Q:
天野先生,初めてメールさせていただきます。
私は空手を始めて13年経ちます。
このごろやっと基本や約束組手で力みが取れてきたなと感じられるようになってきたのですが,自由組手となるとだめです。結局,心と体の一体感がつかめていないのだと思います。
心と体の一致させる方法として呼吸が大事で,それに気を乗せるというか合わせるということが少しずつ分かってきましたので,三戦で鍛錬しています。三戦によって気も養成できるのですが,空手には内家拳ほど詳しい気の養成方法が確立されていないように感じます。
そこで,2年ほど前より先生の著書やDVDを教科書として,立禅に取り組んでいます。現在,立禅をしていると下半身と腕,胸に奇妙な感覚が表れ始めています。
天野先生に教えていただきたいことがあるのですが,立禅の際の呼吸についてです。呼吸の仕方について,腹式呼吸なのか逆式呼吸なのか,座禅のように息を吐ききっていっぱいまで吸い込むのか,それとも自然に任せるのか,その他呼吸をする際の注意点などを教えいただけると嬉しい限りです。
武の世界では修行年数13年なんて鼻たれ小僧ですが,技の質を高める気持ちを持って励んでいきたいと思います。どうかよろしくお願いいたします。
A:
空手を13年との事、いろいろな事がわかってくると同時に自分の限界も感じてくる頃だと思います。負けないでがんばってください。
さて、今回の質問は呼吸についてですが、それ以外にも他の人にも共通の問題があるのではと思うので、これを機会に書いてみようと思います。
まず最初に呼吸について。呼吸には腹式と胸式があります。
と言うか、二つあるように考えられています。確かに腹式と胸式に分けて呼吸をする事が出来ますが、それは単にできるというだけで、自然な呼吸と言うのはその両方を併せ持っているものです。
呼吸は不思議なもので、意識しないでも自然にしますが、止めたり或いは深呼吸をしたりと意図的にコントロールする事が出来ます。
簡単に言えば呼吸筋は随意筋と言うことでしょう。逆に言えば随意筋だからコントロールできる。だからどちらか良いほうにすればよい。と考えるのかもしれません。
ところが武術と言う事で考えれば、正直に言って、そんなことに神経を遣う必要はない、或いは暇はないと言うのが正直なところだ。そんなことに気をつけることより、他に気にしなければいけないことが人と向かい合ったら山ほどある。幾ら腹式呼吸がいいからといって、それを気にしながらでは約束組み手さえ出来ません。
だから、そんなこと呼吸に気をつけるよりも自然な呼吸でいることのほうが大事です。つまり、自然に任せる、或いはどんな時でも自然な呼吸でいられるようにする事が稽古です。
よく腹式呼吸をする事で、気持ちを落ち着かせると言う人がいます。それはそれで間違いではないと思います。
なぜなら、緊張したり興奮したりすると、肩や背中が緊張します。そうなると腹筋が動かなくなり、結果的に胸式呼吸になりがちだからです。
図式的に言えば、気持ちが緊張する、身体が硬くなる、背も腹も緊張する、だから呼吸が胸式になる、場合によっては呼吸も止まる。それに対する処方として腹式呼吸を意識する事で背や腹の緊張をほぐし、ひいては身体を緩め、気持ちの平静を取り戻す。
気持ちで起こった緊張を身体から解きほぐす、と言うこと。簡単に言えば風邪を引いたときに薬を飲む、その薬が腹式呼吸。
だからそう言う意味では腹式も覚えておいたほうがいいと思います。入学試験の会場で上がってしまった、などという時は有効かもしれません。
ただ武術で言えば、もっと大事な事があります。何かと言うと、事にあたった時にも当たり前な自然な呼吸でいる事。つまり過緊張にならず自然な気持ちと身体でいる事です。
呼吸は気持ちが乱れれば、乱れるものです。つまり呼吸は気持ちの結果。だから大事なのは乱れない気持ちを育てることのほうが呼吸をいじる事よりもっともっと大事と言うです。
さて、質問の最初にあった自由組み手と約束組み手の距離感です。
多くに場合この二つは全く別のものです。約束組み手は約束です。だからできる、当たり前です。
相手がこう来たらこう動こう、と思ってタイミングを合わせてやる。ところが自由組み手はそうはいかない。こう来るかもしれないし、来ないかもしれない。そんな状況の中で、約束組み手の内容が生きるか、と考えてみると良くわかる。
皆約束組み手の技術や技を自由組み手に生かそうと考える、其処が大きな間違い。では何が大事なのか。
質問の最初に約束なら力みが取れる、しかし自由組み手ではそういかない。と書いてあります。此処に実は答えがあります。
つまり約束組み手で得られる事は、力みを取れば何かが出来る、と言うことを知ることです。
決してこう来たらこうと言う技術ではない。そんな技なんて言うものは、力みや緊張がなければその場に応じて出てくるものだし、そうでなければいけない。組み手の中で複雑な事なんかできるわけがない。
だから何かをやろうとするのではなく、何でもできるような力みの取れた状態で相手と向かい合う。これが出来れば十分。組み手では出来ない事はどんなにがんばってやろうとしても出来ない。だからせめて出来る事をやり切れる状態に自分を置いて、自分がなにをやるか楽しむような気持ちでやること。
出来ない事を出来るように努力する事は大事だけど、組み手のときは出来る事しか出来ない。そう腹をくくって自然な気持ちで向かい合う、それしかないと思います。組み手でうまくやる必要なんて全然ないからです。上手くいかないからこそ次の課題が出てくるもんです。
太気会 天野
大変多忙の毎日を送られているにもかかわらず,面識もない自分に身に余るほどの親切丁寧なご指導を賜り,心より感謝申し上げます。
先生のお言葉を読んだ後,武道はすべてにおいて気持ちが一番重要であることが分かりました。このことは良く耳にする言葉ですが,自分が今まで持っていた気持ちというのは,相手に気位負けしないようにするある意味緊張の連続の意識の持ち方でした。そうではなくて,自然な状態を保つ気持ちがいかに大切なのかということに気付きました。そういえば,何気なしに立っているか細い木々もちょっとやそっとの力ではびくともしませんね。
私は,自然な心の状態を身につけるための呼吸法が,いつのまにか腹式か胸式かという形にとらわれていました。また,組手においては力を抜いてと,耳にたこができるくらい聞かされているのに,打とう,受けよう,蹴ろうという形に意識が行っていました。当然,先生のおっしゃるとおり,息は上がり,体に余分な力が入っている状態です。空手を覚えた手の頃は,移動稽古のとき,何も考えずに足を一歩踏み出していたのに,今は思うような一歩が出せない状況です。言われてみればそうかということが,実際になかなかできないのがこの世界なのですね。自分の体なのに,思うように動かせないことを痛感しています。
「約束組手の本質は,力まなければ何かができることを知ること」・・・天野先生のこのお言葉は,行き詰っていた私に明確な方向性を示してくれました。こうきたらこうする言い換えれば,何かをしなければならないという行動をとる今までの自分から,何かができるつまり,無意識に何が出るか分からないが何らかの動作ががひょいと出てくるこれからの自分を目指すということです。当然これからの稽古での意識の置き方も変わってきます。なんだか,再び空手が楽しくなってきました。私の空手がこの先どのようなものになっていくのかわくわくします。
天野先生,本当にありがとうございました。先生のおかげで形にとらわれていた過ちに気付き,何が大切なのかが分かりました。後は,実行です。励んでいきたいと思います。先生ご自身と太気会の益々の御活躍をお祈りいたしまして,お礼の言葉とさせていただきます。
質問者 N