のキャッチャ―のような面の防具(MW社製)を2ヶ持ってきていて、私もそういうのを使ったことが無く、まあ何事も経験と思って、それを着けてやってみたのですが、はじめから「防具をつけると視界が狭くなり、その防具に慣れていない人は不利だよ」とは言われていたのですが、いざスパーリングを始めてみると、蹴り足は見えないし、横も見えないし、ほんとうに前の限られたスペースしか見えないな・・・と思った瞬間、右フックをもらい、目の前が真っ白になって、ダウンを喫してしまいました。その後、私がこの面を二度と着けなかったのは言うまでもありません・・・

 とはいっても、私がフックをもらった事を、防具の死角のせいにばかりはできません。なぜなら、そのあとの防具無しでのスパーでも、何度となくKさんの左右のフックの餌食となっていたからです。前述の“網を張って迎え撃つ”防御のやり方で、ストレート系のパンチは捌けていたのですが、フック系のパンチは、本当に泣きたくなるほどにもらってばかりいました。

【平成13年・初夏】それでも脇があいている

 5月と6月の練習会では、大体そんな感じの、フックでやられてしまうというような内容が多かった様に思います。そして7月の練習会の際には、極めつけにキツーイ左ミドルキックを一発お見舞いされ、またもや右アバラを負傷してしまいました。後で、他のメンバーに聞いたところによると、じつはこの左ミドルはKさんの得意技だったのです。

 さすがにこれには、フルコン空手時代、キックボクシングをやっていた頃を通じて、廻し蹴りをもらってアバラをいためた事が一度も無かった私は、かなりショックを受けました。「やはり、太気拳では脇が甘いのだろうか・・・」と思ったりもしたのですが、太気拳をはじめてまだ一年半にも満たない者が、「太気拳が、どうのこうの――」と言うのは、おこがましい限りですし、早い話、自分自身が未熟者なのです。左様、私の場合「脇が空いているように見えて、ほんとうに空いていた」――と言うまでことなのです。

【平成13年・夏・その1】歩法が命

 この練習会の後はいつも、「これは、何とかせねば・・・」と反省する事しきりで、先輩や先生にもアドバイスを求めたり、自分なりに自主錬の立禅や探手のなかで色々と趣向を凝らしてみました。

 A先輩からは、「あれっと思った時には止まってしまわずに、とにかく動いて動いて」ということを。R先輩からは、「相手の間合いで闘わない、相手のペースには付き合わないで・・」ということを。そして天野先生からは、「まず歩法において、相手と向き合った際に、相手のパンチと蹴りの射程範囲(間合い)に対して、そこを出たり入ったりするような歩法」と「射程範囲のもっと外から一気に攻め込むような歩法」をアドバイスしていただきました。また「中途半端な間合いにボォ―と立ち止まっていないこと」「立禅の時には特に肘と腰骨が繋がっているような感覚を作っていくように」とのアドバイスもいただきました。

 しかしこれは、実は毎週の稽古の中での推手のときに私の欠点として、いつも先生に指摘されている点でした。推手のときでさえ脇が空いてしまっているのですから、スパーリングの際にそこを蹴られてしまうのは、当たり前の話です。

 このころから、毎日の朝練の中に探手(シャドーボクシングのようなもの)を取り入れました。最初の頃は“練り”のような動きの“推手の探手”といった感じで、防御を主に意識して行なっていました。相手からの攻撃を想定し、フックはどう避けようとか、廻し蹴りにはこう・・等々といろいろと工夫しながらやってみました。

 そして8月の鎌倉打撃練習会、Kさんとのスパーでは足(歩法)を使うことによって、大きなダメージははもらわない様になっていました。とりあえず第一ステップとしては、“たいへん良くできました”と自分を褒めてあげたくなりました。出稽古の際には、誰も自分の組手内容や課題に対しのアドバイスをしてはくれませんので、“反省点は反省する。良くできた時は自分を褒めてあげる”ということも、このときに学びました。

【平成13年・夏・その2】かわしてばかりで不甲斐ない

 9月の練習会でも、私のディフェンス技術は冴え渡り??、大きなダメージははもらうことなく、スパーをこなすことができましたが、もう自分を褒めることはできません。「いつまでもこんな逃げてばかりいるような事をしていてはいけない・・・」と反省する事しきりです。

 スパーリングや試合において、相手からの攻撃をかわしてばかりいるのでは、逃げてばかりいる事と内容的には何ら変わるものではありません。やはり自分の方から有効な攻撃を出さないことには、「消極的」「判定負け」と思われるのは当然のことで、とにかく内容的には話になりません。本当に不甲斐なく、悔しくて悔しくてしかたがなかったのを今でもはっきりと覚えています。

