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メールQ&A 天野敏のテクスト

何故意念を持って立つのか

Q:
 こんにちは。静岡県に住んでいる学生です。
 元々太気拳に興味があり天野先生のビデオも拝見しました。本やネットも使って随分調べたのですがどうしても分からないことがありました。それは太気拳の基礎中の基礎である「立禅」という練習です。意念をもって立つ。一体どういう意味があるんだろう?という疑問が残りました。
 幸いにも太気拳経験者の方に質問できる機会があったのですが「全身の筋肉を強調させるため」とか「神経を鍛える」などの目的だとお聞きしました。
 何故意念を持って立つことでそういった効果があるのでしょうか?
 こんなことをお聞きすると「道場に通え」と思われるでしょうが都合上、道場に通えるようになるのは随分先になりそうなのです。道場に通えるようになるまで独習するつもりなので、お教え願えないでしょうか?
 よろしくお願いします。

A:
 返事が遅れて申し訳ありませんでした。
 実は、返事の仕様がなくて困っていました。
 しかし、考えて見るとこの質問は、じっくりと考える意味のあることに思えてきました。

 まず、質問に対する答えは簡単で単純です。
 なぜ立禅を組むのか。答えは立禅が何であるかを知るためです。
 意念に関しては、気にしなくても、意念のほうから寄ってくるものです。
 いまでも私が立禅をするのは、立禅を知りたいからです。
 立禅の本当の意味を知り、感じたいからです。
 これが答えです。

 しかし、今回の質問で私が一番問題に感じたのは、質問の影に見え隠れする、ある種の錯覚です。
 それは、疑問に対する答えがあらかじめ何処かに用意されていると思っていることです。
 それは何処にもありません。勿論,本にもネットにもです。
 もしあるとすれば、それは自分自身の中にしかありません。
 だから立禅で自分に向き合うのです。
 自分と正面から向き合えるのは自分だけです。
 拳は自分のなかにしかありません。

 また、立つ前に疑問をもって考え込むのは無意味です。
 まず立ってみて、なぜ立つのかはそれから疑問をもつ事柄です。
 立禅を初めて組めば、なぜ組むかより、どう組むかが一番の問題になります。
 すっきりと立つのがどれほど難しいか。すっきりと、のびやかに立てれば、答えは自ずと出てきます。
 要するに、立禅をまともに組むことが出来ればいいだけの話です。
 拳を研究するのにマニュアルはありません。マニュアルとは、情報です。
 拳は情報ではありません。聞いて理解するものではなく、感じて染み込ませるものです。
 知っていたって出来なければ意味がないのが拳です。
 わかっただけでは出来ないのが人です。

 立禅とは何か、なぜ組むのか。
 私なりの考えはあります。しかし、その意味が判るのは、あなたが私の地平にきた時です。
 まず、禅を組んで、どのように組むのが禅なのか、を本当に考えて、苦しむことから始めてください。
 苦しむことで初めて、本当に答えを希求することが出来ます。
 肩が痛いのをどう乗り越えるか。足が辛いのはどうすればいいか、背中は、首は。
 そしていつか、必ず答えのほうで立ちあがってきます。

 いまは情報の世の中です。それは間違いありません。
 拳を分析して数字や記号に置き換え、情報にしようとする人間もいます。
 情報は判ることが出来ます。しかし、感じることも、出来るようになることもありません。
 情報には肉体が決定的にないのです。知識は増えても感性は変わりません。
 所詮、拳にとっては無用のものです。

 拳は、情報や分析ではなく、自分を生きることだと思います。
 そのためには自分を見つけなくてはなりません。
 だから立禅なのだと思います。

太氣会 天野