 次の日から、毎朝の自主練の時の探手では、それまで防御を中心に行なってのを、攻撃をメインに、動きの中でパンチや蹴りをどんどん織り込んでいき、体になじませる様な作業を行いました。朝練の中のほんの10分ほどの時間ですが、大汗をかきながら、「パンチ、動いて、パンチ、かわして、連打、動いて・・・」と相手をイメージしながらやるようにしています。

【平成13年・夏・その3】無我夢中のグローブ組手

 話は前後するのですが、8月には太氣会恒例の夏合宿が行なわれました。

 この年の9月に、太気拳・意拳交流ということで、北京の姚承栄先生のところへのツアーが予定されていました。そして、北京ではグローブを着けた組手稽古も行なわれているとの事で、いつもは素手ばかりでやっている我々も、少しは慣れておいたほうが良いだろうということで、8月の夏合宿のときにはグローブを着けての組手稽古を何度か行ないました。

 天野先生は、常々「推手で勝てない人には、組手でもかなわないよ」と言われていたのですが、このことに私は少々疑問を持っていました。「たとえ推手で押し負けてしまうような相手であっても、パンチとキックの応酬になれば自分だってそれなりには行けるだろう」という自負心があったのです。

 そしてこの夏合宿でのグローブ組手で、そんな私の考えが浅はかであった事を思い知らされました。先輩のAさんやRさんとの組手では、広い体育館の壁際まで押込まれボコボコにされましたが、これはまあ当然というか、たぶんこうなるだろうなという予想はしていたのですが、少しだけ先輩の奥Dさんとはもっとこちらが優位に立てるだろうと思っていたのです。

 奥Dさんは私より2年程先輩ですが、格闘技歴はほとんど無く、奥Dさん自身もパンチやキックの応酬にはあまり自信がなさそうな感じだったのですが、いざ私と立ち会うと、その迫力というか、突進力がものすごく、私のパンチも何発が入ったようでしたが、全体的に見て完全に私の方が完全に押されっぱなしでした。

 いつもの稽古の中での推手では、確かに私は奥Dさんに押されてはいましたが、AさんやRさんほどにその格差を見せつけられる事はなく「これくらいだったら組手になれば俺の方が強いだろう」などと高をくくっていたのですが、これが大きな間違いだったことに、このとき初めて気付かされました。

 「先生!質問があります。何故ですか?何故推手で勝ててると組手でも勝ててしますのでしょうか? 私には大いなる謎なのです」と聞いてみたかったのですが、この年の秋頃から、自分でも自分の推手に自信が持てるようになってきて、なんとなくその答えが見えてきたようなのです・・・。

 (しかしながら、この後、米国における同時多発テロの影響で、北京行きのツアーは中止となってしまいました。)

 

【平成13年・秋】攻撃の穴を攻められまたもやダウン

 10月の練習会においては、積極的に自分から攻めていくように心がけました。ところがこれが裏目に出て、返り討ちにされてしまったのです。いったい何処がいけなかったのでしょうか。攻撃後の穴に的確に返されていたように思います。たぶん攻撃の後の自分の体勢が崩れていて、相手から攻めまくられたときにパニクって、固まってしまった所をボコボコにされたのではないかと思います。A先輩に言われた「あれっと思った時には止まってしまわずに、とにかく動いて動いて・・」という言葉が脳裏をかすめました。

 まあ、なんでもそうですが、そう簡単に急にスパーが強くなるということはないものです。やはり回数というか、経験の数を踏まないことには、上達しようもありません。とにかく一喜一憂せずに、コツコツと楽しみながらやって行くことが、大切なのではないでしょうか。「また今度、がんばろぉーっと。」急に楽天家になってしまう、現金者の富川君でした。

【平成13年・秋・冬】腰痛再発で、しばらくお休み

 10月の後半からは推手にちょっと手応えを感じ始めていたのですが、腰を痛めてしまい、11月12月は休養の日々でした。1月になってやっと稽古に復帰して、しばらくのブランクのせいで衰えていないかと心配でしたが、そこそこに推手もできました。1月2月でかなり腰の具合も回復してきていたので、3月くらいからはKさんとのスパーリング稽古会に参加しよう思っていました。

【平成14年・初春・その1】グローブ立禅で見た夢

 グローブをつけて立禅?・・・これは、昨年の夏合宿の時にA先輩に教えてもらいました。普段は素手の推手や組手をしているので、グローブでのスパーに備える為には、グローブをつけての立禅で感覚を確かめておく、ということでした。

 Kさんとのスパーに備えて、私も少々グローブ立禅などをやってみようかな、と思い立ち、16オンスのグローブをこっそりカバンの中に忍ばせ出勤し、妻には残業と偽って夕方の公園でひとり練習をやりました。グローブを着けて、はじめは立禅、半禅を。そして這いから練へ。最後は探手。感覚を確かめるように体を動かしてみました。「んん、これなら行ける!」なんかその気になってきています。Kさんとのスパーが楽しみです。

 ふだんはひょうきんでお茶目なKさんも、スパーリングとなると人が変わったように怖い人になる。私はKさんの目が怖い。スパーリングで立ち会うとその目がこちらを見つめている。そしてじりじりと間合いを詰めてくる。「冷静になって、歩法を使って、全体を見るように・・・」自分に言い聞かせる。とその刹那、Kさんのストレートが飛んでくる。ボンボン!私のオデコにクリーンヒット。コンビネーションで左ミドル。もろに右脇腹にもらうが、何とか見えてはいたので致命傷は免れる。恐怖心は目の前の視野を狭くしてしまうようだ。いつもは出来ている相手の全体をとらえる眼が、出来ない・・・。Kさんの目、掲げられたグローブ、そこだけに視線が固まってしまい、それでいてストレートはもらってしまう。「情けない・・・悔しい・・・」そんな思いだけが残った。

 自分ではもう少しまともなスパーが出来るように思い込んでいただけに、終わった後は“がっくし”であった。グローブ立禅で、すっかり夢の国の住人になってしまっていたようでした。

【平成14年・初春・その2】広角レンズのように

 そうはいっても、悔しい悔しいばかりでは先が無い。問題点は何なのか。何をやるべきなのか。考える。稽古する。Kさんを見据え、禅を組み、這いを行なう。探手もやる。目線をもう少し上を見る様にしてみたらどうだろうか・・・。相手の肩越しに、ちょっと向こうを見るような感じで・・・。電車の中で目の前に立った人や、道を歩く時に前を歩いている人の肩越しに少し向こうを見るようにしながら、相手の頭の先から足の先までを視野の中に捕えてみる。ちゃんと足先までが見えている。「うん、これはなかなかいい」と思い、数日間これを続けてみた。あと、目はカッと見開くよりは、うす目のようにしてみてはどうか・・・等々と考えてもみた。ふと、スパーの様子を思い出す。「あっ、これはやっぱり使えない・・・スパーで相手が構えているときには、肩のところにはグローブがある・・・ダメだ・・・。でもそれなら、もう少し上を見るようにしてみては・・・ちょっと上すぎるようだな・・・」そして結局、「どこを見るというよりは、全体像を捕えられるように、広角レンズのような気持ちでやってみよう」ということに落ち着いた。

【平成14年・初春・その3】半禅、またの名を技撃椿

 Kさんとのスパーの様子をちくいち天野先生に報告していたわけではないのだが、たまたまなのか、「探手のときの構えを半禅の姿勢にしてごらん」とアドバイスがあった。今までは相手に正対して、あまり半身にならずに構えていたのだが、半禅の姿勢で構えて、足先が相手に向くようにすると、ちょうどその足の上に手がきて、その手で顔が半分隠れる。意拳では、半禅のことを「技撃椿(ぎげきとう)」という。これはすなわち「組手のときには、こう構えるんだよ」と言っているのと同じことだ。今までは手を廻すことに気を取られすぎていて、半身になることを忘れていた。ここで再び半禅のフォームの有効性を思い起こす。次のスパーまで、あと一週間しかない。なんとかこのフォームを体になじませて、使えるようにしてから臨みたい。「妻にはまた、残業で遅くなると言い訳をしなくては・・・」という思いが頭をよぎる。

【平成14年・初春・その4】無理を承知でグローブスパー

 体調が悪い。ふくらはぎと太ももがパンパンだ。体の芯に疲労感が張り付いている。完全にオーバーワークだ。土曜日はマッサージに行き、足の筋肉は少しはほぐれた様だが、一日休んでも疲労感が全く抜けない。困ったものだ。そうはいっても今日はKさんとのスパーの日。無理は承知で出かけてみた。体が重い。足が動いていない。惨敗だ・・・。仮に体調が万全であったとしても、たかだか1週間や2週間の付け焼刃では、まだまだかなう相手ではない。自分の実力が少々あがってきたときに、相手の本当の強さが判るというときがある。太気の推手でもそうだが、グローブスパーでもそれは同じことのようだ。きのうまでは何とか乗り越えられそうだと思っていた山が、ふもとまでくると実は一朝一夕には乗り越えられないものだと気づく。

 反省点は、いろいろとあった。攻撃のその刹那を感じ取ること。一瞬を見切る勘と、紙一重でかわす勇気。そのどれもが相手のほうが私より一枚も二枚も上手であった。というよりも私には何も出来ていなかった。

 はたしてKさんを越えられる日が来るのだろうか。それは1年先かもしれないし3年先かもしれないし、10年経っても無理かもしれない。だとしたら何の為に稽古するのだろうか・・・。焦ってはいけない。やり続けること。継続する意思、信念。それこそが大切なのではないだろうか。2年目の終りにあたり、やっとこのことに気がついた。